第52話 想定外の事態らしいです
程なく2度目の「魔獣遭遇!」という声と共に、上空でファイアーボールが破裂した。
それぞれの分隊から「行軍停止!」という声が聞こえ、行軍が止まる。
先ほどと同じようにショーンとティアが守ってくれるが、二人とも腑に落ちないような顔をしている。
「おかしいな。」
「多いわね。」
俺には何がおかしいのか分からない。だけど今は目の前に起きていることが優先だ。
魔獣がいる方に目を凝らし耳を澄まして注意を払った。しかし戦闘をしている声や音は聞こえるが、木々が邪魔をしていて何も見えない。
その時だった。
ガサガサ
前衛班を突破したらしい人型の緑色の魔獣が猛然と突っ込んできた。
「あっ」
突然のことに言葉が漏れた。
その次の瞬間、斜め前に居たヴェイがフッと消えたかと思うと、魔獣の前に居て切り終えていた。魔獣の傷口からは赤い血が吹き上がった。
この世界の人たちの目で追いきれない速度って何なんだろうと思う。
「今度はゴブリンか。」とヴェイは言い、ゴブリンの体に剣を突き立て、そこに手を突っ込んで魔石を取り出した。「それにしてもゴブリンごときが前衛を突破してくるってどういうことだ?」と首を捻る。
魔石を持つヴェイの右手が真っ赤に染まっている。
ゴブリン……遂に見た。ゴブリンは子供くらいの背丈で全身はくすんだ緑色をしている。だが今はヴェイとの戦いで土や葉っぱにまみれ、切られたところから赤黒い血が吹き出している。ゴブリンが人型だからだろうか、角ウサギとは違う命のやり取りのリアルを感じた。死や殺害という遠い世界のことが、急に身近になり怖くなった。
「魔獣討伐完了!」
そして衛兵2人がタイガーの元に来て「ゴブリンを12匹討伐しました。数が多く一部取り逃がしました。逃げたゴブリンは北に向かいました。」と報告し血に染まった魔石を後衛班のクロードとカミーユに渡した。2人は携帯水道で血を洗い流してから空間収納袋にしまっていた。
この作業を俺もやらないといけないのかなと思ったが、ちょっとまだ心の準備ができていない。拒否できるものなら拒否したいな。
「12匹……それはちょっとおかしいな。」
タイガーは呟くと、「お前たちは分隊に戻れ」と討伐報告の2人に戻る様に指示した。
そして「各分隊長、斥候は集合!」と召集をかけた。
前後左右に展開している前衛班から分隊長と2人ずつの斥候担当が集まってきた。
「ゴブリンが12匹討伐された。ゴブリン村ではない場所でこれだけのゴブリンに出会うのはおかしい。斥候は北へ逃げたゴブリンの行き先を突き止めてくれ。」
「はっ!」
斥候たちは返事をしたと思ったら、木々の間をすり抜けるように走っていき、あっという間に見えなくなった。
「よし、他の者たちは準備でき次第、行軍を再開する。次の休憩所で斥候を待つ。」
分隊長もそれぞれの分隊に戻り、行軍が再開された。そしてしばらく行軍を続けると少し開けた場所に出た。
「休憩!前衛班緑分隊は周辺の警戒。」
タイガーが全体へ指示を出すと、そこにヴェイが歩み寄っていった。
「後生だから俺も警戒班に入れてくれ!」
タイガーは苦笑して「分かった。行ってこい。」と許可を出した。
「すまねぇな。恩に着るよ。」
ヴェイは満面の笑みを浮かべると、緑分隊を追いかけて森の中へと走っていった。
俺たちはそれぞれ空いている場所に腰掛けた。俺は座り込むと身体強化を解いた。
「ここまでどうですか?」
隣にイメールが来て座った。イメールの腕には黄色のバンダナが巻かれている。
「ゴブリンを殺すところは思ってた以上に衝撃的だったよ。」と俺は込み上げてくるものを抑えてから、息を吐きだした。そして気持ちを切り替えたくて話題を変えた。
「休憩ってこういう広場でするの?」
「はい、そうです。休憩する場所は全て広場になってます。ここは冒険者も休憩とか宿泊に使ったりするんですよ。」
「へぇ、良くできた仕組みだね。」
俺は感心した。良く見ると所々焚火の跡なんかもある。きっとここに泊まった人も居るって事なんだろうな。
そして俺たちは腰ベルトから携帯水道を取り出して水を飲んだ。体が潤うような美味しさを感じた。身体強化をしていると汗はほとんどかかないけど、体から水分は抜けていたようだ。
しばらく大人しく座っていると、少し先の上空でファイアーボールが破裂した。戦闘が始まった様だ。皆、立ち上がりそちらの方を見る。
何も見える訳では無いが、みんなもじっと戦闘が起きている方を向いて目を凝らしている。
「コーヅさん、身体強化ですよ。」とイメールに声をかけられた。
「あ。」
俺は慌てて身体強化をした。そしてイメールの後方にそっと移動した。
「ごめん、何かあったら守って。」
「勿論ですよ!任せてください。」と快諾してくれた。
「あーあ、イメールくんじゃなくて、私を頼って欲しかったな。」と茶化したように言うシュリだったが、表情や雰囲気は真剣そのものだ。
しばらくすると、もう一度上空でファイアーボールが破裂した。それを見ると、周囲の衛兵たちはまた座りなおした。
これは戦闘が終わった事を示しているので、俺も身体強化を解除して座りなおした。
程なくして赤い猪を2人で1頭ずつ抱えるようにして戻ってきた。ヴェイだけ1人で背負うようにしているが、猪の大きな身体の半分くらいが地面に引きずられている。
「すごい大きいね。」
「えっと、私も初めて見ました。」
イメールも不思議そうな顔で首を傾げる。みんなが言う何かがおかしいということなのだろうか。
「あれはレッドボアね。本来はもっとずっと北に居るはずなんだけど。オーガの生息地も北なの。嫌な予感がするわね。」とティアが教えてくれた。さすが本を読んで勉強しているだけあって詳しい。
そしてレッドボアも空間収納袋に次々に収まっていく。この空間収納袋は何度見ても驚かされるし、本当に便利だと思う。こんな大きなレッドボアを抱えたまま、行軍を続けるなんてできないし。
そしてこの空間収納袋は空間属性がある俺も作れるらしいけど、こんなのどうやって作るんだろう?さっぱり分からない。
タイガーと緑分隊のメンバー、そして各分隊長が集まって険しい表情で話をしている。
突然「集合!」とタイガーの号令がかかった。俺も立ち上がり、後衛班の列に加わった。
「現状の共有をする。ゴブリンが十数匹、それから北方にしか生息しないはずのレッドボアが6頭だ。ここからはこれまでの情報からの推測だ。オーガが何かの理由で南下した。そしてそれに追い立てられるように一部の魔獣が南下したものと考える。この後は斥候チームがゴブリンの残党を追いかけて追加情報を探ってくる。持ち帰った情報で今後の計画を考える。それまで引き続きここで待機を続ける。周辺警戒は青分隊だ。以上。」
俺たちは元々居たところに戻って座った。
「この状況ってあまり良くないよね?」
近くにいたショーンに質問した。
「そうだね。オーガも結構強いからね。衛兵の中でも真ん中くらいじゃないかな。力やスピードけならむしろ上位になるけど、戦う技術が無いからね。」
「私は1対1だと危ないかな。」
シュリはあまり自信が無さそうだ。でもそれはオーガがとても強いということで、俺だったら瞬殺されるレベルって事だ。そう考えると背筋が寒くなり背中側の森の方を振り返った。
「私もオーガには嫌な思い出があるし。」
ティアが苦い顔をする。
「ティアはオーガに出会ったことあるの?」
「え、あ、うん。ちょっとね。」
「ちょっとってどういう事?見かけたから逃げたとか?」
「まぁ、一応戦ったんだけどね。」
ティアはとても歯切れが悪い返事を繰り返す。
「それで明日宿泊する予定の広場ができたんだよね。」とショーンが代わりに笑いながら答えてくれた。
「ちょ、ちょっと言わないでよ!」
慌ててティアがショーンに文句を言う。それってあれか。爆炎的なヤツだろうな。それなら俺はこれ以上この話題に触れてはいけない。
「で、こうなってくると、この後ってどうなるの?」と俺はしれっと話題を変えた。
「この後?まだ分からないけど、多分今日はこのままアズライトの周囲の狩りを続けると思うな。まだ情報も少ないしね。」というのがショーンの予想だったが、ティアもシュリもイメールも同じ意見だった。
それならきっとそうなんだろうな、と深くは考えなかった。
休憩はしばらく続いた。休憩に退屈し始めた頃、斥候たちが戻ってきた。そしてまたタイガーの元に集まって相談をしている。
「集合!」
タイガーから集合がかかった。俺たちも立ち上がって列に加わった。
「ゴブリンの村が襲われた形跡を見つけたそうだ。村の状態からワイルドベアやレッドボアといった大型の獣魔獣に襲われた可能性が高いそうだ。今日はこのまま行軍を進めてアズライト周辺の状況を今一度確認する。遅れを取り戻すために、この後は行軍速度を上げる。」
そして周辺警戒していた青分隊のメンバーが戻ってきた。そのままタイガーは「行軍準備!」と号令をかけた。俺たちはすぐに位置に着いた。
そして準備が揃ったと見るとタイガーは「出発!」と号令し、行軍が再開された。
行軍は思ったほどには早くは無かったが、確かに速度は上がった。
しばらく進むと、また「魔獣遭遇!」という声と共に上空にファイアーボールが破裂した。
そして又行軍が止まる。ヴェイはソワソワしているが、俺は隣に居てくれるティアとショーンの位置を確認して、ショーンの方に1歩近寄った。
「魔獣討伐完了!」と聞こえてファイアーボールが打ち上げられ、破裂した。
今度は角ウサギが2羽だった。
その角ウサギを空間収納袋に仕舞い、行軍が再開された。
この流れで昼食の広場までに魔獣遭遇が2回と休憩が3回あった。川や小山などを越えたりもした。遭遇した魔獣はコボルドと角ウサギだった。ここまでの魔獣遭遇頻度はこれまでにないレベルだそうだ。ただ街道から近いエリアでの遭遇率が高かったと思う。その後は徐々に魔獣とは出会わなくなってきてるし。
「よし!ここで昼食だ。後衛班準備を頼む、周辺警戒は赤分隊だ。」とタイガーは指示を出した。
俺はここで配膳用のテーブルを作る事になっている。配膳を担当するフリーダに声をかけた。
「どこにテーブル作ればいいかな?」
「そうね、ここに横に長いテーブルをお願い。」とフリーダの目の前の指定された。
俺は指定された辺りに5m程度の長テーブルを1脚作った。
「どう?」
「良いわね。そうね、このサイズならあと2脚作って欲しいかな。テーブルの間を通り抜けられるようなスペースは残しておいて。」
俺は言われた通りにテーブル同士は少し隙間を空けて、2脚のテーブルを作った。
「いいじゃない。ありがとう。あとは私たちがやるから、配膳の時に私たちが何をするか見ていて。」
フリーダはそう言い残して、後衛班の女性たちの元へ行き、指示を出した。空間収納袋からお皿に盛りつけられた食事を出してテーブルに並べる人、料理が載ったお皿を持ってあちこちに歩き、小皿やフォークと共に手渡す人たち。
彼女たちはテキパキと動き、昼食はあっという間に前衛班の手元に行き届いた。そしてテーブル前でおかわりを求めて来る人たちの応対していた。
そして徐々にお代わりする人たちが減ってくると、後衛班も少しずつ食事を始めた。
「どうだった?」
フリーダが俺にも食事を持ってきて、声をかけてくれた。
「すごく効率的であっという間にみんなに食事が行き届いてたね。凄いと思った。」と俺が褒めるとフリーダも満足そうに頷いた。
後衛班も含めて全体の食事が終わると、食器を携帯水道を使って軽く水洗いをして空間収納袋に戻していく。俺はみんなが食べ終えた食器を集める仕事を手伝った。
そこから短い休憩時間を挟んで、出発となった。いつもはもう少し長い時間休憩しているらしいんだけど。まだ遅れた予定を取り戻せていないんだろうな。
―――
その後5回の休憩があったが、1回しか魔獣に遭遇しなかった。それも角ウサギだ。街道から少し入った辺りだけ異常に魔獣が多かっただけだったように思う。
そしていよいよアズライトを1周して街道沿いの最後の休憩所というところが見えてきた。俺はここまで行軍について行く事ができている。最初は歩きにくいと思っていた道にもだいぶ慣れてきて苦にならなくなってきた。
そして最後の休憩場所に辿り着いた。初日は無事に終わりそうだ。
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