第5話
「あっ、あっ、あっ、あっ! 錆びちゃう! 錆びちゃうよぉぉぉおおお~~~⁉」
岩浜の波打ち際、一本の剣がギリギリ引っ掛かるように横たわっていた。
賢吾らが耳にした助けを求める女性の、声の発生源は──矢張りというか剣だった。
「ヤだヤだヤだヤだあぁぁ~~~⁉ こんな誰もいない場所で人知れず朽ちていくなんて! そんな私、可哀そ過ぎるでしょお⁉」
「……なんじゃあ、あの剣は」
情けない剣の姿を前にグレーテルは大層呆れている。
──いやあんたも大概だぞ? 喉元まで出掛かった言葉を呑み込み、賢吾は萎えた気力を振り絞りゆっくりと剣(?)に近付いた。最早急ぐ気も起きない。
「あー、そのー。……大丈夫か?」
「ハッ⁉」
近づくにつれ剣の全容が露わになる。
鞘は──どこかに流れてしまったのだろう。剥き出しの
兎角、立派な剣であった。
先程のひどいお喋りは鳴りを潜め、無言を貫く剣に今一度賢吾は声を掛けた。
剣に話し掛ける男子高生。現代日本なら黄色い救急車のお世話になる絵面である。
「もしもーし──」
「キャアアアアァァァァァァァァ──────ッッ♥♥♥」
黄色い悲鳴が飛び出した。
賢吾は思わず飛び退いた。鼓膜が破れるかと思った。
「え、え、えぇっ!? 信じられない!? 絶対絶命のピンチに颯爽と助けに現れる王子サマの登場⁉ ねぇ⁉ これって運命、運命よねっ⁉ キャー! どうしようどうしよう⁉」
一人でに(?)盛り上がる剣。
賢吾はどうすべきか、迷いに迷い手元の本に視線を送ったが、彼女は黙して関わるつもりは無いようだ。
(マジかよ……)
賢吾は己が運命を嘆き天を仰いだ。
喋る本の次は喋る剣である。もっとまともな出会いは無いのだろうか? ……無いか。無人島だものな。
遂に観念し、未だキャアキャアと騒ぐ剣に声を掛ける。
「なぁ──」
「キリッ。何かしらマイデステニー?」
いやキリッじゃないがな。
二の句を告げずにいる賢吾に代わって──などと殊勝な考えては無かろうが、意外にもグレーテルが口を開いた。
「ほう。聖剣かや」
少しの驚愕を含んだ関心の響き。
このまま物同士で話付けてくれんかなーと、賢吾の願望とは裏腹、自体は真逆の方向へと転がってゆく。
「……女の声?」
ぴたりと、剣は騒ぐのを止めた。
代わりに低く、女の情念がたっぷり染みた声を発した。
「ムキーッ! ダーリンの浮気者! 薄情者! イケメン! どこ!? どこにいるのよ泥棒猫! 姿を見せなさいよこのーっ!」
「「えぇ……」」
妄想たくましいと云うか思い込みが激しいと云うか。
ダーリン呼びとか浮気者とか、賢吾としては色々と言いたいことはあるが。
(グレーテル)
(んむ)
──コイツに関わるのはヤバい。
賢吾とグレーテルは昨日出会ったばかりだと言うのに、目と目だけで意思の疎通を行い、同じ結論に達した。
「この私が
抜き足差し足忍び足。
一人でにヒートアップする剣を横目に、賢吾はゆっくりとその場を後にしようとして──出来なかった。
「……はぁ」
「なんじゃ甘いのぅ」
「放っとけないだろ、さすがに」
「びえええぇぇぇぇぇ~~~っ‼ ヤだヤだヤだぁ~~~っ‼ 折角自由になれたのに! 運命と出会えたのに、こんなのってないよぅ……!」
もし
そして瞳は在らずとも言葉を発し、何よりその言葉には感情が乗っているのだ。
絶望と悲哀に満ちた叫びを無視出来るほど賢吾は非情では無かった。
「ひっぐひっぐ、ぐすっ────へっ」
「いや、ま。ほら、刃物があった方が何かと便利だろ」
「ダーリン……♥」
改めて近付き直した賢吾は剣を拾った。
なんとなく翳してみると、太陽に反射して白刃が煌めく。意味なく胸が高鳴るのは、賢吾も男の子という事だろう。
「やだっ、もうダーリンったら……。女の扱いが上手なのねっ」
「はいはい」
「……」
剣に性別があるかは不明だが、剣の性自認は女であるらしい。
ちなみにグレーテルは先の事から学び、一先ず口を開かないでいた。ありがたいことだ。
「そいで、お前さん銘はあるのか?」
キョロキョロと周囲を見回しながら賢吾は尋ねた。矢張り鞘は見当たら無かった。
「うんっ。私の名前はグランマリア、聖剣グランマリアよ! 末永くよろしくねっ、ダーリンっ♥」
「あぁ。俺の名前は──」
グランマリアと名乗った聖剣。
ぶっ飛んだ言動と思考はツッコミ所満載であったが、それをする気力は残っていない。
精神的に疲労困憊ながら、賢吾はどうにか自らの名前を名乗った。
「マサキ・ケンゴ……。素敵な名前……」
陶然とした声でグランマリアは賢吾の名前を反芻した。
「家名を持っているなんて、さすがダーリンねっ。それじゃぁ今日から私は聖剣グランマリア・ケンゴねっ!」
「……どうしてそうなる」
「愛し合う二人はいつも一緒よ!」
「人の話を聞け!」
グランマリアの暴走は止まらない。きっと思考の回路がとち狂っているに違いない。
「大体だな、賢吾は俺の名前だ! 性は
「え、そうなの?」
「え──あ、しもうた……!」
賢吾の発言はグレーテルにとっても予想外だったのか、つい口を開いてしまった。それを聞き逃すグランマリアではない。
「はっ⁉ 今泥棒猫の声が⁉ うー、ガルルルっ!」
グランマリアが威嚇するかのようにビカビカ光る。
元が綺麗な剣であるためギリギリ
光る! 喋る!
……なんて馬鹿なことを考えてないで。
「あー、実はグランマリアに紹介したい人物がいるんだが」
「ハッ⁉ ダ、ダーリン……、まだご両親に挨拶するには心の準備が……。で、でもダーリンがどうしてもって言うなら……ポッ」
ポじゃないが。
賢吾は無視した。
そしてなるたけ穏便に事を運ぼうと、彼が手の中の本に視線を落とすと。
「なんじゃコイツ」
「ちょっ、グレーテルさんや?」
我慢の限界に達したか、賢吾が紹介する前にグレーテルが口を開いた。白けた口調であった。
一体どのように紹介すれば良いか、頭を悩ませる必要は無くなったと前向きに捉えるべきだろう。
──しかし賢吾は当然知らぬことだが、彼は致命的なミスを犯していた。
果たしてグランマリアの反応は。
「……」
──沈黙であった。無言。静寂。
賢吾は生唾を飲み込んだ。グランマリアの
空気が、張り詰めてゆく。
一秒がとめどもなく引き伸ばされ空気は重く、自然と呼吸は潜めるように浅いものとなった。
(は? え? なんでこんな空気なん?)
脳の一部が現実を上手く認識出来ず、能天気な感想を抱いた。一方で視覚は現実から逃れようもなく、正しく状況を把握していた。させられていた。
「っ」
不意に賢吾の意思とは関係無くグランマリアを持つ右手が動いた。
彼の目には追えぬ
「貴方、グレーテル──グレーテル・グレイブ・グレイルね。最悪の魔女が何故ここに」
グランマリアが剣呑な口調で問う。
対してグレーテルは何てことの無いようにグレーテルは嗤う。
「は。なんじゃ色ボケした聖剣じゃと思うたが、そんな喋りも出来たんじゃのぅ。実に似合っておらんぞ? んん?」
嘲笑であった。挑発であった。
魔女と聖剣。一体どのような浅からぬ関係なのだろうか?
この世界の歴史を知らぬ賢吾であるが、字面と二人の様子を見るに何となく察することが出来た。彼は一つ息を吐いて──。
「殺──」
「そぉい‼」
「「はえ?」」
グランマリアが
そしてボチャンと、程なくして海に着水した。
「あばばばばば⁉ ささささ錆びちゃうううぅぅぅっぅ~~~っ⁉」
「ひょえええぇぇぇ~~~⁉ なんで妾までぇぇ~~~⁉」
悲鳴を挙げる一本と一冊。
そうしてグレーテルは海面に揺られる一方、金属たるグランマリアは波間に沈んで消えた。
「ふぅ。一件落着」
賢吾は額の汗を拭い、実にいい笑顔を浮かべていたそうな。
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