006

 メイド服の女の子が一人林の中を逃げて。


 僕は何をしてるんだろうか。


 涙を流しながら。


 息も上手く出来ず。


 瞬きさえしないで。


 よだれなんて垂らして。


 必死に林を分けて逃げ出して。


 なぁおい僕。


 それっておまえのやりたいことなのかよ。


 なぁ、情けないじゃないかよ。


「でも————有馬、は……逃げろ……って、いった、じゃ、ん」


 それは僕が脅えていたからだろ。


 あいつが自分の所為だって責任を感じたからじゃないか?


 自分が林に呼び寄せたから。


 見に行こうなんて軽率な事を言ったから。


 だからあいつは自分の責任を取ろうとしてる。


「なら、あいつの、しりぬぐい、だよ。ぼく、はかんけい、ない」


 違うって分かってるだろ。


 僕だって関係はある。


 目をそらそうとしてるだけだ。


 足が疲れた。


 息がしづらい。


 吸う。

 吐く。


 吸う。

 吐く。


 吐く。

 吐く。


 吸う。


 リズムを見失いだす。


「ぼくは——ッ……あ、しがはやく、ない……! あいつ、は速い、し、ここは、てりとり、いだ……って」


 僕を不安にしないように言ってくれたんだと分かるだろ。


 出会って数時間の仲だからって何も分からないわけじゃない。


 なぁ、本当はどう思ってる。


 ……うるさい。


 今の自分の事を。


 ……うるさい。


 女の子を一人放り出して逃げ出す自分の事を。


 ……うるさい。


 鼻水垂らして、泣いて、走って。


 ……うるさい。


 いい訳ばっかり探してる自分の事を。


「うるさい! うるさい! うるさい! うるさい!」


 耳をふさぐ。


 立ち止まる。


 叫ぶ。


 声でかき消す。


 自問自答を。


 くだらない。


 くだらない!


 問答に何の意味がある!


 くだらない一問一答の先に何が残る!


 あるもんか! 


 生と死の問題だぞ⁉


 そう簡単に割り切れるものか。


 生きるためには逃げるしかなかった。


 僕は有馬いろりのように様々な噂を纏った特別な人間じゃない。


 平々凡々な、凡庸な人間だ。


 そんな僕に何ができる?


 逃げるしかないはずだ。


 有馬の言うように。


 有馬が囮になって……。


 ぼくが。


 ぼくがにげて。

 

 ありまはひとりにげて。

 

 はやしのなかを。


 たったひとりで。


 自問自答の声はない。


 頭に響いた声は無い。


 ただ静かだ。

 音が消えたみたいに。


 いや、音はしている。


 僕が、むせび泣く音で。


 ああ、うるさい。


 なんでこんなにうるさいんだ、僕は。


「……わがっでる、ざ。分がっでる……。情け、ない……なんて」


 言葉をひねり出して、地面に膝をついた。

 

 分かってる。


 何度も言わなくったって。


 有馬を一人置いて、自分だけ逃げだして……。


 有馬が一人勇気振り絞ってんのに僕は自分の事ばっかりだ。


 言い訳ばかり頭にうかべて。

 逃げることを正当化して。


 でも正当化なんてできるはずない。


 僕は臆病で、莫迦で、クズだ。

 

 なんで逃げ出してんだよ、僕。

 

 なんで泣いてんだよ……。


 なんで、頭にあいつの顔ばっか浮かんじまうんだよ……。


 祠の上でひとりぼっち座りこんでたあいつの顔が。


 パンケーキをほおばって満足そうに唸るあいつの顔が。


 林の中で、僕を一人だけ逃げさせようとしたあいつの顔が。


「ばか」


「ばかだ」


「ばかだよ」


「ばかじゃねえかよ……ッ‼」


 膝を殴る。


 思いっ切り。


 怒り散らす。


 泣いた。


 逃げた。


 喚いた。

 

 無様だ。


 無様すぎる。


 なぁ、僕。


 こんな無様晒すぐらいなら死んだほうがマシだろ。


「今戻るぞ…………有馬」


 ただ逃げるだけなんてだめだ。


 やるだけやって。

 そのあとだ。


「死なせてやるもんか……ッ!」

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