011


 廊下を駆け抜けていました。


 逃げ出した鎧武者さんを追って。


 もうこれ以上は無いって程に激しく、暑苦しく。


 どうして私は走っていたんでしょうか。


 強制されて。


 褒められて。

 

 心は動かされないのに。

 

 そんなもので心は踊らなかったのに。


 大嫌い。


 陸上なんて————大嫌い。


 でも、走ってた。


 ただただ走ってた。


 今も走ってる。


 埃の舞う不安定な床板を踏んで、踏んで、踏んで。


 埃臭い風が頬を撫でて。


 髪を乱して、視界が揺れて。


 汗が流れて。


 息が荒れて。


 それでもずっと走っていた。


 練習を逃げ出しても。


 学校を抜け出しても。


 なんだかんだ陸上部には顔を出した。


 非難されても走る事だけはした。


 ずっと。


 ずっと。


 走る事だけ。


 前を見つめる。


 ただ鎧武者の間抜けな後姿が見える。


 私はあの背中を衝動的に追って、何がしたいんだろう。


 必死に手を伸ばして。


 足を延ばして。


 壁に触れて。


 障子戸を破って。


 前へ。


 前へ。


 もっと近くへ。


 近くへ————!


 どうしてこんなに必死なのか。


 分かる気がする。


 私は分かってるんだ。


 そんなの……本当は明白だったから。


 あれは、私の一部だ。


 私が、鬱陶しく鬱陶しくて。


 いやで、いやで、いやだった私自身。


 でも、それは私なんだ。


 それも、私だったんだ。


 私は、ただ自分が走る事で私自身を見てほしかった。


 成績じゃなくて。


 態度じゃなくて。


 目でも。

 

 鼻でも


 口でも


 耳でも


 髪でも


 脚でも


 指でも


 うなじでも


 腋でも


 胸でも


 足先でも


 そんな肉体的特徴を見られたいわけじゃない。


 ただ私自身を見てほしくって。


 でも、そんな子供みたいなことを言う私自身が嫌で。


 だから私は。


 そんな私を。


 あの夕焼けの林の中で。

 『消えてしまえばいいのに』

 だなんて思ってしまった。


 風は微かにそよいだ。


 それは夕焼けの魔法だったのかもしれない。

 それは昼と夜の間の不可思議が起こした奇跡だったのかもしれない。


 私と鎧武者は、二つに分かれた。


 そうして鎧武者は自分を追い出した私を喰らってもう一度私になろうとした。


 一度は私自身の願いだけ、想いだけ喰らって。


 そして二度目で、私自身を食べきろうとして。


 そうして自分が主となって、有馬いろりに戻ろうとしていた。


 分かる。今なら、分かるよ。


 私は宙に両手を広げた。


 鳥のように。


 鎧武者さんの背中が近付いて。


 私は、ただその背中をぎゅっ、と抱きしめた。


 ————鎧武者さん。あなたも、自分の事を見てほしかったんだ。



 ————だってあなたも……私だから。

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