第19話『黒炎魔法黒華』
「黒華!」
俺の真っすぐ伸ばした腕に大きく開いた手のひらからは、限りなく黒に近い濡羽色をした火炎が一直線に吹き荒れる。数十人で囲むキャンプファイヤーを思わせるほどありそうな火炎は、小さな手のひらから放たれたとは思えないほどの威力を見せた。
この魔法が正真正銘の”黒炎魔法黒華”だ。リラから獲得した黒華はもっぱら俺にとっての最大の武器だ。
練習がてら中空で放っているため、周辺を焼くことはない。ただし、圧迫感に似た何かを肌で感じ取れた。次に皆が寄らない右側の壁に向けて軽く放つと、一瞬で壁が蒸発して大穴が開いてしまう。
この魔法は、リラが生前に幼少の時から訓練をし続けて、ようやく放てるようになったと聞く。その苦労を聞くとほんとに俺の影化はある意味ズルに近い。相手がどんなに苦労して習得した物でも、追随体験さえすれば短時間で獲得ができてしまう。
軽く追随体験と言っても純粋に死を味わう必要があるので、決して楽な道ではない。
どういう精神を持っていれば耐えていけるのかはわからないけど、今の俺は平気そうに見えても発狂する一歩手前に近い。一日に何度も繰り返すと今が現実なのかそれとも追随体験している最中なのかわからなくなってくる。だとしても影化するのは、止めることはなく続けようと思っている。蘇生スキルを得るという最大の目的があるからだ。今は可能な限り生き残れるよう少しでも多くのスキルは欲しいと思ってきた。
ただ現状の戦い方だと高火力一辺倒になる恐れがあり、応用も工夫もできていない。使いこなすところまで踏み込めていない。せめてリラから受け継いだ黒華だけは、使いこなせるようになりたいと思っていた。
スキルは多く欲しいでも、応用も工夫もできない中で出せる答えはシンプルだ。”やれることはすべてやる”その上でなら、後悔はしないだろう。必死にやるのだから、やり残しはしたくないと考えていた。
ぼんやりと考えている中、先ほどまで多少リラに膝枕をしてもらったおかげか、疲れは大分取れている気がしている。たとえ体験が錯覚だとしても、まだこの先も続く追随体験に耐えられさえすればいい。ほんの少しだけ、決意を新たに真っすぐ前を見つめた。
俺の意気込みを知ってか知らずかまたしても、魔獣が這うようにして正面から複数体がやってくる。高火力はよいものの一つだけ難点なことは、跡形もなく消し去ってしまうとそこから影化ができない。最低でもある程度の大きさの体の一部が必要だ。
「黒華!」
今回影たちには、待機してもらっている状態だ。黒華の加減をして魔獣の群れに放つ。力に敏感な者たちばかりなのか、放つその直前から回避行動に出る者もいた。さすがにこの魑魅魍魎の巣窟となっているこの地下洞窟では、魔力の機微を察知して動けるからこそ今を生き延びたんだろう。そうでないと過酷な世界では生き残れない。
威力を落とすことで意外なことを発見したのは、音と匂いだ。可能な限り高火力で放つと一瞬で消え失せてしまうため、音も匂いもほぼない。ところが、火力を下げるほど焼き尽くす音と焼かれる体の匂いが充満する。当然この場所には風など無いので、匂いが落ち着くまで相応の時間がかかる。
残り香が濃ければ濃いほど、再び魔獣たちはわらわらと集まってくる。
魔獣たちに統率もなく、己の利欲のためだけに行動する本能の個体たちばかりだからだ。そこに知性という物は、欠片の一つもない。
力加減をしたとはいえ、目の前の残骸を見る限り相当な数だと思う。その分の追随体験をこれからすると思うとゾッとする反面、意外なスキルを得る可能性に期待もしたくなる。当然何も得られずに追随体験で苦しむだけで獲得が何もないこともザラにある。
ただその状態でも影化はされるので単純に配下は増える。
まだいる生き残りに向けて黒華の方向を変えた。その瞬間、驚くあまりに体が硬直したのは、相手にとって悪い選択で俺にはよい選択だ。驚いた隙を狙い一気に燃え尽くした。俺のこの魔法は、直線だけなく意思を持ったかのように方向を自在に変えられる。
初見ではかなり驚異に映るだろう。仮に知っていたとしても避けるのは至難の技だ。
残り数体いた魔獣もこの方向転換する黒華に狙いうちされ焼かれ絶命した。そして俺はこれから焼死を追随体験で味わう必要がある。自分でとどめを刺した行為があらためて自身に振り返ってくるのは、なんとも居た堪れない。
影化の前に、辺り一帯を影たちに探索してもらい敵対する者がいないことを確認してから影化に挑む。
「なん……だ? この……感覚は!」
今までに無い異質な感覚を味わっていた。たしかにこの感覚は相手側から見た俺に対しての物だ。俺を獲物と定めて突き進んでいることがありありとわかる。ところが何かおかしい。魔獣の内側にいる精神体である今の俺に、侵食しようとしている。”過去”の挙動をなぞっているに過ぎないはずなのに、今のことのように起きている。
魔獣は過去の俺に向けて攻撃をしようと躍起になっている。この状態は、すでに起きたことに対して、視点を変えて見ているだけで何も問題はない。そのはずなのにリアルタイムで変更が起きるとは、一体どういうことなのか、まるでわからない。
ハッキリしているのは、そもそも魔獣は本能でしか動かない。ゆえに、単に条件反射として異物を除去しようとしているだけとも考えられる。外側から見てもこの内側のことは知る由もないため、過去どうだったのか明確な答えは出せない。
いずれにせよ、どんな状況であっても過去の出来事は変えられないため、追随体験はそのまま進行していく。
――終わった。
一瞬だった。俺が放つ黒華に俺自身が追随体験として飲み込まれ消滅したのだ。たしかに、あの黒い火炎はどうやっても避けきれない。狙われた時は、来たと思う瞬間に飲み込まれて意識を失うので、当人がやられたのかどうかまで気が付けない。
体験してわかることもある。リラの黒華はすざまじい。
かつてこの黒華の使い手は、かなりいたそうだ。単体でも国の軍隊とも渡り合えて、殲滅してしまうほどの手練れもいたと聞く。ところが女神の軍勢に一人ずつなぶり殺しにされて、リラの師匠だけ辛うじて生き延びたという。
話を聞いた当時は気がつかず単にすごいとしか思わず聞き流していた。今は、どこか違和感を覚えている。その最もたるものが、”女神”というキーワードだ。
たしかに俺は転職時に女神に祈った。そしてこのネクロマンサーになったのも天啓だと思うし、俺自身の望みだ。そのはずなのに、心の奥底で何かが蠢く。
例えようもない”怒り”に近い感情だ。なんでなのかわからない。”記憶にない”以上は、どうにも深掘りはできない。
ぼんやりと考えていると俺の腕をよじ登る存在に気がついた。黒いリスだ。先の魔獣がリスだとは思いも寄らない。しかも俺に妙に懐き肩を定位置にしたいのか、バランスよくこじんまりと座り離れない。
「にゃ〜」
「え? リスがニャーだと?」
「ジンさま。その魔獣が新たな仲間ですか?」
リリーが目をキラキラさせながらやってきた。どうやら可愛い物には目がないようだ。
「ジン〜。何その丸っこいのー?」
六花もよってくる。自身が白い狐なので、少しライバルと思っていたらおもしろいけど、そうではなかったようだ。まじまじと顔を寄せ何かを探る。
「六花? どうした?」
「ん〜。この子なんか妙?」
「たとえば?」
「今はわからない……」
「そっか。わかったら教えてくれよ」
「はーい」
気が済んだのか、また近くで座りぼんやりしている。それにしてもここまで懐くなら、名前をつけた方がいいかもしれない。
手のひらに乗せて顔を向き合い会話にならないものを試みる。握り拳程度の大きさでダークグレーの毛並みをした見た目はリスその物だ。つぶらな瞳が可愛らしい。それにしても鳴き声が特異だ。
「リスが猫のようになくなら、”ニャリ”でどうだ?」
我ながらひどいセンスかもしれない……。
「ニャー」
「その鳴き声は、賛同として受け取っていいんだな?」
「ニャ〜ニャ〜」
どこか同意しているように感じる。猫の鳴き声をもつリスというのも奇妙な組み合わせだ。すると同意を得たと言わんばかりに、また俺の肩へと素早く移動してしまう。
なんだか今疲弊している俺には、少しでも癒しがあるのは助かる。軽くニャリの頭を撫でながら、次の魔獣の追随体験をはじめた。
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