第18話

 ──時間が、止まった。

 まさかこんな所で、グレーテルの言う時空間に干渉する秘儀と出会うとは──ってそんな事あるかい!

「すまんグランマリア。……もう一度言ってくれるか?」

 聞き間違いだろう。いや、そうだ。そうに違いない。

 自分らは彼女が如何にして聖剣になってしまったか。その話を聞き出そうとしていた筈である。

 賢吾は混乱する頭を整理する為に一度大きく息を吐き、グランマリアへ再度問うた。

「ダーリン! 性書よ性書‼ 男女のつまびらか愛を描いた性書バイブルよ‼」

「……そうか」

「は?」

 残念ながら聞き間違いではなかったらしい。

 賢吾は、察した。現代日本ではそのようなものに溢れていたからか、すぐに彼女の言うバイブルが何を示しているか、察してしまった。

 ──エロ本である。

 珍しくグレーテルはまだ理解が及んでおらず、白痴のように呆けた声を出した。だがグランマリアは気にも掛けず、当時の感情を思い出してか、熱弁に更なる力が込もってゆく。

「男と女の、情熱的な愛! 燃え上がるような情事! 生命の神秘を感じたわ!」

「えぇ~……」

「は? ──は?」

 賢吾はドン引きした。

 しかし引く一方で一定の理解もあった。清廉潔白に過ごして来た彼女には、エロ本はあまりに劇薬であったのだろう。

 そんな彼と違い、徐々に理解の追いつき始めたグレーテルの言葉に感情──怒りが乗り始める。それを理解して賢吾は、背中に冷や汗が流れるのを感じた。

「そして──出産よ出産! 私のお腹には子供を産める機能備わっているの!」

 グランマリアは一度言葉を溜めたかと思えば、一際ひときわ大きく言い放った。そして次なる台詞で、グランマリアの心を正確に理解した。

「私は思ったの! 女に生まれたからには、赤ちゃんを生みたいって! 私の赤ちゃんが欲しいって!」

「あー、なるほどね……」

 赤ちゃん。赤ん坊。ベイビー。

 グランマリアは単に色ボケになった訳ではない。母性本能、とは少し違うだろうが生殖本能、と言い切ってしまうには余りにも無粋。

 正しく愛に、そう愛に目覚めたと言うに相応しい。

「その、確認なんだが」

 聖教会がどのような性教育を行っているかは分からない。聖女というのがどのような立場を求められているかは分からない。

「聖女って立場になると子供を作れないの?」

「そうなのよダーリン! 聖女は清らかなる身であることを求められるの! に及んでしまったら、神の加護を失ってしまうわ」

 ふむ。現代日本で培った賢吾の、異世界ファンタジー知識と相違ない。

 聖女は処女性を求められる、と。

 であれば──。

「……ヤッちゃったの?」

「???」

 賢吾が疑問に思うのは当然だった。

 性に目覚めたグランマリア十五歳が、衝動に任せてに及んでしまうだろうことは、想像にかたくなかった。

 ……それを考えると、賢吾は胸にモヤが掛かった気分になった。

 反してグランマリアの反応は意外で、剣の頭上に疑問符が浮かんでいるようである。

「ヤッて……? ……な──なななな何を何な何を言ってるのかしらダーリンは!? 和、私はそんなはしたない女じゃないしぃ!?」

 ややあって賢吾の言っていることを理解した彼女は、捲し立てるように否定を口にした。

「ひどいダーリン! 私をそんな尻軽だと思ってたの!?」

「いやまぁ、話の流れからして、ね?」

「むきー! ダーリンでも! 言って良いことと悪いことがあるんだからねっ! プンプン!」

 それを聞いて賢吾は、ホッとする自分を自覚した。何故ホッとした理由までは、理解していないが。

 賢吾は話を促した。……妙に静かなグレーテルが怖いが。

「それで? 愛に目覚めたグランマリアが、またどうして聖剣なんかに」

「そうそう! 聞いてよダーリンひどいのよ!? 教会の人達ったら、私が赤ちゃんが欲しーって言ったらそんな愚かな考えは捨てろって言うの! ひどくない? ひどいでしょ!?」

「あぁ……」

 賢吾は曖昧に笑みを返す。

 グランマリアの怒りも分からないではないが、教会側の考えも分かるからだ。

 いやぁ、だってねぇ? 清らかなるを求められる聖女が、「赤ちゃん可愛い!」ならまだしも「赤ちゃん欲しい!」と声高に主張するのは、風聞が悪いどころの話ではない。

「それであの人達ったら! 私が考えを改めないと分かると、魂を剣に封じたのよ!」

 ようやく、ここで話が繋がってくる訳だ。いや、グランマリアが人間だったのも驚きだったが、エロ本で性に目覚めたと言い出した時には感情が迷子になっていた。

 彼女グランマリアは武器に知性の生えたインテリジェンス・ウェポンではなく、グレーテルと近しい存在だった訳だ。 

 さて。そのグレーテルであるが──。

「──何を言っておるんじゃお主は」

 ひどく冷めていた。期待を裏切られたからか。しょうもない理由だったからか。はたまた両方か。

 そこには話始めた当初の、グランマリアへの不信や追い落とそうという気持ちは微塵も見えない。只々、冷めた声音であった。

「赤子が欲しいだ? は。何を馬鹿なことを。やれ聖教会の聖女も焼きが回ったのぅ」

「なんですって!?」

 グランマリアは一瞬でげきした。

 そりゃそうだ。教会の意向に逆らい、剣に封印されるまで貫いた意義アイデンティティだ。

 謂わばグランマリアに取っての中核でもあり逆鱗でもある。

 シャレにならんと、賢吾は慌ててグレーテルを諌めようとした。

「おいグレーテル──」

「ふ、ふーんだ。そういうアンタだって、魔女だった頃は子供が欲しいと思ったこともあるでしょうよ」

「──無い。無いわぃ。一度たりともそのような愚考、抱いたことは無いわぃ」

「は。そうよねっ。アンタみたいな性悪、恋人どころか友人が居たかも怪しいわっ!」

「何じゃとぅ!?」

「何よ!?」

 一時は打ち解けたかに見えた二人だが、またも啀み合い始めてしまった。

 いや、そも打ち解けたというのが幻想なのかもしれない。

 遭難生活、まだ四日である。魔女と聖教会という水と油が交わるには、余りにも付き合いが短い。

 賢吾は深く溜め息をいた。と、同時に大きな腹の音が鳴った。

 グゥゥゥゥゥ~~~。

 気の抜ける音である。賢吾の顔が、熟れた林檎の如く赤くなった。

「……ひとまず、一時休戦かの」

「癪だけど、異議なし」

 どうやら自分の腹の音は、喧嘩を仲裁する力があるらしい。

 と、そんな事ないか。

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