第35話 スリッパの仕上がり

 今朝の目覚めはあまり良いものではなかった。

 昨夜、家族写真を見ていたからだと思う。上手く思い出せないけど家族の夢を見ていたような気がする。

 俺はのっそりと起き上がり、重たい体でスマホを充電するためにリビングに移動した。イメールは日本に興味があるからと志願してくれたと聞いてたのに、あまり日本の事を話すことができていなかった。それどころかイメールに疑いをかけて……いや、まだ疑いは完全には晴れてないけど、距離が縮まらないまま1週間が経ってしまった。でもお世話になったお礼にちょっとだけでも日本の写真を見せてあげたいと思った。

 

 俺は寝室に戻り、窓を開けて外の空気を胸一杯に吸い込み、気持ちを切り替えようとした。簡単に切り替わるほど簡単なものではないけど、朝の準備を始めた。そして洗面所で携帯シャワーから水を出し、それを手ですくって顔を洗う。手に当たるシャワーの感触が日本で慣れ親しんだ感覚を思い起こさせる。やっぱり携帯シャワーは作って良かったと思う。

 コンコンコン

 イメールが朝食を持って入ってきた。

「おはようございます、コーヅさん。今日で警護の仕事が終わります。1週間と短い期間でしたがお世話になりました。」

「こちらこそ、お世話になりました。ところでイメールって少し時間ある?」


 何だろう?という表情をしながらも「大丈夫です。」と答えた。俺はリビングの椅子に座るように促した。そして茶葉を持ってきて「1週間ありがとう。イメールのおかげで何も問題なく過ごすことができました。これはささやかですが、お礼です。」と渡した。イメールも「いいんですか?ありがとうございます!」と嬉しそうに受け取り茶葉の袋を見ているイメールの姿に嬉しくなる。

 そして次はスマホだ。電源を入れロックを解除した。その様子をイメールは興味深そうに見ている。そして写真を見れるようにイメールにスマホを向けて、フリックで写真を送りながら説明していった。

「うわぁ、これがコーヅさんの世界……。」

 俺は乗り物や建物、アトラクションや俺の家族や友人、ファッションや食べ物などを説明しながら見せていった。

「僕はこの車っていうのに興味があります。移動が速くて乗り心地が良い馬車ってことですもんね。これに乗って世界のあちこちをスケッチしながら旅をしてみたいです。」と見たことの無い世界へ思いを馳せている様子だ。


 イメールは任務に戻る時に素敵なご家族にまた会えるように応援しています、と言ってくれた。いい奴だ。俺はイメールを玄関まで見送ってから、返却しないといけないスマホや鞄などまとめてから、急いで食事を始めた。ティアが来る前に食べ終えてしまおうと急いだが、ティアが来る方が早かった。

「もう、遅いわよ。街に出るんでしょ?」

 そう、今日はサンダルのサンプルが仕上がる日なんだ。サンダルはこの前の時点でもかなりの完成度だったので楽しみしかない。でも今日はそれだけじゃなく、午後には建築ギルドの人たちが来ることにもなっていて忙しい。

 俺は「ごめん」とティアに謝り、食事を手を止めて、お金の準備を給料の入った革袋を持ってきてティアに渡した。ティアはそれを受け取ると、お金を取り出してブツブツ言いながら自分の財布の中にしまい始めた。

 ティアがお金の準備を終える頃には、食事を口一杯に詰め込んでモグモグさせながら食器を片付けていた。

「そこまでしなくて良いわよ。」

「むぐむんふん。」

「何言ってるか分からないわよ。」と苦笑混じりに首を振った。

 口の中のモノを全て飲み込み終えてから「さぁ、行こうか。」とティアと部屋を出た。そして部屋の脇に立っているイメールに「今日はお昼過ぎてから帰ってくると思うから、ここで会うのはこれで最後かな。」と互いに笑顔で別れた。


 砦の門を出てゲーベルス靴工房に向かう。徒歩で10分程の距離なので道順はもう覚えた。見慣れた景色を眺め、勝手に見知った街の人を見つけたりしながら歩いていた。

「おはようございます!」

 店に入ると声をかけた。既に店頭には5足のスリッパが綺麗に並んでいた。そして受付のロザリーはいつもの調子で「あー、お客さんいらっしゃい。待ってたのよ。おーーい!親方ーー!フィーゴーー!お客さん来たよーー!」と店の後ろに向けて呼び出している。

 ズルッ、ペタ。ズルッ、ペタ。

 親方とフィーゴがゆっくりと奥から出てきた。その足元はスリッパだ。

「お客さん、おはよう。まったく……、朝からすまないね。」と言い頭を掻きながらため息をつく。俺は毎回のこのやり取りが好きだけどね。そして親方はまずは腰かけてくれとテーブル席に案内した。


「ロザリー、おきゃ……」と親方が途中まで話しかけた所でロザリーが上から被せて「お茶でしょ?分かってるって。待ってて。すぐ美味しいお茶を淹れてくるからね!」とウインクをすると店の奥へ走って戻っていった。親方は首を振りながらロザリーを見送っていた。

 親方は「何から何まですまないね。」と謝ってくるが「俺はこのやり取りが好きですよ。」と返すと、複雑そうな表情をしていた。そして一度下を向いて息を吐きだしてから、顔を上げてこちらを見た。

「お客さん。あそこに並べてあるのがフィーゴが作った5つのサンプルだ。」と言い、フィーゴに「この先はお前が説明してみろ。」と言った。フィーゴは頷き少し緊張している様子で説明を始めた。

「えっと、全部同じ形で生地や色の組み合わせで5種類のスリッパを作った。それと踵のクッションはお客さんの注文通りにした。」

 まずは絹をベースで作られたもので、光沢があり高級感がある。でも足裏と接触するところは絹ではなく綿で作られているそうだ。絹はこすれるとすぐ破れてしまうからとのこと。

 2種類のデザインがシンプルに単色でまとめられている。色はコバルトブルーとローズだ。シンプルなだけに絹の高級感が活かされていると思う。

 もう1種類の方は少しデザインされている。ローズの絹をベースに作られているが、足の甲を覆う部分の足の甲に近い方を斜めに少しカットしてコバルトブルーの絹をそこに当ててアクセントにしている。足裏と接触するところも踵の部分を斜めに少しカットしていてコバルトブルーの綿でアクセントにしている。

 それから麻をベースに作られているものはラフな感じで普段使いに良さそうだ。俺はこれが好きかな。色は2種類用意されていて水色をベースにしたものと明るいピンクをベースにしたもので、どちらもとても明るい。そこにそれぞれ群青色とローズ色の糸で縫い付けてあってそれがアクセントになっている。

 そして俺とティアはそれぞれのスリッパを履かせてもらった。絹のスリッパは凄く高級感があるし肌に触れた感触も気持ちが良い。麻で良いと思ったけど、絹も捨てがたい。と俺は悩み始めた。

「私は決めたわ。この2色使っている絹のスリッパを3足頂戴。コーヅの部屋、私の研究室、私の家で使うから。」

 ティアだけで3足?しかも絹の方で?

 俺は驚いてティアを見たが、嬉しそうにしているティアには何も言えなかった。それに気に入ってくれたなら俺も嬉しいし。

 領主にはシンプルな絹のスリッパをコバルトブルーとローズで2足だな。俺やタイガーにショーン、それから警護の人たちには麻ので良いかな。今日からのヴェイとシュリを合わせると10足だ。来客用にも10足くらい手元に置いておきたいから25足か。結構な数になるな。俺はティアに自分の考えを伝えると不思議そうな顔をされた。

「何で領主様に絹を贈るのにサラ様に麻なの?もしかしてコーヅってサラ様が領主様の娘な事を知らないとか?」

「え?」

 俺は初耳だったので思わず聞き返した。

「えー?」

 ティアからは飽きれ顔で聞き返された。サラは貴族だとは思っていたけどまさか領主の娘とは思ってなかった。

「あんたねぇ。サラ様を見てたら高貴な方って分かるでしょ?知らないならどんな家柄の人か聞かないと駄目でしょ。」

「はい。ごもっともです。でも何度かティアに聞こうと思ったんだ。サラさんがいないところで聞こうと思うと忘れちゃうんだよ。」

「それは言い訳。」とティアにピシャリと言われた。

「はい、すみません。」


 今更ながらに領主一族の家族構成を聞くと領主、奥様、長女がサラ、長男、次女だそうだ。そうすると5足必要じゃないか。そして何故かティアが3足。サラを除く俺や衛兵で9足。来客用に10足。全部で27足となった。領主一族とティアは絹製。その他は麻製でお願いした。

 

「ちょっ、ちょっと待ってくれ。費用を計算し直してくる。」

 親方は慌てて工房に戻っていった。そのタイミングでマロリーがお茶を届けてくれた。

「はーい、お客さんにお茶を持ってきたよ。どうぞ。」と俺とティアの前に置いた。

 お茶を飲みながらフィーゴに「スリッパを作ってみてどうだった?」と聞いてみた。フィーゴは「今まで部屋の中で履くものなんて考えたことも無かったから、すごく楽しかったし勉強になったよ。」とキラキラとした目で作る時に苦労したりこだわったポイントを語ってくれた。

「私もね、作ってもらったんだよ。」

 ほら、とマロリーが足元を見せてくれた。麻の端切れを使ったつぎはぎな感じのスリッパだ。でも色彩やバランスの感覚が良いのだろう、オシャレな感じに仕上がっている。しばらくスリッパの話をしていると親方が頭を掻きながらズルッペタ、ズルッペタと戻ってきた。

「お客さんには言いにくいんだが、見積もりよりも相当高くなっちまってね。」と言いながら内訳を説明してくれた。

 

 絹製が小銀貨1枚と大銅貨5枚、麻製は大銅貨8枚。合計が大銀貨2枚と小銀貨7枚に大銅貨2枚となる。予定よりも数が増えた事と高級素材という事で最初の見積もりからは値が上ったそうだ。ただ、それなりにまとまった数が出る事になったので切りが良いところまで割り引いて大銀貨2枚と小銀貨5枚としたと。そこから手付の小銀貨5枚分を引いた残りが大銀貨2枚となった。今回はそこまで持ってきていないので大銀貨1枚を支払い、受取の時に残りの大銀貨1枚を支払う事になった。受け取りは5日後以降ならいつでも良いと言われた。5日後なら魔獣狩りの前に取りに来れるかな。

 ちなみに大銀貨2枚はティアの給料とほぼ同じ金額なはずだ。そう思うとスリッパだけでその金額は使い過ぎたのかもと思ったが、それは口にしない。そしてティアも自分が高くしている一因と理解しているからか何も言わない。


 ティアが財布から大銀貨を渡して支払いを済ませると、親方が相談があるんだがと話しかけてきた。

「俺たちがこうやってスリッパを履いて仕事しているもんで、店に来るお客さんの目にも留まるんだ。中には売って欲しいという話もあってな。俺たちも商品化してみたいと思うようになったんだが。このスリッパの権利化ってどうなってるんだ?」

 俺が答える前にティアが権利化フリーの説明をしてくれた。

「本当か?俺たちも売れるか分からない物に高い使用権は払えないと思ってたから助かるな。売って良いなら店先には早速このサンプルのスリッパを飾っておくよ。もしかしたら5日後の納品までに売れてるかもな。」と言って笑った。

 親方は安心したのか饒舌になって開発の苦労話を色々と聞かせてくれた。それにしてもスリッパはすごく個人的な希望で作ったものだから、この世界でも欲しいって言ってくれる人がいる事が分かっただけで俺は十分かな。少しだけどアズライトの役に立てたって事だもんね。


 話が終わり俺は立ち上がると、親方とフィーゴと握手を交わして店を出た。

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