第20話『影ノ夢』
「次はこの手か……」
得体のしれないまるで大人の手に見える物があった。手首から指先まで存在するその物はいつになく生々しい。物的証拠があるにもかかわらず、残念ながら人がいた痕跡は他には確認できていない。言えることは、黒い火炎で飲み込まれた中に、どういうわけかいたんだろう。
手だけを見れば、おおよそただの人のようにも思える。
「影化!」
次の瞬間、聞こえた声は怨嗟だ。地響きのように体へ震動として伝わるような感覚を覚える。体内をくまなく巡り、呪う声がいくつも聞こえてくる。重なる呪いの声の渦中にいるような感じだ。いうならばトンネル内で複数の男女の声が入り混じり、反響するかのように呪いの声が響き重なる感覚だ。
こいつは人を喰らい体の一部を残しておく、奇妙な奴であることが感覚的にわかった。
ただこんな場所では人にありつけるはずもなく、どうやっていたのか疑問だ。少しばかり記憶の一部を垣間見ると行動範囲はかなり広く、人のいる村や迷宮にも赴いていたことがわかる。どうやらここにいた理由は、単に迷い込んだだけのようだ。
キツイ……。
追随体験とはいえ、精神構造が異なる奴はこの怨嗟を原動力にしている。体内である程度の間、生かした状態にして、怨嗟を養分として吸っているのは驚きだ。俺は人である以上、この怨嗟をもろに受けてしまいかなり厳しい。一言でいうなら怖い話を見聞きした後、”背後に気配を感じてしまう”アレを今体感している。さっきの手は、食われた奴の手であることが感覚的にわかった。
いつもの体験のはずが俺自身も怨嗟の一部になりかけるほど、心がぐらついた。何度振り向いても、背後にいると感じる気配が消えない。仮に精神が人の形をしているなら、俺はもうひざまづいているところだ。
このままだと、まもなく倒れてしまうだろう……。
怨嗟を養分にして動くこの奇妙な魔獣は、なんなのか知る由もない。ただ一体化してわかることは、たしかに原動力にしていることが明確なだけだ。考えや意識、他にも感覚という物は何か検討がつかない。
この状態をきっかに今までの心労が一気に吹き出してきた。何度も味わうリアルな死の追随体験。すでに限界を超えていたのはわかっていた。少し弱気になっていた俺の心にこの怨嗟は、相当強く感じるものがある。心の内側からくる積もり積もった疲弊と、外側から抑え込まれる呪いの言葉で俺はもう動けなくなっていた。心身ともに疲弊している時のため息ほど、重いものはない。
影化をしているはずが、反対に影に食われることが起きつつある。
そうなった場合、何が起きるのか俺には予測がつかない。ゆっくりと心が侵食されていくかのような感覚と負の呟きに埋もれつつある自分を、俯瞰して見ているような状態になっている。現実を逃避するかのように暗闇の中に身を沈めていくと、奥底に金色の粒子がまばらに煌めく場所があった。
目を凝らして見てみると、そこには項垂れてしゃがみ込む人の姿がボンヤリと見える。ところが、声をかけようにも声は出ないし、近づこうとしてもなぜか距離を縮められない。一歩近づくとその分離れてしまう。そのためまったく距離が縮まらないのだ。
様子を見ようにも俯いていて表情は窺い知れないし、横の姿を遠目で見ているものだから詳しいところまではわからない。
ただ紛れもなくあそこにいるのは俺だと”以前の俺”という認識がなぜかある。”以前”と思うのはなぜなのか、理由はわからないし検討もつかない。
今いえるのはどうしようもないぐらいの憎悪が頭と胸の奥深くから湧き起こり、滝のような勢いで止められない。急激な心の変化は、どこかあの近づけない”以前の俺”と同調しているような気がする。
そのこともあってか、他者の怨念など簡単にはねのけるどころか、何もしなくても何ともないぐらいの状態にまで落ち着いた。
一体何なのか……。
さきほどのかなりピンチだった状態から抜け出して少し安堵するものの、よくわからない状況に置かれているのは変わりない。ただドス黒い憎悪は、かわらず緩やかにまるで雪のように積雪していく。
そう思っていると辺りの景色が一瞬で一変して、”黒い雪”が十センチほど降り積もった中で立ち尽くす。色だけが黒くなっただけで、他には変化が見られない。時間だけがただ過ぎていくだけで、何も代わり映えしない所に変化が少しだけ訪れた。
――俺を見ているのか?
うなだれた頭が、こちらに顔をゆっくりと向けている。ただただ無言のまま、見開いた目が俺を突き刺す。思わず後ろにたじろぐほどだ。”以前の俺”とやらは何を俺に伝えたいのか……。当人が放つ憎悪は、俺に向けている物でないことは、感覚的にわかった。この強い気持ちは、なんらかしらの訴求のように思えてならない。
「何を……。何を伝えたいんだ?」
返答がないであろうことは、わかってはいても聞かざるをえない。何も返答がなく時間だけが過ぎていく。すると次第に、視界が霞むのか周りが消えようとしているのか見え方が変化していく。
その中で、何か口が動いているように見える。読唇術など持ち合わせていない。それでもゆっくりと動かしてくれていたので、どこか言葉が見えてきた。
”め・が・み・に・あ・ら・が・え”
「女神に抗え? だと?」
俺がその言葉を吐くと、大きくうなずき霧散するように消えていく。一体何なのだろう。俺には疑問しか残らないし、なんで俺が俺にいうのか……。確か”女神の……運命に抗え”という言葉は三代目グラッドが覚えていた言葉だ。
また異形の者の視界に戻ると怨念が降り注ぎ、狂いそうになる。
誰も俺を助けることはできないし、苦しみを分かち合うこともできない。唯一できるのは影として死者を蘇生するだけだ。その影化は相手次第で実体化もできる。ところがこの異形の者については、追随体験の最初の段階でつまずいている。
影に食われているといっても不思議ではない。俺に仕留められるまでのわずかな時間のはずが、さきほどからとんでもなく時間がかかっているような体感を覚える。まったくもって先に進まないからだ。
今ふたつのことが同時に進行している。追随体験と過去の俺と思われる者からの言付けを受け取る。両方のことで少し混乱している。
揺れ動く精神の状態になり受け止め過ぎた怨念は、とうとう俺には耐えきれなくなり、この追随体験の途中で意識が途絶えてしまった。
――目
見開くとそこには、紅紫色の虹彩が見えた。心配そうに六花とリリーが俺の顔を覗き込むようにしていたからだろう。
「すまない……。今戻った」
「ジン、心配したんだよ……」
「ジンさま、よくぞご無事で」
いつもと様子が違ったのだろう。俺自身も困窮していたから尚更だ。影化自体はできたものの本能で蠢く”物体”になってしまう。他に何も魔法スキルを得ることもなく終わった。
今回、唯一奇妙なことは”俺自身”に遭遇したことだ。なんの根拠も確証もないまま、俺であることが直感的にわかった。遭遇自体は、どうというわけでもない。深層心理が表立って出てきただけかもしれないと安易に考えていた。気になるのは、”女神に抗え”だ。三代目グラッドが覚えていた言葉は”女神の……運命に抗え”
このふたつの言葉から察すると、いずれも女神が基点で何が起きてしまい、抗うよう示唆している。
俺の記憶にある限りだと、ネクロマンサーになるときに願いを伝えた相手としてしか認識がない。ましてや崇拝しているわけでもない。単なる象徴でしかないと思っていた。
だからこそ、そこまで気にするような相手でもないし実在するわけでもないと考えていた。ところが実際は、どうやら違うような様相を見せている。追随体験時に見えた俺自身の様子から、必死に何かを伝えようとしていたのはわかる。あの様子からして、実在する前提で考えた方が良さそうにも見える。俺は何を危惧しているのか今はまだわからない。とはいえ、新たな脅威として考えておくべきかもしれない。
一体女神と何があったのか……。
俺は疲弊した心と体を引きずりながら、洞窟の奥を見つめた。
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