第11話 ケレム

 人によって出来ることと出来ないことの差がある。真の賢者とはそれを理解し、適切に振る舞うことである。ケレムは、そんな話を昔、里の人から聞いた覚えがある。


 あの里で理解した哲学的思想は、ケレムの精神にそれなりに根付いている。


 エルフとしては早々に抜け出た里だったけど、別に追い出されたわけでも嫌いになったわけでもない。むしろ、あの落ち着いた雰囲気と延々と自分の考えを試せる、言ってしまえば怠惰な世情が好きだった。


 ただ、それ以上に身体的理由によって『自分に出来ること』がどうしようもなく嫌だったため、泣く泣く抜け出したのだ。


 だから、ケレムは思うのだ。何事もままならないものである、と。


 それでも、里を出てから、まあまあ良い出会いに恵まれたため、それほど腐らず居られた。一応、根付ける場所も見つけられたし、人生の一部を共に添える相手も(馬鹿だけど)見つけた。


 程よく人を許せて、程よく人を愛せる、そんなエルフになれたはず。


 だからこそ、コルノというとてつもない人見知りの少女と相対しても受け入れられた。


 ――でも。


 ずり、ずり、ずり、と音を立てながらコルノが這ってきている。顔を上げられないのか、額を床に当てて、細い片腕で力一杯自らの身体を引っ張りながら、進んでいた。


 頑張って、扉を開けて進み出てきたようだが、身体がいうことを利かないようだ。


 これにはケレムも慌ててしまう。


「いや、いや……! そんなに無理しなくても良いのよ!?」


「う、うぅう、うううっ!」


 コルノが顔をぐりぐりと押しつけた。首を横に振っているようだ。


「諦めることだな、ケレムよ。この娘は中々に頑固だ」


 そんなクライムのくぐもった声がコルノの身体の下から聞こえてくる。


「でも、顔を擦るのはやめなさいよ! 女の子なんだから!」


 さすがに見ていられないので、コルノに駆け寄ると「ちょっと背中に触るわよ」と声がけして、身体に触れる。


「……ああ、もう、こんなに身体冷えちゃって……」


 背中に触れただけで、冷たくなっているのが分かる(触った瞬間、小刻みに震えて嘔吐きかけたのは、この際、見ないことにする)。多少、魔法を使って身体を温めているようだが、手足にだけ集中させているらしい(あと、クライムも同じ魔法を使っているからお腹周りも多少は温かいだろう)。


 魔法は身体から離したり規模を大きくしたりすると扱いが難しくなってくる。だから最小限で留めているのだろう。


(まあ、明らかに普通じゃない精神状態でこれぐらい使えるのもおかしいけど)


 魔力の流れに狂いがないのも普通じゃない。


 たぶん、やろうと思えば全身や周囲の空間を温かくすることも出来るだろう。だが、もしうっかり意識を飛ばしたりすると何かしら『暴発』する危険を考えて最小限にしているのかもしれない。


 だとすれば、それを分かっていてやっているのなら、やはりこの少女は魔法の扱いが一級品レベルと言える。


「毛布は? それにくるまってても良いから」


「そういうことなら、我が持ってこよう」


 クライムの声が聞こえてきたと思うと、魔法が展開される。すると、隣の部屋からふよふよと毛布が浮かんでやってきて、コルノの真上に落ちた。


 ケレムはそれを整えてやって、毛布を身体に巻き付けてあげた。


 可愛い芋虫さんの出来上がりだ。


「よし、もうこのまま転がしちゃうわよ。引きずるよりマシでしょ」


「……そうくるか。貴様も中々に愉快な奴だな」


「う、お、……おお」


 コルノが首を縦に振った。転がしていくのは、なんら問題ないらしい。ただし激しくすると酔わせて吐かせてしまうかもしれないため、注意する必要がある。


 ケレムはコルノをコロコロと転がしながら、とりあえずリビングまで行くのであった。






 

 

 椅子には座らない。椅子に座ると脚が机に挟まれて、とっさの時に身動きが取れなくなるからだ。特にコルノの逃げ出すという行為を阻害するのは良くない。逃げ出さないにしても、吐きたくなったら、引っかかって動けなくてその場に垂れ流してしまう、というのは本人としてもきついものがあるだろう。


 だから、ケレムはコルノと床で対面することにした。このために程よい大きさのシート(魔法で防汚効果付き)を持ってきていたのだ。それを床に敷き、村長から受け取った依頼の品を置く。ついでにシート横にバケツも完備だ。


 ケレムは毛布にくるまったコルノを見つめていた。小動物のようにぷるぷると震えている。青白い顔をして、唇もやや紫色に変色しかけていた。


 それ以外は普通に可愛い少女だった。


「まあ、まず――」


 そうケレムが口にすると、コルノがビクッと震えた。


「まず、コルノ、貴方にはあたしに慣れて貰うことから始めなきゃね。ということで、基本的に会話はあたしからするわ。返事は今のところしなくても良いわよ。自己紹介、とか村の様子についてだとか、あたし達の仲間とか冒険について聞かせてあげる」


「エルフであれば、話題には事欠かないだろうからな」


 クライムが口を開くが、ケレムは肩をすくめる。


「そうでもないわよ。というか、あたしって見た目通りの成長しているから。年も二十ちょいで、エルフではかなり若い方ね」


「もはや生まれたばかりだな」


「まさしくね」


 エルフは成長不良を起こしやすく、年齢通りに身体が成長することが稀だ。千年生きても十歳程度の子供のままであることもよくあるのだ。――そしてその成長不良のせいで子供を作れないエルフが多く、ケレムのように年齢通りの『健全な成長』を遂げるエルフはとても珍しい。


 だから、ケレムのようなエルフはとても貴重なのだ。


 ――でも、里で子供を作ることを強要されたことはなかった。彼女のいた里は倫理観が素晴らしく、里の者達も優しい気風をしていたのだ。


 けれど、ケレム自身はその明確な役割が生まれてしまったために、どうしてもそれを無視して里に居続けることが出来なかった。身勝手だけれど、あと数百年ほど自由に生きるため、里の外に出ることになったのだ。里の者達は快く送り出してくれた。――まあ、子作り出来る人間がケレムの母親より年上でかつ、成長を見守っていた者ばかりで向こうも向こうで気まずかったようだが。


 ……このことについては生々しいため、話すつもりはない。


「ちなみにコルノのことについては、村長から色々と聞いているわ。……触れられたくないこともあるみたいだし、そこは言及しない」


 ついコルノの頭に視線を向けてしまうと、彼女は帽子のツバを持ってキュッと縮こまってしまう。やはり帽子の下についてはあまり触れないようにした方が良いらしい。


「一応言っておくけど、『それ』については気にしてないから安心して。……それじゃあ、適当に手を動かしながらやりましょう。軟膏なんこうの作り方はあたしも知っているから、問題ないわ。……ただ、貴方ほど出来が良いのを作れるかは分からないけど」


「……っ」


 コルノが恥ずかしそうにふるふると頭を横に振った。その姿が可愛らしくて、ケレムは思わず微笑んでしまう。早く、この子が喋っている姿を見たいものだ。

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