第103話 大聖堂再訪
ハックシュン!
薄暗い部屋の中、俺は寒さで目を覚ました。俺の上には何も載っておらず、薄っぺらい布団はベッドの脇に落ちてしまっている。起き上がると芯から冷えた体がブルっと震えた。そしてまずは体が動くことを確認した。痛みも動かしにくいところも無い。一通り確認を終えるとホッとひと安心した。
カーテンを開けて窓から見える街は昇ろうとしている太陽に薄明るくされているが、灯りはほとんどなく人の姿も無い。鳥のさえずりだけが街の音だ。窓を開けてみると「さむっ。」と言葉が漏れてしまうような冷たい風に頬を叩かれた。俺は慌てて窓を閉めた。
もう季節が変わるんだな。この街はどこまで寒くなるんだろう?雪って降るのかな?そんなことを考えながら寝室からリビングに向かった。リビングではシュリとイザベラが布団を並べて静かに眠っていた。今までの看病で疲れてるよね、きっと。俺は起こさないようにそっとドアを締めて寝室に戻った。
―――
「コーヅ、いつまで寝てるの?」
ハッと目を覚ますと、ティアが腰に手を当てて俺を見下ろしている。
「ティアちゃん、まだ病み上がりなんだから。」とシュリの声がティアの後ろから聞こえてきた。
「そうよ、寝たいだけ寝かせてあげようよ。」
「ごめん、大丈夫だよ。二度寝しちゃったんだ。」
あの後、布団を被りなおしてベッドに潜り込んだら、そのまま寝てしまったようだ。
俺はのそのそと起き上がると、女性たちを部屋から追い出して急いで出かける支度を済ませてリビングに入ると、既に朝食がいつもの俺の席に準備されていて、しかも温めてくれてある。
「ありがとう。」
俺は礼を言うとパンとスープだけを食べてステーキには手を付けなかった。病み上がりで朝からステーキとか俺には無理だった。
玄関先ではアルベルトが「本当に治ったんだな、おめでとう。でもまだ無理すんなよ。」と見送ってくれた。
そして訓練場を抜ける時は訓練中の何人かが手を挙げて挨拶してくれたので、俺も同じように手を挙げて挨拶を返した。砦の門では門番の衛兵にヘッドロックをかけられグイグイと締め付けられながら「良かったなぁ。」と手荒に祝福を受けた。その様子にはシュリが慌てて「止めて!まだ病み上がりなんだから。」と衛兵から離してくれた。
「でも、ありがとう。またちょいちょい街に出ていくからよろしくね。」と俺は髪の毛を手櫛で簡単に整えながら返事をして、街に向かって踏み出した。
深い蒼色の空で雲が見当たらない。しかし陽射しはさほどに強く感じられずポカポカとした心地良さがある。これから向かう大聖堂はアズライトの中心部にあり、砦からはそこそこ距離がある。
「ねぇ、アズライトって雪は降るの?」
「少し降るわよ。あんまり積もらないから困る事はないけど。」とティアが教えてくれた。
「何年か前に積もった時は衛兵が総出で道の雪を溶かして歩いたわよね。」とシュリが懐かし語ると、「あったわね。私はまだ衛兵じゃなかったから見てるだけだったけど。」とイザベラが答えると「なんかトゲを感じるんだけど。」とシュリがイザベルの脇腹を突付いて笑っていた。
大聖堂までの細かな道は覚えていないけど、時折大聖堂の頭が建物の間から姿を見せるので感覚的に方向は分かる。
「歩いてて痛いところは無い?大丈夫?」
「ありがとう、大丈夫だよ。」
時折シュリが体調を気遣ってくれる。しかしヒールとは優秀なもので本当にどこも痛くない。これじゃ医療は発展しないなと思った。
街の中心部に向かう広い通りをのんびりと歩いていると大聖堂に着いた。敷地が広いので空も広く感じられる場所だ。その中をティアを先頭に進んでいく。大聖堂の入り口の扉は大きく開かれていて、その正面にある横幅の広い階段を上って中に入った。
大聖堂のロビーは広く天井も高い。ティアが近くに立っている女性に声をかけた。
「おはよう。祭司様に会いに来たの。」と知った感じでティアが声をかける。
「おはよう、ティア。あの後は大丈夫だったの?」と心配そうに聞いたが、ティアは少し気まずそうに「えっと、まぁ、お陰様でね。ははは……」と乾いた笑いを交えて答えた。
すると修道服を着た女性がティアに気付いて声をかけられた。事情を話すと「ああ、あれね。」と納得して祭司の部屋へと通された。
廊下ではティアを見知った人たちとすれ違うたびに軽い挨拶を交わしていた。大聖堂で働く人には修道服の人だけでなく、私服で働く人も居るようだ。
コンコンコン
修道女が祭司の部屋の前まで来ると静かにドアをノックした。
「どうぞ。」という落ち着いた声が聞こえた。
「失礼します。」と返すと修道女が扉を開けると、俺たちを部屋へ通した。そこは本棚に数冊の本があり、安っぽいテーブルと椅子が置いてあるだけの殺風景な部屋だった。
「おはようございます。コーヅさんは無事に回復されたのですね。」と言うと祭司は頭を少し下げ両手を組んでブツブツと短く何かを唱えた。そしてそれが終わると顔を上げて、穏やかな微笑を浮かべて「どうぞお掛け下さい。」と椅子を勧めた。
「先日は大聖堂からわざわざ起こしいただいたと伺っています。ありがとうございました。」
「ははは、あの時はティアが……」「ちょっと止めてよ、そんな話」とティアが話を止めさせた。祭司はやれやれといった表情で肩をすくめて見せた。そして祭司は俺の方に向き直ると「あの状態から回復されたということはかなりの治癒力があるヒールを使えるのですね。」と身を乗り出すようにして確認してきた。
「でも、まだ自分以外の人にヒールを使ったことが無いので。」
「理屈は一緒ですよ。」
「コーヅは考え過ぎ。習うより慣れろよ。丁寧にやれば間違いは起きないから。」とティアは立ち上がった。そして「さ、治療に行くわよ。」と皆を促した。祭司も苦笑しながら立ち上がり「よろしくお願いします。」と頭を下げた。
すると傍に控えていた修道女が「こちらへ。」と治療室へと付き添ってくれた。
治療室に来るのは2度目だ。既に治療は始まっていて2列に長い行列ができている。今回はティアとイザベラも治療の治療をするということで3つの椅子が用意された。
「コーヅさんはこちらで。」と1番入口側の席に案内された。奥から治療経験が豊富な人が座るのだそうだ。だから俺は1番の丁稚席という訳だ。
「緊張するなぁ。前回は全くできなかったんだ。」
「ダメだったら私が代わるから、緊張しないで頑張っていこう。」
シュリは治療には加わらず俺の補助についてくれて励ましてくれた。そんなシュリの存在はとても心強かった。
しかし前回同様で俺の前には列ができない。丁稚な上に補助まで付いてる訳だし、よっぽどじゃなければ俺のところには来てくれない。
暇だ……。それに誰も来てくれない状況はちょっと恥ずかしい。
隣のティアやイザベラのところにはポツポツと治療をお願いする人がいる。列になる程ではないけどやることがあるのは羨ましい。
俺は意識を正面の壁に見える何かのシミのような模様をただただ見つめていた。
無為な時間が過ぎていく。俺はその場に固まったままひたすら待っていると、奥の長い列から木を削った簡易な杖をついた老人が、老婆に付き添われてゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。
「よろしいかな?」と言いながら老婆の手を借りながら椅子に座った。そして木の杖を老婆が受け取った。すかさずシュリは老婆にもどこからか椅子を持ってきて「どうぞ。」と笑みを浮かべて勧めていた。老年女性は力なく微笑んで座った。
「では診させていただきますね。」
俺は老人の膝に手を置いて魔力を流した。体全体に元気がなく弱っているのが感じられた。そしてそれ以外にも体の節々で魔力が引っかかるような違和感がある。前回よりも具体的に体の状態を感じ取れるようになっていると思った。まぁ、正しく読み取れているのかは分からないけど。
「診させていただいた感じでは腰や両膝に手首と足首も痛めていると思いました。」と顔色を伺うようにして説明をした。すると意外な顔をして「そうなのですか?」と首を傾げながら腰をさすった。
あれ違う?また間違ったかな。どうしよう?このまま続けて良いものか、それとも……とシュリに助けを求めるような視線を送った。シュリは頷いて「大丈夫よ。ゆっくり負担が無いように治療して。」と俺を促した。ここはもう覚悟を決めてやるしかない。
「では治療しますね。」
まずは強めの違和感があった右膝に手を置いて微弱な魔力を送っていった。魔力は便利だけどとても危険なものにもなる。失敗して逆に体を痛めるなんてことが無いように丁寧に治療を始めた。それに次に患者が来るのかどうかすら怪しい訳だし時間はたっぷりある。
俺はじっくりと丁寧に魔力を送り込み、両膝から違和感が消えたところで魔力を止めた。
「いかがですか?」
老人は座ったまま足を動かすと、目を見開き俺の方を見た。俺が頷くと、老人が杖を使わずに立とうとして老婆に止められた。
「大丈夫だよ、婆さん。足に痛みがないんだよ。」と老婆の手を解いて立ち上がった。腰はまだ曲がっているが、ゆっくりと1歩ずつ確かめるように歩いた。
「おお、歩けるぞ!」という老人の喜びに周囲の視線が注がれる。「ワシは歩けるようになったぞ。」「良かったですねぇ。」と老婆と喜び合った。そしてまた戻ってきて椅子に座ると「いやいや、あまりに嬉しくて年甲斐も無くはしゃいでしまった。お恥ずかしい。」と笑みを浮かべた。
「いえ、俺もそれだけ喜んでもらえると嬉しいです。」
自分の体を何日も治療していたからだろうか、前回の治療とは違い上手く治すことができた。心の中でホッとため息をつくと、次に違和感があった腰に手を触れて焦らずじっくりと治していった。
―――
「これで……治療は終わりです。」
俺は疲れを滲ませた声をかけた。老人の方はずっと今か今かと治療が終わるのを待っていたようで、俺の言葉を最後まで聞かずに立ち上がった。そして「おぉ、普通に歩けるぞ。いや、走れるぞ。」と子供のように飛び跳ねて喜んでいた。老婆が「お爺さん、止めてください。みっともないですよ。」とたしなめるが聞こうとしない。
俺は老人のそんな様子に喜びより、成功した安堵と使い切った集中力で疲れがどっとでた。
「コーヅくん、やったじゃない。凄いわよ。」とシュリが俺の肩を前後に揺すりながら喜んでいるが曖昧な笑顔で応えるのが精一杯だった。
すると祭司がゆっくりと歩み寄ってきた。
「本当に素晴らしいですね。きっと先日の怪我も全ては創造神様のご計画だったのでしょう。」と両手を組んでブツブツとお祈りを始めた。こっちは死ぬ思いだったのに計画ってそりゃ無いだろう、と思った。
「あ、あの、私も治療してもらえますか?悪いところは無いのですが……。」と老婆が遠慮がちに聞いてきた。
「勿論ですよ、ね、コーヅくん?」
「はい、勿論です。」
俺の返事に老婆は期待に満ちた目で見てくる。俺は目を閉じてふぅと息を吐き出してから、もう一度集中し直した。そして老婆の膝に手を当てて魔力を流していった。
確かに老婆には魔力が引っかかるような強い違和感がある箇所は見当たらないが、体が全体的に弱っていると感じた。足腰を中心に全体的に魔力の通りを良くしていきながらヒールをかけていくというやり方で治療を進めた。じっくりと魔力の通りを良くしていく。とにかく焦らず、年老いた体に間違っても強い魔力を流さないことが大切だ。治療と体の状態の確認を何度か繰り返して老婆の治療も終えた。俺はゆっくりと老婆の膝から手を離して小さく息を吐き出した。
「治療は終わりです。」
老婆が視線を上げて俺を見る目は期待と少しの不安が入り混じっているように見えた。老婆はいつもの癖なのだろう、両膝に手を置いて、腰を曲げて力を込めて立ち上がろうとしたが、すぐに力を抜いて俺を見た。その表情には驚きと喜びの表情が入り混じっていた。そして今度はスッと立ち上がった。
「お爺さん!私も……」と言うと両手で顔を覆った。「おぉ……奇跡だ。」と老人が老婆の肩を優しく抱いた。そんな喜んでいる姿を見ると報われた気がして、疲労も心地良く感じられた。
「あ……あの、俺も。」と1人が並んでいた列から俺の方に向かって歩き始めると、他の患者たちも我先にと急ぎ向かってきた。そして競争になると全員が走り始めた。
シュリがそれにすぐに反応し「コーヅくん!」と叫んで俺の腕を左手で掴むと治療室の出口へと走った。そして俺を治療室の外に追いやると、シュリは立ち止まり患者たちに向き合い、鞘に収まったままの剣を見せた。
そして静かにカチャリという音を立てて威嚇した。患者たちは怯むとシュリも外へ出て扉を閉めた。
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