第61話 幸せな朝風呂
今朝も周囲の話し声で目が覚めた。相変わらずみんな朝が早い。
空にはまだ薄明るい中に広がる星空の下で体を起こした。そして2度、3度と深呼吸をして肺の中を草木の香りで一杯にした。
本当にみんなは何でこんなに早起きなんだろう?まだボーッとする頭をハッキリさせるために、今日は朝風呂に入ろうと思う。
でもその為の1歩目がなかなか出せない。しばらく座り込んでいたが、意を決してのっそりと起き上がった。そして朝靄の中をふらふらと風呂に向かった。
大浴場には今朝も誰もいない。薄暗いが周りは見えるので、俺は光魔石は点けずに、着ていた鎧を脱ぎ散らかして浴室に向かった。
浴槽のお湯は冷めきって水になっている。まず浴槽に排水口としての穴を開けて、濁った水を抜いてしまうと、砂や垢を軽く洗い流した。それから排水口を塞ぐための丸い石を作って塞いだ。
そして水を浴槽にたっぷりと注ぎ、手を突っ込んで温めていった。目を覚ましたいので、お湯は少し熱めにした。
お湯を張り終えると、俺は携帯温水シャワーで軽く体を流してからお湯に浸かった。
「ふぅぃぃぃ」
誰も居ない浴室に俺の吐息が響く。そして熱い湯が意識をはっきりと起こしてくれる。
薄暗い中の静かな風呂も気持ち良い。耳を澄ますとかすかに聞こえてくる衛兵たちの話し声と、時折り鳥の叫び声が聞こえてくるだけの静かな空間。空を見上げるとかすかに朱く染まってきている。
やっぱり朝風呂は気持ちいいなぁ。
俺は目を閉じてしばらく一人だけの贅沢な時間を満喫した。
体を充分に温めてから大浴場を出ると、目の前には待ち構えていたかのようにシュリが立っていた。そして両手を後ろに組んで覗き込むように聞いてきた。
「おはよう。何してるの?」
「おはよう。朝風呂に入ってたんだ。熱いお湯に浸かると目が覚めるよ。」
「そうなの?」
「シュリも入ってみる?」
「え?」
両手で体を隠す仕草をしてジトッと俺を見た。
「ちょっと!違うから。」と俺は抗議した。
「あはははは。冗談だよ。私はぱっちりと目が冴えてるから入らなくていいよ。」と目を指で大きく見開いて俺を見てきた。俺は早朝からシュリのおもちゃにされているようだ。
俺とシュリは朝食の準備を手伝うために、後衛班が集まっている配膳場へ向かった。
昨日に比べると衛兵の人数も増えているので、慌ただしく準備が進められている。俺も手伝おうと近付いたものの、俺はその流れには乗ることができず、結局見ているだけになってしまった。ふとシュリを見ると配膳作業の流れの中に入り込んで作業をしていた。
木偶の坊と化して突っ立っているだけの俺に、シュリからスッと朝食のトレイが差し出された。
「先に食べて。食べ終わったらみんなの食器を回収してきてくれると嬉しいな。」
すっかりシュリのペースに乗せられている。でも何もできない俺にはこうやって指示を貰えた方が助かる。
「分かった。ありがとう。」
シュリから朝食を受け取ると、食事をするために床の階段に腰掛けた。
「おはようございます。」
少し離れた所に座っていた後衛班のマレーナが、隣に移ってきて座った。
「おはよう。マレーナも仕事貰えなかったの?」
「え?」と、一瞬きょとんとした表情を見せたが「あははは。違いますよぉ。私は自分の仕事が終わったから食事を始めてるんです。」と大笑いしている。そして「コーヅさんは職無しなんですか?」と笑いの余韻を残したまま突っ込みを入れてきた。
「うん、それに近いね。」
「でも毎日何かしらすごい物を作られてるじゃないですか。」
「いや、自分にできる事をやってるだけだよ。俺はみんなに支えてもらわないと何にもできないし。」と、俺は自虐的に笑って首を振った。
「そんなことないですよ。私なんてできることって光魔術くらいだし。でもそれって何の役にも立たないから凄く羨ましいです。」
そう言うマレーナには笑みの欠片も残っていなかった。
「そんなこと無いよ。光は人の心を動かすんだ。心が安らぐような光を出す光魔石を作ってみるとかね。」
「それってどんな光なんですか?教えてください!」
「青とか緑じゃなかったかな。」と曖昧な記憶を掘り起こしてマレーナに伝えた。
「カラフルな光魔石なんて考えたことも無かったです。へぇ、青とか緑か……。」と、マレーナはジッと考え込みはじめた。
「村を青や緑の光で囲って動物や魔獣の興奮を抑えるとか。あと、この前見てもらった間接照明あるでしょ。あんな感じでピンクや黄色みたいな明るい色で建物を照らすとすごく綺麗なんだよ。」
マレーナは具体的な使い道を聞くと、イメージが湧いて来たのか目に力が戻ってきた。
「分かりました!やってみます。」
以前の光を使った情報伝達の話はあまり興味を示さなかったのにな。役立ち度はそっちの方が高い気はするんだけど。でも納得してやれる方がいいもんね。村や砦をライトアップしたら綺麗だよね、絶対。
マレーナは何かを思いついたのか、急いで食べ始めた。途中で喉に詰まらせそうになり胸を叩いたり、パンを落っことしたりと、一人で賑やかに食事を終えると、食器を脇に置いて早速腰ベルトから小さな魔石を取り出した。
そして魔石を両手で覆うようにして、明るくなった蒼い空を見上げた。そしてマレーナは「ふぅ。」と息を吐き出したかと思うと魔力を流し始めた。
やがて手の隙間から鈍い光が漏れた。
「見て下さい!」
そう言って魔石を覆ったままの両手を差し出す。手の隙間から漏れ出る光は空と同じ深い蒼い色だった。
「すごく綺麗な色だね。」
俺が褒めるとマレーナははにかんだ笑みを浮かべた。
俺も食事を済ませた後、一緒に食器を回収して歩いた。そしてそれを二人で洗って空間収納袋に戻した。マレーナとはそこで別れたが、色々な色の光魔石作ってみると言っていた。夜が楽しみだな。
「さて、と。」
これから魔獣を食い止めつつ、村を広げるためにもまずは北側に外壁を作りたいと思う。
伐採して広げた土地ギリギリの所に壁を作りたい。でも一人作業は禁止されているので、ティアかシュリにも手伝ってもらうために探して歩いた。
すると食事の配膳を終わり、数名で固まって話し込んでいるティアを見つけた。
「ティア、これから北側の森との境界に外壁を作ろうと思うんだ。手伝ってもらえる?」
「いいわよ。でもその辺りで作業するならショーンにも声をかけた方がいいわね。」
「そうだね。その方が安心できるね。」
ティアと一緒にショーンを探して周りをみまわしていると、タイガーの号令が響き渡った。
「集合!」
俺たちは急いで後衛班の後ろに並んだ。すると俺のすぐ後ろにショーンが並んだ。そして肩をポンと叩かれて「おはよう。」とショーンの小声が聞こえた。
「今日の作戦を共有する。今日は緑分隊と後衛班を除く前衛3分隊のみで北方に遠征する。目的はオーガの生息地付近の確認だ。オーガが南下しなければいけないような更に強い魔獣がいるかもしれない。皆、一層気を引き締めろ。オーガは仲間意識が強い。1体でも殺そうものならオーガの一族と全面戦争となる。うかつに手は出すな。準備が出来次第出発する。解散!」
俺たちは居残りということで、外壁作りには好都合だ。ショーンにも外壁作りの手伝いをお願いして快諾してもらえた。ティアとショーンが居てくれれば安心して作業ができる。
そこへタイガーがガチャ、ガチャと鎧の音を立てながら近付いて来た。タイガーは既に兜も装着しており、目だけが見えている状態だ。でも見慣れた鎧や歩き方、雰囲気でタイガーと分かる。
「おい、コーヅ。」
「なんでしょう?」
「オーガを想定すると、石壁の倍の高さが必要だ。あいつらの身体能力は半端無いんだ。ショーンもティアもしっかりサポートを頼むな。」
「分かりました。」とショーンとティアがそれぞれ答えた。
オーガってそんなに凄いのか。近くの石壁に目を向けた。そしてその倍の高さを想像してみた。恐ろしい身体能力だな。
北側の森との境界に向かった。森の奥は暗くて先の方が良く見えないし、聞いたことも無い虫の声が不気味さを増す。こんなところから魔獣や大きな昆虫が飛び出して来たらと思うと背筋に震えがくる。
でもその為にティアやショーンが居るんだと2人を振り返った。彼らを信頼して作業を始めようと思う。
昨日の様に段々と壁が変な方向に進んではいけない。ショーンとティアに相談して壁を作る端と端に目印の木を挿しこんでもらった。俺はそこの間を木の棒で線を引いた。俺はこの線に沿って壁を作っていけば良い訳だ。
早速、起点となる場所から壁を作っていこうと思う。今度は昨日の倍の高さで作る必要がある。そして距離も何倍になるんだろう?相当な広さになる。今日も後衛班の人たちは開墾するらしいので土地が広がっていくのだ。でもそういう事を考えても仕方ない。一歩ずつ進んでいくしかないし。
俺はまず地面の中に土台を作り、そこから壁に高さを持たせていった。そして壁を安定させるためには厚みも必要だ。しっかりと厚みと高さを持たせていった。でも昨日の倍というのは簡単じゃない。魔力を届かせる距離もできてしまうので魔力をより多く消費することになる。
まず、目安となる高さや厚みの参考になる壁を作った。
「どうかな?」
近くに居るティアを振り返って聞いてみた。ティアは森の方から視線を壁に向けた。
「良いと思うわよ。それにしてもこれってちょっとした城壁みたいね。」
ティアは呆れた表情を浮かべて、半笑いで答えた。
俺も「確かに。」と苦笑した。でもこの大きさの壁で村を囲うと思うと、気が重くなるがこれも村や俺たち自身の安全ためと思って作業を始めた。
一気に高さをつけると魔力を多く消費してしまうので、低い壁を作ってから自分もそこに上り、少しずつ高さをつけるような進め方にしてみようと思う。
俺はよじ登れる高さで厚みのある壁を作っていった。作業を続けていると北方遠征する前衛班が壁の脇を通過していった。
「気を付けて!」
俺は作業の手を止めて、手を振りながら声をかけた。すると「お前もな!」という返事と共に笑い声が起きた。
確かにそうかもしれないけど、命の危険度が全然違うと思うんだけど。
俺は前衛班が森の中に消えていくまで見送った。
「大丈夫かな?」
「大丈夫だと思うよ。前にも言ったけどオーガより強い衛兵ばかりだから。それよりこの後だよ。多分オーガと戦うことになって最後は殲滅させないといけなくなるんじゃないかな。でもオーガって結構賢くてね、きっと僕たちが居る村を襲いに来ると思うんだ。」
げ、そうなのか。それであのタイガーからの指示なのか。
俺の不安そうな表情に気付いたティアがショーンの言葉に続けた。
「でも今日明日の話じゃないと思うから。まだ安全なうちに一番危険になりそうな北側を早く作っちゃいましょ。」
俺も気持ちを入れ直して壁を作っていった。陽射しが高い位置から俺の鎧を熱していく。
「ふぅ、暑いな。」
俺は時折り兜を脱ぎ、汗を拭った。そして水と魔力回復薬で水分と魔力を補給した。
作業を続け、昼までに自分の身長くらいの高さで端から端まで作ることができた。オーガ問題を解決するまでは人も通らないはずなので、街道も閉じてしまおうと北側の全面に壁を作った。
「頑張ったね、お疲れ。」
ショーンが森の方から声をかけてくれた。ショーンとティアや他の衛兵たちが北側の森を伐採している。視界が悪いままでは突然現れる魔獣に対応できないし、木を切り倒す音を立てることで魔獣を近づけないようにしているそうだ。
「ショーンもティアもお疲れ。」
俺たちは昼食のために一度南側の門付近へと戻った。すると俺の姿を見つけたエイラが食事を持って来てくれた。
「コーヅは食事の手伝いはしなくていい。外壁作りに注力してくれ。」
いつも右往左往している俺を哀れに思ったのかもしれない。でも俺はそれを好意として受け取った。
「分かりました。ありがとうございます。」
そしてエイラから受け取った山盛りの食事を持って誰も居ないテーブル席に座った。そして兜を脱いで脇に置いた。そして携帯水道でお腹を水で満たした。
「ふぅ。」
俺が一息つくと、そこに食事を持ってきたショーンとティアも座った。そしてショーンも小さく息を吐いて兜を脱いだ。額に玉のような汗が浮かび上がり綺麗な金髪が額にくっついている。でもそれも絵になっている。
「どうしたの?」
俺がジッとショーンを見つめていたので、不思議そうに聞かれた。
「いや、イケメンってのはどんな状態でもイケメンなんだなって思って。」
「ぷっ、何それ。」
ショーンが笑う。ティアは隣で興味無さそうに食事を始めていた。するとそこへシュリも食事を持って来た。
「やっほー。2人とも凄い汗だねぇ。」
そしてそれに続いてサラとリーサも食事を持って来た。
「コーヅ様、ご一緒してもよろしいかしら?」
「勿論です。どうぞ。」
俺は席を詰めて兜を足元に置いた。すると、席順の関係でリーサの隣がショーンになった。着席している人数が多く、それぞれがくっつくような狭さだ。
そんな状況を俺は興味深く、2人の様子を見守ることにした。
「外壁は一段と目立ちますわね。」
サラの言葉に意識を2人からサラへと向けた。サラは上品にスープを掬っている。
「はい。高さも厚さも昨日の石壁の倍くらいあります。」
「まぁ、それは立派な外壁になりますわね。ですが、魔力は大丈夫なのでしょうか?」
「魔力回復薬を飲みながらの作業してます。」
「そうなりますわよね。」
俺はサラとの会話の合間にリーサとショーンの様子を伺う。ショーンには意識した様子が見られないけど、リーサはここからでも分かる程に顔が赤い。リーサはその赤い顔を隠そうと下を見たまま黙々と食べている。
「わたくしに手伝える事はありませんか?」
「そうですね。外壁の外側の木々の伐採などはいかがですか?」
「外壁の外側ですか……。すみません、わたくしはそこで作業をする事はできないので、リーサに手伝わせますわ。良いですね、リーサ。」
リーサは俯いたまま「はい。」と答えていた。サラは訝しげに少し首を傾げたが、それ以上の事は言わなかった。
食事を終えた俺たちは、午後の作業に取り掛かる為に立ち上がった。午後はシュリやリーサも手伝ってくれるそうだ。
北の外壁に戻ろうとする俺にサラが魔力回復薬を2本持たせてくれた。俺はお礼を言って受け取った。そしてまずひと口飲み、腰ベルトに2本をひっかけた。
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