第96話 進む道

 イザベラとウルシュラが警護で立っている人たちに会釈をして先に劇場に入った。

 そして左胸にこぶしを当てた敬礼をして「領主様。二人を連れて参りました。」と報告した。

 領主は会話を止めると、こちらを見て「おう、ご苦労さん。お前たちも一杯飲んでいけ。」と手招きをした。


「はっ!」

 テーブルの上にはポテチや唐揚げなどのおつまみが載っている。そして酒瓶が何本も置いてあって既に何本かは開けてある。瓶はそれ自体がインテリア雑貨になりそうな見事な細工が施されている。

「ティアとコーヅ、お前たちも来い。皆で乾杯だ。」

 俺たちが円卓に腰かけると、領主から順番にこちらも見事な細工のグラスが渡された。

「イザベラ、ウルシュラ。後衛班の連中とは、なかなかこうやって杯を交わす機会が無いからな。」

「い、いえ、そんな……。」

 そう言うと領主が酒瓶を2人に向けた。2人は恐縮したようにグラスを領主の方に向けた。そこに酒が注がれる。赤い酒だ。

「ありがとうございます。」

「おう。」


 そして領主は俺とティアを見た。その目からは人を射貫くような見透かしてくるようなものを感じて思わず目を伏せた。

「話は後だ。お前らも。」

 そう言うと領主は酒瓶を俺たちに向けてきた。俺はイザベラたちに倣ってグラスを領主の方に向けた。ティアは面倒くさそうに領主の前にグラスを置いた。その態度に領主は気にした様子も無く、まずは俺に注ぎ、次にティアのグラスに注いだ。

「よし、みんなに行き渡ったな。」

 領主はグラスを持ち、顔の高さまに掲げた。既にその頬は赤い酒に染まっていた。

「今日、皆の顔を見ながら酒を飲めるのも創造神様のお陰だ。感謝して頂きたいと思う。乾杯!」

 領主がクイッと一気に飲み干した。

「皆も遠慮せずに飲め。」

 その言葉を待ってから皆も酒に口を付けた。

「美味しい。」

 隣のウルシュラが驚いた様子で呟いた。俺も遅れて酒に口を付けた。

 ワイン……か?ブドウのほのかな酸味と渋みを感じる。舌触りは滑らかで気品を感じる。

「俺たちの世界の酒はどうだ?」と領主に話しかけられた。

「ブドウの酸味と渋みのバランスが良くて上品な味がします。」

「お前はワインの味が分かるのか?それは良かった。……ところで、この村の事はほとんどお前がやったらしいな。」と領主は手元のグラスに入っていた赤い液体をクイッと飲み干した。

「……はい。」

 遂に来た。心臓が口から飛び出る程の強く激しい鼓動を打っている。それが酒のせいではない事は分かる。

「ん?どうした?」

 俺の様子に何か感じたのだろう、領主が問いかけてきた。そしてその問いには俺より先にティアがやや投げやりな感じで答えた。

「領主様がコーヅをアズライトに閉じ込めておこうと考えたりしないか心配してるんですって。」

「俺が?コーヅを閉じ込める?」

 領主は鳩が豆鉄砲をくらった様な表情を俺に見せた。そしてグラスを置くと「俺は縛るのも縛られるのも嫌いだよ。お前の好きにしたらいい。でもアズライトに居る間は給料見合い分の仕事はしろよ。この村を見ると給料の10年分くらいはもう働いたようにも見えるけどな。ははは。」

「本当に好きにしてもいいんですか?」

「勿論だ。ここに居る皆が証人だ。皆も良いな?」と全員に念押しをするように言った。

「はい、ありがとうございます……。」

 ホッとした俺は安心から不覚にも涙がこぼれてしまった。

「おいおい、泣くなよ。何もしてないのに俺が悪者みたいじゃねぇかよ。」

「すみません、安心したら、つい。」

 俺は涙を拭うが、緩んだ涙腺からは止めどもなく溢れ出てくる。こんなに泣いたことなんて大人になって初めてで、自分でも戸惑ってしまう程だった。

「でもよ、お前がこんな力を持ってるならアズライトに居るうちにしっかりと働いてもらうぞ。」

 領主は気まずくなったのか無理やり話題を振ってきた。

「はい、分かりました。」

「お、言ったな?ここに居る皆が証人だからな。」と笑った。


 俺は心から安心できた。涙は止まったけど、力が抜けて皆の談笑が耳に入ってこない。自分一人の世界に入って帰れる望みが断たれなかった事に安堵し、家族に会える望みが繋がった事を喜びを噛みしめ、薄い笑みを浮かべてワインをちびちびと飲んでいた。


「それにしてもコーヅの魔力はどうなってるんだ?」と俺の名前が出たところで意識を会話に向けた。

「最初は魔力切れ起こして何度もぶっ倒れてたのにな。がははは。」とタイガーが笑う。

「それは力加減が分かってない頃の話で。」と俺は心外だとばかりに答えた。

「そうか?この村を見ると今でも分かってないように見えるぞ。」と領主に突っ込まれると皆にも笑われた。


 その後も領主を中心に話が進んだ。王都の流行りや王族の動向、日本人のシンが結婚したことなど。その中には残念ながら日本に帰ることに繋がるような情報は無かった。


 すると1人の衛兵が領主の元に来た。


「荷車が到着致しました。」

「よし、陽も傾いて来たし、そろそろ皆と夕食にしよう。」と領主は立ち上がった。俺たちは残りのワインを飲み干して立ち上がり、領主とそれに並ぶタイガーを先頭にして野営地に向かった。

 野営地に向かう道すがら領主は村人や衛兵に気軽に声をかけていた。頭を下げて会話にならない村人のことは起こして目を合わせて会話をしている。それを見ていると気さくな領主なんだなと安心できたし、良い領主で良かったと心から思えた。

 

「おい、あの高い建物は何だ?」と領主が大浴場を指差した。

「あれはみんなで入れる様な大きい風呂です。シンも風呂が好きでしたからな。」

「あぁ、そういうことか。」

 領主はシンの名前を出すと納得した。ということはきっとシンも風呂にこだわってたんだろう。これは日本人のDNAなんだろうな。


 野営地に着くと、タイガーがそっと寄ってきて小声で「行って良いぞ。」と言った。俺がタイガーを見ると「まだまだ続くからな。少し休んどけ。」と肩をポンと叩くと領主の方へと戻っていった。

 俺とティアは頷きあって、そっと領主から離れていき階段に腰かけた。

「言った通りだったでしょ?」と言って優しく笑った。

「うん、言った通りだった。ホントに良かったよ。」と大きく息を吐きだした。

「でもあんまり嬉しそうじゃないわね。」とティアは俺の方を見た。

「そんなことないんだけど。まだ日本に帰る手掛かりって何もなかったなと思ってさ。」

「私達にはその情報はないからね。そうなると冒険者かしらね?」

「冒険者……?やっぱり探す旅に出ないと駄目ってことか。」と俺は目を閉じた。確かに領主からは自由にして良いと言われた。だから冒険者となって旅をする根無し草のような生活をしながら情報を集めるのか。野営には慣れたけど、危険がある野営は未経験だ。角ウサギを恐れてしまう俺にそんな生活ができるようになるんだろうか?……いや、しないといけない。そのくらいしなければきっと日本に帰る方法なんて見るかる訳が無い。

 

「違うわよ。冒険者ギルドに発注したり、冒険者に聞き取りしたりするの。」

 

 あ、そっか、そう言う事か。確かにその通りだと思い、俺は肩の力を抜いてホッとため息をついた。そして次にやる事が明確になって気持ちも高ぶってきた。


 冒険者ギルドに転移の情報を募集すればいいんだ。それはアズライトだけに留まる必要は無い。国中の冒険者ギルドに募集して情報が多く集まった地域を訪れればきっと何か分かるはずだ。俺は無性に叫びたくなって立ち上がった。まぁ、叫びませんが。


 そこへ「集合!」とタイガーの声が響いた。俺たちは走って向かい後衛班の後ろに並んだ。

 領主の両脇にタイガーと村長が並んでいた。領主の挨拶は「皆、今日は出迎えご苦労だった。」から始まり、しばらく挨拶は続いていたが、さっき劇場で聞いたような話だったので途中で聞くのを止めた。最後に「今夜は無礼講だ。皆で飲むぞ。」と高らかに宣言して挨拶を締めた辺りは聞いたけど。


「酒ー!」「朝まで飲むぜー!」「ははは」とその場の盛り上がりは最高潮に達した。


 そしてぞろぞろと屋台の方へ移動し始めた。屋台の周辺はマレーナの間接照明で別世界のような雰囲気を醸し出している。街道は暖色系の色でくっきりと浮き上がっており、屋台は青や緑、ピンクなどでぼんやりと浮かび上がって見える。

 その光に衛兵や村人たちからも「おぉ」「すげえ」といった声が聞こえる。きっとマレーナはどこかで鼻高々になってるんだろう様子を思い浮かべると、俺までニヤついてしまう。


 俺は混みあっている中、酒を2つ確保してティアのところに戻った。

「私、こういう人が多い所は苦手なんだけどね。」そう言うとカップを受け取ってから俺の方にカップを向けてきた。何のことかとティアを見ると「ほら、乾杯。ニホンに向けて1歩前進したんでしょ?」と微笑んでくれた。俺も笑みを浮かべてカップをコツンと合わせた。


 ゆったりと始まったティアとの時間はあっという間に終わりを迎えた。俺は衛兵たちに囲まれると首根っこを掴まれ連行されてしまった。

「コーヅのお陰でこの酒が飲めたんだ。コーヅに乾杯だ!」

「おおー!」

 俺は乾杯、乾杯という言葉通りに何度も杯を乾かしていった。それはそれで色々な人と酒を酌み交わす事ができたので楽しかったんだけど……。

 

 突然、上空から「ギャア、ギャア」という聞きなれた声と共に何かが落ちてきた。


 ズゥゥン!

 

 という音と共に村人がパニックになった。

「きゃー!」「うわぁぁ!」

 それをなだめようと衛兵たちが声を掛けるが止まらない。村人たちは村に向かって一目散で逃げ帰ってしまった。そして村人たちが去った場所は投げ散らかされた食べ物や酒で汚れてしまっていた。

 その頃にはすっかり酔いが回っていた俺は、それがテレビの中の出来事かのようにぼーっとその様子を眺めていた。そして俺がうっすらと覚えていたのはここまでだった。


 気付いた時には朝だった。俺は目を開けて体を起こすと、そこら中に衛兵たちが寝ていた。そして俺は何かの硬い毛を枕に寝ていた。その枕を撫でると手に突き立つ程に硬く冷たいものだった。動物か魔獣かだろうことは想像ついたが、二日酔いで頭がガンガンしている俺にはそれが何なのかはどうでも良い事だった。俺は大浴場に向かうためにフラフラと立ち上がった。

「うおぉぇ……」

 道すがらに何度もえずきながら、胃の底からこみ上げてくるものを押さえつけるように飲み込みながらなんとか辿り着いた。


 大浴場には数名の衛兵や村人が昨夜の飲み会の話をしながら楽しそうにしている。何てタフなんだろう、と思いながら浴槽に浸かった。

「うー、気持ち悪い。」と呟くと「何だ?お前ヒールかけてないのか?」と隣に居た衛兵が俺にヒールをかけてくれた。瞬間で二日酔いが抜けた。

「うわっ、すごい!」

 自分に起きた変化に思わず叫んだ。

「いや、常識だろ?」

「コーヅの常識は俺たちの非常識だからな。ガハハハ」

「違えねぇな。」と風呂場が笑いに包まれた。


 朝の獣はロックバードが狩ってきたワイルドボアだったそうだ。ロックバードはポテチや唐揚げや鍋を食べながらアリアと明け方まで一緒に過ごしていたそうだ。俺も死んだワイルドボアの硬い毛じゃなくてロックバードの羽毛に包まれて寝たかった。


 衛兵たちと風呂から上がると、村の人たちも含めて昨夜の後始末をしているということで俺も屋台に戻った。

「あ、コーヅ!」

 声の方を振り返るとフリーダが手招きをしていた。俺がフリーダの方に歩いていくと「屋台が壊れててさ、直してくれる?」とのこと。

「そんなに簡単に壊れるもの?」

 長持ちするように厚めに作ったつもりだったんだけど……?ワイルドボアが生きてて暴れた?何だか良くわからない。

「あれだけ暴れれば壊れるでしょ?」


 はて?何がどれだけという話だろう?と記憶を辿るが覚えている範囲では賑やかだったが屋台を壊すような事にはなってなかった。


「分かりました、直しておきます。」

 思い出すことは諦めて、そう答えると屋台の方に向かった。

 屋台の辺りの街道は大きなワイルドボアを解体している人達と街道のあちこちにある酒の跡を水で流して綺麗にしている人達が居た。俺は彼らの様子を横目に屋台を見ると、確かにあちこち割れたりヒビが入ったりしている。


 どんだけ暴れればこんな石が割れるんだ?まったく……とブツブツ言いながら修復していった。

 いくつもの屋台の修復を終えて、街道清掃の手伝いをしているとタイガーの「集合!」という声がかすかに聞こえてきた。

 どんだけ声が通るんだ!?と驚きながらも俺たち衛兵は急いで野営地に走って戻った。そこには領主や村長、村人たちも集まっていた。


「今までご苦労だったな。これで任務を終えアズライトに戻る。」

 その言葉に衛兵たちから安堵の声が漏れた。そして表情からはこれから帰るらしいことをみんな理解している。


 えー?知らなかったのは俺だけ?まだ昨夜の後始末も途中だし、村の人たちに挨拶もできてないんだけど。


 そんな俺の事情はお構いなしに領主や村長の挨拶があり、最後に無事の帰還を願う創造神への祈りがあった。本当にこのまま出発するようだ。みんな軽装だから全然気付かなかった。


「コーヅさん!」

 俺は声の方を振り向く。そこには恰幅の良いパウラや一緒に屋台でポテチを作った人たちが手を振っていた。

「コーヅさーん、また来てねー!」

「また戻ってきます!」と俺も大きく手を振った。

 そしてタイガーの「出発!」という号令と共に俺たち衛兵は全員がプルスレ村を後にした。


 忘れ物とか無かったよな……?

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