第8話

 衣食住足りて──と言うがこの中で優先順位を付けるのなら、まず一番が食であろう事は間違いない。生きるのに必要不可欠であるからに。

 では次はじゅうか? はたまたか? 悩ましいところである。

 雨風を凌ぐ住居は、言わずもがな重要である。更に言えば帰る家がある、という面は心理的にも良い影響を与えてくれるだろう。

 だが衣も決して軽視して良いものではない。

 衣服は人が快適に活動するには必須である。

 現況と交えて例を出すなら──そうさな、もし全裸で密林を散策したらどうなる?

 枝や葉っぱですぐに肌を傷付けてしまうだろうし、その中には毒があるかもしれない。素足で歩けば、石や木の根が足の裏を貫くかもしれない。

 では現状、賢吾は何を優先すべきなのだろうか?

 まず食料であるが、無人島であるが故に人の手が入っておらず、動植物は豊富であった。毒か否かもグレーテルから知識を借りれば問題ない。

 次に水だが、一応は魔法で出すことは出来る。が、体力・精神力とのトレードオフであり、魔法に頼るのは最終手段である。

 では住居はどうだろうか? 岩浜を見て回ったところ都合の良い洞穴どうけつが見つかったりはしなかった。もう少し散策すればもしかしたら在るのかもしれないが、可能性に掛けるよりは簡素なものを建ててしまった方が早そうだ。

 最後に衣服だが、衛生面を無視すれば今着ている物でもしばらくは十分だろう。そも賢吾には増産する術がない。いや、知識としては思いつく。麻の如き植物から布を作るか、はたまた獣皮から作るかなど、幾つかの案は浮かぶものの矢張りソレを実行するには正確な知識も技術も不足している。グレーテルとグランマリアも同様であった。

 幸いにして難破した同乗者の遺体から剥ぎ取った衣服が数多くある。どれも傷み、衛生面の問題はあるものの一から作るよりは用いるに容易い。

「そうじゃマサキ。その死体じゃがさっさと片付けた方が良いぞ」

「何でさ?」

 今後の方針を話し合っていると、ふとグレーテルがそのようなことを言った。

「んむ。人の身から出る毒なぞたかが知れているがの。魔物から見れば死体なぞお宝も同然よ。あんな大量にあるのなら尚の事じゃ。さっさと処理せんと魔物が溢れてしまうぞ」

「うぇぇ……」

 拠点をどこに置くかは決まっていないが、不本意にも賢吾が作った焼け野原は候補地の一つであった。

 未だ難破船の漂着物は見きれておらず、まだまだ使えるものが眠っているかもしれない。それに遮蔽物の多くが焼け落ちたあそこは見晴らしが良い。

 ちなみに二番目の候補地は此処──魚貝類が容易く得られる岩浜の近辺だ。グレーテルを拾ったすぐ近くである。

「安心してダーリン! 魔物がやって来たら私が退治してあげるから! ズババーッ!」

「あぁ、その時は頼りにしてるよ……」

 ふんすとグランマリアが気合を入れる。

 グランマリアの斬れ味は岩をも容易く斬り裂く実に恐るべきものであるが、グレーテルと違い今一つ信頼を寄せ切れないのはグランマリアのどことなく漂うポンコツ臭にある。

 ちなみにたが、賢吾とグランマリアは主従の契りを交わさなかった。

 そも主従契約の魔法は高度らしくグランマリアが使えなかったのが一つ。もう一つは、グランマリア自身に聖剣を振るって貰う為である。

 言わずもがな賢吾には剣の心得が無い。ならばグランマリアに身体を操って貰った方がよほど効果的だと判断した為だ。

 無論、グランマリアが裏切り賢吾を害する危険性もあるが、彼女を見るに、まぁ無いだろう。


 ◇◇◇


 ──矢張りまず住居をどうにかしよう。

 直近の方針を決めた三人は来た道を引き返していた。

 船の残骸は、最早かつての威容は見る影も無いがそれでも、今となっては貴重である。木材然り、漂流物然り。

 そうして難波船まであと少しという時である。

「──止まってダーリン」

 グランマリアの、らしからぬ鋭い声に賢吾は足を止めた。

「どうし──」

「しっ。静かに、林の中に身を潜めて」

「……」

 こうまで真剣な彼女の指示に、従わぬ理由はない。

 賢吾はそそくさと密林へ身を隠す。

「そのまま、先を見て」

 言われた通り、草木の隙間から円弧に伸びる砂浜の先を見る。

 賢吾は目を細めた。まず白い砂浜の、美しい景観を台無しにする船の残骸が目に入った。だがグランマリアが見て欲しいのはソレではないだろう。

 更に賢吾は集中して見る。よく見れば残骸の傍らを、黒いゴマ粒のような影が幾つも動いているのが見えた。

「むぅ。一足遅かったの」

「あれは──」

「フォレストウルフね」

 グランマリアが正体を答えるも、矢張り賢吾には何らかの影が動いているようにしか見えない。その数はひぃふぅみぃ──全部で六頭だそうな。

 しかし森狼フォレストウルフとは。字面からして不穏な気配しか感じない。犬のように友好的であったりは、二人の反応からして無いんだろうな……。

 賢吾らが散策に出る前には、姿形は無かった。入れ違いになったのだろう。

 全く、賢吾は自分の悪運に舌を巻いた。

 もし散策前に遭遇していたら、彼の手には魔導書グレーテルしか無かった。未熟な魔法でどこまで対抗出来たか、怪しいものだ。

 だが今の彼の手にはとんでも斬れ味の聖剣グランマリアがある。

「──グランマリア。頼めるか」

「っ! っかせてダーリン!」

「大丈夫かいのぅ……」

 賢吾の信頼にグランマリアは歓喜の声を上げた。グレーテルの心配は華麗に無視である。

「つってもどうすればいいんだ?」

「簡単よ。力を抜いて、私に身体を預けようとするだけで支配権は譲れるわ」

 グランマリアの言葉通り、賢吾は全身の力を抜いた。

 すると肉体の内側に何かが入ってくる感覚を覚えた。非常に強い違和感を覚えたが賢吾はそれに逆らわず、どころか受け入れるように益々力を抜いてゆく。

(おっ?)

 気付けば賢吾の視界は、己の頭頂部を見下ろすような俯瞰の視界に切り替わっていた。まるで、そう、幽体離脱してしまったかのようであった。

(大丈夫なんだろうな、これ?)

 魂が抜け出てしまった錯覚に襲われた賢吾は不安を覚える。

 そうして俯瞰した視界の中の、賢吾の身体が彼の意思とは無関係に動き始める。

 グランマリアが動かしているのだろう。彼女は手足を軽く動かし肩を回して、体の動作を確認しているようだった。

 そして何を思ったか、彼女はズボンの中を覗き込もうと──。

(ってちょおおおぉぉい! 待て待て待てっ‼)

 賢吾の叫びは届かない。当然である。彼の身体は今、グランマリアの支配下にあるのだから。

「何しとるかお主はっ‼」

 代わりに叫んだのはグレーテルであった。魔女だ悪書だと言われているとは思えぬほどの良心的な対応である。

 グランマリアはさも当然のように答えた。

「え? だって異性の身体を手に入れたら真っ先に気になるもんでしょ? ココ」

 賢吾の喉で、声で。心底不思議そうにグランマリアは答える。

「この色ボケ性剣が! 何をどうすればそんな考えを──」

「ふふん。アンタだって気になるでしょ?」

「…………………………………………」

(おぉい⁉ グレーテルさんっ⁉)

 頼りだった味方は頼りにならない味方であったようだ。

「わ、妾は所詮しょせん無力な本じゃからの。肉体を得た彼奴きゃつが強硬な手段に出たら止めるすべは無いんじゃぁ……」

 長い沈黙の後、グレーテルは振り絞るように声を発したが(それお前も興味あるだけだろ!)という賢吾の嘆きは届かない。

「そーそー♥ アンタは頑張ったわよ。という訳で、御開帳~っと。──────わぉ♥」

「ほほぅ……」

(いぃぃぃやあああぁぁぁぁああああ──────っ⁉⁉⁉)

 好き勝手異性に己が身体を弄られるという恥辱的な経験を経て賢吾は新たな性癖に──残念ながら目覚めず、ただ心に深い傷を負った。



 ……フォレストウルフ? そんなん、グランマリアがちょちょいのちょいで退治したよ。とほほ。

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