六ノ巻40話  四天王総呪


 宙に浮く紫苑は――怪仏・大日金輪は――いびつな声を上げる。

「――ふん。ご自由にどうぞ、抵抗するなら抵抗したまえ。ただし、そうする者は全て殺す……いや」

 にいぃ、と顔を歪ませた。

「――殺す、手前でやめてやろう。死の直前、瀕死ひんしのままでね。そうしてこのわれが世を変革したとき、どうなっていると思う?」

 さらにさらに、顔を歪める。

「――紫苑と紡の願いどおり『全ての命を彼らと同じ性質に』変えたなら。さてさてどうなることかなあ? 瀕死ひんしの命が瀕死ひんしの命を前に、喰らい合い吸収し合い……そこに残っているのは誰かなあ?」


「なっ……」

 かすみは息を詰まらせる。


 紫苑は、大日金輪はわらう。

「――そうさ、そうなったときにはね。ようやく分かるだろうよ、僕の――紡の、我らの――気持ちがね」

 表情を消して続ける。

「――分からせてやる。分からせてやるよ、二人の地獄を」


 かすみの手から、背から体温が消える。紫苑の言う未来、それをかすかにだが想像して。


 その前に、かばうように崇春が立った。

「地獄か。上等よ、そここそ坊主の仕事場なればの。とはいえ――」

 紫苑を、大日を見据えて拳を向ける。

「救うてやる。救うてみせるわ、おんしらをそこから」


 びき、と大日の頬が震えた。

「――まだ言うか。しつこいぞ、口だけなら何とでも言える。そうではないというのなら」

 あざけるように頬を歪め、歯を剥いて笑ってみせる。

「――救ってみろよ。できるものならな」


 崇春はかすみを、、百見と円次を順に見る。その目を。

「皆、力を貸してくれい。我ら四天王、『その先の力』を。紫苑さんらを、救うために」


 かすみが、百見が円次がうなずく。


 そのとき、ひどく震える声で賀来が言った。

「でも、でも待ってくれ、その……救う、って、その……死んで、ないか……あの、二人?」


 大日金輪が浮かぶその下で、紫苑と紡はぴくりとも動いてはいなかった。


 ややあって、百見が口を開く。

「……たとえば斉藤くんは、至寂さんの力で怪仏とのつながりを断ち切られ、怪仏を七宝とされた。だがあの二人は、そうした処理を受けた訳ではない……未だ本地として、あの怪仏とつながっている可能性がある。……大日金輪を倒し、七宝を元の怪仏に戻すことができれば……あるいは」


 賀来は小さく息をつき、かすみもうなずいた。

「それなら、よかっ――」


 制するように百見が手を向ける。

「その可能性もある、だ。……どうあろうと、あの怪仏を止めねば世界が歪む。今、ここで」


 円次が声を上げる。

「ンなことよりよ! 隠れろお前ら、どうせアイツもさっきの撃ってくんだろ! 隠れろ、話はそっからだ!」


 いち早く駆け出した円次にならい、全員が手近な木の陰に身を隠す。もっともこの木は崇春が作り出したもの、怪仏の力に拠るものだ。身を守る盾とはなり得ないが、敵の視界から隠れることはできるだろう。


 木に背を預けて崇春が言う。

「言うたとおり、『四天王の先の力』を使う。その後はわしに任せ、皆は隠れておってくれ」


「そんな、一人じゃ……!」


 声を上げたかすみに、崇春は首を横に振る。

「いいや、一人でなければむしろ危険じゃ。何しろ、盾はもう――」

 視線で近くの茂みを示す。そこには先の戦いで使った、スライドドアが一枚だけ残っていた。

 他のドアは全て紫苑を拘束することに使い、今やばらばらに裂かれていた。


 紫苑の――大日の声が降る。

「――どうした、何か作戦があるのかな? せいぜいじっくりやりたまえ、万全の体勢を整えてね。そうした君らの必死の手を、この我としては見たいものだね」

 いびつな笑みを浮かべる。

「――叩き潰してやるよ、その全力を。打ち砕いてやるよ、その全霊を。悔いなど決して残らぬよう、希望など欠片も残らぬよう。――お前たちの全てをへし折り、地べたへ踏みにじってやる。そのまま眺めさせてやるよ、新たなる世の到来を」


 崇春が、ふ、と息を吐く。

「応よ、望むところじゃわい」


 しばらく考える間の後に、かすみの口から言葉がこぼれた。

「いや……望んだら、ダメなんじゃないんですかね……?」


 円次がつぶやく。

「お前、この状況でツッコミできンのかよ……すげェな」


「……っ、ふ……」

 百見が吹き出しかけ、口を押さえてこらえる。

 見れば、賀来も渦生も同様だった。

「ぅ……ホントだ、スゴいなお前……ふふっ」

「くく……やべぇ、きも、太っ……」


「何なんっ、ですかーーっ!!」

 叫びかけて、後半は小声で言った。


 ふ、と崇春が笑う。

「さてと。皆、準備はええようじゃの。四天王はわしに力を、その後は隠れておれ。渦生さんらも、手出しはせずにおってくれ」


 崇春は木の陰から駆け出し、横の茂みの後ろを行く。木の陰から陰へとつたい、ドアの落ちてある方を目指す。

 そうしながら、両手は合掌していた。いや、それは合掌から、五指の指先だけを互いに交差させた形。百見によればあらゆる印を兼ねるという、金剛合掌印こんごうがっしょういん

「オン・ア・ウン・ラ・ケン・ソワカ」


 かすみも同じ印を結び、同じ真言を唱える。

「オン・ア・ウン・ラ・ケン・ソワカ」

 かたわらでは多聞天が、同じ印を結んでいた。


「オン・ア・ウン・ラ・ケン・ソワカ」

「オン・ア・ウン・ラ・ケン・ソワカ」

 百見も円次も、同じ印を結び真言を唱える。そのそばではそれぞれ、広目天と持国天が同じ印を結んでいた。

 印に目を落とし、祈るように百見がつぶやく。

「頼むぞ、崇春。……無事に、帰ってこい」


 ドアの元にたどり着き、崇春が声を上げる。

「オン・ア・ウン・ラ・ケン・ソワカ――帰命いたすオン持国天よ増長天よウン広目天よ多聞天よケン幸いあれソワカ! 増長天の力得た、わしに今こそ四天王の力を! 『四天王総呪』!」


 白いもやが湧き上がり、放たれた。多聞天から、広目天から、持国天から。増長天の力を持つ崇春へと。


 四天王総呪、それは四天王全てへの真言であり、それら四体の怪仏の力を結集させる秘儀。かすみらはそれを、境内へ向かう車の中で百見から聞かされていた。

 本来なら、紫苑が多聞天の存在を知らないうちに、かすみが多聞天により奇襲。その機に乗じて多聞天に四天王の力を集め、決着をつける――そういった作戦だったが。

 今は、崇春を信じるしかない。


 白く輝くもやが崇春の体の上で渦を巻き、やがて形を取ってゆく。

 その体を、巨大な腕を覆う金色こんじきの鎧や籠手こては増長天のものか。

 右手には持国天の刀、左手には多聞天の宝棒。腰の帯には刀のさやを差すと共に、広目天の筆を手挟たばさんでいた。


 輝くもやを立ち昇らせながら、崇春は叫んだ。

「我ら四天王の力、見るがええ! 増長天の崇春、参る!」


 そうして、盾とすべくドアを拾おうとして。武器を持った両手に、はたと目を落とす。

 そのまま両手で無理に抱え上げ、ひじで挟んでみたりあごで押さえてみたり、もたもたと試してみた末。宝棒を筆と同じく帯に差して、左手でドアを構えた。


「我ら四天王の力、見るがええ! 増長天の崇春、参る!」


 もう一回言わなくていいですから。

 そう、かすみは言いたかった。


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