第3話 因果の巡る名

 ぬいぐるみの身体で物が見える、というのはどういう理屈なのか。


 万物の素、魔力を用いたことによる効果――と言えば全てが通じてしまうのだろうか。


 実際、魔力とはなんぞやと問われても正確な答えなど提示出来ない。

超常故に分からぬ力、そのため深く追求など出来ない。


 そんな意味が分からぬ力だからこそ、無数に散った身体の全てが、目となり、耳となり、あらゆる角度方向から世界を見る羽目になってしまった。


 まあ、千ツ眼になっていようと見えていたのは四つん這いになって嘔吐おうとする少女だけだったのだが。


 魔王はしばらく、なんとも言えない光景を眺めていた。


 ようやく少女の精神力が回復したのか、グスグスと泣きながら無残に散った魔王――もといぬいぐるみの破片を集めて、適当なトレイに乗せておく。


 少女が泣きながら、床へと新たな魔法円を刻み込んでいく姿を見つめていた。






 

 

 ――結果的に魔王は元の姿に戻ることが出来た。


 無論、クマのぬいぐるみに、だが。


「良かったぁ」


 少女がグスグスと鼻を鳴らしながらも、満面の笑みを浮かべていた。


 机に乗せられた魔王は、大人しく座っている。黙って座っていれば、魂が抜けたと思って慌てふためくかと思っていたが、魔王がしっかりと入っていると分かっているようだ。


 この少女、魔力を見る目も、そして魔法を扱う術もかなり高い水準にある。


 ただ者ではない。


 精神力はかなり低いが見くびるべき相手ではないだろう。



 魔王は片手をプラプラと振ってみる。意思に応じてスムーズに動く。ぬいぐるみの身体に閉じ込めてはいるが、動きを制限させるつもりはないらしい。


「?」


 少女が手を振られたと思ったのか、小首を傾げながら小さく振り返してきた。


「で?」 


 魔王が不貞腐ふてくされたように呟くと、少女がこてんと反対に首を傾ける。


「……? 『で』?」


「我に何の用があるというのだ」


「あっ、えっと」


 少女がもじもじと手を擦り合わせる。


「あのね、さっきも言ったけど、お話し相手になってもらいたいの。私、人と話すのが苦手で、――でも、ちゃんと話さなきゃいけなくて、出来ないから……。師匠もいないから、私が『みんな』と話さないといけないから……」


「『みんな』?」



 周囲を見渡し、少し遠くも感知してみるが、誰もいない。少なくともこの家には少女だけしかいない。


「あっ、たぶん、もう少しで――」


 ――と、こんこん、と一部屋先から音が聞こえてくる。


「――――っ!?」


 すると少女があからさまに飛び上がり、けれど音もなく着地すると、溶け込むように魔王が乗った机の下に潜り込んでしまった。


「あー、魔女様ー、魔女様ー。今日も薬を受け取りに来ましたー」


 ドアと部屋越しにそんな男――声色的に初老の男の声が聞こえてくる。


「いつも感謝しておりますー。報酬はいつものところへー。それではー」


 そう言い残すと声は止む。


 魔王は感覚を伸ばして見たが、恐らく外にいたであろう男はいなくなっていた。


 恐らくドアノブを回す音も聞こえてこなかったことから、始めから家に入るつもりもなく、あくまで『報告』だけしにきたのだろう。


 次いで魔王は、机の下を覗き込む。


 そこにはとんがり帽子の広いツバの端っこを拳が白くなるくらい握って、目深に引き下げて震えた少女がいた。微かにぷるぷると震えており、息も荒くなっている。


 明らかに怯えている。


「……なんだ? あの男は相当な不埒者ふらちものなのか?」


「ち、違う!」


 少女が弾かれたように顔を上げて、そう叫んだ。そして、ハッとして大声を出した自分を恥じるようにゆっくりと目を伏せた。


「……違うの。……ただ、怖がってるだけ、私が。……村長さんは良い人。……良い人なの。外に出ない私のために、お仕事をくれて、パンも持ってきてくれるの…………」



 つまりは少女が無意味に怯えているだけ、ということだろうか。極度の対人恐怖症を発症しているようだ。


 何が原因か分からない。見た限り、人の存在を感じ取っただけでこの怯えようだ。昔、相当なことがあったのだろう。まあ、少なくともこの村(?)にいたときに始まったことではないようだが。でなければ、村長と言った者の評価はもっと下がっているはずだ。


「それでそんな奴らと普通に会話したいからと、この人形に――」


「クライムくん」


「人形に――」


「クライムくん」


 譲らない。そこは絶対に譲らないようだ。


 魔王はため息をつく。


「このクライムに誰かを宿して、話し相手として慣れようとしていたと言ったところか」


「うん。……師匠もいないから、頑張らなきゃ」


 ――その師匠とはどこに行ったのかはまだ訊くべきではないだろう。こんな対人能力がゼロどころかマイナスに振り切っている少女をほっぽり出して、どこかに行くとは思えない。


(恐らくは死別か。あの勇者との決闘から、どれほど時が流れたか分からぬが、我が関わっているかもな)


 あまり話題に出すべきではない。癇癪は持っていないようだが、何が琴線に触れて暴れ出すかも分からない。またバラバラになってしまうのは避けたい。それにもしかしたら魔王に『復讐』するという線が未だなくなっていないのだ。


 むしろ何も刺激せず協力して、さっさと役目を終えて次元の裂け目へと戻るべきだろう。


 そうしよう。ぬいぐるみ扱いされることを屈辱に思うことはない。先ほどは上に立つ者としての感覚が抜けきれなかっただけだ。


「……まあ、良いだろう。しばらくは貴様の話し相手になってやろう」


「本当……!? やった!」


 少女が手を伸ばし、魔王を掴むと机の下に引きずり込み、そこでぎゅうっと胸に抱きしめる。先ほどは抵抗していた魔王だったが、この新たな『役割』にもはや諦観して受け入れていた。


 諦めることと受け入れることは、もう慣れている。


「それで? 貴様の名は?」


「私? 私は、……コルノ。貴方は?」


「…………。名は忘れた。なんとでも呼ぶが良い」


「じゃあ、クライムで!」


「……まあ、良いだろう。…………それにしてもクライム、か。因果なものだな」


「? 格好良いでしょ?」


「そうだな」


 魔王――もといクライムは、ふすーと鼻息を漏らす。コルノはそんなクライムを嬉しそうに抱きしめるのであった。

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