第2話 いつもとなにか違う

 勇者に負けた魔王の魂は精神の世界をたゆたう。ここは時間の感覚も広さも無い、不思議な世界だ。


 負けるといつも必ずこの世界に戻ってくる。これは定められた運命であり、変わらないことだった。


 どうすることも出来ないが、どうするつもりもない。定められたことだからと言って、必ずも疎ましいわけではないのだ。


 ただただ己が運命を受け入れ、転生を繰り返す。


 魔王とはあらゆる滅びを繰り返す『役目を持った』存在なのだ。


 抗う時もあった。だが、この『呪い』はあまりにも強い。


 だから『もう』魔王は何も迷わない。


 ――そんな諦観を通り越して無心になった魔王が感じたのは、引力だった。いつもの転生は穏やかに始まるが、そのいつもよりやや強引な印象を受けた。


 何やら不穏な気配を感じて抵抗してみるが――意外にも引力は強く、逆らうことが出来ない。


(……なんだこの力は。まさか、我を召喚しようとでも言うのか?)


 どんどんどんどん、現世に引き寄せられていく。久しぶりに覚えた焦りという感情が心に滲んでくる。


 そして――。


 魔王はいつの間にか薄暗い部屋の中にいたのだった。


 木製の家屋だ。一般的な村にありそうな、質素な作りをしている。


 床には一面に複雑な魔法円が描かれており、恐らくこれで魔王を呼び寄せたのだろう。


 魔王は辺りを見渡す。


 視線が何故だか妙に低い。


 そしてそんな自分を見つめる一人の人間を発見する。


 年頃の少女と言ったところか。ローブをまとい、とんがり帽子を被った、まるで魔女のような背格好をしている。色白の肌は気弱そうな表情と合わさると、なんとも弱々しく映る。


 しかし魔王はこの少女が己を呼び出したことを瞬時に見抜いた。何よりもほとばしる魔力がかの勇者や魔導師以上のものを秘めていたのだ。


(……何者だ? ……見たこともないが、この感覚に覚えがある……? 目的は……いや、考えるまでもないか。我を呼ぶのは、我の力を欲する者以外にありえぬか。……しかし、いかに優れた魔力を操ることが出来ようと、人如きに我を御することは出来ぬ。依り代にもよるが我の力を――なんだこれは)


 そこで魔王は気付いてしまった。自身の身体の異変に。



 茶色い短い腕。ぽっこりしたお腹。それに連なる短い足。手足に指はなく、けれど異形というにはもこもことしていてとても可愛らしい。


 身体に感触というものはないが、魔力を巡らすことでわずかに感覚を得る。そうして顔を触ってみるとちょっとだけ出っ張った鼻と口、目は片方に眼帯のようなもの、片方に目を象ったワッペンがい付けられている。


 ――明らかに魔王は、ぬいぐるみ(クマさん)と化していたのだ。


「な、なんだこれはぁああああああああああああああああああああ!」


 魔王が叫んでしまうのは無理からぬこと。誰しも目覚めたらクマのぬいぐるみになっていたら、混乱せずにはいられない。最強の存在であったならばなおのことだ。


「や、やった、成功した……!」


 少女が魔王が叫んだのを見て、嬉しそうに駆け寄ってきた。


 そして不敬にも魔王を手に持つと、ギュッと抱きしめたのだ。


「ぬぅっ!何をする!離せ!離さんか!くそっ、この身体、ぬいぐるみそのものではないかっ!魔力が、魔力の巡りが悪すぎる!まともに力が使えん!」


 魔王は少女の腕の中で暴れてみる。だが、ぽふぽふと気持ち良さげな音を立てるばかりで、効いている気がしなかった。


 少女がぎこちないながらも、満面の笑みを浮かべる。


「こ、これはね、師匠がくれたぬいぐるみだけど、ただのぬいぐるみなの。だから悪いことしちゃダメだよ」


「意味が分からん! 大体、魔王である我をこんな依り代に閉じ込めて何の意味があるというのだ! たとえ我を無力な器に封じたとしても、『理』の強制力はこんな封印意にも介さぬぞ!」


 魔王は声高に叫ぶ。それは虚勢ではなく、真実だ。以前、倒されず封じられたことがあったのだが、転生の条件が満たされた時、封印は自然と解け復活を果たすことが出来たのだ。


 そのため転生するにしても封印されるにしても、どっちにしろ変わらない。だが現世に呼び出されると時間の感覚がその通り進み、とてつもなく退屈な時を過ごすことになるため、嫌いだったのだ。


 ぽふぽふと少女を叩きながら睨み見上げると、彼女はきょとんとした顔をする。


「魔王?」


「ぬ?」


 何やらおかしい。少女は魔王が魔王であると分かっていないようだった。


 誤魔化している風でもない。


 魔王は一旦、動きを止め少女に再度問いかける。


「小娘よ。貴様は我を――魔王と分かってこの馬鹿げた器に閉じ込めたのではないのか?」


「……えっ……………………んーん…………違う……」


 少女が、首を横に振った後、か細い声でぽつりぽつりという。


「私、お友達、欲しくて、その……降霊術をしたの……悪魔とか精霊とか呼び寄せて、お話し相手になってもらおうって」


「降霊――召喚術の一種か。対象は指定したのか?というかそもそもしなかったら、我のような高位の存在など呼び寄せることなど出来ぬであろう」


 そう魔王が問いかけると少女がバツの悪そうに目を逸らす。


「決めて、なかった……」


 つまりそれは適当に魔王を呼んでしまったことになり、ある意味で侮辱したことになる。


「貴様、我を馬鹿にしているのかっ!」


「きゃっ」


 非力な魔王であったが、一瞬の隙をついて少女の腕の中から抜け出す。ぽふんぽふんと転がりながら、少し離れた位置で少女と向き合った。


 魔王的にはかなり離れたつもりだった。


 だが、少女が二、三歩近づけばすぐに距離を詰められてしまう程度離れられただけだ。


「間違いであったのなら、すぐに解放するがいい!」


「えっ、でも、そうすると依り代が壊れて……師匠からもらった大切なぬいぐるみが……」


「知るかっ! 貴様の事情など、これっっっっっっっぽっちも知らんわ!」


「やっ、ダ、ダメなのっ……! それはダメなのっ!」


 気弱そうな見たまんまの性格だろうに、意外にも食い下がってくる。


 いや、違う。そもそも恐れていないのだ。魔王はぬいぐるみの身体であるため、迫力など皆無なのだ。どう足掻いたところで少女の心を動かすには至らないだろう。


 ――そう、無力を装ったままならば。力さえ出せれば。恐怖の感情を抱かせれば言うことを聞かせられるかもしれない。


 魔力の巡りは悪いが、魔法は使えない訳ではないのだ。


「……小娘よ。我を愚弄ぐろうしたことを後悔させてやる」


 見た目はぬいぐるみながらも、声は低いため迫力はある。少女は小心者であるのだろう、ドスの利いた魔王の声色と禍々しい魔力に身がすくんだ様子だった。


 時間はかかるし、封印術に組み込まれた術式の一種か魔力操作にかなりの抵抗があるものの着実に魔王は魔力を高めていく。


 封印術の解析は行わなかったが、しょせん多少魔力が多い程度の少女が組んだ魔術式に過ぎない。いくらか違和感を覚えてはいたが、強行しても問題はないだろう。


 少女を殺しはしない。ただ脅すだけだ。殺してしまっては最悪、封印が解けないまま過ごすことになりかねない。


 少女が目に見えて慌てふためく。


「だ、だめ……!そんなことしたら……」


「もう遅いわ!魔王の力とくとみるがいい!」


 魔王が可愛らしい手を高々と上げる。


 瞬間、ぱぁん、とすさまじい音が鳴り響いた。


 魔王が力を解放したと同時に弾け飛んだのだ。


 魔王の身体が。


 布の切れ端と、数多の綿が部屋に降り注ぐ。


「え?……あ、ああ……、おともだ、ち、が……うっぷ」


 そんな光景を間近でみていた少女は、ひざをついて四つん這いになると口を押さえ――


「おげぇえええええええええええ!」


 大切なぬいぐるみが吹っ飛んだ精神的ストレスにより、たまらず胃の中をぶちまけてしまったのだった。

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