第56話 力技で木登り


 雄叫びはともかく遠吠えはカウントされると確信していた。

 それ故に一切の変化が見られない石板は昨日の俺の心を折るに足りる力を持っており、俺の足は勝手に家の方へと向いていた。

 が、不幸中の幸いというか早い段階で夜中にノルマを達成させることに諦めがついた俺を迎えたのは温かい食卓であったため、今日も今日とて朝から頑張るぞっ!とダンジョンラボに足を運べたわけである。






「―――アォォォォォォぉぉぉぉ!」


 まさか着いて早々に遠吠えを上げるなんて夢にも思わなかったが……。


 当然俺の気が狂ったわけではない。ダンジョンラボに着いた後、朝陽さんに<【渾身の一撃】のスキルボード>のノルマ達成と新たに現れた大問題スキルボード【召喚獣】を調べるため自分なりに行った検証結果を報告するなり突然「吠えてみて」とお願い――もとい命令されたのだ。だから今、俺は吠えている。

 大切だからもう一度言おう。俺の気は狂っていない、正常だ。


「……」

「……なんか反応してくださいよ」

「笑うなって言ったのカイ君じゃん」

「笑う以外にも何かあるでしょ」

「ないよ。それともドン引きしたほうが良かった?」

「…いえ、そっちの方が傷つくんで、その……ありがとうございます」


 流石の朝陽さんでも今回のノルマは気の毒にと思ってくれたらしい。可哀そうにという視線がチクチク痛いけど、引かれるよりはマシだった。

 桜子さんがいなくてよかった。桜子さんに可哀そうな奴を見る目で見られたら心がズタボロになっただろうから。


「カイ君、石板の数字は?」

「あ、はい―――――――――



 <【召喚獣】のスキルボード>

 ――――――――――――――――――――

 右上:木登りをする 

    0/100回

 右下:全力で遠吠えをする(屋外で) 

    0/100回

 左下:高所から飛び降りる 

    0/100回

 左上:小鬼頭ホブ・ゴブリンを倒す 

    45/100体


 報酬:

 ・スキルボード【????????】

 ・召喚獣選択権【?】【?】【?】

 ――――――――――――――――――――


 ――――――変わって、ないですね…」



 朝陽さんに聞かれたので視線を石板に向け確認するも、当然ここはダンジョンラボ屋内なので数字が『0』から『1』に変化することはない。


「ん~これが初めての検証だったら、ここは屋内の判定を受けたんだなぁって思えるけど、昨日14屋外でも試し吠えたんでしょ?」

「…はい」

「真剣にやった吠えた?」

「自分の特技は犬の遠吠えですって言い張れるくらいのクオリティだったのでその辺は心配しなくていいと思います」

「……そうなんだ」


 昨日の遠吠えは間違いなく全力だった。周りに人がいなかったから今よりも真面目に全力で遠吠えを上げることが出来ていたはずだ。

 しかし結果はノーカウント。


「何が足りないんですかねぇ……」


 流石にダンジョン外=屋外ということはないはず。非常識極まりないスキルボードであるが、スキルボードはどこまで行ってもスキルである。

 スキルを発動することが出来るのはあくまでもマナで満たされた空間ダンジョンの中なのだ。


「取り合えず場所の条件について考えるのはよしておこう。『屋外』という言葉は意味があまりにも不明瞭すぎる」

「そうですね……てなるとやっぱり見るべきところは『全力で遠吠えをする』というところですかね」


 俺は<【召喚獣】のスキルボード>ノルマの内容が記入されている情報端末を見てうんうんと唸る朝陽さんの横に並び、それ研究者っぽく顎を擦りながら呟いてみる。ちなみに頭の中は空っぽである。分かんねぇもん。


 そんな俺の適当な呟きを拾った朝陽さんは情報端末の電源を落とし、脇に抱えてからこちらを向いた。


「いんや、それよりもまず先に『木登り』と『飛び降り』の検証をしよーよ。この二つは『全力で遠吠えをする』と同時に現れたノルマなんだ。無関係じゃないとは言い切れない。二つが分かれば残り一つもわかるかも、なんてことは十分にあり得るからね〜」

「……」


 朝陽さんの口振りから次の行動がなんとなく読めてしまったが少し心の準備をさせてほしい。

『全力で遠吠え』よりかはだいぶマシだが『木登り』と『飛び降り』も立派な変人認定行為なのだ。

 が、流石は朝陽さん。俺の内心なんて知ったことか、最低限の荷物だけを背負って廊下へと繋がる出口の方にてくてく向かい、振り向き一言。


「―――外出て木登りするよ」

「ですよねぇ……」


 真昼間からの奇行を強要されました。


 ほら、早くと急かされ俺はとぼとぼとダンジョンラボの外へ歩き出す。




 ◇◇◇




「チチチチチチ……」

 ざわっざわわっ

「クルルルル……」

 バサバサッ


「昨日どこらへんで変なことして吠えていたの?」「第14層で吠えて変なことしてました」という会話を経て、俺と朝陽さんは第14層—— 耳を澄ませば昨夜とは違う生き物たちの鳴き声がそこかしこから聞こえてくる、そんな森林地帯へと訪れていた。


 昨日、吠えながら小鬼種を狩っていた場所―――そこそこ大きな樹の前に着くと朝陽さんが俺の方に振り返り、指をさす。当然指先の方向には樹があった。


「……登れ…と」

「そ」

「ここまで来ておいてなんですけど、登ってる最中に怪物が来たらどうするんですか?背中がら空きなんですけど…」

「私がカイ君の背中を守るから心配しなくていいよ~」

「え、朝陽さんって戦えるんですか?」


(初耳だ…)


 朝陽さん、まさかの戦闘系研究者に驚きを隠せない俺。


「うん、もちろん戦えるよ。五等級だもん」

「え…?」


 しかも五等級。つまりは八等級の大先輩。


「あれ?言ってなかったっけ?」

「…はい……初耳です。朝陽さんのことはダンジョンラボに籠っているもや……非戦闘員だと思っていたので」

「今もやしって言おうとしたよね?……まぁいいや。ダンジョン研究者はダンジョンの未知の部分を調査し、研究し、発見する人のことを言うんだ。その身をもってダンジョンを知ることこそが最も重要な研究なんだよ。だから私に限らずダンジョン研究者はみんな戦える。

 多分、カイ君が想像しているのはダンジョン『学者』の方なんじゃないのかな?彼らは集積されたデータをもとにそのデータが合っているのか否かを考えるから基本外に出ないからね~。

 ま、最近の私は学者寄りの研究者だけど。だって自分で出向かずともデータカイ君の方がこちらにやってくるから、ね?」


(データって俺のことか……)


 研究者と学者の違いは依然として訳が分からないから放っておくことにして……随分な言い方だが間違ったことは何一つ言っていないし、言葉の微妙な違いはわけわかめなので苦笑いするほかない。


「…わーこれを登るのかー」


 己の無学から、そして研究素材を見るかのような朝陽さんのあのキラキラとした瞳から目を逸らすべく、俺は今から登ることになるであろう樹を下っから上へと観察する。


 高さ20数m、成人男性の肩幅2人分ほどもある幹の直径。台風が訪れようともこいつだけは倒れずに涼しげな顔をして立ち続けるであろうそんな巨体を支える太い根っこが地面から隆起しているのも見えた。


 昨夜登ろうとしたから、という理由で朝陽さんをここまで案内した俺だが果たして登れるのだろうか、いや登れないだろう。

 俺は都会っ子シティボーイである。加えて虫が大の苦手だ。だから当然、自然に触れあったことがなければ木登りなんてものもしたことがない。


「…登る木、変えていいですか?」

「別にいいけど…周りもそう変わらないよ?」

「……ですね。」


 だがしかし、俺に選択権はかった。

 俺は周りを見渡して目の前の大樹と同じような樹がこの森林には無限に、雑草の如く生えていることを確認。そして観念する。


「はぁ、登るか…」


 樹に近づき手を付ける。


 ドンッ


 そしてなるべく早く木登りを終わらすためにと脚に力を込め地面を蹴り、地上から3m付近までショートカットを試みた。


 ガシッ


「―――っし!」


 ずり落ちないように手で腕で足で股で樹にしがみ付きながらマナ吸収の力は偉大なりと目に見えぬ未知の存在に感謝する。


「ふぅぅぅ…我慢我慢…これもモテるため…モテるため…」


 俺の背中側、やや下から「あははっ何その恰好、コアラみたい!」という声とパシャパシャとシャッター音がするけど今は放っておいて…。


(問題はここからだ。どう登ろうか…)


 ショートカットすることが出来たと言っても3/20数mしか出来ていないので、20mくらいは自力で登らなければならない。が、俺は都会っ子だし熱い抱擁を交わしている相手は木登りには向かない大樹だ。手や足をかけるための枝は10m上にある。


「カイく~ん。ノルマは木との抱擁じゃなくて木登りだよ~。ほら早く~。私の時間は貴重なんだぞ~。早くしないとさっき撮った写真、待ち受けにするからね~」


 登らないんじゃなくて登れないってことを分かっている朝陽さん。俺が言い返せないことを好機!と思ったのだろう。樹にしがみ付いたまま身動き一つ取らない俺をここぞとばかりに揶揄い、煽り散らかしてくる。


「……」


 俺の桜子さん女性に対する態度と朝陽さん残念な人に対する態度の違いから普段ブーブーと文句を垂れる朝陽さん。そういうとこだよ。これから先も残念な人として接してあげよう。


「はぁ…どうしよっかなぁ……」


 朝陽さんに対する今後の態度が決まっても現状はいい方向へとは傾かない。何故なら全く関係ないから。邪魔するなよな。


 マナ吸収による身体能力の向上のお陰で数分間、四肢で防具を含めた全体重を支えていても疲れを感じることはない。何なら一時間くらいこのままでも大丈夫。

 だが、マナ吸収によって強化されいない心は別。

 この状態―――もとい木に抱き着いているコアラ状態であるという事実は相当心に来る。余りにも滑稽だからだ。

 だからいち早くこの現状を打破しなければならない。


「……ん?」


 早くこの場から動きたい。しかし、動くための術を知らない。

 考えてもどうにもならないと思い、何でもいいからヒントをという想いで視線をあちらこちらに向ける中ふと気づいたことがあった。


「めり込んでる?」


 ぼそっと呟いた俺の視線の先にあるものは程よく湿った木の皮、それにめり込む自分の指。朝陽さんに対する不満で無意識のうちに指先に力が籠っていたらしい。


(木自体を掴めれば手足を掛ける枝なんていらないんじゃ…)


 思わぬところで朝陽さんの煽りが役に立った。

 これ以上にないほど単純かつ明快な木登りの方法力技を思い付いた俺は意識して指に力を込める。


 メリ…メリメリ……


 人間離れした力が込められた指は面白いくらいにスムーズにメリメリと音を立てながら木の皮を貫通、それから木の中心部に向かって進んでいく。


「これなら十分だろ…」


 最終的に俺の指は第二関節まで大樹と一体化した。

 もう少しめり込ませることもできただろうが、これ以上はめり込ませる必要がない。めり込ませる時間があるのなら少しでも早くコアラ状態から脱却したい。


 昔、テレビで見た超人たちは第二関節までの指だけで己が全体重を支えることが出来ていたので、俺にもできるだろうと指先に再び力を集中させ、下半身から力を抜く。宙ぶらりん。


「ひゃっ」という可愛らしい声が下から聞こえてきたが無視。俺の背後に、足元にいる人は可愛い女性などではない。残念なマッドダンジョニストだ。


「ふっ!」


 右手の指を木から抜き、左指だけで全体重を支えられることを確認してから左腕で身体を持ち上げ、先ほどよりも高い位置に右手を置く。そして木にブスッ。


「よっ!と」


 右の次は左手の指を抜き、右腕で身体を持ち上げさらに高い位置へに左手を置き指にありったけの力を込めてメリメリ…ブスッ。

 あとはこれの繰り返し。




 ―――数えきれないほど片手だけで宙ぶらりんになり、下から聞こえてくる小鬼たちの断末魔を耳にした後。

 俺は大樹の頂近くに生えていた枝というには太すぎる大樹の腕に腰を下ろし―――ガッツポーズをしていた。




 <【召喚獣】のスキルボード>

 ――――――――――――――――――――

 右上:木登りをする 

    1/100回

 右下:全力で遠吠えをする(屋外で) 

    0/100回

 左下:高所から飛び降りる 

    0/100回

 左上:小鬼頭ホブ・ゴブリンを倒す 

    48/100体


 報酬:

 ・スキルボード【????????】

 ・召喚獣選択権【?】【?】【?】

 ――――――――――――――――――――



 このノルマ木登りもカウントされていなかったら、と木をよじ登っている途中に何度考えたか。しかし、その心配は杞憂に終わったようだ。

 相変わらず呑気にぷかぷかと俺の横を浮かぶ石板の変化に自然と頬が緩む。


「……達成感やべぇ…癖になりそう…」


 マンネリ化してきた怪物討伐でもなく筋トレでもない。かと言って泥団子作りのような単純作業でもないノルマ木登り


「カ…ーん!カウン……れたー?」


(…危ない危ない)


 スキルボードによって新たな扉を開くところだった。朝陽さんの声がなければ本当に危なかった。

 辛うじて聞こて来た朝陽さんの声に「ありがとうございまーす!!!カウントされましたーーー!!!」と感謝の意を込めながら大声で返事をするとそら豆大の朝陽さんはコテンと首を傾げてから、手をメガホンのように口に当て叫んだ。


「じゃー!そこから飛び降りてみてーーー!!!」

「はーーーい!!!」


 彼女のセリフはあまりにも自然なものだった。まるでそうすることが当然かのように。


 ―――故に、達成感のせいで思考が一時停止していた俺は「あぁ、ノルマのためかぁ」と特に何を考えることもなくそこから飛び降りてしまった。






「――――――え?それは流石にまずくない?」




 吹き付ける強風が地上10数mに放り出された俺に思考力を取り戻させた。

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