第3話 仮説2

 いつもの体育の時間よりも今日の義秋は明らかに足が速かった。置いていかれないよう、僕と拓也は走り続けた。そしてようやく辿り着いたのは、この小さな町で一番大きな家の前だった。

「竹腰の家じゃん」

 拓也がどこか嫌そうに呟く。眼前にそびえる大きなお屋敷は、クラスメイトである竹腰翼の家である。竹腰の家はルーツが武家にあるとかで、今も大きな会社を経営しているのだと、何かの授業の発表で竹腰本人が言っていたような覚えがある。それよりも僕が引っかかったのは。

「義秋、お前まだ同級生疑ってんの……」

うんざりしながら義秋に尋ねると、彼は唇を尖らせて答える。

「だって、竹腰くんいっつも意地悪するんだもん。今日のことだって、もしかしたら僕たちが楽しみにしてたの知ってて横取りしたのかもしれないよ」

 今回の義秋の言い分は、僕もあまり反論ができなかった。確かに、竹腰翼は漫画に出てきそうなレベルの「嫌味な金持ちキャラ」なのだ。

「俺、近所の動物園に行った話しただけで、なんかオーストラリアで野生のコアラ見た話とかめちゃくちゃ自慢されたんだけど」

 拓也が今度こそはっきりと、心底嫌そうに吐き捨てた。そうなのだ。実のところ、拓也と竹腰は大変に相性が悪い。竹腰の家は両親が仕事で忙しくしているので普段あまり会えないらしい。両親が忙しいというのは拓也の家も同じ条件である。しかし拓也の両親は、時間を作っては拓也と妹を連れて近所に遊びに連れて行ってくれている。拓也も家族で色々出かけたりした話をよく教室で僕たちにしてくれる。その時の拓也はとても嬉しそうで、僕たちまで幸せな気分になる。しかし竹腰は恐らくそれが羨ましいのだろう。拓也が家族で出かけた話をする度に竹腰のやつは大きな声でマウントを取ってくるのである。

「僕も、動物園行った話をした時に、突然竹腰君がサファリパークに行ったっていう話を

しはじめたことあるよ……」

 確かに義秋はあまり気が強い方ではないので、竹腰の被害に遭っている姿をたまに見る。僕は結構無視するので、あまり言われたことはない。だが、そういえば。

「僕も家族でドライブ行ったとか言ったら、『うちは運転手がいつもいるから、家族だけで出かけるなんてことは中々ないからなあ』みたいなこと言われたことある……」

 嫌みなセリフを思い出したからモノマネ混じりで吐き出すと、笑いのツボだったのか、2人が大きな声で笑い出した。あまりの声の大きさに、人の家の前なので声を潜めるようにと少し焦りながら指を口の前で一本立てた。

「ごめんごめん、でもお前めちゃくちゃ似てたからさぁ」

「ぶっちゃけちょっと自信あった。……でもあいつ嫌み言うくらいしかしてこないし、そんな嫌がらせみたいなことまでするかなあ」

 素直に疑問を口にすると、義秋が真剣な面持ちで口を開く。

「前、『ドラゴンウルフ』の話してたときに、アニメの監督に会わせてもらったとかも言ってたでしょ。嫌がらせとかじゃなくて、竹腰君も『ドラゴンウルフ』が好きでチョコを買ったのかも」

 じゃあ友達になれるんじゃないか。そんなことを一瞬思ったが、それでもこれまでの竹腰の言動を思い出して、ああやっぱ嫌だなと単純に思った。

「君たち、人の家の前で何をしているんだい」

 あれやこれや言っていると、急に僕たち以外の人間の声がした。声の方を見ると、今まで僕たちが話していた人物、竹腰翼が後ろに立っていた。

「中には入れないじゃないか。まあ、君たちにとっては大きな家というのが物珍しいだろうから仕方ないかもしれないが」

 前半部分は正論だったのに、なぜこいつは嫌みをつけないと喋れないのだろうか。悪いのはこちらかもしれないが、素直に謝る気にはなれなくなる。

「は、ここお前ん家だったのかよ。俺ら喋ってたから気づいてなかったわ」

「僕の名前、先ほどから何度か聞こえてきたが」

「気のせいじゃねえの。ジイシキカジョーだからなぁ竹腰クンは」

 拓也と竹腰が険悪な雰囲気になってきたので慌てて2人の間に割って入る。

「悪い、すぐどくから」

「なぁ、やっぱこいつ嫌がらせでやりそうじゃねえか。俺ら結構でかい声でチョコ買いに行く話してたし」

拓也は声を潜めて竹腰に向けた疑惑を僕に話してくる。正直、僕もこいつならやりかねないんじゃないかと思い始めてきた。

「ふん、最初からそうすればいいんだ」

 シッシッと僕たちを追い払うように手を振る竹腰に、疑惑はさらに深まった。けど、証拠はない。どうしようか考えていると、義秋がキッと竹腰をにらみつけて口を開く。

「竹腰君、聞きたいことがあるんだけど」

「なんだ、僕は君たちと違って忙しい……」

「聞きたいことがあるんだけど!」

 義秋の普段とは異なる剣幕に、竹腰もひるんだようだった。なんなら、僕たちも義秋が怖い。

 竹腰が返事をしないので状況が動かない。どうしようか。とりあえず話だけでも聞いてしまおう。そう思って口を開こうとすると、聞いたことのない女性の声で遮られた。

「あれ、翼。お友達?」

 バッとそちらを見ると、見たことがない制服を着た中学生くらいの女の子がロングヘアをなびかせて笑顔で立っていた。そのきれいな立ち姿に思わず見惚れていると、竹腰が大きな声を上げる。

「姉さん! こいつらは友達なんかじゃないよ!」

どうやら竹腰のお姉さんらしい。そういえば、目元が彼にそっくりである。しかし笑顔は竹腰がいつも浮かべているあのニヤニヤとした嫌みなものではなく、人の良さそうな笑みであった。

「そんな言い方するから、あなた友達いないんじゃない」

 お姉さんの直球の指摘に、思わず僕と拓也が吹き出すと、竹腰は黙ってろとばかりの鋭い視線をこちらに向けた。

「初めまして、竹腰咲希といいます。翼のクラスメイトの子かな? いつもお世話になっています」

「お世話になんてなってないよ」

 ツンとそっぽを向いて言い放つ竹腰に呆れたようにため息をついて、咲希さんは僕たちに「ごめんね」と言った。

「せっかくなんだし、うちにあがってもらいなさいよ。ここで話しているのもなんでしょう」

「こいつらを家に上げる道理はないよ」

「あなた、普段そんな言い方しないのに。クラスでどういうことをしているのよ」

「う……」

 咲希さんの指摘にうまく竹腰が答えられない内に、彼女に手招きされ、僕たちは初めて竹腰の屋敷に足を踏み入れた。

 門をくぐって、まず驚いたのは庭の立派さだ。庭の中に小川がある家なんて本当に存在したのか。思わずキョロキョロとしてしまった僕たちに対して、竹腰はまたもや

「物珍しいだろうから仕方ないけど、失礼にもほどがあるからな」

と噛みついた。咲希さんに睨まれたため竹腰は黙ったが、彼の言うことももっともである。罰が悪くなった僕らは顔を見合わせ、先導してくれる咲希さんの後ろを黙って歩いた。建物に着くまでの間、竹腰は時折嫌みを並べ立てたが、その度に咲希さんに「翼?」と叱責されていた。学習すればいいのに。

「お帰りなさいませ。咲希様、翼様」

 出迎えてくれたのは恐らく「執事」と呼ばれる人であろう。あまりの現実味のなさにクラクラしてきた。しかし咲希さんは手慣れた様子で、しかしとても嬉しそうに

「ただいま帰りました。あのね、翼がお友達を連れてきたの。客間に通してくださる?」

と言った。執事の人は表情を変えずに「かしこまりました」と応え、僕たちを招き入れてくれた。

「あの、突然すみません」

 人の家に行く時は、必ず電話なり何なりで事前に伝えておくものだ。突然押しかけてしまったことを謝ると、執事の人は前を向いたまま、しかし少し嬉しそうな声色で返事をしてくれた。

「いいえ、我々にはなんの問題もございません……それに、翼様がご学友をお招きするなど、初めてのことでございますので」

 なるほど、だから咲希さんもこの人もどこか歓迎してくれているのだ。しかし、竹腰と僕たちは実のところ友達ではない。今更後には引けない僕たちは、居心地悪く3人で目を合わせた。

「こちらでお待ちください」

 そう言って案内された部屋は、僕たちの家の1階部分が丸々入ってしまうのではないかと思うほど大きかった。非日常の空間に思わず声が漏れる。

「広いな……」

「まず、天井の高さに俺は驚いてるよ」

 義秋などは怯えてしまったのか声も出さずに固まっている。どうすればよいのか分からずに立ちすくんでいると、白いエプロンを身にまとった女の人がオレンジジュースをグラスに入れて運んできた。テーブルにグラスを置いていってくれたので、おずおずとそこに座った。

「竹腰になんて聞くの」

「てか俺らあいつの友達みたいになっちゃってるけど。違うって言ったらお姉さんも他の人も悲しむよな」

「それ、どうしようね」

 義秋は未だ口を開かない。じっと目の前に置かれたグラスを見つめている。竹腰の家まで走ってきたのは義秋なのに、どうしてここでビビってしまうのだろう。そんなことを考えていると、先ほどの女の人が入ってきたのとはまた別のドアが開いた。ドアの向こうに立っていたのは、言うまでもなく竹腰翼である。

「本当は、君たちなんて家に入れたくなかったんだけど」

「俺らも別にお前と遊びに来たわけじゃねえよ」

 売り言葉に買い言葉で、拓也が竹腰に言い返す。拓也のとげとげしい言葉に、僕の気のせいでなければ、竹腰はどこか傷ついたような顔をした。が、すぐにいつもの調子で口を開く。

「大体何だい。君たち楽しそうにチョコがどうのと教室で騒いでいたじゃないか。あれはどうなったんだ」

 なんと、僕たちから聞かなくても、向こうから言い出してくれた。ここだ、とばかりにこちらも応戦しようとすると、隣におとなしく座っていた義秋が身を乗り出した。驚いて、拓也と僕は口をつぐむ。

「『ドラゴンウルフ』のチョコ、この辺ではどこも売り切れだったんだけど」

「は? ……いや、それは残念だったねぇ」

 義秋が竹腰をにらみつけながら、少しだけ誇張した状況を訴えると、竹腰は少し動揺したもののいつもの嫌みな調子で応えた。

「竹腰君、いつも僕たちに意地悪するけど、まさか、買い占めなんてしないよね」

「意地悪なんてした覚えはない!」

 竹腰が出した大きな声に、僕たち3人は思わずひるんだ。竹腰が質問に答えてくれなかったことよりも、もっと大きな疑問が浮かぶ。

「あんなに嫌みったらしく色々言ってきといて、それはねえだろ」

「僕がそんなことするわけないだろ」

 どこか泣きそうになりながらそんな主張をする竹腰に、首をかしげる。どういうことかさっぱり分からない。

「翼、私の部屋にまで声が聞こえているわよ」

 あまりにも竹腰が大きな声を出したからだろう。咲希さんがひょっこりとドアから顔を出した。そして気づく。この状況はやばすぎる。人の家にいきなり押しかけてきておいて、この家の子である竹腰を泣かせるとか。完全にいじめの構図じゃないか。どう言い訳しても許される気がしない。3人でうろたえていると、咲希さんは眉を下げて、申し訳なさそうに笑った。

「ごめんなさいね。この子、人とコミュニケーションとろうとするとナチュラルに失礼になるのよ」

「姉さん、なんだよそれ」

 グズグズと鼻声で竹腰が反論するが、それは耳に入ってこなかった。それよりも咲希さんが言った内容の方が気になる。

「あれ、意地悪しようとしてたわけじゃなかったのか……」

「そんなん分かるわけないじゃん」

「それからね、この子には買い占めは無理よ。翼が月に自由に使えるお金、同学年の子達とそんなに変わらないくらいしかお母様が渡してないもの」

「そう言えば、誕生日とかクリスマスくらいしか、なんか高いもの買ってもらった自慢はなかったね……」

 3人で哀れむような視線を送ると、竹腰は「うるさい!」と完全なる涙声で怒鳴った。しかしもう虚勢をはっているようにしかみえない。逆に、正常なコミュニケーションを知らない彼のことが、一周回って可哀想になってきた。

 「もう知らない」と言って自分の部屋に引っ込んでしまった竹腰の代わりに、咲希さんが屋敷の外まで出て見送ってくれた。そして僕たちにそっと耳打ちをする。

「あのね、翼はあなたたちのことをよく家で話に出しているのよ。親友同士って感じで見ててうらやましいって。多分だけど本当は仲良くなりたいのよ」

 予想外の言葉に困惑する。眉をハの字にしながら「あんな子だけど、よろしくね」と笑う咲希さんに手を振って竹腰家を離れた。今後は竹腰ともそれなりにうまくやれそうな予感がする。そんな訪問だった。だが、しかし。

「なんの解決にもならなかったんだけど」

「なんか無駄に疲れちまったな……」

 拓也と2人で徒労の元凶である義秋を見つめると、義秋はまだ何かを考え込んでいた。おい、まさか。

「もしかして……これは僕たちに対する挑戦なのかも」

 今までも突拍子がなかったが、さらになんの脈絡もなく出てきた話に絶句する。こいつまだ何か想像しているのか。拓也と顔を見合わせる。そろそろ本気で義秋を止めようと彼に手を伸ばしたところで、よく知った声が聞こえてきたため手を止めた。

「おーアキ、浩樹と拓也とまーた遊んでんのか」

「兄ちゃん!」

 声の主は義秋の兄の義則であった。ようやく義秋の保護者が現れた。そうほっと胸をなで下ろしたが、続く義秋のセリフにまたギョッとさせられる。

「兄ちゃん、もしかしたら……『ドラゴンウルフ』のチョコレートなんてこの世に存在しないのかもしれない」

 神妙な顔で言い放った義秋に、僕たち2人はともかくとして義則まで動きを止める。義秋の想像、いや妄想は一体どこまでいってしまうのだろうか。

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