第19話 どこにでもある、でも初めての朝

 コルノは、外に出るという行為そのものに拒絶反応は出なかった。そうでなければ、今まで村長が持ってきた物資の回収なんて出来なかっただろう。


 それでも外に長時間出ることがなかったのは、ひとえに誰かに出遭であう可能性があったからだ。


 実際にコルノは外に出ている時に、村の子供達と出遭ってしまい、気絶しそうになってしまったことがあった。


 しかし、このままでは駄目なことは分かっている。


 早朝、まだ誰も来ていない中、高鳴る胸をクライムを抱いて押さえつつ、そろそろと外へ出てみた。


 んだ冷たい空気がほおで、息を吸い込むと肺にほんのり刺すような感覚を伝えてくる。太陽の光はこの空気を突き抜けてきて、いつも以上にまぶしさを感じた。――いや、違う。いつもは下を向いていたから、光なんて目に入らなかったのだろう。今日はいつもより、遠くを見渡すためにしっかりと前を向いていた。


「……反面教師として言うが……時に見ることよりも見通せぬことに恐怖を抱くもの。ならば恐れず見ることだ」


 角が生えていることを知られた日の夜、クライムと話して、そう言われたから前を向いてみることにした。


 準備はした。帽子はしっかりと被ったし、人払いの魔法もかけて不意の遭遇はしないようにしている。不確定要素はもちろんある。人払いの魔法は緊急性の高い人間には効果がないため、もし頼られてやってきた場合、遭遇することはある。それに魔法に耐性のある人間(たとえばシリロスやケレム)だったら、意味はない。


 もっと魔法の効果を強くすることも出来るが、そうした場合、完全に外界と繋がりが絶たれてしまうため、コルノとしては良しとはしなかった。もし、その時に何かあったら――少なくとも近いうちに確実に『問題』は起きるはずから、誰かが来られるようにだけはするべきなのだ。


 その『問題』とは、魔物の大移動のことだ。


 『狂える群勢インセイン・レギオン


 人に対して敵意を剥き出しにして、集落を重点的に狙う特異な現象だ。蝗害こうがいの――食い荒らされるのが人間となったものと言えばいいだろうか。


 ……その魔物が狂う原因は――魔王だ。


 魔王の魔法が使われると、どんな力であれ、魔力が波紋状に広範囲へと広がっていく。その広がっていく魔力は、基本的に無害だが、魔物と呼ばれる生物が受けるとおかしくなってしまう。本能に忠実な存在であればあるほど、効果が強くなる。


 初めは異常なほど大人しくなるが、種族食性問わず一定数、一定期間集うと凶変し、人間の集落へと突撃を仕掛ける。


 狂っているが故に恐れを知らず、退くことはない。城壁などがある町などは防ぐことは出来るが、簡易的なさくしかない村などは踏み潰されてしまうのだ。


 かつて、この村も『狂える群勢』によって魔物が押し寄せてきた。


 ただ幸運なことにこの村には『賢者』がいた。


 しかし、『賢者』は高齢で、戦ったのが一人だったがために、守り切ると同時に命を落とすことになった。


 ――コルノは、『師匠』が亡くなったことを村長から扉越しに聞いた。


 人に対して恐怖心を持っていたため、葬儀にすら立ち会えなかった。


 残されたのは、たった一人、コルノとこの家。


 コルノは、また独りぼっちになってしまった。


 …………だからクライムはあだと言える。


 けど、恨んではいなかった。


 少なくとも、彼の言葉を借りるならば『恨むのは見当違いも甚だしい』だろう。


 コルノには力があった。実戦なんてやったことがなかったから、もしかしたら足手まといにしかならなかったかもしれない。でも、もしかしたら力になれることがあったかもしれない。


 攻撃が出来なくたって、結界を張ることは出来たから、守りを担うことは出来たはず。


 本当に出来るかどうかは分からない。でも、出来たはずなのだ。それは分かっていた。


 ――『師匠』一人だけでは厳しいことも『分かっていた』。


 分かっていたのに、『師匠』の優しさに甘えて、家に閉じこもる選択をしてしまった。


 ……他者の優しさに依存し、甘え、殺すことの罪深さは理解していたはずだ。少なくとも、母の優しさに甘え、分け合うことをしなかったために『師匠』に助けられる前に母を死なせてしまった。


 子供だったから、それが母親の優しさで、愛だったのだ――などと言われようと受け入れられない。


 美談を得るより、今でも母と共に生きていた方がずっと良かったはずだ。


 あの――『狂える群勢』の時だって。力及ばず共倒れになる可能性があっても、むざむざ死なせるより、『師匠』と共に戦って生き残った方が良かったはずだ。


 守ることが出来たのに、何もせずに失ってしまったこの後悔はずっと忘れられない。


 これは重い罪だ。――理解しなければならない。このこうかいを。


 少なくとも、人のせいにして己を顧みなければ、また同じ事を繰り返すだろう。


 もう、これ以上、罪を背負いたくはない。


 また得た大切な人達を失いたくないのだ。


 だからこの『罪』を償わなければならない。


 もう二度と失わないために。


 ――そしてそれに伴うこと……クライムの処遇だが――今は保留だ。


 魔王だと分かった後、すぐに家の周りに簡易的な結界を張って魔力の波動が漏れ出ないようにはしていた。二回目に力を発揮したときは魔力が漏れ出ていないことを確認出来たから、このままで問題はないだろう。


 でも、最初の一発は広がってしまったため、もうどうしようもない。


 今後起こるであろう『狂える群勢』のために対策を練るべきだ。たぶんそれについてはケレムやシリロス、クーローが詳しく分かっているはずだから意見を……頑張って聞くべきだろう。


 あと、結界を張っていても何らかのミスで魔力が漏れ出る可能性はなくはない。だからクライムを送り返すことももちろん考えたが、……彼の身の上話を聞いて少々考えを改めていた。


『魔王』が呪いであるならば、解くべきだろう。


 それが『角付き』の行ったことであるならば、なおのことだ。


 呪いを解けば、もう彼による悲劇は起こらないはずだから。


 それにきっと、彼は罪を償いきったはずだ。


『角付き』として、彼を呪った彼女の代わりに赦しを与えてもいいはず(クライムの話が本当か嘘かはこっそり魔法を使って確かめたから問題は無い。あれは本当のことだ。少なくともクライムはそうだと思っている)。


「むんっ」


 コルノは、そう色々と考えて、決意を露わにする。先のことを考えると努力すべき道が見えて、……少し安心も出来る。


「意気揚々だな」


「うん、頑張るの」


 まず無理をせず、家の周りを一周してみよう。もし回れたら次に、気になるところを見つけて、そちらに行けるように根性を出すのだ。


 早朝だからか草葉には、朝露が玉となってきらめいていた。


 剥き出しの地面と草地とでは、靴底で踏む感触が違う。剥き出しの地面は、表面がほろほろと柔らかくなっているが、草地はぎゅむりと水を含んだような触感があった。


 遠くの方にある林からは、薄らと靄が立ち上っていた。まるで人間が寒い日に息を吐き出したかのようだ。草木は呼吸すると聞いたことがある。まさしく、木々の呼吸を見ているのかもしれない。


 その林の辺りから、ぴょーぴょーと奇妙な鳴き声が聞こえてくる。


「フクロウだな」


 コルノと同じく耳をすませていたクライムが呟く。


「ほーほーじゃないの? それに、今は朝だよ」


「早朝ならまだ起きている個体もいるはずだ。それに鳴き声も種類によって違う。フクロウのような魔物には、んげーんげーと鳴く奴もいるぞ」


「んげー」


 コルノは、ちょっぴり可笑しくなって笑ってしまう。


 家を一周するだけでも、色んな発見があった。もしかしたら、時間によって変わるかも。


 天地とは千差万別にうつろうものなのだろう。


 土地が大きく変われば、動植物の生態や空気すらも違く感じられるのかもしれない。


 ――だからだろう。そういう期待があるからこそ、世界に夢を馳せ、冒険へと駆り立てるのかも。ちょっとだけ冒険者達の気持ちが分かった気がする。


 前人未踏の古代の遺跡に金銀財宝が眠っているかも。全く違う生活様式を持った民族や国があったり、見たこともない生き物が群生していたりするのかも、と。


 家を周りを少し歩いただけで、発見がいっぱいあるのだ。もっと遠くに行けば、もっと色んなものが見つけられるかもしれない。


 まだ、家の周りから離れるのは怖いから、林まで足を伸ばせないけど、いつかは行けるようになりたいと、コルノはそう思うことが出来た。


「今日は、この辺でケレム達を待ってみる」


「ああ、やってみるがいい」


 外に置いていた木の椅子があったのを思い出し、見に行ってみたが――残念ながら、放置していたせいで腐っていた。手を乗せて体重をかけてみたら、軋む音どころか湿った木がムリムリと変な音を立て木くずを撒き散らしながら、沈んでいく。たぶん座ったら、崩れてしまうだろう。


「ちゃんと使ってたら、壊れなかったかな?」


「かもしれんな。……ふむ。地面に座るなら、魔法で乾かして直接座るといい」


「ふーむ」


 それでは風情がないけれど、敷物もないし、仕方がないのだろう。今度、村長さんに――最近は来ないからケレムに? 敷物の調達依頼をするべきか。


 魔法をかけて、草地を程よく乾かす。円形にほんわりと熱をはらんだそこに正座になり、目をこらしてみる。たくさんの小さな虫が飛び交い、地にはもぞもぞと這っているものもいる。毛虫はいない。いたら、触ってはいけない。毛虫の毛は毒があって危険だからだ。


 蜘蛛は……残念ながらいなかった。小さいのと程よく大きいのは見つけたけれど、巣を張るタイプではなかった。蜘蛛の糸を少々採取してみたかったのだが……。


 無い物ねだりは出来ないので、手近にあるシロツメクサを摘んで、編んでみる。


 太股に座らせていたクライムがコルノの手元を見上げていた。


「花の編み物か」


「昔、お母さんに教えてもらったの。一緒に何回も練習したんだ」


「……愛されていたのだな」


「うん」


 父は角があるコルノを見て、逃げたらしいが、母はいつだってそばにいて優しくしてくれた。角を異形と思わず、けれどないものとして扱わず、むしろしっかりと認知して角の意味がある『コルノ』と名付けた。


『人とちょっと違うだけ』


 そう言って、角を撫でたり、わしゃわしゃと擦ったりしてくれた。あれが中々クセになる。


 ――コルノは魔力の爆発で誰かを傷つけたことはなかった。大抵あれは、感情の急激な変化による魔法の発露であるらしく母親と一緒にいた彼女は魔力の爆発を起こさなかった。


 唯一、それを起こしたのは、母が亡くなった時だろうか。


 ……ある意味、あれがあったから『師匠』に見つけて貰えたのかもしれない。


 そんなこと、考えたくはないけど。……母が亡くなったから自分が助かったなんて。


「できた」


 母に教えてもらった、花の編み物の一つ――花冠。ちょっと小さいけれど、これでいい。その花冠をクライムの頭に乗せる。すぽっと良い感じに額近くで引っかかってくれる。


「ぬう?」


「可愛くなった」


「格好良くして欲しいがな」


 男の子はワガママである。


「もっとギザギザしてみる? 棘付きなら、格好良いかも。でも、この辺、バラとかない……」


 そう簡単に壊れないようにはしてあるから、そういう無茶をしても大丈夫だろう。惜しむらくはそれを出来る花やら草がないことだろう。機会があれば、種などを購入して花園を作るのもいいかもしれない。


「いや、そこまでせんでもいい。……それに……なんだか、それでは神々しくなりそうだしな」


「神々しいのは良いと思う」


 そう言ったら、クライムは苦笑してしまった。何故だろうか。――魔王だから、そういうのは似合わないということだろうか。


 コルノは次に自分の分を作ってみる。


 先ほどより大きめだったから、時間がかかったけれど、クライムとお揃いのものができた。それを帽子の上から被って、クライムを抱き上げて向かい合う。

「んふふー」


「上機嫌だな」


 クライムは呆れているような吐息をついたけど、これはそういうスタイルだから、内心は照れていると思うことにした。


 コルノはクライムと戯れていると、――ふと結界に何かが通過するのを感知した。首を伸ばしてそちらを見やると、二人の少女と……一つの玉がやってきた。


 緊張して、ドキドキと胸が不安定に脈動してしまうけれど、同時に嬉しくも思う。――ケレムが外に出ているコルノを見て、ぱあっと顔を輝かせてくれた。嬉しがってくれるのは、とても安心する。――隣の……シリロスは連日、コルノに慣れられていないせいか、少々強張った様子。彼にも慣れられるよう、頑張らなければ、と少々気張る。


 ケレムが小走りで近づいてきて、バッと腕を広げてハグ捕食の体勢を取った。コルノも一旦、クライムを横に下ろして迎え撃つハグの構えを取る。


 二人はハグをした。


「やだ、可愛い……!」


 ケレムがなでなでしてくれる。やっぱり『角』には気を遣ってくれているようで、手などが不意に当たらないように、かつ不自然ではないように触れてきた。


「出迎えしてくれてるし……ありがとう……!」


「花、冠、作って、みた」


「上手に出来てるわね。……。……よ、よく見ると、ディテールが何気にすごい……」


 ケレムに花冠をまじまじと見られ、ふふーん、とコルノは少し得意げになってしまう。頑張ったかいがあるというもの。……出来れば、今度は色とりどりの花を使ってみたい。あと、茨の冠もいつか作りたい。ロックな感じがとてもクライムに合ってる気がする。


 ……なんであれ、頑張って外に出て良かった、とコルノはそう思うのであった。

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