第94話 領主到着
ついに領主を迎える朝を迎えた。
その事を考えると心臓をギュッと握りしめられたような苦しさを覚える。
そして今朝は朝もやが立ち込めていて、いつも以上に体が冷えていてブルッと震えた。俺は風邪を引く前に風呂で温まろうと立ち上がった。まだ早い時間だけど寒いからか領主が到着するからか、ほとんどの衛兵たちは朝支度を始めていた。
そして風呂場にも既に先客が何人もいてお湯が張り替えてあった。俺はシャワーを浴びると温まるために急いで湯船に浸かった。
「おう、コーヅ。」
声の方を見ると、いつもの腑抜け顔とは違うタイガーが奥の方に陣取っていた。
「おはようございます。」
俺はタイガーと会話ができるようなところまで行って浸かった。
「昼まではお前さんに頼む事は何もないから心身共に休めておいてくれ。特に心を、な。」と意味ありげに笑って浴槽から出て行った。
俺は領主次第で人生が決まると言っても過言ではない。正直面倒臭い性格とかいうことはどうでも良いのだ。モンスターご近所さんの相手なんて総務の時に散々してきたから、それ程問題になるとは思っていない。とにかく日本に帰る邪魔をしないで欲しいという一点だけだ。
そんなことを考えながらため息をつくと「よう。」とジュラルが話しかけにきた。
「おはよう。領主様が来るからなのかな?みんな朝からいつもと違うね。」
「まぁな、領主様だしな。しっかりとお迎えしないと。」
「ふーん、ジュラルは真面目にお迎えする派なんだ。」
ジュラルのノリだとタイガーたちと一緒になって領主をからかうのかと思った。
「何だよそれ。真面目じゃない迎え方なんてあるのかよ。」と笑った。
「タイガー隊長とかティアとか。あ、サラさんもか。」
「そこは関係が近いからな。それ以外の奴らはそんな事ないよ。」
そう言いながら両手でお湯を掬うと顔の汗を流した。
思い返すと扱いが軽い感じは確かにその辺りのメンバーくらいだったか。シュリなんかは緊張してたし。
「そっか、そうだよね。領主様だもんね。」
ジュラルは立ち上がって「失礼の無いようにな。」と言い残して出ていった。
俺も体が温まって目が覚めたので、ジュラルに続いて風呂から出た。
食事を済ませた後もいつものメンバーで雑談をしながら過ごしていた。しかしイメールとマレーナの姿は食事の場には無かった。衛兵の待機所を仕上げるために作業に取り掛かっているのかもしれない。
その時、タイガーからの集合がかかった。俺は階段から立ち上がると、急いで後衛班列の後ろに並んだ。
「領主様の到着は伝令から夕方と伝えられているが、恐らく急いで戻ってきているはずで昼過ぎに到着と見込んでいる。」
タイガーからの声が響き渡ると衛兵からは笑いが漏れた。
「今から呼ぶメンバーで領主様をお迎えに行く。早めに昼食は済ませておけ。他の者は劇場で領主様をお出迎えする。」
出迎えに行くメンバーはサラ、リーサに加えてオーガ討伐隊、アリア、フリーダだ。
解散になると、あちこちでガヤガヤと始めた。
「マジかよ。俺は呼ばれないもんだと思ってた。」
「そうだよな、オーガキングに何もできなかったもんな。」という会話はオーガ討伐隊の面々から聞こえてきた。彼らの表情には驚きに混じって誇らしさが漂っている。
そしてアリアの周りには人だかりができていた。
「アリア、おめでとう!」「ありがとう。」
「良かったわね。」「うん、嬉しい。」
お祝いの言葉に囲まれて、溢れんばかりの笑みを浮かべて応対している。
やっぱり、こういう反応が普通なんだよな。
でも俺は彼らの熱の高まりに比例するように緊張が増していく。心臓がバクバクと高鳴っている。俺は心を落ち着けるために何度か深呼吸をした。
「やっぱり行かないと駄目なのかしら。」
俺の隣ではやる気のないため息をついているティアは少数派というか唯一の存在のように感じられる。
でももうここまできたら覚悟を決めるしかない。領主が来るまでにできることと言えば、衛兵の待機所の完成を見届けることくらいだ。あとはもうなるようにしかならない。面会した後の正式な処遇の発表を待つだけだ。
待機所の完成を見届けるためにティアたちを誘って街道を歩いていると、屋台近くの街道沿いにマレーナが居て街道に掘った溝に魔石を置いていた。
「おはよう、マレーナ。」
「おはようございます。持ってきた魔石を昨夜全部光魔石にしたんですよ。だからあんまり寝れてないんです。」と言うマレーナの目は少し充血しているように見える。
「沢山必要だもんね。でもあんまり無理しないでよ。」
「私みたいな能無しが領主様のお眼鏡にかなうとすると、今夜しかないですからね。北門から魔石が続く限りって思ってやってます。」
そんなマレーナに俺たちは顔を見合わせた。マレーナは時折こういう顔を見せるけど何でそんなに自己評価が低いんだろう?マレーナの魔石が放つ色鮮やかな光は簡単に人が真似できるものではないと思うんだけど。
「そもそも衛兵でいる事が優秀な証だと思うよ。マレーナの言いたい事も分かるけどさ。」とショーンが言った。その衛兵の中でも優秀なショーンからの言葉がどれだけマレーナに届くんだろう?
「でも……」とマレーナは何か言いかけて止めて「何でもないです。」と言って話を切った。本人にしか分からない葛藤があるんだろうな。俺たちはマレーナに「最後まで精一杯頑張ろう。」と激励して別れた。
それぞれが領主に向けてアピールして評価してもらうという事を大切に思っているのは良く分かった。俺も領主の評価を求めているという点では同じなのだろうけど、ただ俺が恐れているのは囲い込みなんだ。アズライトから出る事を禁じられたらと思うと怖さがある。タイガーやティアはそんな事は無いと言うんだけど。他の人たちと話をしていると、あの2人の考え方は少々特殊なんじゃないかという不安が募ってくる。
待機所が見えてくると、玄関付近で作業しているらしきイメールの姿があった。
「イメール、おはよう。」
玄関アプローチを作っていたイメールが手を止めて振り返った。その顔には昨日から取り切れていない疲れの色が見て取れた。
「おはようございます。」
「すっごいオシャレだね。私もこんな家に住んでみたいな。」
シュリが待機所のあちこちを見ながら褒めるとイメールは照れくさそうに伏し目がちに「そんな事……ないです。」と答えた。
「どのくらいで終わりそう?」
「あとここに門柱を立てたら完成かなと思います。」
俺たちはそのイメールの作業を近くに腰かけて眺めていた。イメールは丁寧に門柱を作り上げていく。でも高さを出すのに苦労していた。そして門柱の大枠を作ると一度魔力回復薬を口にしていた。
俺たちはそんなイメールの仕事っぷりを口を挟まずに眺めていた。しばらくするとイメールは門柱を作り上げた。幅広で胸の高さくらいの門柱で【衛兵待機所】と書いてある。これで待機所が完成したことになる。
「イメール、お疲れさま。やり切ったね。」
「劇場も凄かったけど、ここも綺麗だよ。」
「ありがとうございます……。」
イメールは疲労感からかその場に座り込んだがその表情には充実感を漂わせている。これだけの仕事をやり切って形として残せたわけだし。
俺たちはイメールが立ち上がるのを待って一緒に野営地に戻っていると、途中で魔石を置き終えたマレーナが街道脇に座って俺たちを待っていたようで、俺たちを見つけると立ち上がって手を振ってくれた。
「マレーナも終わり?」
「はい、終わりました!私の持ってる魔石じゃここまでしか来れなかったです。」とマレーナは笑いながら元気良く答えた。街道全体に魔石を置くとなると何百も必要だろう。村の手前まで来れただけでも大したものだと思う。
それでも今から夜が楽しみだ。きっと街道を綺麗に浮き上がらせてくれると思う。
「後は領主様をお迎えに行くだけだね。」
「あーあ、面倒くさい。人数も多いし私が居なくたって良いのになぁ。」
「ティアがオーガキング倒したんだし、ティアが主役でしょ。」
あれだけの魔獣を魔術一発で倒したティアは間違いなく主役だと思う。でも本人は領主が嫌なのか、目立つのが嫌いなのか一貫して拒否したそうにしている。
「そういうのが面倒くさいのよ。はぁ……。」
ティアはそう言うと何度目だろう?というため息をついて肩を落とした。
そして村に入ると、今朝までは外に出しっぱなしだった農具などが全て片付けられていた。そして街道も箒で掃いて綺麗にしている。子供たちは領主のことなんか関係なさそうに相変わらず遊具で遊んでいるが。俺たちは掃除中の街道は歩かず土の部分を歩いて村を通り抜けた。
野営地に戻るとフリーダが小走りで寄ってきて話しかけられた。
「コーヅ、あの出汁は使っちゃうからね。そろそろ料理の下ごしらえを始めるからさ。」
「どうぞ、その為の物ですから。全部使っちゃってください。」
「サンキュ。」と言うとフリーダはまた慌ただしく配膳場所に戻っていき、あれこれと指図を出すと衛兵たちがバタバタと動き始めた。そしてその近くではタイガーがよく通る大きな声で指示を出している。街道沿いの魔獣を確認してくる事や食事の準備と屋台への設置、門番役の指名など、次から次へと休みなく指示が飛ぶ。
俺たちは領主を迎えるための仕事を終えたし、その時が来るまで心を落ち着けていたかったんだけど、全く落ち着かない。俺たちは野営地から少し離れた原っぱで過ごすことにした。
「私が忙しかった訳じゃないけど、ここに来てずっと忙しかった気がする。」とティアが伸びをしたまま後ろに倒れた。
「コーヅくんと居ると何をするか分からないから気が休まらなかった気がするし、今も領主様に会うと思うと私は落ち着かないよ。」とシュリは苦笑いを浮かべた。
「そうだよね、ごめん。」
「僕も大変でしたが凄く良い経験をさせてもらいました。」
そう言うとイメールもその場に寝転がった。するとそれに倣うようにみんなでそこに寝転がった。
空に小さな雲が浮かんでいてゆっくりと形を変えながら流れていく。そして森からは色々な鳥のさえずりが聞こえてくる。遠くからタイガーの声が聞こえる。そして時折、風が草の匂いを運んでくる。あ、手の甲に蟻が登ってきた。
気持ち良いな……
―――
「……ヅ、コーヅ、起きて。」
誰かに体を揺すられて目を覚ました。あのまま寝てしまっていたようだ。
「さぁ行こうか。いよいよ領主様のお迎えだよ。」
ショーンに促されて俺たちも衛兵たちが集まるところへ向かった。野営地も綺麗になっているし、領主を迎えに行く衛兵以外の姿が見えない。おそらく集会所……ではなく劇場で待機しているはずだ。
あとは先回りをして領主を迎えるだけと思う。
「よし、俺たち以外は全員所定の位置に着いた。では創造神様に領主様の道中の安全を祈願しよう。」
タイガーの言葉に皆が黙とうをした。俺もそれに倣い黙とうをした。
『もし本当に創造神様が居るのであれば、俺を日本の家族の元に返してください。』
俺は領主たちの安全祈願ではなく自分のための祈りを捧げた。
街道は村人が掃除をしていたので、街道を通らないように大回りして北門に向かった。北門にはアルベルトとジュラルが姿勢良く立っていた。
ジュラルは俺と目が合うと胸をトントンと叩いた。俺も同じポーズで返した。
村の外に出ても街道は通らないように脇道を進んで行ったが、数分で俺が作った街道は途切れた。作るときは大変だったけど、歩くとあっという間の距離だ。石の街道がある周辺までは木が伐採されていて明るい街道となっていた。
「よし、もう少し進んで街道が見えないところで待機だ。」
その言葉の通り、後ろを振り返ってもただの森しか見えない土の街道で待機となった。
「よし、斥候は前方の確認を、他の者は周囲の警戒。」
「はっ」と言うと4人の斥候が散っていったが、程なく戻ってきた。
「あと5分程度で到着されます。」
「もう来たか。ギリギリだったな。みんな街道の両側に避けて並べ。」
俺の鼓動が高鳴り始めた。いよいよ領主と顔を合わせる。
徐々に鎧のこすれるガチャガチャという金属音、そして馬の駆ける音や車輪の音が聞こえてきた。タイガーは上空に向けてファイアボールを打ち上げた。
やがて馬車が1両とそれを囲むようにした兵隊たちが視界に入ってきた。皆が胸に拳を当てて待機する。俺もそれに倣った。
俺たちの目の前で一団が止まった。
ガチャリと馬車のドアが開き「よぅ、タイガー。先回りしようと思ったんだけどな。読まれてたか。」とタイガーより少し年上に見える黒髪で短髪の男性が顔を出した。これが領主か?
「ご無事の帰還で何よりです。」と、恭しく頭を下げた。その言い方も動作もわざとらしいまでに大袈裟な感じだ、だが領主は気にした様子もない。
「なかなか上手くいかねぇな。荷車も置いてきたんだけどな。くそー。」と頭を掻いた。
「はっはっは。そのように読まれやすい行動では戦場には出られませんな。」
「うるさいな。」
そして俺たちを見回し「皆もご苦労だったな。今夜は皆に酒を用意した。……荷車の中だけど、まぁ夜には届くだろう。飲むぞ!」
「おぉ!」
領主はみんなの顔を見る様にゆっくりと視線を動かしている。ふと視線がティアのところで止まった。そして「ティア。」と声をかけた。
「はい。」とテンションが低いままに返事をした。
「爆炎にはさすがのオーガキングでも為す術もなしか。」
「どうも。」
ティアは不機嫌そうに答えた。しかし領主はそんな失礼な態度にも気にした様子は無かった。そして次に領主の目が俺の所で止まった。
「コーヅか?」
その瞬間に俺の心臓がドクンと大きく鳴った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます