第104話 逃げるが勝ち

 ドンドンドン!


 扉を叩く音が大聖堂の静かな廊下に響き渡る。あちこちから何ごとかという視線が送られてくる。


「開けてくれ!」

「頼む、俺を治してくれ!」

 

 ドンドンドン!

 

「落ち着いてください!そのような状態では治療は続けられません!」

 シュリが緊張した面持ちで扉を背中で押さえながら声を上げる。

「皆さん、落ち着いてください。」

 治療室の中から祭司の声も聞こえてくるが、治療を求める声にかき消されている。

「落ち着いてるよ!」

「どこが落ち着いてるってのよ!?」

 治療室では患者たちだけでなく、ティアも興奮しているようだ。


 俺と一緒に治療室から逃げ出した若い細身の祭司と、どうしたら良いのかとお互いに顔を見合わせた。しかしお互いに答えは持っておらず、シュリの隣で一緒に扉を押さえた。

 

「シュリ、俺……。」

「早くコーヅくんを安全な場所へ!」

 何ごとかと集まってきた祭司や修道女はシュリの指示にオロオロとしている。

「早く!」とシュリのいら立った声に「は、はい!」と俺の隣で細身の若い祭司が返事をした。

 そして俺を促すようにして大聖堂の奥に向かって進んだ。この辺りは一般の人が立ち入らないエリアのようで通路に棚が置かれていたり、壁に貼り紙があったりした。

 若い祭司が立ち止まると「ここなら多分大丈夫かと思います。」と言って通してくれた部屋は小さな資料室のようだった。普段は使われていないようで埃や紙、獣のような匂いで満たされていた。

「皆どうしちゃったんですか?」

「我々では症状を和らげることしかできない人たちが、あなたに治療して欲しいのだと思います。」


 俺のことも命を取り止めるところまでだったし、症状が重くて完治するには至らない人たちなんだろうか。


「俺はどうしたらいいですか?」

「落ち着くまでこちらでお待ち下さい。」と言い残して部屋を出て行く若い祭司の表情は緊張からか少し強張っていた。


 俺は言われた通りに部屋で待つこととし、部屋の端においてある埃を被った椅子の座面を手で払うと思わず咳き込んだ。

 部屋には宗教に関する本や資料が無造作に棚に置かれていた。余計なことをしないように、大人しく座ったまま、時間が過ぎていくのを待っていた。

 外からは何の音も届かず、どこか隔離された違う空間にでも居るように思えた。

 やがて複数人の足音が近付いてきた。椅子から立ち上がると扉に耳を付けると外の様子を伺った。

 足音は落ち着いたリズムを刻んでいるので、きっとシュリたちだろうと思って椅子に戻って腰掛け直した。


 ガチャリ


 祭司を先頭にシュリ、ティア、イザベラと4人が入ってきた。若い祭司も部屋の中に入ろうと覗いたが、スペースを見つけられずそのまま外に残っていた。


「いや、まいったわ。」とティアはパタパタと手うちわで首筋を仰いでいる。

「コーヅさんが創造神様の御使いになってたよ。」とイザベラは笑っている。

「それは……いけませんね。コーヅさん、くれぐれも勘違いなさらぬように。」

 祭司の俺を見る目が光る。

 いやいや、俺は何も言ってないし!と慌てて首を振った。

「それにしても、あんなに元気なら治療要らないじゃないね。」とシュリは疲れ切ったため息をついた。

「人間の欲望というものは怖いものです。」

 祭司は寂し気な笑みを浮かべて俺に向き直ると「これからなのですが。」と口を開いた。そして言いにくそうに「申し訳ありませんが、今日はあと1人だけお願いできませんでしょうか。」と頭を下げた。

「分かりました、いいですよ。」と軽い感じで答えると祭司はホッとした表情を浮かべた。

「ありがとうございます。」

 祭司は一度部屋を出ると外に居る若い祭司に治療用の部屋を整えるように指示を出した。

「それにしても本当にコーヅさんの力は素晴らしいものです。」

「やっぱり腐ってもAランクって違うのね。」とティアはため息交じりに腕を組んだ。

「Aランクだと!?」と俺を振り返る祭司の目からは普段穏やかさを装っている祭司の地が少し見えた気がした。

「あれ?言ってなかったかしら。」とティアはすまして答えた。

「聞いてませんよ、ティア……。」と祭司は脱力していた。


 そこへ若い祭司が別室の準備が整ったことを伝えに戻ってきた。

「それでは参りましょうか。」と祭司に促されて部屋を出た。そこでも俺は前後を挟まれるように守られながら向かった。

 準備をしたという部屋は祭司室の隣だった。部屋の中に入っても部屋には何もなく椅子が2脚置いてあるだけだった。外観の壮観さに引き換え、どこの部屋もとても質素だ。


「ここは使われていない祭司室なんです。」と若い祭司の方が教えてくれた。

 俺が椅子に座ると、シュリとイザベラは部屋の外に立ち、ティアが俺の横に立った。準備が整うと部屋の中は緊張感をまとった空気で満たされた。一体この状況でどんな患者が来るんだろう?


 やがて1人の身なりの良い男性と、支えるように付き添いの人が祭司と入ってきた。身なりの良い男性の体は痩せ細り、顔は青白く時折咳き込んでいる。


「コーヅさん、この方をお願いできますか?2年も通って頂いているのですが、私たちでは一時的に体調を戻すことしかできないのです。」

「分かりました。」と答えたものの、こんな症状が重たそうな人とは思ってなかった。しかしこんな辛そうな人を前にできる、できないではなく覚悟を決めてやるしかない。

「よろしく」ゴホッ「お願いします。」と付き添いの男性が介助されてゆっくりと腰かけた。


 俺は男性の膝に手を置いた。病気の治療は初めてだ。この人を治せるなら生地屋の店主で病床に臥せっているオリヴェルだって治せるのかもしれない。そんなことが頭の片隅をよぎった。ただ今はこの男性を治すことに全力を尽くさないといけない。そもそも治せるかどうかなんて分からないんだから。一度頭を振って余計なことは考えず、意識を目の前の男性に向けた。

 俺は目を閉じると魔力を流して男性の体の状態を探っていった。腹部付近にすごく強い違和感がある。何だこれ?そしてその強い違和感のためにそれ以外に何か悪い箇所があるのか掴みにくい。

 俺は一度魔力を止めて顔を上げた。

「お腹辺りが調子悪いですか?」

「はい。腹痛や咳に悩まされています。」と男性は声を絞り出すようにして答えた。

 まずは腹部を治療してみることにした。俺は「失礼します。」と腹部に手を当てた。弱っている体なのでとにかく体に負担を与えないようにと微弱な魔力を丁寧に流していった。大きく強い違和感の塊の薄皮を剥がすように、少しずつ少しずつ丁寧に治療を続けた。

 しかし塊が大きすぎて思うようには治療が進まない。でも焦って一気に魔力を流すようなことは絶対にやってはいけないと思う。

 俺は一度魔力を止めて、「ふぅ……」と、一息ついた。男性は腹部を触りながら怪訝な表情をしている。


「すみません、まだ治せていません。少し休憩させてください。」

「でしたら、お昼も近いですし、食事を用意しましょう。」と祭司が若い祭司に目配せする。若い祭司は頷くと静かに部屋を出て行った。

「腹痛はかなり辛かったんじゃないですか?」

 俺は気分転換にと患者の男性に話しかけた。

「そうですね……。元々は太り気味でしたが、今はこのような有様です。」ゴホッ「食べるとほとんど吐き出してしまうんです。」


 その辛さを思えば少し疲れたからと休憩している場合じゃなかった。俺はもう一度腹部に手を当てて魔力を流していった。


「休憩はいいの?」とシュリに聞かれたけど、「うん、食事が届くまでね。」と答えて治療を続けた。

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