第3話

「マサキ・ケンゴ? まぁ何とも、不思議な響きじゃの」

「ほっとけ」

「してマサキよ。お主は一体どうして奴隷なんぞに」

「あぁ、実は──」

 賢吾はこの世界に来て初めて、事の経緯いきさつを語った。

 初めはぽつぽつと。喋る内に頭の整理が付き始めたか、賢吾の舌は次第に滑らかになっていった。

「ほぅ。それが事実なら、難儀なことじゃのぅ」

 グレーテルはことほか真剣に聞き入り、「うむむ」と唸る。

「まさかのぅ……。奴隷になったショックでそんな妄想に憑りつかれるとはのぅ……」

 心底憐憫を感じさせる声音で、賢吾の目は無意識に海へ向いていた。

 不穏さを感じ取ったグレーテルは慌てて話題を変える。

「そ、それより、ほれマサキや! 妾を手に取るがいい!」

「えー……。呪われないか?」

 グレーテルは目が痛くなるような赤い皮の、無地の装丁をしていた。それだけならまだしも鉄鎖てっさで幾重にもグルグル巻きにされているのだから、賢吾が警戒するのも当然である。

「んむ。お主の懸念も分からんでもない。しかしな、妾を手にすればどんな者でもたちまち大魔法使いよ。ほれ、気になってきたろう? んん?」

「む──」

 魔法とは、現代っ子の賢吾にとって心揺れる単語である。

「大丈夫なんだろうな?」

「じゃから、平気だと言っとろうに!」

「……ヤバイと思ったら海に捨てるからな」

「ひぇ……。わ、妾もそれは嫌じゃからお主を害したりせんわい。真名に誓っても良いぞ」

 グレーテルの心底の怯えた感情に、賢吾は警戒しつつも魔導書へ手を伸ばした。瞬間、鉄鎖が光りの粒となって消え、手の中にはズシリとした感触だけが残った。

 彼女グレーテルを持つのはこれで二度目であるが、最初の──海に浸かっていた彼女を拾い上げた──時よりも重く感じるのは何故だろう? 鎖が無くなった分むしろ軽くなった筈だが、彼女が生きた魔導書だと知ったからだろうか。 

「……なんとも無いな」

「じゃから言ったろうに」

 警戒心の強い主人に呆れつつも、ようやく賢吾に抱えられたグレーテルは彼の魔法的素養を見極めていた。

(ほう、これは中々じゃの)

 これまで一切魔法を使って来なかった弊害だろう。魔力制御に難はありそうだが、魔力量だけは現役の魔法使いと比しても見劣りしない。

(やれ早まったかのぅ……)

 彼を主人と認める──己が判断を早計と後悔するも一瞬。賢吾は今までの所有者と違い自分の価値をまるで解っていない。

 ともすれば本当に海へ投げ捨てられてしまうかもしれない。

 神代の頃から連綿と貯えてきた魔法の知識が潰える──それだけは何としても阻止しなくてはならなかった。

「──テル。おい、グレーテル!」

「おぉ、すまん。なんじゃ?」

「何回も呼んでるのに反応が無いから、ボケたのかと思ったぞ」

「ボケとらんわ! ……ほんに全く、失礼なガキじゃの」

「それよりも魔法だよ魔法! どうやって使うんだ⁉」

「ん、んむ」

 異世界に来て初めて前向きな考えを持てた賢吾のテンションはやけに高い。

 グレーテルは気圧されつつも賢吾に魔法を教授する。

「なに、簡単じゃよ。妾を持った状態で文言を唱えれば良いのじゃ。まず”火よ”と唱えよ」

「ほうほう。”火よ”」

 グレーテルに倣って賢吾が口にすると、本を持っていない方の手から炎が吹き上がった。

 火ではない──炎だ。火炎放射器も斯くやという勢いの火炎が、賢吾の手から放たれたのだ。

「うおぉ⁉」

「な゛っ⁉ この馬鹿者! 最初から全力を注ぐヤツがおるか!」

「ど、どどどうしたらっ⁉」

「制御せい! 心の中で強く念じるのじゃ! 魔法とは発動者の想像イメージに強く依存する。お主の様に考え無しに放てばこの通りじゃ!」

「そういう事は先に──!」

 後から後から重要なことを言い出すグレーテルに文句を言おうとして、賢吾の意識はそこで途切れた。魔力を使い切ったことで意識を失ったのだ。

 結果的にだが、賢吾の手から吹き上がっていた炎は消えた。

 白目を剥いて倒れ伏す賢吾に、グレーテルは形容しがたい感情を抱く。

「……まさか初手から躓くとはの。やれ先が思いやられるわいのぅ」

 まず、彼が生意気だという評価に変わりはない。可能ならばきちんと己の価値を解る者を所有者として選び、そして──。

 だが、この推定無人島に自分を扱える者は彼しかいないのだ。故に彼に頼らなければいけない。鍛えなければいけない。例えどれだけの屈辱と辛酸を舐めようとも。

「やれやれじゃの──ん?」

 暗い未来に目を向けていたグレーテルだが、パチパチと、……何やら不吉な音を耳にした。

 彼女は意識を賢吾から周囲に向けると──。

「んな゛っ⁉」

 想像通りの、しかして外れて欲しかった光景が広がっていた。

 賢吾は初めてにして火を出すことに成功した。したが、術者から離れたソレは無軌道に周囲を焼くだけの災厄と化していた。

「ほ、ほああああぁぁぁぁぁ~~~⁉ い、いかん‼ これマサキや、起きんか馬鹿垂れめ‼」

 グレーテルは声を張り上げる。それしか出来ないからだ。自由になる手足があれば存分に賢吾を叩いていたろう。

 賢吾は僅かに瞼をひくつかせるだけで、目を覚ます気配は無い。

 その間も炎は火勢を増し、密林を紅蓮に染める。

「熱っ! あっちちちちっ⁉ 止、止めぃ⁉ えぇい一体妾を誰と心得るっ、畏れ多くも神の叡智に最も近いたとまで言わしめた魔女の中の魔女! グレーテルじゃぞぅ熱ぅいっ⁉」

 舞い上がった火の粉がグレーテルの表紙を焼く。

 余程己に矜持を持っているのだろう。グレーテルが偉そうに口上を述べるも、相手は意思無き火の粉である。如何に彼女が過去偉大な魔女だったとしても、火の粉は平等に、且つ無遠慮に降り注いだ。

「ひぇ、ひぇぇえぇぇえ~~~‼ マサキ~~~っ、マサキ~~~ッ‼ 早ぅ、早ぅ助けてたも‼」

 グレーテルの情けない悲鳴が無人島に響く。

 結局、グレーテル同様火の粉に巻かれた賢吾が熱さで目を覚まし、魔法で消火したために大事には至らなかった。

 おかげで賢吾は一両日寝込む羽目になったのだが。

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