第5話 浴槽作り
訓練場での体力測定はなんとか終わり、俺は衛兵に連れられて部屋に戻された。
俺はタオルで体を拭いて服を着替え直したが、べっとりとした汗が気持ち悪い……。それなのに今夜も風呂に入れないとか。それって本当にきつい。
その時、昼を知らせる鐘の音がゴーン、ゴーンと鳴り響いた。しかしドアを見ても無機的に佇んだままで、誰かが入ってくる気配は無かった。
そんなドアをしばらく見つめていたが……諦めた。俺は立ち上がると窓から街を見下ろした。太陽から降り注ぐ光で街が白く輝いて見える。その絵画から切り出したような景色は美しくて、どれだけ眺めていても飽きそうにない。
ガチャ
ドアが開き、タイガーとティアが俺を迎えに来た。
「昼食よ。」
俺はティアに呼びかけられて、慌てて部屋を出た。そしてティアの後ろから廊下を歩いていると、すれ違う人たちからの興味を含んだ視線がチラチラとこちらに向けられる。
「普通ねぇ。」
「見た目はシンの方が良いわね。」
「しっ!聞こえるわよ。」
聞こえてるし……。
そんな言葉に正直少し傷付いた。俺はこれ以上周囲の声や視線を気にしないようにと、目の前を歩くティアの左右に揺れる長い金髪を目で追いかけていた。
食堂は広々とした空間だった。天井が高く大きい窓がいくつも並んでいて、窓から差し込む光でとても明るくて開放感もある。
昼時ということもあるからか、大勢の利用者で賑わっている。そして賑やかな話声は石の壁に反響し、騒々しいまでの音として耳に届く。食事はブッフェスタイルのようだ。俺はタイガーやティアに倣って、彼らの後ろに並んだ。
料理は全部で10種類くらいがてんこ盛りに並んでいる。これを見ると食糧事情は悪くないようだ。食材にはトマトやニンジンっぽい俺にも見慣れたものもあった。本当に知っている野菜なのかは食べてみないと分からないので、俺は一通りの味を試してみようと全ての料理を取り皿に乗せた。
タイガーが座ったテーブル席にティアと俺も座った。
タイガーはジャガイモっぽいものを山盛りに、あとは肉だ。サラダは取っていない。
ティアはサラダと肉を少しといった選び方をしていた。
「コーヅは几帳面だな。全部取ったのか?」
タイガーが俺の取り皿を見ながら話しかけてきた。
「どんなものなのか色々試してみたいと思いまして。」
「俺のおすすめは、このマッシュポテトだ。この塩加減がたまらん。いくらでも食えるぞ。」
タイガーはマッシュポテトを大きく掬って口いっぱいに頬張った。俺もタイガーを真似して一口食べた。ジャガイモの甘さが口の中に広がってきた。
「うまっ!」
胡椒が効いてるともっと美味しくなると思ったけどバターと塩味だけでも充分に美味しい。
タイガーは満足そうに「そうだろう。」と頷いた。
「ねぇコーヅ。ニホンの食事ってどんなものがあるの?」
「世界中の料理が食べられるよ。いつも何を食べるか悩んじゃうね。」
俺はラーメンや餃子、炒飯を思い浮かべた。あー、こってりな豚骨ラーメン餃子セットが懐かしい。
「何よそれ。ずいぶんと良い食生活ね。」
「アズライトはどうなの?」
「街に出れば美味しいお店もあるけど、あまり多くないわね。」
そんな会話をしている間にもタイガーはマッシュポテトを掬っては口に運んでいる。そして山ほどあったマッシュポテトをあっという間に胃袋に片付けてしまった。そして口元を拭うと俺を見て口を開いた。
「コーヅ、午後も俺たちはお前さんの報告書を書くんだ。今日はもうやる事が無いから部屋でゆっくりしててくれ。」
待ってよ。この状態で夜まで放置されたら暇すぎる。
「前に没収された荷物を一時的にでも返してもらうことはできませんか?あと、何か……魔術の入門書みたいなのは無いですか?」
「あなたの荷物はまだ返せないわよ。でも魔術の本は初等部の1年生に渡す教科書があるはずだから、それで良ければ後で持っていくわ。」
何も無いよりマシと思い、教科書を頼んだ。それから残りの食事時間はアズライトについての質問をしながら過ごした。
驚いたのが、この世界には魔獣というものがいるそうだ。ゴブリンとかオークとかドラゴンとかゲームで知ってる名前を出したら全部いると言われた。ただドラゴンは伝説の魔獣だから見たって人はいないそうだ。オラちょっとワクワクすっぞ。
食事を終えると、また部屋まで送り届けてもらった。途中でティアは教科書を取りに行くと言って、俺たちとは別れてどこかへ行ってしまった。
部屋に戻った俺は埃っぽい部屋を換気しようと部屋中の窓を開け放った。
風がそよそよと遠慮がちに入ってきて、食後の火照った頬をほんのりと撫でてくれる。
そして目の前には石造りの建物の街並みがパノラマに広がっている。遠くには高い建物も見える。あれは何の建物だろう?
……家族旅行でこんな景色を見れたら最高なんだけど。でも次の瞬間には家族の事が思い浮かび、暗い気持ちになってしまった。
妻から会社に連絡がいったり、捜索願いが出てたりしてるかも、などと考えると素敵な見晴らしも色褪せてしまう。俺はストレスにまみれた深い深いため息をついた。
そんな時、扉がノックされティアが入ってきた。
「はい、これが教科書。読めるかしら?シンは読めてたから、大丈夫じゃないかと思うけど。」
字はこちらの国のものだが……読める。理屈はさっぱり分からないけど、言葉も最初から通じてたし何かあるんだろうな。
「ありがとう。日本の文字とは違うけど読めるよ。勉強して魔術の練習をしてみるよ。」
「読めるなら良かったけど、魔術は明日教えるから使わないでよ。あなたは危なっかしいし。」と言うとティアは急いで部屋を出ていこうとしたが、立ち止まって振り向いた。「絶対に駄目よ。魔術は使ったら駄目だからね。絶対よ。」としつこい程に念を押してから部屋を出ていった。
……でもそれって日本的には魔術を使えって事になるよね?
ティアを見送った俺は、ベッドに腰かけて教科書を開いた。
- 魔術とはみんなの体の中にある魔力を上手に使うことを言います -
冒頭このような説明から入り、子供向けに書いてある。魔術に初めて触れる俺にはとても分かりやすい。
魔力は人の体や魔獣に流れている。魔獣は魔石から魔力が供給されている。動物には魔石が無く魔力も無い。人には魔力はあるが魔石は無い。
魔石には属性があるものと無いものがある。属性が無いものはどんな魔道具へもエネルギーとして供給できるので価値が高いそうだ。
火や水や風、光は体の中の属性魔力を放出することで効力を発揮する。
土属性は砂~土~石~岩を操作し物質を変化させたり作り出すことができる。
生物属性は魔力を使い体を強化したり壊れた組織を修復できる。
心属性は魔物と心を通わせるために使う。逆に魔物から心を奪われることもある。
空間属性は空間を操作することができる。異空間収納が一般的な使われ方だそうだ。俺はこの空間属性を応用した魔術で、この異世界に来たんだと思う。
―――
魔力を何かの形にすることが魔術。魔術は魔力操作とイメージ力が大切だそうだ。
ティアには止められたけど教科書通りに魔術の練習をしてみようと思う。さっきは手のひらに火をイメージして魔力を集めたらファイアーボールができた。
それならと、同じように手のひらに水をイメージしながら魔力を集めてみた。するとウォーターボールが手のひらに浮かんだ。
「おぉ、やっぱりできた。魔力を具現化させるイメージか。ここにファイアーボールを混ぜるとお湯が作れてお風呂に入れるという訳だな。」
早速、逆の手のひらを上に向けファイアーボールを作ってみる。右手にウォーターボール、左手にファイアーボールという具合だ。
だがこの操作が上手くいかない。
左右で違う属性を同時にイメージするってことが思いの外、難しかった。
イメージを明確にしてそれぞれの魔力を左右に流すという事が必要なんだけど。どうしても違う属性を維持させることができなくて、何度も挑戦したが片一方ずつとなってしまう。
少し休憩をしては挑戦する、という事を繰り返して、形は歪ながらファイアーボールとウォーターボールをほんの一瞬作ることができた。
「これって維持するのが難しいなぁ。」と独り言ちた。
ここまでで気力を使い果たして、ベッドに寝ころんだ。大きく息を吐き出して目を閉じる。疲れた……。
俺はそのまま眠ってしまった。
ふと、目を覚まして外を見るとまだ日は落ちていない。そんなに長くは寝ていなかったんだと思う。
寝起きのボーッとする頭を水を飲んで起こした。そして気を取り直して魔術のトレーニングを再開した。
右手にファイアーボール、左手にウォーターボール。これを交互に出すことはできる。ただ両方を出して維持する事ができないので練習を繰り返した。
日も傾いてきたころにもう一度、ファイアーボールとウォーターボールを同時に出すことに成功した。俺は魔術が消えてしまう前に両手にあるファイアーボールとウォーターボールを合わせてお湯にしようとした。
ボフッ!
「うぉぁぁぁ!!あぢぃぃぃぃ!」
火と水を合わせると、お湯にはならずに爆発したのだ。バタンとドアが開き「どうした!?」と警護の衛兵が飛び込んできた。そしてお湯を全身に浴びた俺を見て「お湯浴び……か?」と聞いてきた。
「そんな感じです。えへへ」と俺は胡麻化した。
「魔術か?」
「はい、練習中なんです。」
「……無茶するなよ?」と言い残し戻っていった。
それにしてもびっくりした。これって水蒸気爆発ってこと?そうすると火の力が相当強かったってことなのかな。
俺はタオルで体を拭くと、めげずにお湯を作れるように練習を再開した。
しばらく繰り返していると、新しいやり方を思いついた。片手で水の魔力と火の魔力を混ぜてしまうというものだ。そのやり方は正しかったようで、ウォーターボールの温度を調整できるようになった。
一息ついて窓の外を見ると、もう陽が傾いて暗くなり始めていた。集中してて気づかなかった。
コンコン……ドアがノックされ先ほどの衛兵が夕食を運んできた。
「どうだ、調子は?」
「魔術の勉強が楽しくて色々試してました。」
「そうか、良かったな。顔色も昨日とは違って良くなってるしな。」と優しい笑顔を向けてくれた。
衛兵はテーブルに食事を並べると、いくつかあるランプに火を灯してから戻っていった。夕食は昨日と同じメニュだ。パンとスープと肉。ただ肉の種類が違うようで、豚肉っぽい甘みが美味しい。
食事を終えると、ますます風呂に入りたくなった。体を拭くにしても浴槽のようにお湯を上手く溜められる場所が欲しいな。
お風呂といえば大理石だよねという安直な理由で、手のひらを上に向け魔力を流すと白っぽくて丸い大理石が浮かび上がった。
「おぉ……できた。結構魔術を使うのって簡単なんだな。大理石を知っているから作りやすいってのもあったのかな?」
形を組みやすいようにレンガをイメージして直方体の大理石をいくつか作り出した。
「ここまでは成功だな。」
直方体の大理石を2つ持ち、つなぎ合わせるようなイメージで土属性の魔力を流すとピタッとくっつき継ぎ目も見えない1つの大理石になった。
「思った以上に綺麗にくっつくんだな。」と俺は自分の魔術の腕前に感動した。
浴槽はせっかく自分で作れるんだから大きさに余裕が欲しいよね。大理石をどんどん作り出しながら床に綺麗に敷き詰めていく。自分が寝転がって十分なサイズになった事を確認してから繋ぎ合わせ一枚の大理石にした。
これも思った通りにできた!こうなってくると自然とテンションも上がってくるってもんだな。
次に浴槽に丁度良い高さまで大理石を積み上げて繋ぎ合わせた。
「これは感動するなぁ。俺が魔術で作ったお風呂だし。写真撮ってSNSにアップしたいな。」
そして少し離れたところからも見てみる。
「う~ん、ちょっと四角いな。角くらい丸めたいな。」
浴槽の角に手を当てて丸みをイメージして魔力を流すと大理石に丸みができた。それを浴槽全体に丸みをつけていったが、できあがったものはシンプルな風呂だった。でも初めて作ったにしては上出来だと思う。
でもこれからが大切だ。お湯が張れなければ意味がない。水漏れが怖いから、少しずつ溜めていこうと思う。
魔術でお湯玉を作り出して浴槽に落としてみた。
するとバシャンという音と共に浴槽にお湯が広がった。そしてしばらく様子をみてみた。
……水漏れはなさそうだな。
先ほどよりも大きなお湯玉を浴槽に流し込むが、まだ3cmくらいしか溜まってない。これじゃ、いつになったら風呂に入れるか分からない。
更に大きなお湯玉を浴槽に落としたが、これでもまだ足首くらいしか浸かれない。
ふらっ……
もう一度手のひらに集中すると、大きなお湯玉を作り出そうと魔力を集めていった。
――その瞬間、俺の意識が飛んだ。
あとで分かったことだが、この時の俺は魔力切れを起こしていた。
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