第3話
講堂の何倍もある食堂は、冷房がほどよくきき渡っていて過ごしやすい。
普段より閑散としていて寂しげな印象はあるけど、なにかと色めきだっている高校生たちにも新鮮な場所だ。賑わっているとはいえないけど、それなりに活気づいている。
「大学ってほんとすごいっスねぇ。コンビニもありますし」
「ははは。まぁなにかと泊まり込む生徒たちもいるし」
前半講義室や実験室を巡り、説明に疲れた俺もここでひと心地つける。
まだ体から熱が抜けきっておらず、唐揚げ定食を頬張る元気はない。まりあちゃんは明るく喋りながら、れみは黙々と食べ続けている。
後半はまだ残っている施設と先輩たちの研究室や専門分野の説明をしなきゃいけない、ある意味本番が待っているし、早めに英気を養わないといけないな。
ほんのり滲みているニンニクと生姜の味が肉汁と一緒に広がっていく。
けど、段々と箸を口に運ぶペースが落ちていく。主に喋っているのは俺とまりあちゃん。れみは介入することなく、というかわざと俺を意識に入れないようにしている。
第一印象が最悪だからしょうがないけど、だいぶ寂しい。
「あははは。ところで、れみ・・・・・・竹田さんはどう? なにか気になったところはあった?」
あぶねぇ。あやうく下の名前で呼びかけたところでじろりと睥睨されてしまった。
慌てて名字呼びにしたけど、返答はない。
「俺は共学だったけど、女子校だと違うってかんじたところあるんじゃないかな」
「・・・・・・・・・」
「北条院さんは質問してくれてたけど、竹田さん一度もしなかったでしょ」
「・・・・・・・・・・・・」
「不安なこととか質問とか」
「・・・・・・・・・」
もうやだ泣きそう。
話せば話すほど拒絶感が強くなっている。
あ、今席一つ分横にずれたし。
「食堂って夏休みでもやってるんスね。驚いちゃったっス。ねぇれみ?」
「え? ええ、そうですね」
空気が最悪になる前に助け船を出してくれたまりあちゃんぐっじょぶ。今度会えたらアイス奢ろう。
「まぁ事務員の人とか教授とか働いている人もいるし。それでも使えない日もあるんだよ」
「あと、なにかとパソコン使う機会も多いって印象も多いっスけど、今から触れる機会増やしといたほうがいいスか?」
「パソコンは・・・・・・学部ごとに違うけどサイトを通じて大学からの連絡やしらせが増えるし。提出物もそうだし、講義や実験も使う頻度多いんだ。でも高校って中々パソコン使う授業多いんじゃないの?」
「うちはパソコンとネットを使うのは教育によくない、悪影響が出るって古い考えなんスよ。ねぇれみ?」
「へぇ。今時珍しいな」
「社会に出たときのために、今のうちにやっといたほうがいいってのに。ねぇれみ?」
「・・・・・・なんで一々私に振るんですか」
「だってれみとちょくちょくしてるじゃんそういう話。れみだって家でお父さんが使ってるパソコンしか機会がないって。それに教師に提案してたじゃん」
「提案?」
「ちょ、その話は――」
「この子真面目だけど頭は良いし成績も良いし人気もあるんスよ。それで生徒たちを代表して禁止されてるの解禁してもらえないかとかちょくちょく交渉してるんス」
「へぇ。すげぇな」
真面目。成績が良くて人気がある。その情報だけで胸がほっこりする。小さい頃は一人じゃなにもできなかったのに。
『お兄ちゃん、トイレついてきてください・・・・・・』
「お兄ちゃん、一緒に寝てください』
『お兄ちゃん~ん、おうちまでのかえりみちわからなくなっちゃいました~! びええええええん! ここどこぉ~!』
幼かった頃の妹の思い出がリフレインされる。はっはっは。懐かしいな。
あれ? おかしいな。なんか視界がぼやけてきたぞ?
「先輩なんで涙ぐんでるんスか?」
「いや、生姜が目に滲みて・・・・・・ぐす・・・・・・」
成長したんだなぁっていう感動と、もうあの頃の義妹はいないんだなっていう寂寞の情なのかな、この涙。
「校外でも人気で、別の高校の生徒たちからラブレターもらったりよくしてるよね? 他にも最近――」
・・・・・・・・・なに?
「ちょっとなにもそこまで!」
「その話もっと詳しく」
どこのどいつだ。そんな身の程知らずなクズ野郎ともは。
「そいつらの高校は? 名前は? 住所は? 部活は? 将来性は?」
「先輩?」
れみだけじゃなくってまりあちゃんも胡乱なかんじで見ているもんだから、はっと落ち着きを取り戻す。
あぶない。冷静さが無くなっていた。
「ああ、そうだ。俺物足りないからケーキでも買いにいくつもりなんだけど、二人もどう?
「え!? ケーキっスか! そういやありましたねメニューのところに! おごりっスか?!」
ごまかすために提案してみたけど、この子はちゃっかりしているなぁ。まぁそんなに高くないしいいけど。
「うんいいよ。そのかわり是非ともこの大学入学してくれよ?」
「もちのろんっス! ねぇれみはどのケーキにする!?」
「私はけっこうです。お水取ってきます」
れみは立ち上がり、明後日のほうへ歩いて行ってあっという間に見えなくなった。
「先輩、よっぽどれみに惚れちゃったんスねぇ。そんなに焦がれるみたいに見つめちゃって」
まりあちゃんはニヤニヤしながらこちらを窺っていた。なんとなくばつが悪くて顔を背ける。
「いやいや、違うよ」
「照れなくってもいいじゃないスかぁ。さっき案内しているときだってチラチラれみのほう見てたでしょー。私だって気づいたんだかられみも絶対わかってるっスよ」
え、まじで? 自覚なかったけど。
「でも、あの子はハードル高いっスよー。ぶっちゃけ先輩には荷が重いっス。諦めたほうがいいスよ」
「・・・・・・だから、そんなんじゃないってば。最初のファーストコンタクトで失敗しちゃったから取り返したかったんだ」
わざと笑いながら大げさに身ぶり手ぶりをしてアピールする。
「もし仮に君達がここに入学するとき、俺は卒業してるし。ただ、俺のせいでこの大学を嫌になったら、申し訳ないからさ」
そう。今日この日が神様の仕組んだことだとしても、二度と同じ事はおこらない。
断言できる。昔義兄弟だった女の子とこんな形で再会できたことなんて、奇跡に近しい。
『おにいちゃん、どこいっちゃうんですか!? れみおいていかないでください! ずっとここにいっしょにいてください! おにいちゃん! おにいちゃん!』
あんなことをした俺は、もう初対面でナンパしてくる失礼な大学生なんて認識よりも、最底辺な存在に違いない。
今まで忘れていた呑気な俺を殴ってしまいたいよ。
「とかなんとかいって、留年してまさかの再会ってこともあり得るっスよ?」
「失礼な」
「もしくは先輩がうちら目当てに女子校に忍びこんでせんにゅうして犯罪者になって法廷か刑務所で再会なんてことも」
「もっと失礼な!」
しかし、この子は話しやすいな。普通女子校に通っている子って男、それも年上の大学生って親しく話せるものだろうか。
そんな疑問も消えないうちに、さっさと追加注文のケーキを二人で取りにいく。そこでれみの行方が気になった。水を取りに行ってるけど、時間がかかりすぎなんじゃないか。
「あ、れみだ」
まりあちゃんの指摘通り、あの子はいた。きっと戻る途中だったのか、水で満たされたコップを持って・・・・・・震えてる。ある一方向を見つめて、バイブレーション機能を備えているかのように、微妙な振動を繰り返している。
「ねぇ、竹田さん。どうしたの?」
「あ、あ、ああ。あれあれあれ」
かあああ! と赤面している。
混乱しているのか目がぐるぐる回っている。よほどのことがあったのかと指さすほうを確認するけど、別に異常は無い。いつもみたいに上級生たちがコンビニで談笑しながら買い物をしているだけだ。
「は、はれんちです!」
「は?」
「距離が近すぎます! 男女の距離が! 手を繋いでいます! あ、今肩に触れました! 指と指を絡ませるえっちな繋ぎ方してます! あの人たちは恋人同士でしょう!? なのに人目もはばからずあんな・・・・・・あんな姿をさらしているなんて!」
「いや、明治時代からきたのか?」
あんな光景、街で買い物していても普通にあることだろうに。
「あ! あの人たちどこかに行きます! きっと人がいないところへ行っていちゃいちゃするんです! もっと見せられないことするんです! ああ、あそこの席では男の人三人と女の人二人です! いやらしいです!」
「どこがだよ!?」
「ああ、あそこでは二人っきりで座ってます! 神聖な学び舎でなんてことを! 乱れています! この大学の風紀と性は乱れに乱れきっています!」
「乱れてんのは君の頭じゃないか!? とにかく落ち着け、周りの人の迷惑だろ!」
なに? なんなの?
女子校だから共学での過ごし方が異常に見えるのか? 男女のやりとりに免疫ができてなくて、変な勘違いしてんのか? それならこんなリアクションありうるけど。
「うわぁ、相変わらずれみはお堅いなぁ」
いやどうも違うっぽい。まりあちゃんは普通だし。
じゃあれみ特有の反応か!? なんで!?
「いやぁ、この子男の人苦手だから、男女交際とか男女が一緒にいるのが間違ってるって考えらしいんスよ。はっはっはぁ」
「はっはっはぁ、じゃねぇ。 友達だろ? 落ち着かせてやりなよ」
「このまま成長すると生涯独身貫きそうっスよねぇ。友達として今から心配っス」
「はるか未来のことを気にかける前に今現在のこの子の状態を憂えて助けてやろうよ!」
「いやあああああああああ! あそこでは飲み物回し飲みしてますぅぅ! 粘膜接触してますぅぅぅ! 破廉恥ですううううううう!」
もうカオス。手に負えない。
誰か助けて。周りにいる人たちも遠巻きにしていないで手を差し伸べて。
「あれ? お前瞬じゃん」
聞き覚えのある声。瞬間的にそっちのほうに視線がいく。
痛々しいまでに赤く染められたタマネギのような短髪。人の良さそうな顔立ち。俺を今日このバイトに誘った張本人。
我が親友、長井健二郎はのんきに眺めている。
「お前どうしたん? その子たちめちゃかわいいし。もしかして両手に花で修羅場状態? うわぁまじかよ。人が忙しくオープンスクールの準備してたってのに女で遊ぶなよな~」
こ、この野郎人の苦労も知らないで! 好き勝手言ってくれやがってからに!
人の苦労も知らないで!!(心の底から)
「健、ちょっと助けてくれ! れみを落ち着かせてくれ!」
「いいけど、俺にもちゃんと紹介しろよな。先輩にこき使われて疲れたんだから俺にもいい思い――」
「うるせぇさっさと手伝え発情猿!」
ぶつくさ文句を垂らす健二郎、通称健をその気にさせたのはよかったものの、既にまりあちゃんがれみをなんとかしてくれた。
落ち着かせ方が馬とか犬とか・・・・・・動物に対してのそれっぽいけど。
「はぁ~い、どうどう。はいどうどう。深呼吸してみよっかぁ~」
というかまりあちゃんやけに手慣れてるけど、もしかして今までにも何回かあった?
なんか申し訳ない。
「いやぁお見苦しいところを~」
「・・・・・・・・・」
れみも不承不承ながらもまりあちゃんに促されて頭を下げる。どうにか落ち着いてほっと一安心。周りを窺っていた人たちも既に関心を無くしてるようで、元の雑多な空気に戻っている。
「ところでパイセン、つかぬことをお聞きしてよろしいっスか?」
パイセンって。急にフランクになったなおい。
けど、この子にはそれを許しちゃう親しみがある。もしかしたら、れみを気遣ってわざと話題を避けるための呼び方なのかもしれない。
「パイセンって、さっきこの人に呼ばれてましたけど」
「ああ、うん。同じ学部の――」
「長井健二郎二十一歳独身現在彼女募集中でっす! 年下年上オールオッケー趣味は天体観測と読書と植物のお世話です!」
うわぁ。こいつうぜぇ。
女の子とみれば誰にでもこんな態度とりやがって。しかも嘘ついてるし。お前小学生以来本読んでねぇじゃん。お前の家スーパーで買った野菜しかねぇじゃん。
「長井先輩っスか。一つ質問なんスけど」
「くっっはぁぁ! 年下からの先輩呼びキタコレ! 人生の夢が一つ叶った!」
やたらとハイテンションな健を相手に戸惑ったのかこちらをチラ見。
本当に友達か? 大丈夫かこいつ? って無言で訴えかけてくる。
まだ大丈夫だって無言で頷き返す。
「さっき瞬って呼んでましたけど、この人の名前ウエストハイマー・田中じゃ?」
「あ」
「え? なに言ってんの? こいつは上杉瞬だけど」
「ば、ちょ、おま」
慌てながら健の口を塞ぐけど、時既に遅し。
「え?」
自分の招いた種。自業自得。これほどふさわしい言葉はないだろう。案の定、事態は想定できる最悪なことになってしまった。
彼女の表情がどうなっているのか。驚いているのか。怒っているか泣いているか。戸惑っているか。少し後ろを振り返ればそれくらいの反応はたしかめられただろう。
けど、今の俺にはできない。嘘をついた後ろめたさなんてかわいいくらいの罪悪感。逡巡。諦観。とにかく、いろいろなものでぐちゃぐちゃになっていた。
「うえすぎ、しゅん?」
急に寒くかんじるのは冷房がきつくなったからじゃない。一種の絶望じゃないだろうか。
終わった。今の心境を表すとしたらそれだけ。
血の気がひいていくっていうのはこのことか。腕の毛が逆立つほどの鳥肌、気を抜くと倒れそうになるほど足に力が入らない。目眩すらしそうだ。
ああ、れみもきっと気づいた。
そして彼女も覚えている。覚えてくれている。俺のことを。声だけでわかる。だって、仮にも兄貴だったから。成長して変わってしまっていても声音は間違えようがない。
新たに知った情報をなんとなく呟いただけじゃない。昔慣れ親しんだ人物の名前を、懐かしそうに感慨深そうにはっきりと口に出して自分に言い聞かせ、はっきりと確認するための行為だった。
義妹として、今目の前にいるのがかつての義兄だったんだってしっかりと認識するための自他への問いかけ。
とりあえず後半の案内は前半以上に辛く厳しいことになる。それだけはたしかだ。
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