第10話  今、出来ることを

 それは彼女にとっての『罪』だった。


 何かを出来る人間が何もしないというのは、それだけで大罪になるだろう。


 少なくとも、コルノはそう思っていた。


 怯えて縮こまっていて――全てが終わったら、大切な人がいなくなっていた。


 自分が『師匠』の下にいれば、変わったことだった。


 きっと今も生きていたはず。


 それは、たらればの話だけれども、そう思ってしまっているのは強く後悔しているから。


 だから罪には罰を。


 人と触れ合うのが怖いからと、ただそれだけで、逃げてはならない。


 大罪はあがなわなければならない。


 ――もう、誰かを失うのだけは嫌だから。

 






 

 その日、コルノはいつもより早くに目が覚めた。


 ドキドキと胸が高鳴る。今日は、あのエルフの魔導師、ケレムが自分に会いに来るのだから。さらに対面して会話することになるのだから、緊張してしまうのは仕方のないことだ。


 正直、逃げ出したい思いだったが、逃げてはいけない。


「ふー……ふー……」


「大丈夫か?」


 少し吐き気が出てきたから、息を整えていると胸の辺りから声がする。


 そこには胸に抱いたクライムがいた。たぶん、心配そうに見上げてきている?


 間違って喚んじゃった魔王だったらしいけれど、そんなに怖くはなかった。むしろ優しいくらいだ。常にこちらのことを気遣ってくれている。


 もしかしたら何か悪いことを企んでいるのかもしれない。だから安易に信じちゃいけない。使い魔を持つなら、と師匠に散々注意されたことをしっかりと覚えている。


 実際、他の使い魔を使おうとして、喚んだことがあったけど、契約の穴をつこうと躍起になっていた。


 ……それに比べたら、クライムは怪しいくらいとても大人しかった。少なくとも胸に抱いて眠れるくらいには。


 たぶん、無理に契約の穴を突くよりかは、他の人と仲良くさせて、自分を無用にさせて早く帰ろうとしているだけなんだろうけど……。だから早めに返してあげなきゃならない。それに、本当は出来るだけ早く返さなければならないのだ。一応、ぬいぐるみが壊れないようにする方法はいくつか考えて、あとは実際に大丈夫か実験するだけだ。


 それと並行して、人と触れ合うのになれなければならない。


「うん、大丈夫だよ」


「ケレムと対面する時、我をおいておくと良い。それと話をするのがきついと思ったらすぐに離れることだ。無理はするな。そこで無理をして、奴の前でなにかしらの粗相をしたら……変に気に負いかねんからな」


 ドアの隙間から姿を見たけれど、確かにあの綺麗な人の前でゲロを吐いたら、すごく落ち込むかも。あの人にもすごい悪いだろうし、無理をし過ぎるのは双方のためにも良くはない。


 そう、コルノは逃げ道を確保して心を落ち着かせる。


「分かった」


「逃げたくても声が出せなくなったら、我の脳天を三回叩くと良い。そうすれば、我がケレムに声がけをしよう」


「……ありがとう」


 本当に気にかけてくれる。それがたまらなく嬉しい。呼び出して数日だけれど、本当に救われた気分になって、クライムのことが大好きになっている。


 だからこそ気になってしまう。


 ――どうしてこんなに優しい彼は魔王と呼ばれているのだろう? どうして人に悪いことをするのだろう?


 ……どうして、師匠を殺してしまう原因を作ってしまったのだろう。


 分からない。それを訊くのは怖いから訊くことが出来ない。


 ……それに、あまり恨んではいなかったから。


『あれ』はクライムが――魔王が的確かつ明確な殺意をこちらに向けてきた訳ではないのを知っているからだ。あれは無差別であり、全ての人類が対象だっただけ。師匠が死んでしまったのは……悪いのは自分なのだから。


「どうした?」


 クライムが手を伸ばしてくる。――伸ばされる手は、師匠のものでもあってもたまにビクッとなってしまうことがあったけれど、クライムの手は……まあ、恐ろしいものとは思えないから、怯えずにあごに触れさせられた。


「なんでもないよ」


 そう言って、クライムをギュッと抱きしめる。


 彼はやっぱり嫌がらずに受け入れてくれた。






 

 

 運命の時がやってきた。


 いつも村長がくる時間帯に、玄関の扉をコンコンとノックする音が聞こえてくる。


 コルノは耐えようと頑張っていたけれど、残念ながら身体が勝手に逃げ出してしまう。いつもの定位置に隠れて震えることになってしまった。


「そこで待っているがいい」


 クライムが腕から抜け出して、テクテクと歩いて行く。


 ――立ち上がろうとしたけれど、脚が動かない。胸に何かが詰まったかのように重くなって、息もし辛くなる。


 クライムの声と――女性の……ケレムの声が微かに聞こえてくる。……ああ、やっぱり来たのだ。


 ……そう分かってしまうと、いつも以上に視界が暗くなってくる。身体が冷たくなって、もっともっと重くなってくる。


 心はどうにかしなきゃ、行かなきゃと思っているのに身体がいうことを利いてくれない。


 ――どうしよう。行かなきゃ、前に進まなきゃ、やらなきゃいけないのに……。


 思えば思うほど身体が冷たく重くなってくる。


「コルノ」


 そう声をかけられる。


 なんとか顔を上げると、すぐ目の前にクライムがいた。ういつの間にかうつ伏せになっていたらしい。


 クライムが小さな両手で、そっとコルノのほおを挟み込んだ。


「落ち着け。まずは息をしろ。駄目なら無理せず吐いてしまえ。『無理をして』、『やろうとするな』。お前が出来ることをやるんだ」


「う……」


 頷くが、声が出ない。


 ……息が出せないし、吸えない。それでもなんとか息を吸おうとする。でも、何かが詰まったようになって上手く出来ない。


「う、うぅ……」


 何も出来なくて、情けなくて涙がこぼれてしまう。


「大丈夫だ。なら、目をつむれ。泣いてしまったのなら、泣き続けろ。出来たことをそのままするんだ」


 言われた通りにする。ボタボタと涙がこぼれ落ちるが、構わず流し続けた。吸うのでは無く、吐くように息を出す。最初は吐けもしなかったけど、ちょっとずつ息が通ったから、勢いでほんの少し吸える。でも、どんどん苦しくなって、手足がしびれてきた。


「大丈夫だ。声は出ている。……頬は、熱くないか?」


 クライムに触れられている部分がほんのり温かくなった。たぶん魔法だ。クライムから魔力の流れを感じる。手先にほんの少しの熱が溜まるようにしたのだろう。


「う、ん」


 声が出た。少し、安心出来た。冷たくなった身体がほんの少し温かくなってくれて、そして、自分にとって『分かること』と『出来ること』がすぐ近くにあるのが分かったから。


 魔力というよく分からない、でもいつも使っている、よく知っている力を手足に巡らせる。意味があるか分からないけれど、そこに魔法を使う。


「《温かかく、なって》」


 じんわり、手足が温かくなってくれる。


「……う……う、ふっ――」


 血が巡ってくれたおかげか、呼吸が出来るようになってきた。


 閉じたまぶたを開けると白黒になりかけた視界に色がゆっくりと戻ってくる。


 目の前にクライムがいる。確かにいるのが分かって、固まりかけていた心と体がほんの少し解れてくれた。


 コルノは涙に塗れた顔で、頑張って笑ってみた。


「でき、た」


「ああ、出来たな。その調子だ」


 コルノは頷き、息をする。ちゃんと吸って吐くことが出来た。身体を動かす。クライムを片手で抱えながら這うようにだけど、前に進むことが出来た。ちょっとだけクラクラとするけれど、ずりずりと身を引きずりながら、扉の前につく。


 コルノは扉に額を当てつつ、大きく息を吸い、吐く。


 そして、ノックする。


 こんこん、と扉を叩くと……こんこん、と同じく返ってきた。また胸が高鳴って、息が吸えなくなりそうになる。何か話さなきゃ、と思ったけれど、口を開けると「あ、ひ」と変な声しか出なかった。


「大丈夫?」


 そうケレムの声が聞こえてきた。何か返さなきゃ、と思うけど……何を言えば良いか分からない。


 胸に抱えたクライムが手をぽむぽむと叩いてきた。


「イエスで一回、ノーで二回だ。二回叩いておけばいい。大丈夫じゃないだろう」


「え、あ、う……うー……」


 確かにその通りであるけれど。


「不安なら、奴が入って来ないようにドアノブを押さえておけばいい」


「いや、聞こえてるし、『あの馬鹿』じゃないから無作法に開けたりしないわよ。……えっと、コルノ、でいいかしら? ……えーっと、まだ、あたし、ここにいても良――」


 聞こえてきたケレムの声にコルノは急いでノックを一回する。やや喰い気味にかつ急いで強く叩いたため、ケレムの声が言い切らずに止まってしまう。それに慌ててしまうが――、


 「そっ、安心した」


 ちょっとだけ可笑しそうな笑い声が聞こえてきて……安心と恥ずかしさを覚えてしまう。ちょっと恥ずかしくて自己嫌悪してしまうが、クライムが見上げてきていて、口を開く。


「しっかりと前進できたな。よくやった」


 そう言ってくれた。


 扉の前までっていって、ノックしただけ。


 それだけだったが、でも、そのことをめられて、ほんの少しコルノの胸の奥が暖かくなった。

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