第36話 フレンチトーストの評判

 ゲーベルス靴工房を出た俺たちは、どこへ向かうでもなく歩き始めた。

「3足もって、そんなにスリッパを気に入ってくれたの?」

「うん、可愛いから欲しくなっちゃった。でも私の給料じゃ買えないからさ……ごめんね。」と、てへぺろされた。

 くっ、可愛いなぁ。ティアって黙ってれば可愛いんだよな。でも天は何物を与えなかったようだ。でも可愛くてSランクの魔術師というだけで十分なんだろうけどさ。

「俺、他にも欲しい物があるんだけど、お店まで連れていってくれるかな?」

「いいわよ、王都のお店だって連れて行ってあげる。さ、行くわよ。」と俺の後ろから背中をグイグイと押してくる。いつもこれくらい機嫌が良いといいのに。


 俺が欲しい物はまず紙と筆記用具だ。まずは自分向けに魔獣狩りのしおりを作りたい。それから人の名前もメモしたいし。建築ギルドの人たちだって誰一人覚えていないのに、今日また新しい人たちが来るとか。そんなに覚えられないって!

 それから掃除道具も欲しい。スリッパで部屋の中を歩き回れるように床を綺麗にして準備しておきたいし。

「それなら雑貨屋に全部あるかも。行ってみましょうか。」

 困った時は雑貨屋よ、とティアは方向転換して速度を上げて歩き始めた。ここからは遠くない場所にあるらしい。

 

―――


「ここよ。」とティアが店の前で止まった。

 店の上に掲げられている看板にはリーディア雑貨店とある。

 他の店よりは少し広いが雑貨を売るには少々手狭で、色々なものが所狭しと置かれている。それはそれで何が出てくるのか分からないワクワク感がある。

 店には他にもお客さんがいて商品を手に取って見ている。俺もどんなものが売っているのかと店の中を歩き回った。皿やコップなどの食器、小さな棚や桶など色々ある。そして掃除道具は店の入り口付近にあった。そこにはハタキや箒などがあったが、雑巾は売ってなさそうだ。

「拭き掃除をしたいんだけど。」

「そういうのは古くなった服を切って使うのよ。そのくらいなら私が準備しとくわ。」

 あ、そういえば俺が子供の頃も雑巾は母親が作ってたな。掃除道具はハタキと箒とちり取りを選んだ。

 次に紙と筆記用具を探しに店の中を歩いた。かばんや箱に食器類や用途の分からない小物などがある中に紙や筆記用具も売っていた。

 紙は羊皮紙とパピルス紙だ。どっちがどういう用途に向いてるんだろう?ティアに聞くと羊皮紙が必要な時以外はパピルスと言われた。羊皮紙は値段が高いけど丈夫で長持ちする。俺が考えている様なちょっとした用途ならパピルスだな。ただパピルスはそのまま置いておけないので木の芯に巻き付けるようにして保管するのだ。その木の芯も必要だ。

 紙が決まれば筆記用具も絞られてくる。葦ペンと黒インクだ。葦なので太さが色々だ。俺は手に馴染む2本を選んだ。

 それから箱を見て思い出したのだが、茶葉やお茶請けを入れておく箱も欲しかった。余裕がある大きさの物を2つ目星をつけた。

 

 買うものを決め、会計をしてもらった。でもこの世界にはレジ袋の様なものが無いので、少し大きめの手提げ籠も一緒に買い、その中に詰めてもらった。でも箱までは籠に入らなかったので、かそれはティアに持ってもらった。

 

「買い物はこれで終わりかな。ね、フィーロのパン食堂に寄って帰ろうよ。フレンチトーストの売れ行きが気になるんだ。」

「そうね、良いわよ。」

 

―――


 曇っているとは言え、荷物をもって歩いていると額がじっとりと汗ばんでくるが、額からの汗が流れ落ちる前には店に辿り着けた。

 しかし店の看板に「本日のフレンチトーストは完売しました」と貼られていた。

 これは限定10食が午前中に売り切れてしまっているという喜ばしい状況と、俺たちは食べられないという悲しい状況とが一度に襲ってきて、感情をどちら側に寄せていいのか分からなくなった。ティアを見ると「こんな時間で完売してるなんてすごいじゃない!」と好意的に受け止めていた。

 俺はモヤモヤとした気持ちのまま店に入った。しかしそこにはお茶を楽しんでいる人たち、パンを食べている人たちなど、数名のお客さんがいた。これまで一度も他のお客さんと一緒になったことが無かったので状況の違いに驚いたし、俺の心のモヤもすっかり晴れた。

 

 空いているのはカウンターの2席だけだったので自然と俺達はそこに向かった。途中でフィーロが厨房から顔を出して「ごめんなさいね。すぐ行きますから待っててください。」とまた厨房に引っ込んだ。

「忙しそうだね。」

「うん、びっくりした。」と店の中を見回し、「でも、良かった。お客さんで一杯のお店は初めて見たわ。」と嬉しそうだった。

 フィーロは他のお客さんへ注文の品を届けてから俺たちのカウンター席に来た。

「コーヅさんのお陰で突然すごくお客さんが増えたの。本当はゆっくり話をしたいんだけど、今はごめんなさい。ご注文はいかがされますか?」

 フィーロは少し疲れているようにも見えるが、充実している笑顔を向けてくれた。

「卵パンでいい?」という質問にティアは頷いた。

「卵パンとお茶を2つと持ち帰りでクッキーを10人分ください。」とフィーロに注文した。

「はいクッキーを10人前……10!?」と二度見され「あ、えっと、かしこまりました?」と少し頭が追いついていないような返事をして、厨房に戻っていった。


 ティアとは特に会話はせずにお店で食事やお茶を楽しんでいる人たちを観察していた。女性が5人と多く、男性は1人だけだった。世代は20代後半から30代くらいなのかな。この人たちが固定客になってくれると良いんだけどな。そんな事を考えているとフィーロがお茶を持って来た。

 フィーロは丁寧にお皿とカップを俺たちの前に置き、そこにお茶を注いでくれる。とても華やかな香りが立ち上ってくる。

「卵パンはもう少し待っててくださいね。」とフィーロが笑顔を絶やさないままで厨房に戻っていった。

 はぁ、美味しい。

 隣を見るとティアはカップを両手で持ち肘をついて飲んでる。そしてティアも美味しいと呟いて、カップを置いた。

 フィーロにフレンチトーストがどんな評判だったか聞きたかったけど、今はそれどころではなさそうだ。でもこの状況を見ればわざわざ聞くまでもなく良い評判だったのだろうと察しはつく。

 しばらくするとフィーロが卵パンを持って来て、「どうぞ。」と俺たちの前に置いてくれた。そしてそのままお会計の為に他のお客さんのテーブルに向かっていった。


 俺とティアが話をしながらゆっくりと食事をしている間に1組、また1組と帰っていき、最後に俺達だけになった。


 最後のお客さんを見送ったフィーロは椅子を持って来て座ると「疲れたー!」とカウンターに突っ伏した。

 少しの間そうしていたかと思うと起き上がり、「コーヅさん、本当にありがとうございました。フレンチトーストは初日は夕方まで残ってたけど、2日目は完売で今日は午前中に売り切れました。仕込みをもう少し増やしていかないといけないなって思っているところなの。」

 フィーロはもう一度カウンターに突っ伏して「でもこれ以上忙しくなると思うと悩んじゃうの。」と躊躇しているようだ。

「忙しさに慣れてから少しずつ増やす感じで良いと思うけど。ティアはどう思う?」

「私も焦らなくて良いと思いますよ。味やサービスのレベルは絶対に落としちゃいけないと思うし。だから数を増やすことが負担にならなくなってからで良いと思います。」とティアは俺の意見に同意した。


 フィーロは起き上がり、「はい、2人のアドバイス通りにします。私はもっと数を増やさないといけないのかなって思っちゃってたので、2人にそう言って貰えると楽になります。」と笑顔を向けてくれた。

「それにしてもフレンチトーストはすごく人気出たね。」

「私も内心自信はあったんだけど、こんなに早く人気が出るなんて思ってなくて。それに合わせてパンやお茶のお客さんも増えてきて、ほんとビックリなの。」

「これじゃあしばらくリーサさんは食べられなさそうだねぇ。」とティアに言った。

「あ、そういえばそうね。今は人気で食べられないって言うしかないわね。」

「お二人の知り合いだったら別で準備しておきますよ。」とフィーロが提案した。

 4日後の魔獣狩り前日は俺たち遠征者の休暇になるので、その日でお願いした。時間帯は夕方の閉店後で、フレンチトーストを10人分も用意しておいてくれるそうだ。これはちょっとしたパーティになりそうだ。


 それからラスクのことを聞いたが、そっちはまだ試作段階だそうだ。魔獣狩りから戻った頃に店頭に並んでてくれることを密かに期待しておこう。

 そんな状況だから俺の部屋にあるフィーロ専用ハンバーガーとフライドポテトのレシピのことは口にできなかった。もし口にしようものなら……とティアを見た。

「何よ?」

 ティアは勘が鋭い。

「何でもないよ。」という俺をジトッと見た。

「ふふふ。仲が良いのね。」


 午後は来客があるので、ここで失礼する事を伝えた。フィーロは厨房に戻り準備していてくれた10人前のクッキーを持って来た。

「10人分なんて注文受けたの初めてだからびっくりしたよ。」と笑顔で渡してくれた。10人分なので結構量も多いが買ったばかりのケースに入れる事ができたので、そのままティアに持ってもらい店を出た。

 そして俺たちと入れ違いに次のお客さんが入ってきた。後ろを振り返ると、フィーロは入って来たお客さんを席に案内していた。

 俺たちも砦に向かって大荷物を抱えて歩き始めた。

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