第20話

 ──奇妙な猿がいる。

 縄張りに、何者かが侵入した気配を察知して様子を見に来たが、見たこともない猿がいた。

 猿にしては毛が少なく、右手に光り輝く長い鉤爪かぎづめを持っている。その鉤爪がまた、脅威的だ。

 猿が振るう度、草も木も、細いも太いも関係無く断ち切られるのだから。

 基本、猿どもの能力は私に劣る。それを理解してか、猿どもは群れを成している。

 故に今、目の前にいるような孤立した猿は格好の獲物に他ならないのだが。

 いや、油断は出来ない。

 力の弱い猿どもは、憎たらしいことに知恵だけは回る。

 ──私はしばし、猿を監視することに決めた。

 猿の目的は何だ? 密林をうろついては、木の実を食べている。

 そして頭がおかしいのか、時折空中に向かって一人で話している。要警戒である。


 夜、猿は巣とした大樹から出てきた。

 あっという間に巣を作ってしまうのだから、やはりあの鉤爪は危険だ。

 警戒を解いたのか、猿の鉤爪は引っ込んでいた。

 ふと、猿と目が合う。

 ──るか?

 いや。そもそもあの猿は食えるのだろうか。毒があったりしないだろうか。

 毛が少ないのも、思えば怖い。何かしら病気を持っていて、そのせいで毛が抜けてしまったのではないか。

 やはりまだ観察が必要だろう。

 私は猿に背を向けた。

 追ってくる気配は、無い。


 翌日、引き続き猿の観察を続ける。その右手には、光る鉤爪が出ていた。

 昨日の遭遇は奴に警戒を与えてしまったらしい。機会を見逃してしまった自分の判断に後悔する。

 ──いや、いや。慎重を期するのは悪いことではない。

 私はじっくりと機を持つことにした。


 なんだアレは⁉

 猿が空を飛んだぞ⁉

 昼前、猿を追って浜に移動すると狼の死体が幾つも転がっていた。

 奴が仕留めたのか? 猿の癖に。

 だとすると中々に身体能力も侮れない。

 空飛ぶ猿。聞いたことがない。新種である。

 ……もしかすると、奴も同じなのか? 私と? 

 いずれにせよ、そろそろ見極める時が来たのかもしれない。

 食うか、食わざるか。


 夜。私の時間だ。

 多くの獲物が寝入る時間。私の眼は暗闇でもよく見える。

 やはり昨日の遭遇は失敗だった。奴は鉤爪を出しっぱなしだった。

 威嚇のつもりか。多様な声を出している。

 そうしてアレは──アレはなんだ? ゆらゆらの赤い……? 猿は魔法が使えるのか?

 もし、魔法が使えるのであれば脅威であるが、よしよし。奴は私と違い暗闇を見通せないようだ。一つ、朗報である。

 奴は巣に持ち帰った狼どもを、ようやく食べるようだが、何をしているんだ? なぜかぶり付かない?

 バラバラにして、死体を弄んでいるのか? 悪趣味な奴め。

 やはり食うか。私の縄張りを荒らすような輩を、見逃す手はない。

 なに。毒を持っていようと、食わなければいいのだ。

 殺して放置して、それこそ狼どもが食えば毒の有無も分かるというものだ。

 私は気配を、足音を殺し、猿へと近づく。

 この森は私の庭だ。目を瞑っていても、何がどこにあるか把握している。

 木の葉一つ揺らさず、私は猿の背後へと位置取り──。

 ん? 奴め、何をしているんだ?

 狼の肉を鉤爪に刺し、ゆらゆらへかざして──。

「⁉⁉⁉」

 なんだこの匂いは⁉

 芳しい! 涎が意思とは無関係に溢れる!

 猿! 猿め! 貴様一体何を!

 ぐ、うぅ……。食べたい、あのゆらゆらにかざされた狼の肉を!

 ……あんなに大量にあるんだ。絶対猿一匹では食べきれないぞ?

 ………‥もしかしたら、分けてくれないかな? どうかな?

 ………………大丈夫だ! 私の脚は速い! いざとなれば、あんな毛の薄い猿になぞ追い付かれる筈がない!

 計画はこうだ。まず私の威容を見せる。猿、ビビる。命欲しさに肉を献上する。

 よし、よし! 大丈夫、大丈夫だ。完璧な計画だ。時々、自分の賢さが怖くなる。

 ふふ。そうと決まれば──。


 ◇◇◇


「あぁ~♥ これもダーリンの愛なのね~♥」

 ステーキの語源はスティック──つまり串焼きの肉である。

 賢吾はグランマリアに解体した肉を刺し、火で炙った。しばらくすると辺り一面に香ばしい匂いが立ち込める。

 肉汁がしたたりじゅわりと音を立て、それがもう、否応なし賢吾の食欲を煽った。

 肉を刺され火に掛けられ、全く聖剣の扱いとは程遠いがそれでもグランマリアは上機嫌であった。

「……お主、それでいいのか?」

 そんな彼女を見、無機物仲間であるグレーテルが引き気味に答えた。

「あ~ら、これはこれは。グレーテルさんじゃありませんか。知識を披露するしか能の無い役立たずの。おほほ♥」

「ぐ……! 何じゃとぅ⁉」

 完全に調子を取り戻した、否、調子に乗ったグランマリアがグレーテルを煽る。

「ほら。喧嘩すんなって。気にするなよ。グレーテルにも、十分助けられてるからさ。グランマリアも」

「ん、んむ。分かっておるならいいのじゃがのぅ……」

「は~い。ごめんなさいダーリ──」

 グランマリアの形ばかりの謝罪の途中、彼女のまとう気配が変わった。

「グランマリア?」

「ダーリン。私を構えてっ! ッ、早く!」

 訳も分からず賢吾はグランマリアを構えた。

 いい感じにレアに焼けた、肉汁滴るブロック肉の刺さったままのグランマリアを。

「右後ろっ、何か──!」

 言われて賢吾は振り返り、暗い密林へと目を向ける。必死に目を凝らすも、彼の目には闇しか映ら──いや。闇の中、光る双眸があった。脳裏に昨日の記憶と恐怖が蘇る。

「むぅ、クァールかや⁉」

 グレーテルが悲鳴にも似た声をあげた。

 双眸が僅かに左右に揺れる。一歩。また一歩。ゆっくりとだが近付いてくる。

 そうして遂に焚き火に煽られ姿を見せたのは、白い豹であった。

 しゃなり、しゃなりと。優雅に歩くその姿は実に気品がある。

「しかも変異種かえ⁉ なんとまぁ珍しい!」

「喜ばない! ダーリン!」

 声に喜色を滲ませるグレーテルとは対照的にグランマリアは鋭い声を発する。

 その意味を理解して賢吾は身体の支配権を譲ろうと──。

「……? や、ちょっと待ってくれ」

「ダーリン⁉ そんな悠長なことを言ってる場合じゃないの‼」

 ゆっくり。ゆっくりと近付いてくるクァール。一見して白い豹にしか見えない魔物が、特徴的な二本の長い髭がゆらゆら揺らしながら近付いてくる。ゆっくりと。

 ──賢吾は違和感を覚えた。

 白いクァールは目に見えて警戒心を発している。だが、気のせいだろうか? 敵意は、それほど無いように見える。

「ふむ。クァール──亜熱帯域に生息する豹型の魔物じゃな。警戒心が強く個体数も少ないため目撃例も少なく謎の多い魔物じゃ。恐るべきはその俊敏さと爪と、魔眼じゃろうて」

「魔眼?」

 厨二病心をくすぐる素敵ワードが飛び出してきた。

「そうよダーリン! アイツと目を合わせちゃダメよ! クァールの魔眼に魅入られると、身体が麻痺しちゃうんだからっ!」

 グランマリアが説明を補足するも、賢吾は首を捻った。

「いや、もうがっつり合わせちゃったんだけど……」

「えっ!? だ、大丈夫なのっ!?」

「まぁ……。なんともないけど……」

 と言うかだ。それが事実なら昨晩の時点で麻痺していた筈だ。

 違う獣だったのだろうか? いや、あの黄水晶を想わせる瞳。引き絞った弓の如き縦長の瞳孔。間違いなく昨日の獣だろう。

「クルルル……」

 クァールが喉を震わせる。距離は既に五メートルといったところか、獣を相手には目と鼻の先も同然である。

 だが、クァールはその距離を保ちウロウロとし、それ以上は近寄ってはこなかった。賢吾はピンと来た。

「ダーリン?」

 賢吾はグランマリアから一つ、焼いた肉を引き抜くとポイと、クァールの目の前に投げた。

 クァールはその長い触手の如き二本の髭で肉を突っつき、齧り付いた。

 その姿は、最早巨大な猫である。

「やはりの」

「グレーテル、何か分かったのか?」

「んむ。クァールとは通常黒い体毛をしておる。じゃが此奴は見ての通り白い、通常種とは違う変異種というヤツじゃ。じゃが──」

「ハムハム! ガッガッ!」

 クァールは一心不乱に焼いた肉に齧り付いている。

 肉はあっという間に彼の胃に収まり、気のせいか髭が、悲しげに揺れているように見えた。

 賢吾が二個目の肉を投げ与えてやると、クァールは嬉しげに飛びついた。その距離は、先程より近い。

「そこな剣の言う通り、クァールの麻痺眼は驚異じゃ。じゃが此奴からは一切魔力を感じん」

「えぇと、つまり?」

「察しが悪いのぅ。つまりじゃ、この変異種は魔眼を使えんのよ。出来損ないじゃ」

「出来損ない……」

 グランマリアがショックを受けたように口を開いた。

 ……もう一度、クァールを見る。

「クルルル……」

 二個目の肉もとっくに失くなっており、彼はご機嫌そうに二本の髭を揺らし、黄水晶の如き目を期待に染めてこちらに向けていた。

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