第102話 治療

 3人は部屋を出ていったが、時折湧いてくるティアの前でオムツを交換されたという恥ずかしさに集中力が乱されてヒールが進まない。

 俺は深い深いため息をついて一度中断した。本当は枕に顔をうずめて「あーー、あーー!」と、叫びたかったが、今はそれすらまだできないので、とにかく耐えるしかなかった。

 今の俺は体を治すしかこの恥辱から逃れる術はないのだ。もう本当に本気で嫌だ。恥ずかしさ、ティアへの申し訳なさ、そしてそこから苛立ちや怒りなど次々と負の感情が湧きだしてくる。

 俺はその感情を治療にぶつけるしかなく、半ば自棄っぱちでヒールを続けた。

 言えなかったけど、ティアの顔がまともに見れないという理由で、昼食も断ってヒールに勤しんだ。


 どのくらい経った頃か、肉の焼けた香ばしい香りがごっそりと集中力を削ぎ落とした。それに合わせて空腹だった事を思い出したようにグーっとお腹が鳴った。これまでお腹が鳴るという事はなかったので久しぶりの感覚に治療の成果を感じた。


 食事はシュリとイザベラが持ってきた。そこにはティアの姿は無かった。 

 窓から射し込む夕陽が部屋をオレンジ色に染めていた。今日もこうやって一日が終わろうとしている。でも今の俺には昼夜は関係ない。今夜もまだまだ頑張るつもりだ。


「ご飯と魔力回復薬よ。夕食は食べないと駄目だよ。」

 シュリが心配そうに俺を見ている。

 2人の顔を見ると、ティアにまで見られたことの恥ずかしさが再燃して自然と頬が熱くなってきた。しかしそんな俺の心を知るわけもない2人からの、食べさせるんだという強い意志が体を支える手から伝わってきた。

「さぁ、コーヅさん。私の食事が食べられないなんて言わないよね?」

 イザベラがフォークに刺した肉を口元に近付けた。俺はパクリと肉を口に含んだ。旨みをたっぷりと含んだ肉汁が空腹の胃に染み渡る。

「美味い。」

 その言葉に背中に回った手が緩んだ。

「その後はどう?」

「うん……、少しずつだけど進んでるよ。」と俺は自由になった首を傾けてシュリに答えた。

「少しでも改善してるなら良かった。私たちはいつまででも付き合うよ。ね?」とシュリはイザベラを見る。

「うん、何だって手伝うよ。次はどこを治療しようか?」

 

 魔力の根幹である腰を一緒に治療してもらったが、魔力の流れは全く良くならなかった。これは自力でやる必要があるのかもしれない。

 仕方なく首の下の肩甲骨辺りを2人にもヒールをかけ続けてもらい、一緒に治療していった。


 コンコン


 治療後にイザベラが肩甲骨を叩いてきた。

「あー、感じるよ。」

「良かったね。」

 それから治療を肩の方へと移し、そこも同じように手伝ってもらって治癒できた。

「ごめん、コーヅくん。今日はここまでね。私たちも疲れちゃった。」

「そうだね、お風呂入って寝よう。」

 俺は自分のことだったのであまり感じていなかったが、長い時間拘束していたようだった。

 2人にお礼を言って動くようになった肩を少し持ち上げて見送ると、その後も1人でできる範囲をコツコツと治療を続けた。

 

――――


 一気に治すといはいかないが、毎日少しずつだけど、着実に治療は進んでいった。それは俺は勿論のことだが、ケアしてくれている人たちにも安心感を与えることになった。


 肋骨や胸骨の違和感も無くなり上半身はかなり動かしやすくなった。更に3日後にはこれまで治癒が上手くできなかった右腕の肘から先も治すことができ、食事を自分でできるようにもなった。

 

 治療が順調な話が伝わったのだろう。この頃は毎日誰かが来てくれて声をかけてくれたり、食べ物や飲み物を置いていってくれた。

 領主の代理でサラがフルーツの盛り合わせを届けてくれたときは、玄関の外で警護をしているアルベルトにも声をかけてみんなで食べたりもした。アルベルトは結婚資金を貯めるために夜勤を希望してクジを引当てたそうだ。

 グリフィンからは毎日様々な花を届いてくれているらしく、その一部は寝室にも置いてあったそうだ。これまではその存在に全く気付いてなかった。それに気付くと病室の様な殺風景な寝室に温かみを感じるようになった。


「何かもう大丈夫かなって安心してきちゃった。やっぱりコーヅくんってすごいね。」

「本当にコーヅには振り回されてばかりよ。でも本当に良かった。」とティアからも軽口が出てくるようになった。


 だけどまだ一人でトイレに行けないのでオムツは着用している。毎日取り換えられているので、もう2人に裸を見られる恥ずかしさは捨て去った。でもティアはその時間になると部屋から出ていっている。それがお互いの幸せだと思う。でもこんな介護をいつまでもやってもらうのは心苦しい。


 そして腰から下も2日かけて治すことができて、やっと自力でトイレに行けるようになった。この頃には2人の前で裸になる歓びが……とかは無いよ。普通に嬉しかった。当たり前が当たり前にできるって本当に幸せなことなんだと思い知った。

 残りは少し違和感が強い左腕から先だけとなった。

 俺は寝たきりだったこれまでとは違って、ベッドに腰かけて左腕を治療した。座れるというだけで幸せな気持ちに包まれる。そんなことを思いながら最後の治療に取り組んだ。魔力も通らない箇所があるので先に魔力線の治療から始めた。もうここまで来たら何の心配もいらない。時間をかけてでも、とにかく治せば良いのだ。


 左腕の治療も進み残る違和感もあと少しとなると、ほぼ普通に動くようになった。完治間近ということもあり、顔を出してくれた人たちも帰らずにヒールを手伝ってくれたり、見守ってくれていた。部屋にはシュリとイザベラ以外に、ティア、ショーン、アリア、イメールが居る。

 そして遂にその時がやってきた。左手の指先までの違和感が無くなった。そして最後に全身にヒールを流して体の状態を確認してみた。体に違和感はもう無い。念のため、もう一度魔力を使って確認してみたが、やはり何も無い。


「完治した、かな?」


 俺は左腕をゆっくりとグルグル回して、両手をグーパー、グーパーと繰り返してみた。そして立ち上がって足や腰も動かしてみた。どこを動かすのも違和感なく動かせる。もう少し様子見は必要だろうけど、ほとんど完治と言って良いと思う。


「本当に治ったの?」

「良かったぁ。グスッ」

「コーヅはすごいな。本当に良かったよ。」 

 

 そして治ったことを伝えるために、付き添われて訓練場に顔を出しに行った。俺がぶつかったと思われる建物は爆破されたのかと思うほどに広範囲に壁が崩れていた。これは……本当に俺なのか?こんな状況で死なないように助けてくれたみんなには心からの感謝しかない。

 すぐに衛兵たちが気付いて走り寄ってくれた。


「コーヅ!」

「治ったのか?」

「はい、お陰様で。本当にすみませんでした。」と俺は深々とお辞儀をした。

 すると、みんなにもみくちゃにされながら「良かったな。」「俺は信じてたぜ。」などと声をかけられ、最後に「生きてりゃ何とかなるんだよ。」とヴェイに背中をバシッと強く叩かれてよろけた。


 なんて良い人たち、……いや本当に最高の仲間だと思った。


 そしてタイガーも隊長室から出てきた。そして何も言わずに肩をポンポンと叩いてくれた。

「治って良かったな。だけど体が治ったら次はあれを頼むな。」と俺が突っ込んで壊した壁を指差してニヤリと笑った。するとみんなからも「あれで大浴場にする場所が決まったよな。」「早く作ってくれよ。」と茶化された。

「はい、頑張って直します。」と俺は笑顔で答えた。

「2、3日は休め。その間に祭司様にはお礼に行っとけよ。」

「体調に問題がなかったら、明日連れて行くわ。」


 少しの間、衛兵たちと雑談していたがタイガーがそれを打ち切って訓練を再開させた。一緒に来たショーン、イメール、アリアは訓練に戻っていった。


 ほんの短い時間だったが、外を歩いて陽射しや土の匂い、そして風を感じられてとても気持ち良かった。本当はまだここに残っていたかったけど、病み上がりでもあるので無理は禁物だ。

 訓練復帰まではシュリもイザベラも俺の部屋に泊まり続けるし、ティアも夕食は一緒に食べてから帰るということで、みんなで俺の部屋へと戻った。


 俺は久しぶりにお茶を淹れるためのクリフォード製の茶器を取り上げると、溜まっていた埃を払った。綺麗な輝きを取り戻したティーセットに満足してダイニングテーブルに運んだ。


「へぇ、コーヅさんにしてはずいぶんと良いティーセット持ってるのね。」とイザベラはカップを持ち上げると失礼な事を言いながら色々な角度から眺めていた。

「うん、貰い物だけどね。」

「イザベラちゃん、それクリフォードよ。」

「え?え?」と慌ててカップを置いて、「嘘でしょ?」と改めて手を触れないようにカップをまじまじと見つめた。

「触って大丈夫だよ。これを使って飲むんだから。」

「駄目だよ。傷付けたら弁償できないもん。」

「ははは、傷くらい気にしないよ。」

 俺はポットにお湯を沸かしてその中に茶葉を入れて蒸らした。ポットからふくよかな香気が立ち上ってくる。

 そんな様子をイザベラは物珍しそうに、でも手は触れないように注意しながら、覗き込むように見ていた。俺はクリフォード製の受け皿に載せたカップにお茶を注いでイザベラの前に置いた。


「本当にこれで飲むの?クリフォードって観賞用じゃないの?」

「これは普段使いだよ。」

「ありえない……。」と言ってイザベラは手を引っ込めたまま、カップから立ち上る湯気を見つめていた。俺はその間にシュリ、ティアの前にカップを置いて、最後に自分の前にも置いた。そして「どうぞ。」と勧めた。


 ティアやシュリは慣れたもので、一口飲んで「美味しい。」と呟いてカップを受け皿に戻した。

 その様子を見てから、少し間があって意を決したイザベラも恐る恐るカップに手を伸ばすと、ゆっくりと丁寧に口許に運んだ。そしてカップを戻すと「駄目だ、味が分からなかったよ。」と言って笑った。


 そして食事と食後のお茶を済ませるとティアは「明日の朝、迎えに来るから。」と帰っていった。これから大聖堂まで行って明日訪問することを伝えるらしい。


「何かホッとして気が抜けたな。」

「本当ね。久しぶりに穏やかな時間だね。ほわぁあぁ。」とシュリがあくびをすると、それが移ったように俺もイザベラもあくびが出た。

「お風呂に入って寝ようか。」

「そうね、待ってて。お風呂の準備をしたら呼ぶから。」とシュリが立ち上がって浴室に向かった。俺もティーセットを洗うために立ち上がった。

「コーヅさんは座ってて。私がやるよ。何するの?」とイザベラが立ち上がった。

「えっと、ティーセットを洗おうと思って。」

「……。」

 無言のままイザベラはまた座りなおした。俺はティーセットを持って洗面所に向かうと「それ、洗うの?」とお風呂のお湯を沸かし終えたシュリがタオルで腕を拭きながら聞いてきた。


「うん。」と言いながら水魔術ですすぐ様にして洗い流した。シュリが洗い流したものを受け取ってくれてタオルで拭いて並べていってくれた。

「イザベラは触るのが嫌みたいで。」

「そうね、クリフォードって安いカップでも私たちの給料の半年分くらいするからね。」

「そんなに高いの?」

 俺は洗う手を止めてシュリを振り返った。

「知らないで使ってたの?あきれた。」

「頂き物の値段を知ろうとはしないよ。失礼だもん。」

「そっか、それもそうね。」

 そんな他愛もない会話を楽しめるようになったことが嬉しくて幸せだと思った。そして全ての食器を洗い終えるとリビングに戻った。

「コーヅくんからお風呂どうぞ。」とシュリに勧められ、着替えを持って風呂場に向かった。いつもはタオルだけ持っていくんだけど、女性がいるとそうもいかないからね。


 風呂から上がった俺はリビングでくつろいでいる2人に「おやすみ。」と声をかけ寝室に入った。そして俺はベッドに倒れ込むようにして寝ころんだ。

 本当に疲れた……。でも首の皮一枚から繋がって本当に良かった。もしヒールのやり方が間違ってたら、まだ寝たきりのままだったかもしれない。そう思うと背筋が寒くなった。悪い方のタラレバを考えているとどこまでも落ちていきそうだ。

 俺は前を向いて進むために久しぶりに枕の下から家族写真を取り出した。写真の中では変わらずみんなが笑顔だ。早く同じように心から笑えるようになりたいな。

 明日からまた頑張ろう、と呟いて眠りについた。

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