第30話 別れと出会い
退院祝いの次の日
ニャー…
「キナコ、おはよう」
とても静かで穏やかな朝だった。
意識不明の間、ずっと夢を見ていた。記憶に残したくない記憶を辿る夢。暴言と暴力ばかりの夫は、いつも何かに苦しんで寂しそうだった。あの人が私の目を見る事はなく、記憶の中のあの人も背中しか覚えていない。ずっと、一緒に死んであげると思っていた。だから、ずっとそばにいることを選んだはずだった。
あずきの死と夫からの暴力のストレスは、自分を守ることで精一杯になっていった。そして、私もあなたを見る事を止めた。あなたが望む、性のはけ口付きの家政婦になった。それからは地獄でしかなかった。自分が壊れそうになるとあの夢を思い出した。海に沈んでいく夢だ。前世も今世も自殺して終える人生になるのだけは嫌だと思った。そんな時、あずきが言ったんだっけ…
「これからもっと大きな幸せが待ってるよ。でも、未来の事は教えられない。母の幸せだけは決まってるから、母の思うように進めば良いと思うよ」
あの言葉は、私の心を救ってくれた。そして、離婚しようと決意できた。あなたも限界だったんだよね、怒りが爆発して、自分を守る為に自分が働いたお金を全部取り戻そうとした。ただそれだけだったんだよね。
結婚して最初で最後のお願い。
「離婚してください…」
震えながら言った後の事は全く覚えてない。次は、離婚届にサインをしている記憶しか残っていない。さよならもなにも言わなくて、いつも通り、あなたの背中を見送って終わった。そこには、嬉しさも寂しさも何もなかった。
***
昨日は、楽しかったなぁ。何も考えずに話をしたのはいつぶりだろ?結婚前は、家族のありがたみなんて考えたことなんてなかったけど、私は幸せの中で生きてたんだなぁ。でも、結婚生活も決して不幸ではなかった。今だから思えることだけど、どんな環境でも考え方一つで幸福にも不幸にもなる。あの人のおかげで良い事を探すのが上手くなったかも…。感謝しなきゃ…。
いろんな事を考えていたらキナコが鳴きながら擦り寄ってきた。
「よしよし、キナコ、大好きだよー」って言ったら、私の顔をみながら、ニャー!ニャー!と鳴いた。ネコでも話をする時は、相手の顔を見るんだなぁ…と何だか可笑しくなって一人で笑った。
「よし!これからは、やりたい事を片っ端からやっていこう!楽しい人生にしなきゃね!」
***
それから数日間は、仕事を探したり、趣味だった手芸を始めたり、自分で服を選んで買ったり、両親や妹の家に行ったりして、ゆっくり過ごしていた。
「もう23時か…そろそろ寝ようかな」
そう思って、目覚ましをかけるためにスマホを探した。すると、テーブルの上に置いてあるスマホの上にキナコが座っていた。
「キナコ、スマホを返してくれる?」
キナコは、ニャー!と言うばかりでどいてくれない。無理やりキナコのお腹からスマホを取り出した。
するとアプリが起動していた。あのチャットアプリだ。アプリを消そうと思った瞬間、ある文字が目に入った。
〈たけのこの里が良いなー〉
あれ?と思って見ていたら
〈コアラのマーチも良いなー〉
あの人、また同じ話をしてるんだ。可笑しくなって、茶化すように〈アルフォートはどうですか?〉とにプライベートチャットの方にコメントを送った。どうせ、私との会話なんて覚えてないだろうし、この流れなら、みんな同じような事を送っているに違いないと思ったからだ。
するとすぐにコメントが返ってきた。
〈良かった。また会えましたね〉
〈私の事を覚えてるんですか?〉
〈もちろんです。あの後、もう一度、あなたとお話がしたくて、ずっと同じ内容で呟いていました〉
〈そうとは知らずに、ずっとアプリを開いていませんでした。前回、私、失礼な事をしてしまいましたか?〉
〈全然してないですよ?どうしてそう思ったんですか?〉
〈いえ…もう一度話がしたいって仰ったので…〉
〈そんな風に思うのは、逆に僕の方が何か失礼なことをしてしまったのでしょうか?〉
〈全くしてませんよ。安心してください〉
〈同じですね〉
〈そうですね〉
何も特別な話をしている訳ではないのに、心がとても温かくなる。この人はきっと良い人なんだろうな…。
〈あの、僕、仕事が忙しくてこの時間しか空いてないんですが、明日もこの時間に呟きますからお話できますか?〉
〈私なんかで良いんですか?〉
〈是非お願いします〉
〈わかりました〉
〈では、また明日。おやすみなさい〉
〈はい、おやすみなさい〉
おやすみなさい…か。何か嬉しいなぁ。
ほっこりした気持ちに浸っていると、右手の小指が何かに引っ張られるような感じがした。
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