第60話 本物の遠吠え
手の震えを必死に抑えながらなんとかして無傷のまま
「アレキサンドラ。メモ帳を開いて」
「全く、いつになったら桜子の機械音痴は治るのかしら。はぁ、仕方ないわね。メモ帳を開いてあげるっ」
「いつもありがとうございます」
「礼には及ばないわっ」
「……」
(……人工知能のクセが凄い)
―――桜子さんは名前から何から何までクセが凄い人工知能を介し、ようやっとメモ帳を開くことに成功していた。
何故初めから
遠吠えをすることへのハードルが若干下がっていたのに上がっては困ると思い、桜子さんはメモ帳を見て何をしたいのか聞くことにした。
「桜子さん、メモ帳には何が書いてあるんですか?」
「忘れないようにと<召喚獣のスキルボード>の内容、ノルマに関する考察をメモしておいたんです。受付嬢の仕事で日中あまりラボに顔を出すことが出来なくても考えることくらいは出来ますから…」
(はい女神)
桜子さんは俺の中での神格をどれだけ上げれば気が済むのだろうか。
「ありがとうございます桜子さん」
「いえ、礼を言われるようなことは…」
「してますよ?もし俺が桜子さんの立場にあれば朝陽さんに丸投げしてますって。だから本当に感謝してます」
「…そこまで言われてしまうとどういたしましてと言いたくなりますね」
「どうぞ言っちゃってください」
「……どういたしまして」
頬を桃色に染めてポリポリ搔きながらぼそりと俺に向かって呟く桜子さん。一生見ていられる自信があるのだが、流石に話を進めなければ…。
「えっと、よければなんですけど桜子さんの考えを聞かせてくれませんか?」
「―――もちろんです」
桜子さんの表情がきりっとしたものに切り替わった。
◇◇◇
「「「グルルルル……」」」
「グフグフッ!」
ささーと風に揺られる草木、唸る三匹の
自然界では頻繁に引き起こる命のやり取り。
「(三対一ですか…
「(小鬼頭に勝ち目は?)」
「(万が一にもないでしょう)」
「(まぁ同じ八等級ですからねぇ…)」
その場面を近場の草陰に隠れながら俺と桜子さんは見ていた。
怪物同士の戦いを見てみよう!ではなく、桜子さんが立てた仮説を検証するための下準備の段階だ。
―――ノルマを終えた末に獲得できるであろうスキル【召喚獣】、言わずと知れた当たりスキル。そんなスキルをスキルボードが楽して取らせてくれるわけないだろう。それがスキルボードのやり方だからだ。当たりスキル獲得条件のノルマが楽であるはずがない。
世間一般的に考えても超人と化し始めた俺にとっても20mの『木登り』、20mからの『飛び降り』は十分にハードなものだった。
しかし、『遠吠え』はどうだろうか。結論から言ってしまえば否である。他二つのノルマと比べた場合、『遠吠え』という行為はイージーでしかない。だからこそスキルボードは『遠吠え』のノルマに『屋外で』『全力で』という条件を付けたのではないだろうか。
屋外で
だがしかし、それだけではまだ弱い。他の二つに比べると全然弱い。
であれば、残りの条件『全力で』で他二つのノルマと並ぶくらいキツくしなければならない。
そこまで考えた末に辿り着いた『全力』の解釈が完全模倣―――声だけでなく、姿勢と感情までを含めた狼の模倣だったのだ!
あ、考えたの全部桜子さんね。俺じゃないよ。
ちなみにだけど狼の遠吠えに限定した理由もしっかりあるぞ?
四つのノルマ―――『木登り』『遠吠え』『飛び降り』『小鬼頭討伐』には一つの物語が関係していた。猿の木登り、犬の遠吠え、雉の滑空、鬼退治。そう、日本人であれば老若男女問わず誰もが知っている昔話『桃太郎』である。
これも気づいたの桜子さんな?俺何もしてない。
「(桃太郎かぁ…家に帰ったら久しぶりに読んでみようかな)」
―――結果、桜子さんのメモ帳に書いてあった『完全模倣するためには想像ではなく直接見るのが一番』『狼も犬と変わらないですよね?』という考察のもと、俺と桜子さんはこうして草陰に隠れて
「(桃太郎ってミュージカルにもなっているみたいですよ?)」
「(え、マジですか。興味あるなぁ。桜子さんは見たことあるんですか?)」
「(一度だけ。細かいところまで作りこまれていて面白かったです)」
「(へぇ…)」
桜子さんとどうでもいい会話をしながら10m先、小鬼頭を集団戦法で瀕死にし、何故かとどめの一撃を刺さずに小鬼頭の頭を押さえつけている
奴らがこちらの存在に気づかないのは観察を始める前にここら近辺に散布した消臭粉のお陰だ。戦闘力だけでなく知力も高くなる深層の怪物たちにはあるはずの匂いがしない、怪しいぞと警戒される原因となってしまう代物だが、八等級の
(……お?)
小鬼頭の頭を押さえつけている一匹、周囲を警戒している一匹ではなく、何もせずにいた残りの一匹が突然顔を上にあげた。
ようやくお目当てのものが見れそうだ。
「(桜子さん、これ吠えますよね?)」
「(間違いなく吠えますね。動画を撮りましょう……えっと…ここをこうして…あれ?おかしいですね……むぅ…アレクサンドラ、動画を撮りたいのですが…)」
「(…仕方がないわね、分かったわ———)ピコン」
「(ありがとうございます。助かりました)」
「(礼には及ばないわ)」
「……」
(何で小声で喋った方がいいって分かったんだよ… 桜子さんと人工知能の会話のせいで興味の矛先が変わっちゃったじゃん)
本当に無駄に高性能だ。まるで人と人の対話じゃないか。1億近くもするわけだよ。
「(海君、見てますか?)」
「(あぁすみません。見てます見てます)」
桜子さんに怒られちったので、興味の矛先を本来向けるべきところに向ける。
(おぉ、カッコいいな)
薄緑の体毛を風で揺らしている草原狼は四本の足でしっかりと地面を踏み締め、背中はやや下側に反っており天を仰いでいた。
雄大な自然の中で堂々とするその姿は男心を否応なく擽る。
しかしその姿でさえも咆哮と比べれば前座に過ぎない。
「アオオオオオオオオオオォォォ!」
青空に浮かぶ雲を突き抜けていきそうな力強い咆哮、本物の遠吠え。
ノルマとかがなかったらあぁ、カッコいいなぁで終わるところだが狼の姿だけでなく内心までを理解しようとしていた俺は仲間を呼んでいるように聞こえた。
<召喚獣のスキルボード>のノルマが発生した直後に『狼の遠吠えは、家族や群れの中でのコミュニケーション手段であるのと同時に、群れの仲間以外への警戒や縄張りの主張をする際の手段としても使われているのだと考えられている』とネットに載っているのを見たことがあるので的外れな解釈の仕方ではないと思う。
そうやって自分なりに今の遠吠えについての考察をしていると、桜子さんが俺の方に少しだけ寄ってきて先ほどまでよりも小さな声で話しかけてきた。
「(周囲にこれといった危険はないようですし、小鬼頭にもとどめを刺していません。恐らくですが今から子狼が数匹来ると思います)」
「(子狼…ですか……。そう考えた理由を聞いてもいいですか?)」
「(もちろんです。―――海君はマナ吸収という言葉を知っていますか?)」
「(あ、はい。怪物を討伐するとその怪物が持っていたマナの一部が討伐者の元へ吸収され、そのマナ量の分討伐者の身体能力が上がるってやつですよね)」
「(そうです。では『マナ吸収の分配』という言葉は知っていますか?)」
「(えっとぉ…)」
一瞬『マナ吸収の分配』って何だっけとなったが2週間ほど前に受けた検定の問題集にそんな言葉があったなと思い出し会話を続ける。
「(知ってますよ。『マナ吸収の分配』っていうのは―――)」
『マナ吸収の分配』というのはその名の通り『マナ吸収』を『分配』することを指す。そしてこの現象が起こるときは決まってマナ吸収の吸収元である怪物を単独ではなく複数人で力を合わせて討伐している。つまりは
例えば、倒したときに100の
この時、討伐した側が俺のようなソロ冒険者であるならばまんま100のマナが
ただ等分されているかどうかは定かではない。
ゲーム内でなら戦闘時の貢献度に応じて配分の割合が違ってきたりするのだろうけど、ダンジョン内に貢献度を測るプログラミングなんてないし、あったとしても知るすべがないからだ。
だから冒険者センターはパーティ内で無駄な争いが起きないようにと冒険者たちに等分であると説明している………と俺は思っている。最後の方は検定勉強中の俺の感想です。
「(……十分すぎるほど知っていますね)」
俺による『マナ吸収の分配』が終わるとすぐに桜子さんは苦笑いしながらそう言った。どうやら感想がまんま事実だった様子。
「「「キャンキャンッ!」」」
「(すげぇ…ほんとに来た)」
気まずいし、本当に子狼来るし、どうして来るって予想できたのがまだ分かっていないので「えっと、それで、マナ吸収の分配と子狼が来るって予想になんのつながりが…」と話の続きを促そうとしたその時。視線の先の方から「グフッ」という声と三匹の子狼が頭を押さえつけられていた小鬼頭の喉笛を掻き切ろうと首元に噛みついている映像が流れ込んできた。
そして俺は理解する。どうして桜子さんが子狼が来ると予想できたのかを。
「(―――パワーレベリングですか)」
『パワーレベリング』―――それは王道にして邪道な方法。ゲームでは当たり前のように行われているレベル上げの方法のことだ。
ゲームで操るキャラクターは初めは
しかし中にはキャラ育成なんてクソ食らえ、結果が全てだ。なくせるものなら育成段階をなくしてしまいたい、短くしたい、最初から強い方が楽しいに決まってんだろ!と思うプレイヤーもいるわけで。
そんなプレイヤーたちが考えた育成方法というのが『パワーレベリング』。
やり方は至ってシンプル。
するとアッと驚く間に弱いキャラはレベルだけ見れば強いキャラになるんだ。
「グフッ―――」
時間にして1分ほど。生きながらえようと懸命に藻掻き続けるが大人の草原狼に押さえつけられ逃げることの出来ない小鬼頭、そんな小鬼頭の首元をこちらも一生懸命に噛み千切らんとしている三匹の子供の草原狼たち。
命のやり取りにしては随分と一方的な戦いがようやく終わりを迎えていた。喉笛を完全に掻き切られた小鬼頭が苦悶の表情を浮かべ炭化していきやがて消える。
つまりはそういうこと。これはパワーレベリングだったんだ。
強いキャラ《大人の草原狼》が
「(だから桜子さんは予想することが出来たんですね)」
「(はい、そういうことです)」
―――それから少しして。パワーレベリングを終えた草原狼の群れが去っていったのを確認してから再びあの大樹の元まで戻った俺は四つん這いになり先ほど見たばかりの草原狼になったつもりで遠吠えをかました。
「アオオオオオオオオオオォォォ!」
遠吠えを届ける先はいるはずもないスキルボードの
<【召喚獣】のスキルボード>
――――――――――――――――――――
右上:木登りをする
100/100回 達成!
右下:全力で遠吠えをする(屋外で)
1/100回
左下:高所から飛び降りる
100/100回 達成!
左上:
100/100体 達成!
――――――――――――――――――――
(あぁ…滑稽だ……パワーレベリングみたいに楽は出来ないものかね…)
想像していた以上の羞恥と遣る瀬無さが成功の嬉しさを上回った。
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