第19話

 グレーテルとグランマリアの不仲が悪化しようとも時間は平等に進む。

 ともあれ夕餉の準備である。

「と言っても、出来ることなんてほとんど無いんだけど……」

「あ、ダーリン。そこを、そうそう、毛皮に沿うように刃先を入れて」

 ──落ち葉の山の一つを焚き火として、淡い灯りの中。

 賢吾はグランマリアの指示に従い、狼を解体していた。六体もの解体となれば、素人の彼には大仕事であるが、とりあえずは今日食べる分だけ──一体の解体に勤しんでいた。

「あん♥ ダーリン上手ぅ♥」

「……」

 剣を入れるたびにグランマリアが甘く喘ぐ。先日もそれをして痛い目を見たのに、懲りない剣である。

 いや──。

「大丈夫か?」

「え? な、何かしら?」

 そう。彼女はいつも通り、色ボケた発言を繰り返している。が普段と比べて言葉が少ない。

 平然さを装っているのはバレバレだった。

「いや、傷ついたんじゃないかって」

「……やだっ。ダーリンが優しいっ」

「しばくぞ?」

 そんなに自分は冷たかっただろうか?

 賢吾は記憶を遡り──うん。すぐに海へ投げ捨てていた過去の所業を反省した。

(あの時は心に余裕が無かったからなぁ……)

 現在、グレーテルはこの場にいない。彼女を部屋に置いているのは、二人ともに頭を冷やす時間が必要だと思ったからだ。

「……ありがとっダーリン! 大丈夫よ。うん、大丈夫」

 グランマリアに落ちる影が、焚き火に揺らめいて形を変える。

 まるで、彼女の心情を映しているようにも見えた。

「……うそ。本当はね? ちょっと、ちょっとだけへこんでるの」

 黙々と解体を進めていると、ややあってグランマリアが寂しげに呟く。

「おかしいわよね。聖女が、一瞬でも魔女と心通わせられると思ったなんて。あーあー。魔女は結局魔女ってことねー」

「……そうかな」

「ダーリン?」

 聞き役に徹そうと思っていた賢吾だが、気付けば口を衝いて言葉が出ていた。

 賢吾はこの世界の知識が無い。常識が無い。こう言うとマイナス面に聞こえるが、言い換えれば前例に捉われず、しがらみに縛られていないとも言える。

「前にも言ったけど、俺は魔女と聖教会の確執なんて全然知らない。この島で出会った、ありのままの二人の姿しか知らない。その俺から見たらだけどさ、意外と仲良くやれそうだと思ったけどなぁ」

「えー? ダーリンてば、お目々悪いの?」

 クスクスと、グランマリアはおかしそうに笑う。軽口を叩く元気は出たようだ。

 ……既に狼の解体は終わっていた。取り出した肉塊は清潔そうな大きな一枚葉の上に並べてある。

 さぁ、あとは焼くだけ──という段階なのだが。

 賢吾はしばし手を止めじっと焚き火を見詰めた。

 ……不思議なものだ。何をするでもなく、揺らめく火を見、時折火の粉の爆ぜる音に耳を傾け。ひたすらにじぃっと、頭を空っぽにしていると自然と心が凪いでゆくのを感じた。

「ダーリン。本当に……、そう、見えた?」

 この時ほど、グランマリアが剣であるのを恨んだことはない。

 顔が見えない。手を取れない。傷ついた少女を慰めるのに、ただ言葉を掛けるしか出来ないなんて。賢吾は己の無力を恨んだ。

 そう、少女なのだ。

 グランマリアは剣の形をしているが、心がある。その心は、年頃の少女のソレなのだ。

「……魔女だとか聖女だとか、教義だとかさ。関係無く、グランマリアはどうしたいんだ?」

「私は──」

 せめて、せめて賢吾は精一杯に答えた。己が心が彼女に伝わるように。真摯たれと答える。

 それが伝わったのだろう。グランマリアも戸惑いがちに自分の気持ちを素直に──例え教義と反することでも──吐露した。

「私は、うん。そうね。私は、仲良く出来たら、とても素敵なことだと思うわ」

「──だそうだが。グレーテルはどうなんだ?」

「へ⁉」

「……ふん」

 この場にいない魔導書に問うと、どこからか返事があるではないないか。

 確かに。確かに賢吾はグレーテルを置いてきた。大樹の部屋に。

 では何処に、という問題だが──。

「此度の主人は存外ぞんがい意地が悪いのぅ。これで否と答えたら、妾だけが悪者ではないか」

「な、ななな──⁉」

 答えは、入り口のすぐ横だ。

 何かあった時、すぐ手に取れるように。……グランマリアとの会話が聞こえるように。

「なんでアンタが聞いてるのよ‼」

 聖剣の叫びが夜のジャングルに響く。

 声だけ聞けば怒声にも聞こえるソレ。だが賢吾はソレが照れ隠しなのだと分かった。当然、グレーテルも。

「しっかし知らんかったのぅ。まさかお主が、妾と仲良ぅしたいと考えていたなんて──」

 魔導書たるグレーテルも、当然ながら表情など読み取れない。

 だが賢吾の脳裏には、想像のグレーテルがニヤニヤしているのが、目に見えるようだった。

 グランマリアはグレーテルの言葉を遮り、身悶えていた。

「あぁ~~~⁉ やだやだ~~! もー恥ずかしいぃ~~~‼ なんで⁉ なんで聞いてるわけ⁉」

「はぁ~? 聞いていたんじゃないわい。聞こえてしまったんじゃい」

「嘘、嘘! 絶対うそっ! 耳をそばだててたんでしょう⁉」

「やれやれ。言い掛かりもいいところじゃのぅ。ほれ見ぃ。妾の体を。この不自由極まりない体で、どう動けと言うんじゃ? んん?」

「ダーリンっ⁉」

 グランマリアの思考はようやく賢吾へと向いた。真逆まさか、と。

「あー。……すまん」

「がーん……!」

 そうして最初から仕組まれていたのだと。

 最愛の人から裏切りにあったグランマリアはショックを受けた。口から、ショックが形になって衝いて出るほどに。

 てか今時がーんは無いだろ。がーんは。

「ひどいダーリン! シクシク……。私のハートはブロークンよ粉々よ! あ~この心の傷を癒すには愛する人のキスしか無いわ~」

「ほ。いつもの調子が戻ってきたの」

 先の空元気とは違い、彼女の生来持つ明るさからの色ボケ発言である。

 そんなグランマリアを見、賢吾は一つ「ふむ」と頷いた。

「──キスすればいいんだな?」

「え?」

「へ?」

 一言、賢吾は確認をすると返事を待たずに──その白刃へ軽く口づけをした。

「──────」

「な、なななななな──⁉ 何をしておるんじゃぁ⁉」

 動揺するグレーテルとは対照的に、賢吾は落ち着いたものだ。

「いや、何って……キス?」

「見れば分かるわ! 何故したのかと聞いておるのじゃ!」

「その、まぁ、諸々もろもろの感謝と謝罪を込めて?」

 彼自身、どうして自分がそうしたのか解らない。解らないが、そうしたかったのだ。

 何故かと問われれば、改めて考えても答えた通り、感謝と謝罪の気持ちだったと思う。うん。

「何故にそこで自信無さげなのじゃぁ⁉ ずるい! ずるいぞ‼」

「なんだ。グレーテルもして欲しいのか?」

「そそそそそんなわわ訳あるまい⁉」

「じゃぁいいじゃん」

「良くない! くー! わー‼」

「何なんだ……」

 今度はグレーテルの情緒が不安定になってしまった。

 賢吾とて、剣にしたのだから別に本にもキスすることぐらい、最早何てことないのだが。

「はいはい。もうこの話題はおしまいね」

「何を勝手に終わらせようとしとる! あれか⁉ お主の頭は豆腐で出来てるのかえ⁉ 乙女心を何と心得ておるのか‼」

「えー、グランマリア?」

「こりゃ無視するでない!」

 ぷんすこ騒ぎ立てるグレーテルは放置して。

 さて。そのグランマリアだが──。

「………………」

 ──恐ろしいほどに反応が無い。

 アレか? コレは。やってしまったか? 童t──げふんげふん、思春期男子高生特有の「あの子、俺に気があるんじゃね?」的な勘違いで盛大な自爆をしてしまったのだろうか?

 焦りが、賢吾の胸中を徐々に埋め尽くしてゆく。

「あのー。……グランマリアさん?」


「うおおぉぉぉっしゃあああぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁ‼‼‼」


 耳を覆う程の大絶叫が木霊した。

「イエッス! イエッッッッス‼」

 その、少女が出してはイケないたぐいの声は一体どこから出ているのだろう。賢吾はグランマリアの向こう、ガッツポーズをする少女の姿を幻視した。

「グランマリアちゃん大勝利‼ 希望の未来へレディゴーって感じ⁉」

 彼女は今、有頂天の体現者となっていた。

「あぁ~。天にも昇るとはこのことなのね~。神様母様、産んでくれてありがと~」

「ちょい、グランマリアさんや?」

「ねぇダーリン♥ 子供は何人欲しい? わ、私は何人でも、ダーリンが望むなら……キャッ♥」

「グランマリアさん?」

「大丈夫よ。私、多くは望まないわ。ダーリンと一緒なら、どんなボロ小屋だって豪邸も同然よ。あ、でも子供のためにワンちゃんは飼いたいわ。犬は一生の友って言うしね」

「……ダメだこりゃ」

「おいマサキや! 妾の話も終わっておらんぞ‼」

 わーわーぎゃーぎゃー。

 絶海の孤島であるにも関わらず三人の、らしい喧騒が戻ってきた。それが賢吾には無性に嬉しかった。

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