第99話 自損事故
朝、カーテンを開けると重たい曇が空一面に広がっている。そして石造りの街並みが空と同化し陰鬱な気持ちにさせる。
のそのそとベッドから起き上がると、変わり映えしないいつもの朝食をもそもそと済ませた。しかし着替えやストレッチといった日課をこなし終えた頃には目も体も覚めていた。
それから朝練にヒールを繰り返した。ショーンを焚きつけたという頑張る理由が増えたのでいつもより気合いが入っている。残念ながら体を巡る魔力には違いは感じられなかったけど。
コンコン、ガチャ
ティアが入ってきた。玄関には来客用スリッパを準備してある。ティアは当たり前のように玄関脇の腰かけてブーツを脱ぐと、スリッパに履きかえてペタペタと歩いてきた。
「おはよう。あら、可愛いお花ね。」
「うん、グリフィンに貰ったんだ。」
「ふーん、仲良いわね。あ、そうそう先にお給料を返しとくわ。でももう今月のお給料も出るはずよ。」とテーブルに置いた給料袋からはガシャっと重たそうな硬貨の音がする。
「まだそんなに残ってるの?」
「月の半分はプルスレ村に居たしね。」
「冒険者ギルドに日本の帰り方を調べてもらいたいから助かるな。」
「ねぇねぇ値引き交渉して安くさせるわよ。そしたらその分で美味しい物を食べに行こうよ。」と目をキラキラさせて俺を見る。
「勿論いいよ。俺があの冒険者ギルドで交渉するなんて難易度高いと思ってたからすごく助かるし。」
冒険者ギルド付近で受けたあの刺されるような視線や空気感を思い出しながらティアに感謝した。
「やった!約束ね。絶対に安くさせるから。」と闘志を燃やしている。
ティアならギルドにも冒険者にも顔が利くからとても心強い。ティアが助けてくれるならまた一つ前に進めるんじゃないかと思う。ここで良い情報が集まれば、また次に進む道に繋がる。
「あとさ、もう一つお願いがあって。また大聖堂でヒールの練習をしたいんだ。」
俺は剣ダコができ始めている両手に目を落とした。ヒールの掴みかけているコツを実地で試させてもらいたい。
「大聖堂?良いわよ、いつ?」
「明日でもいいの?」
「いいわよ。じゃあ、今日の帰りに大聖堂に寄ってくるわ。」
今日はトントン拍子に話が進んでいく。でも全てはティアのお陰だ。俺ができることと言えば……、ということで「お茶を淹れるね。」と立ち上がった。
「うむ、次の話に移る前に先生にお茶の準備をしてくれたまえ、コーヅくん。」と、ティアは腕を組み声のトーンを低くして、いつものモノマネをしている。「そのネタって誰なの?」俺はずっと疑問に思っていたことを口にした。
「王立魔道院の先生よ。」
……全く知らねぇ。ってかその人を知っている人はアズライトに居るのか?という疑問が湧いたが口にはせず、クリフォード製のティーセットや茶葉の準備を始めた。そしていつもの手順でお茶を淹れていく。部屋の中にお茶のふくよかな香りが広がっていく。そのカップを受け皿に載せるとティアの前に静かに置いた。
「ありがとう。」と言ってティアは一口飲んだ。そして「美味しい。」と小さく息を吐きだした。俺もそんなティアを見てからお茶に口を付けた。
ふぅ……お茶は落ち着く。
そしてお互いにお茶を飲み終えるまで雑談をしながら過ごした。
「それじゃあ、大聖堂に行く前に少し私で練習してみようか。」と言ってティアは袖を少しまくって腕をテーブル上においた。その腕は華奢で白く透き通るようで、見ているだけで吸い込まれていく。
ぴとっ
「ひゃう!」とティアは腕を引っ込めた。そして「ちょっと変な触り方しないでよ。」と手をさすりながら言った。
「ご、ごめん。」
「ちゃんとやってよ、もう。」ともう一度腕を机の上においた。俺も今度はしっかりと握るように持った。ひんやりとすべすべした感触が手のひらに広がった。
「始めて。」というティアの身体へ薄く魔力を流していく。そして体内に眠る違和感を探ろうとしていった。以前の大聖堂では患者の自覚症状を違和感として掴むことができなかった。
しばらく違和感を探すように魔力を流していたが結局見つけることができずにティアから手を離した。
「駄目だ。全然分からないや。」と俺は椅子の背もたれに体重を預けた。
残念ながら俺はヒールのことが分かった気になっていただけだった。何も感じないという事実の前に、何とも言えないやるせない気持ちに包まれた。
「だって私はどこも悪くないもん。」
「何だよそれ……。」
それじゃ見つかるわけないじゃん、と俺は脱力した。
「コーヅの魔力が全身に流れてきたことは感じられたわよ。ずいぶんと上達してるじゃない。」と褒められたが、不調な部分を感じ取ることができた訳ではないから素直には喜べなかった。
昼までティアの体で魔力を通す練習を繰り返させてもらった。お陰で明日は少し自信を持って治療に向かえる。
そして昼食を済ませると、いつものようにティアとは別れてショーンと訓練場に向かった。
今日からは身体強化も自主練に組み込もうと思っている。でも先にいつも通りに基礎体力を身につけるための走り込みと打ち込みから始めた。
はぁ、はぁ、……
打ち込みを終えた俺は腰に手を当てて、苦しくなった肺を楽にしようと何度も深く呼吸を繰り返した。プルスレ村でさぼっていただけでまた体力が落ちている。20代も後半になると加齢による衰えがでてしまうものなのか、とがっかりした気持ちでヒールをかけて回復した。
そこにショーンがゆっくりと歩み寄ってきた。
「自然な感じのヒールになったね。じゃあ帰ろうか。」と更衣室に向かおうと歩き始めた。
「待って。今日は身体強化の練習を少しやっていきたいんだ。」
ショーンが足を止めて振り返った。
「へぇ、帰ってきて早々から頑張るんだね。でも身体強化はバランスが大切だから無理は絶対に駄目だよ。」
「分かった、気を付けるよ。お互いに色々と頑張ろうね。」と言うとショーンは少し恥ずかしそうに「そうだね、お互いに頑張ろうね。ははは」と乾いた声で笑いながら訓練に戻っていった。
俺は身体を強化するための魔力を流していき、そのまま訓練場を歩いた。これは行軍で慣れた範囲のことだ。ここから強度を高めるために筋力だけではなく視覚や思考といった感覚も強化していく。
徐々に周囲で動くものがゆっくりに感じられ、遠くのものもはっきりと見えてくる。いい感じだ。俺は周囲の状況を把握するように軽く走った。そして一周する毎に身体強化の強度と共に走る速度も上げていった。ショーンの教え通りに少しずつ強化しているので意外と上手くコントロールできている。
どのくらいの時間、距離を走ったのか分からないが、徐々に魔力に負担を感じるようになってきた。ここが我慢のしどころだ。あと5周したら終わりにしよう、と集中しなおして強度を自分に出せる最大まで上げた。
1周、2周とした後だった。
く、やばっ、魔力をコントロールしきれない。
3周目に入った頃にはこの強度の身体強化を維持するだけの魔力が不足してきた。魔力が乱れてくると体が言う事を聞かなくなってくる。
まじ、やばい。
何とか体をコントロールするだけの魔力を絞りだそうとした。しかし次の瞬間――
ドオォォォン!
コントロールを失った俺は砦のどこかを破壊して建物の中に突っ込んでしまった。その瞬間は何が起きたか理解ができなかったが、全身に痛みが走り自分に起きたことを何となくは理解した。体全体に瓦礫がのしかかっていて、体を動かすことができない。
「コーヅー!!」「やばいぞ!」「急げ!」と言う怒号が聞こえてきた。
俺は重くのしかかる瓦礫を身体強化を強めて取り除こうとするが、痛みと魔力不足から体に上手く力が入らない。それどころか最低限の身体強化を維持することすら難しいほどに魔力が足りていない。しかしこの状態で身体強化を解いてしまうと瓦礫の下敷きになってしまうので、俺は残った魔力を振り絞って絞って何とか今の状態だけは維持できるようにと集中した。
「瓦礫を取り除け!」「急げ!」
「コーヅ!」「コーヅくん!」
すぐに衛兵たちが集まってきて瓦礫の撤去を始めた。そしてみんなからの「頑張れ。」「耐えろ。すぐ助けるぞ。」という言葉に励まされて何とか身体強化を維持することができている。しかし魔力は弱々しく乱れ、徐々に瓦礫に押し潰されていく。
パキッ
骨が折れた音がして激痛が走った。魔力切れまでどれほど耐えられるんだろう?
そして衛兵たちからの言葉は届くのだが、瓦礫の重み自体はなかなか減っていかない。それでも俺はとにかく耐えるしかない。あと少し、ほんの数分も要らないはずだ。
しかし痛みが遠のき、絞り出す魔力も底を尽きかけてきて意識が朦朧としてきた。
ダメだ……、眠たい……。
何度も意識が飛びそうになる。子供や妻のことを思い出すようにして、あと少しだけと微弱な魔力をかき集めるようにして身体強化を続けた。もう足や手には魔力は行き渡っていない。何度も骨の折れる音を聞いた。痛みはもう無い。
もう無理……
諦めて意識を手放しそうとした時だった。
「見えたぞ。」
「後衛班、ヒールだ。」
「魔力回復薬を持ってこい!」
目の前が明るくなり体や周囲の瓦礫が撤去されたことが分かった。そして沢山の人に囲まれ、ヒールの温かな感覚が体全体を覆うと痛みが和らいでいく。俺は助かったんだと安心すると、そのまま意識を失った。
――――
目が覚めると、見覚えのある真っ白な天井で、ここが自室だと分かった。部屋は薄暗く夜であろうことも分かった。そして起き上がろうと思ったが体に上手く力が入らず、体のどこの部位も動かせない。この状態は何だろう?
「あ、目が覚めた!」
「本当?……本当だ!私、タイガー隊長に報告してくる!」
そう言うと誰かが走って部屋を出て行った。足音から察するに、今の人は土足だったんじゃないか?スリッパがあるのに……、そんなことをぼんやりと思った。
「目が覚めたんだね、良かった……。」というこの声は「シュリ……?」
「そうよ、シュリよ。」
「何か体が上手く動かせないんだ。」ともう一度起き上がろうとするがやはり上手く力を入れられず体を起こせない。
「うん……、ごめん。」
グズッと鼻をすする音がする。何がそこまでごめんなんだろう?
徐々に俺は身体強化のトレーニング中にコントロールを失って壁に激突してしまったことを思い出した。そして目の前が明るくなって沢山の手が伸びてきた辺りまでを断片的にだけど思い出すことができた。
あれだけ派手に壁にぶつかって壁を突き破ったんだし、生身の人間ならバラバラに飛び散っているような衝突だったと思う。そんな衝撃なのに怪我で済んで良かった。やっぱり身体強化って凄いんだな。ああ、それから壊してしまった建物も直さないといけないな。
はぁ……とため息をついた。一体俺は何をやってるんだか。
「ねぇ、コーヅくん。」
シュリは俺のおでこに優しく手を置いて何度となくなでてくれた。温かな手はとても心地良くて安心できる感触だった。俺は目を閉じて体から力を抜いた。
「コーヅくん、落ち着いて聞いて。」
シュリからあの時の状況を説明された。だけどそれは思っていたよりも衝撃的で受け入れ難い内容だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます