六ノ巻41話  総呪四天王 対 大日金輪


 大日金輪は緩く脚を組んで座し――座禅の姿勢である結跏趺坐けっかふざではない。そこから軽く脚を放り出したような、苦の無い姿勢――、宙に浮かんでいた。ちょうど人の背丈ほどの高さに。

 そうしてほおづえをつき、崇春の様子を眺めていた。

「――ほう、そんな手があるのか。なるほどなるほど、興味深いね――」

 表情を消してつぶやく。

「――で。それが何だというんだ」


 木の陰から出た崇春は、真っ直ぐに大日を見る。

「見てのとおりよ。我ら四天王の力を束ね、おんしを止める――くぞ」


 右手で刀の柄を握ったまま、小指と薬指だけを広げた。帯に手挟んでいた筆をその二指でつかみ、無理やりふるう。宙へ叩きつけるように、その墨を振るい飛ばすように。上から下へと何度も何度も。

「【広目墨雨こうもくぼくう】!」


 遥か上空へと散った墨の粒が、そこで巨大化したかのように。【広目連矢こうもくれんし】と同じ墨の矢となって、大日の浮かぶ一帯へと降り注ぐ。


 大日は視線だけ上げてそれを見る。何も言うことはなく、片掌を上へ向けた。そこから溢れる青白い光が、傘のように自らを覆う。


「一手、まずは封じた。次――【広目一筆こうもくいっぴつ】」

 崇春はさらに筆をふるった。生い茂る木々の間を縫い、広目天の筆跡ふであとが一直線に伸びる。崇春の前から大日の下へ。

 その上へと跳び乗り、駆ける。



 大日は変わらず座したまま、退屈げに鼻を鳴らす。

「――ふん」

 空いた片手で青白い光条を放った。これまでにも使った【無尽むじんなる熾盛しじょうの光】。

 その光は一直線に走った。一直線につながった墨跡ぼくせきの道を一直線に駆けゆく、崇春目がけて。


 崇春はわずかに歯を見せた。

「二手目、これにて封じた」


 刀をさやに、筆を帯へと戻し。崇春はその手にもやを昇らせ、さらなる持物じぶつを現出させる。

 掌の上に形作られたのは宝塔。多聞天の『普集功徳微妙ふしゅうくどくみみょう』。


「受けよ八万四千の、経典の重み!」

 まるでハンマー投げのように、その場で体を回転させ。その勢いを以て宝塔を放つ。その前に併せて持った、スライドドアの盾と共に。

 投げ飛ばされた盾は宝塔の重みと勢いを得て、光と真正面からぶち当たるも。波をかき分けるように、光を散らして進んだ。


 相手からの攻撃の方向を特定させた上で、その攻撃を散らして隙を作る。

どうやらこの一直線の道は、そのために作ったもののようだった。


「――何?」


 大日金輪が声をこぼす間に。

 崇春はさらに勢いよく駆け、武器を左右の手に握る。

「【持国天剣】『震多摩尼珠宝しんだまにじゅほう』。二天の武器、広目天の力でこじ空けたすき。そして我が増長天の金剛力、全てを以て――喰らえ」


 跳び込みながら太刀を、宝棒を振り上げる。そこから金色こんじきのもやが昇る。

 交差させた宝棒と太刀を振り下ろし、大日金輪へと打ちかかる。

「【南贍部洲なんせんぶしゅう! 四天激斬してんげきざん】!」


 大日は光条を放つ手を振るい、飛びくる盾と宝塔を打ち落とした。だがその手をさらなる攻防に繰り出すには、すでに遅い。

 もう片方の手は先ほどから、降り注ぐ墨の矢を防ぎ続けていた。


 今、刃と宝棒が。挟み込むように大日金輪の両肩を打った。武器から吹き上がる余波が降り注ぐ墨の矢を打ち払い、辺りに茂る木々の枝葉を揺らし、幹を根を揺るがし、へし折る。


 そうして。崇春は武器を振り抜いた。


「……む?」


 振り抜いた、何の抵抗も無く。打ち当たる音も、跳ね返される音すら無く。崇春の両手は空振ったように、大日の体の上を駆けていた。

 そして。見れば、無くなっていた。持国天剣と震多摩尼珠宝しんだまにじゅほう、二つの武器が中ほどから、かき消されたかのように。


「――で?」

 大日は未だ宙に座していた。両の手は攻防には使われず、片手はひざに載せ片手はほおづえをついていた――まばらにだが未だ墨の矢は降り注いでいたが、それを気づかう様子はなかった――。

 両手の武器を見て固まる、崇春へ声を投げかける。

「――で、と聞いているだろう」

 変わらぬ姿勢の大日の体に、天からいくつか墨の矢が落ちたが。触れる端から、音も無くかき消えた。


 首の瓔珞ようらくと腕の宝飾品を鳴らし、髪をかき上げる。

「――今や、この我の体は常に光を帯びている。己以外の怪仏と、その力を打ち消す光をね。君の攻撃にも何の対処をする必要もなかったわけだが。ま、少しつき合ってあげたまでさ」


 宙を踏んで立ち上がり、崇春を見下ろす。

「――よく頑張ったね。つまらなかったよ」

 片手を挙げ、光条を放つ。


 崇春はそれを横っ跳びにかわす。その先で、落ちていたドアを拾い上げて構えた。

「なんの……! まだまだこれからじゃあ!」


 大日は首を横に振る。目でえる光が青く軌跡を描いた。

「――『まだ』も『これから』も無いんだよ。ただ『これまで』だ。君も、この世も」


 かざした右手に光が宿る。くすぶるように揺れながらえる、青白いそれが音を上げる。ほのおが燃え、爆ぜるような。あるいは地の底がき立つような音。

 そうして一際高くえ上がった光は、いつしか青黒く濁っていた。


「――受けるがいい。【蝿声さばえなす不浄の光】」


 振り下ろされた光が、焔で形作られた曲刀のように伸び。崇春の構える盾を打った。


「ぐ……!」

 こらえた、崇春は。両の腕で盾を掲げ、その一撃を。大きく押し込まれ、足が地面の上を擦るも、確かに受け止めていた。


「ぐう、ぅ……っ!?」

 なのに。崩れた、支える姿勢が、踏み締める足が。震え、下がっていった、盾を構えていた両腕が。

 そして、地に叩きつけられるように。青黒い光の大太刀おおだちが崇春へとのしかかり、打ち据えた。


「何だと……!」

「崇春さん!!」

 百見が、かすみが声を上げる中。


紫苑は、大日は静かに言う。

「――この我の本地は紫苑であり大暗黒天、ゆえに『生命を吸い取る力』は未だこの身にそなわっている。その力をまとわせた光を放った――これなら周囲の植物などから生命力を吸い取ってしまうこともない。何しろその光から一番近いのは、攻撃されている君だからね」


 伏した崇春は、震えながらも地面に手をつき、立ち上がる。

「な、んの……」


 わずかに地面から浮き上がり、大日は崇春を見下ろした。

「――その先の力だの救うだのと言うから、どんなものかと思ったが。しょせんそこまでか」


 崇春は歯を食いしばる。

「『そこまで』でも『これまで』でもないわ。『これから』、じゃああ!」


 転がっていた盾を拾い上げ、視界を塞ぐように大日へと放る。次の瞬間、再び現出させた武器を振るう。左手で刀を、右手で宝棒と共に握った筆を。

「「【南贍部洲なんせんぶしゅう! 四天濤撃してんとうげき】!」


 広目天の神筆から溢れた墨が逆巻く波となり、宝棒と刀がさらにそれを打つ。勢いを増した黒い波は盾を押し流し、大日目がけて打ち出した。


 四天王の力を以て、怪仏の力に拠らない物質を放つ。これなら、あるいは。


 大日は動じた風もなく、再び青黒い光を振るった。

「――【蝿声さばえなす不浄の光】」


 え盛る光の太刀が盾を引き裂き。そのまま墨の波をも断ち。その先の崇春を、呑み込んだ。


「崇春さん!!!」

 響いたのは光が地を割り、爆ぜたように土煙を上げる轟音。それとかすみの叫びだけだった。


 崇春の声は、聞こえなかった。

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