第98話 約束

「んーー!」


 久しぶりのベッドはぐっすりと寝られた。固くて寝られない、なんて言っていたのは昔の話だ。

 起き上がってカーテンを開けると、すでに太陽は高い位置にあり、降り注ぐ光に目を細めた。新しいカーテンが遮光したからか酒のせいか分からないけど、すっかり寝坊してしまった。予定は何も無いから良いんだけど。

 

 食事台に置いてあった朝食のスープはすっかり冷めて脂が固まって浮いている。それを手のひらで覆うようにして火魔術で温め直した。プルスレ村の経験でちょっとした魔術なら感覚的に扱えるようになってきている。そして温かな朝食をぼーっと何を考えるでもなく食べた。

 

 食後もやる事が無く、建築ギルドの人たちに綺麗に細工された部屋のあちこちを見て歩いた。植物や動物、魔獣がモチーフで繊細ながらも生命の力強さを感じる。ただしそれを見て歩くのも長い時間は必要としなかった。すぐにやる事が無い時間へと逆戻りした。俺はベッドにもう一度寝ころんだ。そして枕元に置いてある家族写真を取りだして眺めた。そして、そこに写っている息子を何度も撫でた。1ヶ月も会わないとどれだけ成長してるんだろう?言葉は増えたかな?オムツはさすがにまだかな?


 ふと、こんなことじゃいつまでも日本に帰れる訳がない、と思い直すとおもむろに起き上がった。

 一歩でも前に進むためには魔術の成長は不可欠だ。もう一つのAランクである生物魔術を伸ばすのが良いと思う。身体強化が身に着けば俺もどこへでも旅ができる……はずだ。まぁ俺にそんな勇気があるかは置いておいて。

 俺は体の部位ごとに強化して、部屋の中を歩き回ってみた。そして目や脳を活性化させ全身の反応速度も上げていく。グルグルと部屋の中を走りまわったが、この狭さでは動作に制限がでるので「これ以上、力を出すなら明日の自主練だな。」と走るのを止めて魔術を解いていった。

 そしてベッドに腰かけてヒールの練習を始めた。ヒールを習熟すれば怪我や疲れを癒せる。何より病気や怪我を治せると、この街のいくつかの問題を解決できるかもしれない。


「コーヅー!」と玄関の方からショーンの声が聞こえた。もう昼になってたのか?と思った時に鐘の音が鳴った。ショーンは時間前行動がしっかりしているんだった。俺はヒールトレーニングを切り上げると玄関に居るショーンと昼食に向かった。


 食堂もいつもと変わらない賑わいだ。食事中の雑談が食堂内に響き、人数以上の賑わいを感じさせる。食事の列に並んだが、俺は朝食からあまり時間が経っていないので少なめに取った。そして食事を載せたトレイを持って、いつもの席に座るとここにも懐かしさと居心地の良さを感じた。俺はどんどんとアズライトに居場所ができていて嬉しい反面、このまま居付いてしまう怖さもあり複雑な気持ちになる。

 

「これってコーヅの出汁なのかな?美味しくなってる気がするんだけど。」

 言われてみるとたしかに食事に味に深みが出てる気がする。干し椎茸の出汁が効いてるんだろうか。厨房の方に目をやるが料理長の姿は無かった。

「うん、美味しくなってると思う。」

「これもコーヅの貢献だね。」


 干し椎茸の作り方は教えたからそう言えるのかな?でも味を整えるのは料理人の腕だし、どうなんだろう?と思うと素直には受け取れず曖昧に頷いた。


「よう、帰ってきたな、コーヅ。」

 後ろから声をかけられて振り返った。

「料理長!干し椎茸の差し入れは助かりました。」と立ち上がってお礼を伝えた。

「そうか、役に立ったか。そりゃ良かった。ところで出汁の取り方は色々試したんだけど、あれは冷やしてた方がいい味が出るのか?」と笑顔を向けてくれた。

「あ、えっと……、俺は常温で戻してたんで。でも料理長が美味しいと思うなら、そっちが正しいと思いますよ。」

「そうか……。まぁ、コーヅは料理人じゃないもんな。」と少しがっかりした様子で厨房の方に戻っていった。


 食堂を出た俺が部屋に戻ろうとするとショーンに呼び止められた。

「これから時間を貰えないかな?朝、久しぶりに庭園にいるグリフィンのところに遊びに行ったんだけど、さ。」

 歯切れの悪いショーンに続きを促すように「だけど……、って?」と聞いた。

「えっと、見てもらえれば分かるかな。」とショーンは多くを語らず、ついて来いとばかりに歩き始めた。


 訓練場では数えるほどにしかいない人数で訓練をしていた。明日からはいつも通りの光景が戻るんだろう。そんな訓練場の様子を横目に庭園に向かった。

 庭園が見えてきた。庭園の半分は以前とは全く違う装いとなっていた。新しく造られた方の庭園は中心にある東屋がアクセントとなり、草花が薄紫のパノラマとなって鮮やかに広がっている。

 そしてもう半分はゲートはできあがっているものの、草花はすべて抜かれている更地の中に東屋がポツンポツンと建っていた。

「この更地って……。」

「多分、コーヅの作業がしやすいようにってことじゃないかな。」とショーンは苦笑いを浮かべている。そして「グリフィンを呼んでくるから待ってて。」と作業場に歩いていった。


 俺は待っている間に庭園内を散策した。明るい薄紫色の花を中心に周囲を白い花が囲っている。これらの花は見事なまでに等間隔に植えられていて幾何学的な美しさも併せて引き出されている。


 しばらくするとショーンはグリフィンを連れて戻ってきた。おぉ、久しぶりのイケメン2人のそろい踏み。相変わらず髪を後ろで……

「ここに続きを作ってもらえますか?」と更地を指した。

 グリフィンには懐かしさに浸る時間も与えて貰えなかった。でもこの感じにはもう慣れているし、懐かしさも相まって嬉しささえ感じる。ショーンはグリフィンの隣で小さくため息をついていたけど。

「分かりました。」と答えると、グリフィンは微笑んで頷いた。


 グリフィンに図面を見せてもらってサイズ感をイメージし直した。シンメトリーなので反対側の庭園と比べながら少しずつ作っていけば良いと思う。俺はまず不要になる東屋を綺麗に消して更地にした。そして中心に設置する東屋から作り始めた。基礎部分から前回を思い出しながら作っていったが、グリフィンには少し作業を進めるごとに確認して微調整しながら丁寧に進めていった。

 以前は1日中作業を続けても1週間くらいかかると思っていたものが、今なら1日で終えられそうなペースで進んでいく。

 俺はひたすら作業を続けて東屋やベンチや通路を作っていった。


「終わったぁ!」

 

 俺が全てを作り終えると、グリフィンが笑みを浮かべながらお礼を言ってきた。その自然で裏の無いイケメンの笑顔に癒される。「どういたしまして。」と答える俺も自然と頬が緩む。

 するとグリフィンは「待ってて。」と言うとフイッと後ろを向いて作業場の方に戻っていった。そんなグリフィンの後姿を2人で目で追っていると「色々ありがとう。コーヅがコーヅで良かったよ。こんなにグリフィンと上手くやれるんだもん。」とショーンが申し訳無さそうに言った。

「人付き合いは仕事柄慣れてるからね。怖い人は苦手だけど。」

 

 ショーンと作ったばかりの東屋に移動して雑談しながら待っているとグリフィンが庭園に咲いているものと同じ薄紫の花束を持って戻ってきた。そしておもむろに俺に渡してきたので驚いたが「ありがとう。」と受け取った。


「この花は何て言うの?」とショーンが聞くと「ペチュニア。」とグリフィンが答えた。俺は初めて聞いた花だった。あの部屋にもこの花なら馴染むと思う。

 

 グリフィンが今育てている花の話を熱心に説明してくれた。幸せそうに蒸気した顔でまくし立てるような説明は、専門的な内容でほとんど理解できなかったけど。

 しばらく3人で東屋で雑談をして過ごしていた。グリフィンは途中で立ち上がってお茶を持って来てくれたりと、なかなか気が利く。

 

―――


「よし、それじゃ僕はコーヅを送ってから帰るよ。」

 俺はグリフィンと別れて、ショーンに部屋に送ってもらった。夕暮れの訓練場は既に訓練が終わっていて人の影は無い。代わりに鳥が数羽まとまって何かをついばんでいる。


 俺は周囲に行き交う人が居ないことを確認して立ち止った。ショーンは「どうしたの?」と足を止めた。

「余計なお世話なのかもしれないけど……。」という言葉にショーンは訝しげに俺に向き直った。

「リーサさんのことなんだけど……。」

 ショーンは続きを察したかのような複雑な顔を見せた。ここまで言っておいて余計な事だったかもと後悔した。一瞬話題を変えることも頭をよぎったけど、覚悟を決めるとショーンの目を見据えて「好きだったりしないの?」と続けた。

 ショーンは少し考えた素振りを見せてから「……好きだよ。でも僕は近衛兵に志願するために王都に行こうと思っている。それにリーサだって領主様かリーサの親が結婚相手を決めるんだよ。」と言葉を選びながら答えた。

「でもさ、2人が想い合っていたら、乗り越えられるものじゃないの?」

「コーヅが言いたいことは分からなくもないよ。でもね僕たちはお互いの気持ちだけでどうにかなる世界に住んでいないんだよ。コーヅだってプルスレ村で知ったはずだよ。」とショーンは寂しそうな笑みを浮かべた。そしてショーンの言う通りで、俺自身も領主に人生を握られていると感じている。領主は握っていないという事は言っていたけど。

「でもさ、俺が日本に帰ることに比べたら可能性は高いと思わない?」

 その問いにはショーンも気まずそうな表情で「まぁ、それは……ね。」と答えた。俺は「ならさ、想いが叶うように頑張ってみようよ。」

「本当に難しいんだよ。コーヅには分からないのかもしれないけど。」とショーンはぼやきながら頭をかいた。そしてひとつため息をつくと「コーヅに言われちゃうと、僕は無理って言いにくいな。」と力無く答えた。

「一緒に頑張ろ。」と俺はショーンに有無を言わせない笑顔を作った。

「はぁ、コーヅには敵わないな。分かった、僕も頑張ってみるよ。」


 その後はお互いに一言も発すること無く部屋に着いた。そして軽い笑顔を交わして別れた。

 そして部屋に戻って花束をテーブルの上に置くと、この世界のことも考えずに余計なことを言っちゃったかなと、ちょっと自己嫌悪に陥った。


 俺はそのまま寝室にのベッドにゴロンと寝転がったが、ショーンの事が気になって悶々としてしまうので「スッキリしよ。」と起き上がって風呂に入り、そこで意識して元気が出る歌を大きな声で歌って気分転換をした。ここは石の建物だから声が良い感じで響くので名歌手気分に浸れる。


 そして風呂から上がって、食事をした後はヒールトレーニングを寝るまで繰り返した。俺はショーンに言った手前、もっともっと頑張らないといけないと思う。


 魔力が尽きるまで頑張って、ベッドに寝転ぶと重たい目蓋を閉じた。

 これだけヒールかけたんだから、きっと今の俺の身体はすごく健康な状態なんじゃないかな。そう思うと不思議だし面白い世界だと思う。

 本当にヒールが上達したのか大聖堂でまた実地の治療をしてみたい。今なら前よりももう少し上手く患者の体へアプローチができるんじゃないかと思う。


 明日、ティアに相談してみるか。

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