第55話 変態の観察者たち

「―――はぁ…」


 時刻は21時。

 仕事帰りのサラリーマン、部活や塾終わりの学生、これから仕事に向かうのかはたまた遊びに向かうのか少し派手めな男女。

 様々な人種、職種入り乱れる新宿駅の改札付近にて一人の中肉中背の男が手元の情報端末に視線を落としため息をついていた。


(報告しないわけにはいかねぇんだが、はてさて信じてもらえるかねぇ……)


 男―――臼井影人はつい30分ほど前の記憶と手元の情報端末のメモ欄に書かれている情報の間に相違がないことを今一度確認する。


 が、何一つとして誤りはない。故に困っていた。


 つい30分ほど前の記憶とは観察対象の青年がいきなり夜の森林地帯に入ったかと思えば、戦闘を開始しその最中、何度も木に登るような素振りを見せては怪物に阻止されていたり、【土属性魔法】を筆頭に何種類かのスキルを確認したこと。終いには雄叫びおよび遠吠えを突然上げ、直後肩を落としダンジョンを後にしたなど、実際にその目で見た臼井でさえも到底理解出来ない不可思議な行動の数々のことである。


 果たして自分の情報は『Seeker’s Friend』のお偉いさん方に信じてもらえるのか。臼井の悩みは至極真っ当なものであった。


 だがそれでも伝えに行かなければならない。情報端末を介しての定期報告、そして何か特別なことが起きた場合には情報端末ではなく自らの足で本社に赴き自らの口から情報を告げること。これこそが今、彼に課されている任務なのだから。拒否権など存在しない。


「あぁ…やだやだ」


 新宿駅の改札を出て西口へ。西口から『Seeker’s Friend』本社へと臼井は足を進める。心の中と口では嫌だ嫌だと言いながらも速足だ。


 臼井は速足のまま都庁よりも何よりも目立つ建物―――『Seeker’s Friend』本社の中へ。入り口から少し、出社退社を記録する機械に自分の社員証をかざしてからエレベーターに乗り最上階、64階へ。ちなみに『渋谷』にある冒険者センター本部建物セントラルは63階建てである。加えて組織の設立は冒険者センターの方がやや早い。


(見栄のために社長室を64階に置くんじゃねぇよ…クソ狸が)


 上級支配層の人間にとって見栄を張ることはかなり大切なことなのだが、一介の三等級冒険者である臼井にとって64階までの移動は面倒でしかなかった。

 エレベーターの中にも監視カメラは存在するので臼井は決して声にも表情にも不満げな感情を出さないが、心の中で代表取締役の氷室東郷ひむろとうごうに対して愚痴る。


 愚痴りながらも情報の整理を臼井が行っていると『64階でございます』と機械的な女性の声とともにエレベーターの扉が開いた。


「―――お疲れ様です」


 エレベーターを出てすぐの曲がり角。身だしなみの最終チェックを歩きながら行っていた臼井に突然声がかかる。


「っ…お疲れ様です…」

(驚かせるんじゃねぇよ……)

「東郷様がお待ちです」

「はい……」


 臼井に声をかけた人物、氷室東郷の秘書――東雲梓しののめあずさは臼井の内心など知ったことかと氷室の言い付け通り、臼井を連れて社長室の扉をノックした。


(もう少し愛想よくして労ってくれねぇかな…。こちとら気の狂った小僧を一日中追っかけてんだぞ?)


 早朝から昼間にかけてダンジョンラボの外でじっと身も気配も隠して張り込み、昼から夜にかけてひたすらに動き続ける調査対象を追いかける苦行。

 加えて彼のスキルは隠密に長けた代物であるが、性格は隠密に不向きだったため身体的にも精神的にもそこそこ疲れていた臼井は社長室の前だというのに内心で愚痴りまくる。


「東郷様、連れて参りました」

「―――入りなさい」


 東雲のノックと声への返答。氷室東郷のものと思われる声には少し温かみがあった。


(ん?先客でもいるのか?)


 氷室をよく知らない者であれば機嫌がいいのか?と思う場面だが、残念ながら氷室という人間をよく知っている臼井は先客がいると予想した。

 そしてその予想は当たる。


「―――あれ?臼井じゃん。なんでここにいるんだ?」


 グレーを基調としたシックな社長室の中で臼井を出迎えた人物は部屋の主である氷室東郷ともう二人―――『Seeker’s Friend』攻略班班長にして一等級冒険者である原勇はらいさむと『Seeker’s Friend』攻略班のエースにして『特級』の資格を持つ冒険者、柊大志ひいらぎたいしであった。


「……」


(こっちのセリフだ…柊。それと……俺がいちゃ悪いか…?)


 柊と臼井は同じ時期に冒険者登録をしたため新米冒険者ルーキーの頃からお互いの顔を合わせている。また冒険者としてパーティを組んだことはないが『Seeker’s Friend』関連でともに仕事をしたことはあるのでお互いに大体の為人は把握していた。


 なので臼井は柊が嫌味で「なんでここにいるんだ?」と聞いているわけではないことを理解している。

 ただ、自分氷室の部下氷室の協力者、お互いの立場の違いを分からされている気がしてしまい、もう何度目になるか分からない苛立ちを昔の自分に対して覚えた。


 柊には調子に乗った自分をいさめてくれる仲間がいた。臼井にはいなかった。それだけの差でこうも未来は変わるものなのか―――。


「彼には仕事を任せていてね。私が呼んだのだよ」

「へぇ、仕事…ね」

「…っ…報告は以上になりますので私たちはこれで………おい、柊。行くぞ」

「え、もうですか?臼井と話したかったのに」

「……これ以上私の手を煩わせないでくれ…」

「…冗談ですよ。―――それじゃあまたな、臼井」


(俺こんな奴に劣等感覚えてんのかよ……)


『Seeker’s Friend』に入社したときから今の今まで自分の行動を制限してきた氷室に心を読まれ、あまつさえフォローを入れられたことと、自分が目指している攻略班のエースが自分の遥か上を行くかつての好敵手ライバルが首根っこ掴まれて退室していく様。


(何やってんだろうな、俺……)


 臼井は自身の現状を鼻で笑い、それからロボットの如く無感情、起伏のない声色でダンジョン内にて自分が見たことをそのまま氷室に報告し始めた。


「―――美作海はドが付くほどの変人です」


 爆弾発言を冒頭に添えて―――。



 ◇◇◇



「失礼します」


 ガチャン



 今日一日だけで起きた特別なこと海の奇行についての報告を終えた臼井が頭を下げ退出する。

 それから少しして、臼井が丁度エレベーターに乗ったであろうタイミングで東雲が口を開いた。


「東郷様、彼の報告内容についてなのですが他の調査員からも同じような報告が上がっております。ですので調査対象、美作海が…その……個性的な人物である可能性は極めて高いと思われます」


 昼間は感情の起伏が激しく、時たま何もないはずの宙を仰ぐ、そしてぶつくさと独り言を言う。夜は冒険者であれば誰もが嫌う見通しの悪い森林地帯に入り魔物を狩っていると思えば木にしがみついたり、突然雄叫びを上げたり狼の鳴き真似をする。


 まごうことなき『変人』、否『変態』の所業―――。


 念には念をと海の調査及び臼井の監視のため送り込んだ『Seeker’s Friend』社が誇る諜報部隊の人間からも臼井ものと同じような報告を受けていた東雲であればまだしも、諜報部隊の報告をまだ耳に入れていないであろう氷室は臼井の報告を信じていないのではないか。


 そう考えた上での東雲の発言であったが必要はなかったようだ。

 氷室がクツクツと笑い、そして先ほどの報告から得た情報を脳内で嚙み砕き、言葉にすることで整理し始めた。


「面白い、実に面白い。つまらない人間でなくて何よりだ…。そうか、複数のスキルを持っている可能性があるか。

 常時発動の身体能力向上系スキルと【土属性魔法】【投擲】、加えて【渾身の一撃】のような瞬間的な身体能力向上系スキル。現状で四つ…これら以外にも隠し持っている可能性は十分にある。『渋谷』の14層には不釣り合いな力だ。しかし、美作はそこから下には潜らない。

 確か、臼井は『美作が時折何もないはずの宙を』と言っていたな…。―――東雲、諜報部の人間はどのように報告してきた」

「時折何もないはずの宙を…と」

「……そうか。引き続き調査には臼井を使う。働きによってはしてやるという言葉を添えて本人に伝えておけ」

「…畏まりました」


 東雲は氷室の言葉を情報端末を通して臼井に伝えるべくお辞儀を一つしてから部屋を去る。


 数分前までは何かしらの物音がしていた部屋の中からはありとあらゆる音が消え、時計の秒針が鳴らす音のみが響く。


 グレーを基調としたシックな社長室。静寂の中。ただ一人残された氷室東郷は広尾にある自宅で心の傷を治療している海に向け一言、返ってくるはずのない質問を投げかけた。


「―――美作海。君には何が?」


 彼の勘は自分が徐々に正解へ近いづいていることを確信していた。

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