第4話

 賢吾は肌を撫でる潮風を感じながら気怠さと共に目覚めた。

 彼が真っ先に感じたのは空腹で、無意識にお腹を抑えて──そしてから周囲を見やり、驚愕した。

「何だこりゃ……」

 ──焼け野原である。

 怪しくも美しかった密林は見る影もなく。

 炭化した木々に剥き出しの地面。未だ色濃い煙の臭いが鼻を突く。

 好意的に捉えるなら焼き畑でも行ったという有り様であるが、まぁ、そんな訳は無い。

「ようやっと目覚めたかや……」

 呆れ声に振り向く。立派な革表紙の装丁に幾つかの焦げ穴を付けたグレーテルが、本ながら怒気を発していた。

「この阿呆め! 一体どこに最初から全力を注ぐ奴がおるんか! んん⁉」

「ぐ、面目ない………」

 グレーテルの剣幕に賢吾は肩を落とす。目の前の惨状は否が応にも賢吾の罪悪感を刺激した。

 年相応の素直な反応を示した賢吾に、グレーテルはたじろいだ。

 かつて大魔女だった自分に微塵も敬意を見せず、あまつさえ水を掛けてくる始末。グレーテルにとってそんな「生意気なガキ」でしか無かった賢吾の見せるしょげた姿は実に哀愁を感じさせるものだった。

「ま、まぁ妾も心得の無い者に求め過ぎたやもしれぬの。これに懲りたらもそっと妾を敬うんじゃぞっ」

「それはちょっと……」

「なんでじゃあ⁉」

 グレーテルは万年以上を生きた魔導書である。乳飲み子にも等しい小童相手に、少々大人げなかったと態度を軟化させたのだが、賢吾の返事はつれなかった。

(やはり生意気なガキじゃ……!)

 そう、グレーテルは賢吾を評価し直した。


 ◇◇◇


 グレーテルのおかげで魔法という超常の力を得た賢吾。

 火種や飲料水の確保は容易に出来るようになったものの、魔力の扱いに慣れていない彼にとって決して頼り切りに出来るものではなかった。

 故に賢吾は食料と水を求め島の散策に乗り出した。その手にグレーテルを抱きながら。

 だが──。

「どこから手を付けたもんかなぁ……」

 賢吾は焼け野原を前にぼやく。

 昨日は暗くて分からなかったが、島の中央部には一つ、大きな山が鎮座していた。頭頂部は平たく、裾野へ向けてはなだらかな傾斜が付いており、見事な左右対称なソレは富士を連想させた。

 火山島なのだろうか? 賢吾は拙い知識ながら思った。

 願わくば、自分が居る間に噴火はしないで欲しいものだ。

「ふむん。マサキ、お主武術の心得は──ある訳ないかの」

「とても失礼な感想を抱かれたんだけど?」

「なんじゃあるのかのぅ? その白くて細っこい、女の如き腕で剣を振るえるんか? んん?」

「ぐぬぬ……」

 賢吾の悔し気な表情にグレーテルはほんの少し溜飲を下げた。

「であれば森に入るのはちと危険かもしれんのぅ」

「やっぱり危険なのか?」

 賢吾自身、何の準備も無く密林を散策するのは流石さすがにどうかと考えていた。

 だがグレーテルの言う危険とは、彼の想像を超えて──いや、ある意味では想像通りであった。

「んむ? 人の手が入っていない森なぞ魔物の楽園じゃからのぅ」

「魔物……。やっぱり居るのか……」

 魔物と書いてモンスターと読む──現代日本では存在しない生物である。

 日本の山林とて猪や熊などの生命をおびやかす動物が徘徊しており、完全に安全とは言えない。

 だが魔物などと云う、ファンタジーやゲームでしか見聞き出来ない生物はさすがに居やしない。

 ある意味ではお約束の展開に、賢吾はがっくしと肩を落とした。

 世界には魔物が溢れている──そんな子供でも知っている常識に対しての彼の反応は些か奇妙に映ったが、グレーテルは気にせずに続けた。

「森だけじゃないがの。海じゃってそうじゃ。特に遠洋などはな。現に此度の遭難じゃって、クラーケンに襲われたからじゃしのぅ……」

 今明かされる遭難の真実。

 クラーケン。巨大なイカの魔物である。それくらいは賢吾も知っている。

 だが彼は船倉で他の多くの奴隷と共にかいを漕がされており、気付けば壊れた船体から海に投げ出されていた。

 そして運良く、生きてこの島に流れ着いたという訳だ。

 己の悪運の強さに賢吾は感謝した。

「それじゃまずは浜から見て回った方がいいか?」

「そうじゃな。海は海で海魔かいまるがの。まぁ無手無策で森に入るよりマシじゃろて」

「はいはい。不安になることをどうもありがとう」

 賢吾は投げやりに答える。

「ふふん。もっと褒めて感謝しても良いのじゃぞ?」

(コイツ、皮肉も通じないのか……)

 賢吾は頼りになるんだかならないんだか、今一つの相棒に一抹の不安を覚えた。


 ◇◇◇


 そうして緩やかに弧を描く砂浜を、一人と一冊はく。

 幸いにして好天であった。

 雲の少ない快晴であり波も穏やかで、微かに吹く潮風が心地良い。

 バカンスであれば絶好のシチュエーションであるが、悲しいかな現実は遭難であり、賢吾の共は美少女どころか喋る本である。

 しかしそれを嘆く余裕すら彼には無かった。

 兎も角、非道い空腹なのだ。

 かつて現代日本で健康優良児であった賢吾にとって飢えとは縁遠いものであった。

 だのに奴隷になってから与えられる食事は粗末なもので。奴隷を飼う人間は「生かさず殺さず」の言葉をよく理解しているらしい。

 異世界こちらに来てからはまともな食事など一度も摂っておらず、そんな状態での遭難であり、更に魔法で気を失い一日を無駄にした。

 賢吾の体力は底を突こうとしていた。

「……魚を獲るのってどうだろう」

「む、悪くない選択肢じゃろうな。じゃがどうやって獲るつもりじゃ? 網も竿も無いぞ?」

「そこは、ほら。魔法で」

「……ん。まぁ可能じゃろうな。ただし、お主が御し切れぬのならば反対じゃ。昨日の惨状を思い出すがいい」

「ぐ」

 賢吾は自然と海へと目を向けていた。

 雷やら氷やらで魚を獲るのを思い付いたが、グレーテルの忠言に従い一先ず諦めることにした。

 そうして食料を求め浜を歩くこと暫し。

 太陽は中天に差し掛かり昼時であることを告げていた。

 だが今のところ成果はゼロであり、楽しく昼食、という訳には行かない。

 都合よく浜に打ち上がった魚やら海藻やらが無いものか。賢吾は重い足を引き摺るように進んでいると景観に変化が現れた。

 砂しか存在していなかった浜に小粒の石が目に付くようになり、少し視線を遠くに向ければゴツゴツとした大きな岩が目に入る。

 砂浜は岩浜へとその様相を変化させていった。

 賢吾はこれを好機と捉えた。

 波打ち際の岩ならば貝類が見つかるかもしれない。或いは干潮で岩場に残った水辺に何かいるかもしれない。

 何でもいいから、賢吾は何かを口にしたかった。

 希望が見えれば気力も湧くというもの。賢吾の足取りに力が戻る。

「ひぃ! マサキ、足元に気を付けぃ!」

 グレーテルから見ても、賢吾の体調は万全とは程遠いと分かる。そんな彼が目をギラつかせ海水の残る岩場をひょいひょいと歩くのは危なっかしく見えた。

 折角の忠告も馬耳東風、右から左へと流れ。

 代わりといっては何だが、彼の耳が捉えたのは──。


「イヤぁぁぁああああ~~~‼ 助けてぇ~~~!」


 ──前方からの女性の悲鳴。

 ……デジャブであった。

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