第6話 教育担当の指名

 ガチャ


 扉が開いて衛兵のジュラルが入ってきた。そこで目にしたのは大理石の塊を前にぐったりとしている俺の姿だった。

 すぐ部屋の外に向かって大声で支援を要請をして、俺に駆け寄り「おいっ!大丈夫か!?」と言いながら俺を抱きかかえて、頬を強い力で何度も叩いた。

「イタタタ痛いよ。」

 俺は何事かと目を覚ますと、目の前には凄い形相で目を見開いて叫んでいるジュラルの姿があった。

 何があったんだろう?

 寝ぼけた頭で考えていると、バタバタと数人の衛兵が部屋に入ってきて俺を囲んだ。そして少し遅れてタイガーも入ってきた。

「大丈夫か!?」とタイガーに覗き込まれた。

「え……と……何かあったんですか……?」


 俺はまだ目が覚め切らず、この衛兵たちに囲まれている状況が理解できなかった。

「その石は浴槽か?その前で倒れていたお前さんの事だよ!領主様の面会の前に問題を起こすなといっただろうが。」

 タイガーはドカッと音を立てて乱暴に椅子に座ると俺を睨んだ。そこへティアも部屋に入ってきた。

「ちょっと待ってよ!それって土魔術で作ったの?もうそんなもの作れるようになったの!?」と、ティアが驚きの声をあげた。

「その前に!あんた、一人で魔術を使うなってあれほど言ったでしょ!?」

 いや、だってあれはやれってフリだと思ったから……。とティアの怒りっぷりを前に声には出せず、心の中で反論した。


 タイガーとティアからギャンギャンと小言を並べられ続けた。そうしてるうちに意識もはっきりしてきて、昨日のことも思い出してきた。

 風呂に入ろうとしてお湯を注いだんだよな。……あれ?それでどうしたんだっけ?そこからの記憶が無い。そして浴槽には水が半分に満たないほどに溜まってる。そこから導き出される答えは……。

「浴槽を作ってお風呂に入ろうと思ったんです。なんか色々すみません。へへ……」

 俺がお湯を溜めてる最中に何かをやらかしたことは間違いなさそうだ。それが何だかはよく分からないけど、素直に謝っておいた。

 まったく、と言いながらタイガーはガシガシと頭を掻いた。ティアは呆れ顔でため息をついた。そして力が抜けたようにベッドに腰かけた。

「なんにしても事件じゃなくて良かった。皆、もう下がっていいぞ。」

 ジュラル達は朝食準備を手早く済ませると引き上げていった。それを見届けたティアが口を開いた。

「昨日、私が教科書を届けた後からのことを教えてもらえるかしら?」

 俺は教科書を読んで魔術を試してみたこと。風呂に入りたくなって浴槽を作って、お湯を溜めようとしたら力尽きてしまったことを伝えた。

「信じられない……。何で初等部用の教科書の内容でここまでの事ができるの?」

「魔力の操作とイメージ力の勝利?」

「何が勝利よ!まったく……。」

 ティアは腕を組んで文句を言った。一方でタイガーは苦笑を浮かべている。

「コーヅ、お前さんはやっぱり面白いな。そういえば領主様は王都に向かって移動中で、アズライトに戻ってくるまでには1ヵ月近くかかるだろう。領主様が戻るまで、午前中はティアと魔術の勉強で午後は俺たち衛兵の訓練に参加してもらう。ティア、あとはよろしく頼む。魔術以外もしっっっかりと教育しておいてくれよ。」

「ちょっと!私にだけ押し付けないで。」

「コーヅが衛兵になるってなら俺がみっちりと教育するんだけどなぁ。」と俺をチラッと見た。

「タイガー隊長は砦の責任者でしょ?もう少し責任ある行動とってよ。」

「責任者だからお前さんに任せたんだよ、ティア。」と言ってニッと笑った。

「もぅ、分かったわよ。教えるのは良いけど想定外のことまで面倒見れないわよ。」

「コイツならそれもあるだろうから、ある程度は覚悟してるよ。コーヅはシンとは逆の問題児だな。がはははは」

「笑い事じゃないわよ、まったく。」


 話に区切りがつくと、タイガーはよいしょと言いながら椅子から立ち上がり「あとはよろしく頼む。」と言い残し部屋を出て行った。

 ティアはもう一度ため息をついてから立ち上がり、浴槽に歩み寄って触ったり叩いたりしながら何かぶつぶつ独り言を呟いている。


 俺は固いパンをかじりながらティアの後姿を眺めていた。今日のティアはチャコールグレーのローブだ。デザイン性に乏しいシンプルなものだ。逆にそれがティアの金髪を際立たせている。俺はゆっくりと食事をしてたが、それも終えてしまい手持ち無沙汰になったのでティアに声をかけた。

 

「ねぇ、ティア。何をそんなに見てるの?」

「魔術を知らなかったあなたがほぼ独力で浴槽を作ったのよ。それもただの浴槽じゃないわ。きれいで滑らかな曲線。魔術だけでこんなに滑らかな仕上がりはほとんど見た事ないわ。」

「日本で使っていた浴槽をイメージして、それをちょっと大きく作ってみただけなんだけど。」

「そんな簡単な話じゃないわよ。でもそれはまた後で聞くわ。何度も倒れられたらたまらないから魔力切れから説明するわよ。」

 そう言うと、魔力切れについて教えてくれた。体内の魔力が不足すると頭痛や吐き気、眠気などの症状が起きる。そのまま無理をして魔力を使い果たすと最悪は死ぬそうだ。


「今後は絶対に魔力切れを起こすまで無理をしない事、いいわね?」とティアはジトッと俺を見る。

「はい、覚えました。これから気を付けます。」

 信用していない目のままティアは説明を続ける。

「そして魔力量はトレーニングする事で増やすことができるの。」


 体の隅々まで魔力を流し魔力が流れる支流を増やすこと、そしてその1本1本の支流の幅をを広げることで体内に維持できる魔力が増えるそうだ。

 

「ちょっと魔力量増幅トレーニングやってみて。目を閉じて、体中を巡る魔力の流れに意識を集中するの。まずは大きな魔力の流れを掴んで、そこから徐々に深く辿ると支流の流れが感じることができるから。」

 

 俺はティアに言われた通りに目を閉じて魔力の流れに意識を持っていく。しばらくすると魔力の流れを感じることができるようになった。短い時間だったので支流という細かな流れまでは感じ取ることはできなかったけど。


「魔力量増幅トレーニングは時間があるときに繰り返して。次に魔術について改めて説明するわ。」

 1属性もしくは複数属性の魔力を放出したり、体内に取り込むことで効力を発揮する。魔力をどのように放出するかはイメージ力が大切になる。イメージを明確にするために繰り返し魔術を使い練習する必要がある。

 そしてティアに指示され水魔術の形を変えるトレーニングをした。まずはティアがお手本を見せてくれた。手のひらに浮き上がってきたのはガラスのようにカチッとした四角形の水の塊だ。

 次に俺がやってみる。特に意識せずに水を手のひらに浮かび上がらせるとふわふわとした球体のが出てきた。これを綺麗な球体にしたり三角や四角などイメージ通りの形になるようにと、何度も繰り返したがどうしても波打った形でふわふわしたものになってしまった。これもじっくりと取り組む必要があるようだ。

「やっぱり土属性のAランクって伊達じゃないわね。普通はこういうトレーニングを繰り返して魔力操作を覚えていく必要があるのよ。さ、食堂に行きましょ。そこでタイガー隊長と交代よ。」

 浴槽が簡単にできたから魔術は全体的にもっと簡単にできるものと思ったよ。


 食堂にはまだタイガーの姿は無かった。俺たちはタイガーを待つことなく、先に食事を始めるために列に並んだ。メニュは昨日と同じものが並んでいた。聞けば週替わりメニュなのだそうだ。

 食事を持ってテーブルに置いたところでタイガーが入ってきた。タイガーは目が合うと軽く手を挙げてきたので会釈で返した。

 食事を持ってタイガーは相変わらず山盛りのマッシュポテトだ。そしてティアの隣に座った。

「午後は訓練できるよな?しっかり食べておけよ。」とタイガーはマッシュポテトを大匙ですくって口の中に入れた。「で、今朝のあの浴槽は結局なんだったんだ?」

「お湯に浸かってさっぱりしたかったんです。」

 タイガーは呆れたような表情を浮かべ俺を一瞥した。

「コーヅといい、シンといい異世界人たちはどうしてこんなにも風呂に情熱を燃やすのかねぇ」と、同意できないとばかりに首を振ってからマッシュポテトをもう1匙掬って口に入れた。「で、その浴槽は上手く作れたのか?」

「凄いわよぉ。直線や曲線がとても綺麗なの。魔道具職人でもあそこまでの質はなかなか出せないわ。」

「宮廷魔術師に魔道具職人に将来有望だな。更にそこに兵士も加わるわけだ。兵士と言っても色々あってだな……」

 

 タイガーは近衛兵の道を教えてくれた。魔術が十分に使える兵士は王都で近衛兵として働くことができること。近衛兵のメリットは大きく2つあり、1つは安定してそれなりの収入が得られること。もう1つが魔術の研究も国の補助を受けながらできることだそうだ。

 ただ俺はまだ何の実感も湧かないし、ここに長く住むことを前提にはあまり考えられない。ただ宮廷魔術師であれ魔道具職人であれ近衛兵であれ選択肢があることは俺にとってはきっと良いことなんだろうとは思う。


 食事が終わると俺はタイガーに連れられて訓練場に向かい、ティアは自分の研究室へと戻っていった。訓練場に着くと、更衣室で自分の軽鎧に着替えてタイガーと一緒に広場に出た。

 

 タイガーが集合の号令をかけると衛兵たちがダッシュで集まってきて隊列を組んだ。こういうところを見るとタイガーは偉いんだなって思う。

 

 タイガーが俺の事を簡単に紹介してくれ、俺に自己紹介を促した。


「神津陽一です。27歳の既婚で息子が居ます。異世界の日本から来ましたが帰る方法を知りたいと思ってます。アズライトでお世話になる間は精一杯頑張ります。」


「優等生過ぎるな。」

「真面目か?」

「もう少しネタを突っ込めないとやっていけないぞ。」

 挨拶からいきなりダメ出しをされた。こんなところでやっていけるのかと急に不安が襲ってきた。

「おいおい、来たばかりの奴をからかうな。」とタイガーが静めてくれた。そしてここで俺の教育担当にショーンが指名された。


 そして衛兵見習いという扱いで訓練が始まったが、今の俺には体力も力も魔力も無い。まずは基礎体力作りの為にひたすらの走り込み。それも軽鎧ではあるが重さを加えられた上で、だ。そしてそれが終わると打ち込み台に向かっての打ち込みと続いた。


 はぁはぁはぁ……。心臓の鼓動は激しく、肺は苦しい上に痛い。体中から汗が噴き出るし、手の皮はズル剥けだ。もう俺には立ち上がる体力も気力も何もない状態だった。そんな俺を横目に他の衛兵たちはもっと厳しい訓練を続けている。

 

 タイガーが上から覗き込んできた。


「コーヅ、お前全っっ然体力が無いな。しばらくは走り込みと打ち込みだな。今日は魔術で体をケアしてから帰れ。ショーン!コーヅを回復して部屋に連れていってやれ。」

 

 タイガーはショーンに指示をすると訓練の指導に戻っていった。

「大丈夫?回復するから待ってて。」

 この心優しきイケメンが俺の教育係で助かった。ショーンは俺に手をかざし回復してくれた。

「僕は回復系魔術はそんなに得意じゃないんだ。完全には回復しないかもしれないけど、少しは楽になったかな?」

「うわぁ。手の皮も戻ったし体も元通りだよ、ありがとう。お陰でもう1度訓練やり直せるくらい回復したよ。でも、やる気までは回復しなかったからやり直さないけどね。」

「軽口が出てくるくらいには回復したようで良かったよ。部屋に送っていくね。」

 

 着替えてからショーンに部屋に連れ帰ってもらい、部屋の前で別れた。

 俺は警護している衛兵に挨拶をしてから部屋に入った。

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