010

 有馬は少し震えていた。


 ついに対峙することになった鎧武者。


 その姿は遠くで見ていたよりも狂暴であった。


 何よりその片手に握られたのは日本刀。


 まさしく鎧武者そのものという立ち振る舞い。


 相手は僕らに一歩にじり寄る。


「ついに追い詰めたぞ」


 鎧武者は一言呟き刀を振り上げる。


 おろさずとも、構える。


「本格的にやばくなってきましたよ……。私、まだ走れますからやっぱり囮に……」


「有馬。こういう時僕たちに残された手はただ一つ」


「ということはやっぱり逃げ……」


 僕はドン、と床に座った。


「話し合いだ‼」


「なんて剛毅な⁉」


 真っすぐに鎧武者を見る。


 不安そうな有馬だが、僕は彼女を見ない。


 彼女だって分かってるはずだ。


 この鎧武者は僕を襲わない。


 いや、


 有馬はゆっくりと腰を下ろし。


 鎧武者に向かい合う。


 刀を振り上げたまま硬直している鎧武者に。


「話し合うと言うて、何を話す。話すことなど何も……」


「お前の事……そして、有馬のことだ。まさか話さないとは言わないだろ?」


 僕が煽るように言えば、鎧武者は刀を腰の鞘に戻し、床の上に胡坐を組んだ。


 僕たち二人の顔をチラチラと見て威嚇をする。


 関係ない。


 僕はそいつの背後の障子戸を見て、ふっと息を吐く。


「不思議だったのは、炎の矢だ」


 まずはそこから始めるべきだった。


「あれは僕たちを襲い続けたけれどついぞ一度も貫くことはなかった。周りに燃え移らない不思議な炎……。それに、幽霊日本家屋の側に陣取る鎧武者……いかにもおあつらえ向きだというやつだ。なぁ有馬。お前もそう思うだろ」


「うーんっと……まぁ、そうですね。幽霊屋敷の噂の元が鎧武者ってのはまぁ大方予想通りというか……そのまんま、イメージ通りって感じですね」


「うん。だが、逆に考えてみろ有馬。この幽霊屋敷の噂はなんだった」


「えーっと……窓に人影、夜の子供の嗤い声、家が揺れた……女の悲鳴に、黒くて大きな影が屋敷の外に見えた……とか」


「どこに鎧武者の噂がある」


「え?」


 大きく首を傾げて目を丸める。


 有馬はうーん、と悩み腕を組む。


「まぁ……言われてみると……鎧武者は全く関係ありませんね……」


「そうだ。で、お前はこの噂について何と言った」


「何かがいる、ということは共通している……?」


「そう、お前の認識はこの幽霊屋敷には何かが潜んでいるっていうただそれだけだったんだ。それなら子供でも女でもなく、鎧武者が潜んでいても何らおかしくないよな」


「そ、それはそうですけど……えっと、何の話がしたいんですか⁉」


 僕は鎧武者をまっすぐ指差した。


「あれがお前の妄想だって話だ」


「えええええええ⁉」


 大声を上げて改めて鎧武者を見る。


 依然動かず其処に胡坐をかいている。


「い、居るじゃないですか‼ そこに」


「ああ。見えるさ。でも、あれが一度でも僕らに触れたか?」


 炎の弓矢。

 障子を突き破った手。

 振り上げた刀。


 そのどれも僕らに触れることはなく、ただその場にあっただけだ。


「でも、障子だって破って」


 有馬が先ほど破られた障子を見る。


 僕も黙ってそちらに目をやる。


 鎧武者の背後。


 そこには破られた跡など微塵もない障子戸がそのまま存在していた。


「う、うっそだ……だって、確かに破れて……」


「炎の矢は燃えているというのに林を燃やさなかった。障子戸は破れていなかった。これ以上に物語る必要があるか?」


 有馬は呆然と黙り込んで、鎧武者に視線を戻した。


 こいつは何も言わない。


 僕の意見をあっているとも間違っているとも。


「よく思い出してみろ。あの鎧武者は、お前の思う通りに行動していたはずだ。最初の奇襲こそお前の範疇外だったかもしれない。でも、その後あいつは逃げ足の遅い僕を襲わなかった」


 人質にすることもなく有馬だけを狙った。

 追い詰めるのに最適な手段は他にもあったと云うのに。

 

 それは多分、有馬以外に干渉できないから。


「僕が廊下から刀の音がする、と言えばあいつは障子を破りやってきた。それに、逃げた俺が戻ってきた時、あいつは僕を咄嗟に『圷』と呼んだんだ」


 初対面の人間が呼ぶにはなれなれしすぎる。

 あれは不意を突かれた人間が呟いてしまった失言だ。


 少年でも、小僧でも、君でも、お前でもなく。


「それは、全部お前があいつを生み出したからだ。いや、あれは————」


「もう、わかりました」


 冥途のメイドは覚悟を決めたように立ち上がった。


 そのフリルのドレスこそが自分の鎧だとでも言わんばかりに、太眉をきりっと澄まし上げる。


 瞳は迷うことない眼力をたたえ、鎧武者ではない……その中に潜む何かを見つめていた。


 鎧武者もまた、立ち上がる。


 両者向かい合う。


「どうして鎧武者なのか。それは、私が日本家屋を見て鎧武者を連想したからなんですよね? だから、こうやって私の思う通りに動いてる……」


 ああ、分かってる。有馬は漸く自覚したらしい。


 多分それが答えだ。

 

 有馬いろりの受難は全て、有馬いろりから始まっていたのだから。


「この鎧武者は外面を異様に盛りまくった私自身です。そして……私が失った大切な、何かです‼」


 鎧武者は有馬いろりの叫びにも似た指摘を静かに聞いていた。そうして少しだけ頷いて、彼女に背を向けて…………。


 思いっ切り風のように素早く走り出した。


 あ、逃げ出しやがったあの野郎。


 僕がそう思った次の瞬間。


 有馬いろりはそれに負けず劣らない速度で走り出した。

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