六ノ巻42話 決着は血と土にまみれ
やがて土煙が薄れ、ようやく辺りの様子が見えた。
境内の地面はえぐれ、辺りの木々も根こそぎ倒れ、砕けている。
その中心に、それはあった。
持国天の刀はほぼ直角にまで曲がり、地面に突き刺さっていた。
広目天の筆は真ん中から断たれ、毛を辺りに散らしていた。
多聞天の宝棒は真っ二つに折れ、土にまみれて転がっていた。
増長天の、鬼神の腕は。落ちていた、そこに。左の片方はそこにちぎれて、断面から血を流したまま。
もう片方は、離れた場所に転がっていた。地面のえぐれた先で、吹き飛ばされたように。指もひじも、不自然な方向へ折れ曲がって。
ただ、その主とつながってはいた。地に倒れた崇春の体と。
ただ。その主に、動く様子はなかった。
ぴくりとも動きはしなかった、開いたままの目も口も。胸にも腹にも、呼吸の上下動すらなかった。
その体には、肩口から胸を裂き腹へと至る傷が見えた。いや、傷などという言葉では足りなかった。断面が見えた。肩から腹も背も裂かれた、内臓と骨の髄を赤黒く垂らす、断面が。その下の地面はすでに、赤く赤く染まっていた。
声はなかった。かすみも、誰も。残った土煙だけがゆっくりと揺らめき、他に動くものはなかった。まるでその場の空気を少しでも震わせれば、全てが崩れてしまうとでもいったように。
大日金輪の声が、冷たく響いた。
「――殺すつもりは、なかったんだがね」
「あ」
声をこぼしたのはかすみだった。その後は止まらなかった。
「あ。あ、あ、あああ……あああああぁぁああああっっ!!」
賀来が何度も目を瞬かせる。辺りを、かすみらの顔を何度も見回す。見回すにつれ、その顔がだんだんと震え、歪み出す。
「え? え、え? いや……え? いや、いや、いやいやいや嘘……い、やぁ……」
渦生は声を詰まらせる。
「な……が、そんっ……お前、お前……」
円次は唾を呑み、何度も崇春と大日を見。ひどく震える、拳を握った。
百見は薄く口を開け、静かに――あるいは
大日はかぶりを振る。
「――残念だよ、本当に。こうするはずではなかった、世界最後の死者とするつもりなどなかった」
そうして口の端で笑う。
「――本当に残念だよ。本来なら到来した新たなる世で、もっと苦しんで生きてもらうつもりだったのでね」
かすみの叫びは止まらなかった。ずっと、ずっと叫んでいた。
「あああ、ぁああああああ、あああああ!!」
だが、この名だけは呼べた。
「多聞天!!!」
「――承知、して御座います!!」
新たに現出させた宝棒を手に、多聞天が駆ける。
大日金輪はほほ笑んでいた。
「――本当に礼を言わなくてはね、谷﨑かすみ。わざわざ僕の――この我のために、もう片方まで持ってきてくれた」
突き出すその手から青黒く光が湧き上がり、巨大な手の形を取った。
多聞天は大日へ向けて突進するも、その宝棒は届かず。向かいくる巨大な手につかみ止められ、包み込まれる。
「――なぜ吉祥天が毘沙門天の
多聞天は巨大な手の内でもがき、宝棒を振り回す。だがそれはわずかに光を散らすばかりで、何の手応えもなく。
やがてその姿を薄れさせ、もやとなって消えた。その光の中に、吸い込まれるように。
「多聞天。多聞天!!」
かすみの叫びをよそに、大日は天を仰ぐ。
「――これで。我が『七宝』は完全を越えた完全」
大日金輪は宙の高みに浮かび、
右前に地蔵菩薩の如意宝珠、『
背後に歓喜天たる白象『
右後ろに馬頭観音たる神馬『
正面に如意輪観音の宝輪、『
左後ろに、紫苑の顔をした大暗黒天たる『
右前、珠宝の右側に、紡の顔をした弁才天たる『
そして左前に刀八毘沙門天たる『
それに寄り添うように、主兵宝と珠宝の間に、もう一体。双身の片割れたる多聞天――今は天女の姿をした吉祥天――が立つ。
大日金輪は口の端を上げる。
「――なるほど、これは
そして静かに印を結ぶ。
左の拳が親指を握り込み、拳を作った。そこから人差指だけを伸ばし、その指を右手が握る。左人差指の頭にかぶせるように、右親指と人差指が曲げられた。
「ぐ……て、めえ……っ!」
渦生が歯噛みし、
賀来はかすみの袖をつかむ。その手はひどく震えていた。
「ねえっ、どうしようあれ、どうしたらいい? どうしよう、どうしよう……っ」
そう言われたところで。かすみ自身も、どうしたらいいか分かるはずもない。ただ大日を見上げる他は。
円次と持国天、折れた竹刀を持った黒田が、かすみらを守るように前へ立つが。彼らもまた、あるいは震え、あるいは歯を噛みしめて、大日を見上げることしかできはしなかった。
不穏に曇る天を仰ぎ、大日金輪は声を上げた。
「――ノウマク・サンマンダボダナン・アビラウンケン、オン・バザラ・ダド・バン……ノウマク・サンマンダ・ボダナン・ボロン、ノウマク・サンマンダ・ボダナン・ボロン! 今こそ真に真なる
その声が高らかに降る中。
一人、百見は崇春のそばにかがみ込んでいた。
「聞こえるか、崇春。言わせておいていいのか? 奴は好き勝手して目立ってるぞ」
崇春は動かない。目を見開いたまま動きを止め、人形のように動かない。半ば二つに割るように裂かれた、その胸も体も動くことはない。
それでも、百見は口を寄せた。崇春の耳元へ、秘密の話をするように。
「思い出すな、とはもう言わない。……こう言わなければならないのか、また」
唇を引き結び、視線をさ迷わせた後、再び口を開いた。
「……思い出してくれ、崇春――いや。その名で呼ぶのももうやめよう」
その名を
「思い出してくれ、いえ。どうか思い出して下さい、全てを――我らが怪仏『増長天』よ」
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