第4話

 冷房のきいた研究室は機材と道具、資料が積み重なっているせいで圧迫感がある。


 加えて卒業研究の経過報告会を近々行うために整理整頓されていなくてしっちゃかめっちゃか。ブラインドはただでさえ狭く窮屈な研究室を改善させるためだろうけど、開ききっていて暑い日差しをこれでもかとばかりに差し込ませていて眩しい。


 午前中でだいぶ奇麗になったというのは健の話だが、信頼性は薄い。きっと準備そっちのけで先輩たちのデータ整理を手伝わされていたのか、駄弁っていたのか。あいつがやらかしやがったことも相乗効果となって殺意がぱない。


 それでも、先輩たちに特に口答えすることもなく、黙々と掃除を行う。


 下級生に人権はないのだ。


 理由を説明もする余裕もなく、健にあの二人を任せて逃げて早一時間。あいつはきっとうきうき気分で案内しているに違いない。れみに下心を抱いて接するのは許せないが、今は緊急事態。


 先輩たちに健と交代になったと嘘をついてここへ逃げてきた。少しでも時間と距離を稼いでどうするか対策を考える。幸いこの研究室をれみたちが訪れるのは最後の最後。それまでに掃除を終わらせてどこかに逃げるか隠れる。それしかない。


「はぁ・・・・・・・」


 だめだな、俺は。あのときから成長していない。れみと最後に会った七年前から。あいつと真正面からまともに向き合って話す勇気すらなくて、逃げる算段を考えているなんて。


「瞬く~ん、どうしたの~? 手が止まってるわよ~?」


 この研究室唯一の女性、小田和先輩がのほほんとしたテンションと話し方で窘める。本人は怒っているつもりかもしれないけど、いかんせんおっとりとした雰囲気と優しげな印象が拭えず、苦笑しか出てこない。


「なんか・・・・・・俺ダメダメだな~って」

「あらどうして? いっつも頑張っているじゃない。今日だって高校生たちをちゃんと案内してたんでしょ?」


 顔は俺に向けて会話をこなしつつ、両手の指はきっちりキーボードを叩き続けている。それも間髪なく。きっと複雑な文章・計算式・etc,etc・・・・・・が挿入され続けているはず。


 文字通り片手間なんだ。俺か作業のどちらか。


 作業のほうであってほしいが。


「まぁ・・・・・・まさにその案内でちょっとやらかしちゃいまして」

「あら。もしかして失敗でもしたの?」

「ええ。まぁ」


 ある意味オープンキャンパスなんかどうでもいいんだけど。


 個人的失敗なんだけど。


 事情を話すのは気が引けるからそうやってごまかした。

 

 キーボードを叩く音がとまった。


 先輩はカップを持ってこちらに歩いてきてるので、コーヒーのおかわりがほしいのかもしれない。さっと横にすれようとしたけど、予想外にも先輩は俺にまっすぐ向かってきた。そのせいで少しぶつかってしまう。


「誰でも失敗なんてあるもんだよ~? 大切なのは次にどう活かすか~。同じ失敗をしないでよりよい成果に結びつければいいの~」


 流石は学内一姉になってほしい人ランキング四年連続一位の先輩。背伸びをしながらだけど、慰めるために頭を撫でてくれる懸命さとかわいさは一言では表せられない。


 それだけじゃなくて、胸を中心にじ~んと温かさと癒やしが広がっていく。もし姉がいたらこうやってほしいっていう男心を的確に突いてくる。鋼の精神を持つ俺じゃなかったら恋に落ちていた。


「姉になってください」

「え?」

「間違えました。ありがとうございます。少し楽になりました」

「うん・・・・・・うん?」


 あぶない。


 けど助かった。


 そして冷静になれた。正直、まだ迷ってはいるけど時間はある。れみと向き合う覚悟もまだない。ひとまず掃除をさっさと終わらせてどうするか――



  ガチャ、バタン!


「すいま~ん。長井屋で~す。女子高生二人お届けにあがりやした~!」


 あんのやろぉぉぉぉぉぉ!! 


 ふざけんな健のやろおおお! なに最悪すぎるタイミングで入ってきやがってんだ! なんだよ長井屋って! 某国民的アニメの酒屋気取りか! 殺すぞ!


「あれ? 長井君どうしたの? ここはまだ後なんじゃ?」

「そうなんすけど、れみちゃんがどうしても俺と瞬がいる研究室を先に見たいって。あ、れみちゃんまりあちゃんあの人は先輩の小田先輩」


 しかもなに人の子を下の名前で呼んでんだ。馴れ馴れしいにもほどがあるわ。百回殺すぞ。


「もう、しょうがないわねぇ。ちゃんと決められたルール通りにやらないと皆に迷惑かかるときだってあるのよ? めっ」

「でへへ」


 まるで小さい子を叱る優しい理想の姉そのものだけど、生ぬるいです。めっ。じゃ駄目です。滅(めっっっ)!!!! くらいやっちゃってください。逆に俺がやりたいくらいだ。


「あれ? パイセンじゃないっスか」

「や、やぁこんにちわ。早かったね」


 反射的に、ぎこちない愛想笑いを浮かべられたのがせめてもの僥倖。


「なんでこっちむかないんスか?」

「突発的に寝違えてしまってさ」


 だめだ。れみを直視できない。


「・・・・・・・・・私たちを放り出して年上と・・・・・・・・・それも巨乳とあんな接近して・・・・・・・・・」


 ああ、だめだ。やっぱりれみ怒ってる。俺のこと確実に覚えてる。小声すぎるし早口だけど呪詛みたいにぶつぶつ呟いてるし。


「え~っと。こんにちわ。予定と変わったけど、うん。それも面白いよね。私はここの研究室に所属してる小田っていいます」


 現在、この研究室の人間はタイミングが悪く小田先輩以外席を外している。ここでの説明は小田先輩一人に任せるしかない。


 だって最後の最後の予定だったし、俺も動揺しすぎてなにすればわからないし。


「ここでどんな研究をしているかっていうとね?」


 けどさすがは小田先輩。持ち前の能力の高さと姉力を駆使している。事前に簡単に用意していたプロジェクターとパワーポイントを素早く起動して説明していく。


 まりあちゃんは「ほぇ~」とか「すげぇ~」と感嘆しているし、俺も惚れ惚れとしてしまう。


 れみは・・・・・・・・・うん・・・・・・・・・・。めっさ見てる。


 俺を。凝視してる。片方の目で。


 それも敵意しか込められていない視線で少しの瞬きもしてない。それ小田先輩にばれないかって心配したけど、微妙な体の位置でごまかせているのか?



「やっぱり先輩の白衣ってたまらねぇよなぁ。踏んであの指し棒で叩いてほしいぜ」


 喋るな殺すぞ。今そんなことどうでもいいわ糞が。パチンコ玉にすんぞ(物理)。


「じゃあ次はちょっとパソコン使ってみようか。瞬君、長井君準備してもらえる?」


 これは事前に相談していたこと。二人に機材を使ってもらって実験を疑似体験する準備だ。


 そうすれば興味を持ってもらえるし、面白い。事前どおりの流れなので、滞りなく準備に移れた。


 その間もれみに穴が空くほど凝視しつづけられてたから生きた心地がしなかったけど。


「下の名前呼び・・・・・・・・・特別な間柄・・・・・・・・・」

「あらあら随分熱心にメモしてくれてるのね。偉いわぁ。感心感心」

「私のことナンパしたくせに気づいていたくせに舌の根も乾かないうちに別の女性をああやっぱり男なんて信用できない」

「え、えっと~~~~?」

「許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない・・・・・・・・・・」


ガリガリ・・・・・・・・ガリガリガリガリ!(一心不乱にペンを走らせる音)


 ガリガリガリガリガリガリガリガリ! ベキ!(一心不乱に書き殴っていたペン先が折れる音)

 こわい!


 なんか暗い目をして小声でなにを延々と呟き続けている! 呪詛!?


「ねぇ、瞬くん? あの子一体どうしちゃったの? なんだかヤンデレみたいになっているんだけど?」

「さ、さぁ? 俺にはちんぷんかんぷん知らんぷんです・・・・・・・」

「あの、小田先輩?」

「あ、えっと、なにかしら?」

「ウェストハイマ―さんとはどういうご関係なんですか」

「うぇす・・・・・・・? え、なに?」


 困惑しながら俺とれみを交互にゆっくり見る先輩。


 やべぇ。ウェストハイマ―の件どうしよう。


「ええ。あの人出会い頭に私のことナンパしてきたんです」

「まぁ」


 ガン!!


「おい瞬大丈夫か!?」

「心配ねぇよ。ちょっとパソコンに頭打ちつけちまっただけだ」


 額は割れたように痛いけど、それどころじゃねぇ。一刻も早くとめないと。


「じゃあ次はあの試験機二人で運ぼうぜ」


 うるせぇそれどころじゃねぇ。今はれみをとめないと。俺の名誉と今後の先輩との間柄に関わるんだよ。


「その話、詳しく聞かせてもらっていいかしら?」

「ちょ、先輩!?」

「わが研究室、ひいては大学の名誉に関わることだし。先輩として聞いておかないといけないわ」

「おーい、瞬?」

「でも、それには理由がありましてね!?」

「わかりました。それでは――」

「なぁ瞬、早くしようぜぇ」


「初対面で私の名前を呼び捨てで呼んで、かわいいなんて褒めてきて。それで、案内しているときも餓えたけだものみたいな性欲に満ち満ちた厭らしい視線で私の全身を舐め回すようにしきりに見てきました。鼻息荒く」

「ぬああああああああああああああああああ!!」

「あらあら」

「お~い、誰か~」

「あの、私お手伝いしたほうがいいっスか?」

「その後も食事中私の一挙一動足を舌で転がすような気色の悪い笑みを浮かべながら視姦していました。ケーキを奢ろうとしてきて、そのままケーキを食べたあと私も美味しくいただきたい、と」

「誤解だああああああああああ!!!」

「ウェストハイマ―・田中なんて偽名を使ったのも、関係を持って散々弄んだあと連絡をとれなくして私を使い捨てにするつもりだったのでしょう」

「違うんだあああああああああああああ!!」

「これ重いっスね?」

「だいぶ古いタイプだからねぇ」


 かつてこの研究室がこんなに混沌としていたことがあっただろうか。


 いや、ない。


「もう、瞬君。いくらかわいいからってそんなことしちゃだめでしょ?」


 いくらか落ち着きを取り戻したあと、怒られた。


 九割九分捏造だけど、事情を話せない俺は黙秘を貫くしかなかった。


 「もう」と眉を八の字にして小田先輩は怒ってくるけど、いかんせん垂れ目でかわいい顔立ちだからまったく迫力がない。それでも今の俺には大ダメージで、説明する気力すらわいてこない。


「ごめんなさいね? うちの後輩君が。悪い子じゃないのよ? きっと緊張してしまったがゆえの乱心なの」


 先輩に頭を押されて、そのまま深く下げる。なんだか小学校の同級生と喧嘩したときをおもいだして、泣きそうになった。


「いえ、問題ありません。年下の女の子に興味があったのでしょう。このウエストハイマーさんは。ええ、年下の女の子に、しか興味がもてないのです」


 随分棘をかんじるけど、そんなに俺が許せないのか・・・・・・・・・。


「じゃあ気を取り直して、説明を続けるわね?」

「小田先輩、この電気炉どうすればいいんですかー?」

「あ、じゃあ瞬君パソコンのやりかた教えてくれる? ちゃんとね?」

「・・・・・・・・・うっす」


 健に呼ばれた先輩に反抗する気もなく、れみとまりあちゃんの真ん中に当たる席に座って簡単に説明していく。


 図、資料、表のみならず研究の根幹に関わる計算式も。すらすらできている自信はあるけど、落ち着かない。隣にいるれみはどんな形相をしているのか。どんな感情を抱いているのか。決して良いものじゃないだろう。


「いやぁ、でも研究室ってどこもこんなかんじなんスか?」

「今は発表前だからちょっと散らかってるけど、それでも掃除したんだぜ?」


 説明の合間に、適度に質問してきてくれるまりあちゃんがありがたい。


「・・・・・・・・・これで掃除ですか」


 呟きに嫌な予感がして、おそるおそるギギギ、とれみのほうへ。指を机やパソコンにツツ―ッと這わせて指に付着した埃をこれみよがしに晒してくる。


「掃除をしていたのはウェストハイマ―さんなんですよね? 精密な機械やデータがある場所でこれほど汚くなっているなんて掃除の才能がないのでは?」

「ちょ、れみ?」

「それに、先程の説明ですがなぜ十年以上前の文献を引用しているのですか? 比較するならできるだけ最新のものじゃなければ意味がないのでは? ランドルフさんが今回の資料作成を主にしていたと聞きましたが」

「さすがにいいすぎじゃない?」

「それに、グラフも棒だけじゃくて円グラフなど使ったほうがわかりやすいですし、印刷したとき表記揺れやズレがおこりますよ? それから先程の計算式も間違っていました」

「・・・・・・・・・・・・」


 泣いていいかな?


「あ、あははははは。その、ウェストハイマ―パイセンって実験やってるって聞いたんスけど、どんな実験っスか?」


 引き攣った笑みが、気遣ってくれているってのをありありと示してくれるけど、もうランドルフ呼びはやめてお願いします。


「実験は、そうだな。コンクリートにどれだけ凝った意匠を施せるかってやつで」

「着色剤を入れること提案したら教授に褒められたんスよね? 長井先輩が言ってたっス」

「けど、そのせいで基準の強度が下がってひび割れが多くなるから、今は比率の見直しをしているんだよ。モルタルもセメントペーストも使えないし。養生してできあがるまでやり直しできないし」

「それって粗粒率も関係してます?」


 自然とれみを意識しないで話しているうちに、楽しくなってきた。というか、この子けっこう詳しいな。学内の年下の女の子とこんな話ができるなんて面白い。それだけ、まりあちゃんも本気で将来の道について考えているって証拠なんだなぁ。こんな子がうちの大学にはいってくれたら。あわよくば後輩になったら毎日――


 ガツン!!!


「っっっっっぅっっっ!!」


 臑に、尋常じゃなく鋭くて重い衝撃。貫通したんじゃないかって痛みがじんわりと大きく広がっていく。突然のことすぎて、足を押さえて呻くしかできない。


「あの、パイセン? どうしたんスか?」

「鼻の穴広げて鼻の下伸ばしているからどこかにぶつけたんじゃないですか? ウェストハイマ―? せんぱい?」


 あ、絶対こいつだ。れみがやった。


 確信しているけど、抗議できず非難もできない。


 れみのごみを見るような冷たい視線を受けつつ、全部俺のせいなんだって言い聞かせるしかなかった。

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