第15話 最後のチャンス

 あずきが危険だと教えてもらってから、あずきは、少しずつ、元気がなくなっていっているようだった。大丈夫かと訊ねても、いつも笑顔で大丈夫だと言うだけである。パパも相変わらず、部屋に篭りっきりである。声をかけても返事もない。パパの部屋の『アレ』の正体もわからず、追い出すこともできないままである。不安を抱えながらも、いつも通り過ごしていたある日のことだった。


 パパが急に駆け寄って来た。その顔は怒りに満ちていた。

「金を渡せ!」

「え?何を言ってるの?」

「金を全部渡せ!早く!」


 私は、状況が把握できずに言うとおりにするしかなかった。そして、「生活費はどうするの?家の事、全部やってくれるの?」と絞り出すように訊ねた。


「そんなのは知らない。お前だってパートの稼ぎがあるだろ?それで良いよな?」

「学費はどうするの?出してくれるの?パートでは、そこまで賄えないよ」

「そんなのは知らない。あずきがバイトをすればいいんだ!」

「パパ、何を言ってるの?正気?」

「俺が働いた金だ!俺が遣うのが筋だ!」


「パパ!聞いて!」

「お前の言う事なんか聞くか!もうたくさんだ!」

「たくさんって何?どういうこと?」

「知らない!知らない!お前らが居なければ、俺はこんなに不幸ではなかったんだ!出て行け!出て行けー!」


 もう何を言ってもだめだ。私の言葉が届かなくなった。パパは、怒鳴り散らすばかりで手がつけられない。


 パパの怒鳴り声にびっくりして、あずきも部屋から出てきた。パパの顔を見るなり「母、ヤバイよ。もうパパを置いて家を出よう。怖い」と泣き出した。


「でも…」と迷っていたら、


 あずきが大声で「もうイヤ!パパ、何なの?部屋から出てこなくなった挙句に、お金を全部渡せとか、普通じゃないよ!私達がどうなってもいいの?」と叫ぶように訴えた。


「お前らの事なんて知らない!出ていけ!学校に行きたければ、自分で働け!」


「もう、いやー!」とあずきまでも正気を失いかけていた。マズイと思い、あずきとパパを引き離した。

 あずきを部屋に連れて行っても「母、家出よう!もうこの家もパパもダメだよ」と繰り返すだけだった。


 私は、ゆっくりと話をした。

「あずき、少し落ち着いて…。ねぇ、聞いて。最後にもう一度だけパパと話をさせて。家を出るのはその後で…」


「わかった」とあずきは渋々答えた。


 −次の日−

 パパが仕事から帰ってきた。パパは、いつも通り自分の部屋へ直行だった。私は、追いかけるようにして、パパの部屋の前まで行った。部屋の中がどうなっているのかわからず緊張が走る。でも、躊躇している場合じゃない。意を決して、ドアをノックした。


 返事はない。


 恐る恐るドアを開けて「パパ、少し話がしたいんだけど入っても良い?」と問いかけたが、やはり返事はない。仕方なく部屋へ入ると、パパはベットの上でスマホゲームに熱中していた。私は、ベットの隣にある机の椅子に座った。


「ねえ、パパ…。パパがそんなに苦しんでるなんて気が付かなかった。ごめんなさい。パパは、何に苦しんでいるの?」


「そんなの自分で考えろ!金は返さないぞ!」


「私は、パパと一緒にいて楽しかったよ。パパとあずきと3人でいろんな所にいったり、いろんな事をしたよね。パパにとって、それも全部不幸なことだった?」


「………」


「パパ…。パパにとっての幸せってどんな感じなの?」


「一人でいること…。どんなに探しても、お前たちの良い所がみつからないんだよ。だから、どんどん嫌いになる。あずきも反抗期で言うことを聞かないから嫌いだ…。だから、出て行ってくれ」と静かに何かを渡された。


 よく見ると離婚届だった。何も言葉を返せなかった。パパを説得する言葉が浮かばなかった。こういう時、泣きながらイヤだと反抗するべきなんだろう。しかし、何故だか不思議と受入れてしまった。涙も出なかった。冷たい人間だったのかもしれない。感情がなにもわいてこない。怒りも悲しみも落胆も…何も感じない。心が動かない。


 パパを取り戻す最後のチャンスは、あっけなく幕を閉じた。パパ、ごめんね。

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