六ノ巻38話 鬼神、攻勢
「何だと……」
立ち上がりながらも言葉を失う紫苑――と渦生――を見ながら、かすみは考えていた。
紫苑の放つ光は『怪仏及びその力を消し飛ばす』。ゆえに、怪仏の力で作られたこの異界たる、この場に存在する物質も消し飛ばす。
だが、渦生の車は怪仏の力に拠らない、ただの物質――至寂が異界に持ち込めるよう手をかけておいてくれた物。ゆえに、紫苑の能力は及ばない。
車のドアを引っぺがしてくるなんてムチャクチャだが。確かに有効な手だった。
ばん、と音を立てて、構えたドアを崇春が叩く。
「もはやお
頬を歪ませ、紫苑が拳を構える。
「そんなことで、そんなもので……この僕の力が、止められるもの――」
言葉の途中で崇春は駆けた。
「ならば寝ながら考えい。【
金の光をまとった拳を構え、突進する。ただしドアを拳の前につけ、盾としたまま。
結果、紫苑が放った光を盾が受け止め。突進する崇春は、打ちつけられる光の勢いをものともせず。突き出す拳が盾ごと、紫苑の体を打ちのめし――いや、半ば
「ごぉあああぁぁっ!?」
辺りに生い茂る木々をへし折りながら吹き飛ぶ紫苑。
その後でゆっくりと、折られた木々が倒れてゆき、その体を覆い隠した。
歪み切ったドアを小脇に抱え、崇春は巨大な腕を組んだ。
「ふ……また一つ、目立ってしもうたのう」
かすみは口を開けてその情景を見ていたが。不意に思い出した。
「だめです、またすぐ来ます! あの人はこっちの力を吸い取って、傷を治す!」
思えばかすみもそれでやられた。一度は刀八毘沙門天の力で追い詰めたというのに。
『周囲の生命の力を吸い取り、自分の傷を癒す』紫苑の体質により、紫苑は大きな傷を癒し、その分の生命力をかすみから吸い取り。結果、紫苑は立ち上がり、かすみはわけも分からず倒れていた。
いくら打撃を加えようと、いわば自分のダメージをこちらに押しつけるようにして回復する――いったいどうすれば、そんな相手を止められるのか。ましてや崇春が言うように、救えるのか。
「むうう……」
考え込むように崇春が眉根を寄せる。
気づけば、そうする間に。紫苑へと覆いかぶさるように倒れた木々から、乾いた音が上がっていた。ぱきぱきと、小枝を踏み割るような。あるいはひび割れていくような音。
「なるほど、そんな手があったか……たかが車のドアなどにやられるとはね。反省したよ」
紫苑の声が響く中、ひび割れるような音がいっそう高く上がる。
見れば。倒れた木々や周囲の木の葉が、緑から茶に
砕け落ちた木の下から、紫苑がゆっくりと身を起こした。折れていたはずの片腕も片脚も、今や傷ついた様子はない。
体についた木片をはたき落とすと、辺りを見回してつぶやいた。
「これも、なるほどと言わねばなるまいね。怪仏の力に拠って作られた異界、そこに在る擬似生命とはいえ植物は植物……僕が力を吸い取るのは『遠くの君たちからではなく』『近くにあるこれらから』だ」
何度か目を瞬かせた後、あ、とかすみはつぶやいた。
そうか、これなら。紫苑が生命力を吸い取って回復する、それは防ぎようがないとしても。『自分たちが生命力を吸い取られることは防げる』――紫苑の近くに植物がある状態を維持すれば。
それで、崇春はこれほどまでに境内を植物で埋め尽くしたのか。
「なるほど……! こんな手が」
かすみが深くうなずくと、崇春も同じ顔でうなずいた。
「なるほどのう……こんな手が!」
かくり、とかすみは口を開けた。
「って……そのためにやったんじゃないんですかーーっ!?」
「いや、東条を拘束しようと、経典の山に木を生やそうとしたんじゃが。ちいと勢い余ってのう」
ふ、と笑って空を見上げる。
「なんせわしは、
「いや、何で得意げなんですかーーっっ!?」
思い切り言ってやった後、肺から息を絞り尽くした後で気づいた。
重かった肩が、詰まるようだった胸が、こわばっていた顔が。今はすっかり、軽い。
小さく息をついた。ほほ笑む。
そうだった、思い出した――この人といると、不安になれない。
崇春は紫苑へと向き直る。
「さてと、じゃ。どうじゃ、もうやめにせんか。お
紫苑は鼻で笑っていた。
「お優しいね、だからどうした。見たところ妙な力を身につけたようだが、それで僕を止めたつもりか? その新しい腕ごと消し飛ばしてやるよ、盾一枚持ったところでこの絶対たる――」
話の途中で崇春は背を向け、元来た方へと歩き出した。
紫苑の方を見ぬまま頭をかく。
「その話、
紫苑は口を開けたまま固まっていたが。ひくひくとその頬が震え出す。
「なめられたものだ……なめてくれたものだ、この僕を! そしてこの、力を!」
光を宿す拳を振りかざす。それを一息に、地面へと突き下ろした。
「駆けろ。【討ち滅ぼす至浄の光】!」
「何のそれしき!」
崇春は盾を地に構え、その後ろに身を隠した。
が。
光はただ地の上を走ってきたわけではなかった、それは怪仏の力を消し飛ばす光だった。
ゆえに、怪仏の力で形作られた地面をも、消し飛ばしながら走ってきていた。
「むうう!?」
崇春は確かに光は防いだ。だが光はすでにその軌跡で、地面を
結果、崇春の立つ地面、その土が大きくえぐり消され。光が通ってきた軌跡、
「ぐ……!」
何とか体勢を立て直し、盾を構えようとするも。
一瞬早く飛んで来た紫苑の光が盾を撃ち、斜面の上へと弾き飛ばした。
紫苑は見下ろして笑う。
「盾一枚持ったところで、
逆の手に宿した光を、崇春へ向け真っ直ぐに放つ。
「どぉりゃああーーっ!!」
だが、崇春は聞いてはいなかった。またも紫苑に背を向け、自らの背後の土を――紫苑の光の余波でえぐれた、ほぼ垂直の壁のようなそれを――拳で打った。
その衝撃に、
土砂や木で身を隠そうというのか。しかしそれも異界の物である以上、もろともに消されてしまうに違いない。
「崇春さん!!」
かすみが思わずそう叫んだとき。
崩れ落ちた土砂へと紫苑の光が着弾し、それらを消し飛ばす。
崇春の声がその向こうから響いた。
「いいや。盾一枚持ったところで、どうなる訳もなかろうが」
光が収まったそこには。
ドアを構えた崇春がいた。ただ、先ほどまで持っていた運転席のドアではない。ほぼ同じ形、ただし左右逆の構造をした、助手席のドア。
崇春は不敵に笑っていた。
「じゃが、このように。もう一枚あればどうかのう?」
「え……」
かすみがつぶやき。
「ええぇぇ……」
何か言いたげに突き出した手を、震わせながら渦生がつぶやく。
紫苑は口を開けていたが、すぐに歯を噛み締めた。
拳を振りかぶり、新たな光を放つ。
その前に崇春は動きを起こしていた。
「【
暴風に押し流され、助手席のドアが飛ぶ。後ろから気流に支えられて、盾のように外面を紫苑へ向けたまま。
それが光とぶち当たり、押し合ったが。やがて光も風も、力を使い果たしたようにかき消える。支えを失ったドアが、ふわり、と落ちていった。
「ふん――」
その機を予想していたか、紫苑はすでに前へ出ていた。落ちていくドアを自ら跳ね飛ばし、崇春へ目がけて駆けようとして。
「ぶ……っ!?」
自分の顔からぶち当たった。そのドアの陰、押し退けた先に飛んできていた、石の塊に。境内にあった石
かすみが目を向けると、崇春はすでに新たな盾を構えていた。渦生の車の、側面にあったスライドドア。
見れば崇春の背後、崩れ落ちた地面の上には。もう一枚のスライドドア、さらには後部荷台のドア。そして境内から持ってきたのか、ばらばらに崩れた石灯籠が転がっていた。
――つまり、先ほど。崇春が紫苑に背を向け、元来た位置へ戻っていったのは、ただの挑発ではなかった。
そこに盾が武器が――剥ぎ取ったドアが、抱えてきた石が――置いてあったから。そこへ戻る必要があったから。
紫苑の攻撃で、えぐれた斜面に落とされた崇春は。背後の土を崩すことで、その上にあったドアや石を斜面に落とし、回収。そのドアで紫苑の攻撃を防いだ。
さらに風を操り、ドアを前へと飛ばす。その攻撃自体は対処されると読んでいたが、同時にそれは紫苑の視界を塞ぐためのものでもあった。
そうとは知らず、追撃すべく突進した紫苑に。崇春があらかじめ、ドアの陰になるよう放っていた二撃目、ぶん投げておいた石
そういうことらしかった――。
そして崇春の攻勢は、それで終わりではなかった。
「悪いが手荒くゆくぞ。そりゃそりゃ、そうりゃああ!」
巨大な手でさらに投げる、石灯籠の部品。火を灯す部分も柱も基礎となる台も、さらにはこれも抱えてきたのか、石造りの
「く、こんなもの!」
先ほどの一撃に顔面から血を流しながらも、紫苑は両手に光を宿す。
「どっしゃあああ! 【スシュン・ダブルキック】じゃああーっ!」
そこへ、今度は崇春自身が跳び込んだ。ドア越しに相手を踏みつけるようなドロップキック。
紫苑は受け止めようとするも間に合わず、ドアごと地面に叩きつけられた。
金色の光漂う拳を振り上げ、崇春がドア上に跳びかかる。その下敷きとなった紫苑を押し潰そうとするように。
「もろうた……【
鈍い音と共にドアを歪ませ、杭を打つかのような一撃が決まる。ドア越しとはいえ、その下にいる紫苑に。
「……!」
身を折り曲げた紫苑は口を開けたまま、言葉にならぬ息を吐いた。
それでも崇春の動きは止まらない。
「【スシュンパンチ】! 【スシュンパンチ】! 【スシュンパンチ】【スシュンパンチ】、【スシュンパンチ】……【スシュン・ラッシュ】じゃあぁーーっ! どおおりゃりゃりゃあーーっ!」
連続で繰り出す拳が次々とドアをへこませ、その向こうの紫苑の体へと突き立つ。
「が……っ、この……!」
顔を歪ませた紫苑は、地に張りつけられたまま苦しまぎれのように光を放つ。だがそれは、崇春を狙ったものではなかった。
左手から放たれた光は消し飛ばした、自らの体の下にある地面を。その胴体の左側半分、それを支えていた地面を。
同時、紫苑は身を起こす。胴体の中心を支点に、寝返りを打つように。体の右側を上に向けて。
「……む?」
必然的に。紫苑の上に、ドアごしに乗っかっていた崇春の体は。紫苑の体の上で傾き、バランスを失い。
消し飛ばされた後の深い斜面、紫苑の左側。そちらへと滑り落ちていった。
「むううーーっ!?」
紫苑は上体を起こし、自らも落ちないよう後ずさった後、手に新たな光を宿した。
「よくも手こずらせてくれたものだ、だがここまでだ! 受けよ、【
「崇春さん!」
斜面の底に滑り落ちた崇春の体は、ドアに乗っかったままだった。
そのドアを盾とするには――ドアから降り、かつぎ上げるには――一手足りない。今まさに放たれた、紫苑の光から身を守るには。
かすみは続けて叫んでいた。
「これを使って!」
多聞天がかつぎ上げ、崇春の方へと投げ込んでいた。崇春が用意していたものの一つ、一際大きな後部荷台のドアを。
かすみとてこの戦いを、指をくわえて見ていたわけではない。必要とあればすぐ次の盾を渡せるよう、多聞天をドアのある場所へ移動させていた。
「助かるわい!」
崇春は素早くドアをつかみ、光から身を守る。
その間に。多聞天もまた、残る一枚のドアをつかんでいた。
「多聞天!
「――承知
ドアの陰に身を隠したまま、多聞天が土埃を上げて突進する。
「く……」
紫苑がそちらへ顔を向けた、そのときには。
「ぅおおおっ! どっせぇーーいっ!!」
同じくドアを構えた崇春が、斜面の底から跳びかかっていた。
紫苑が身を引く間などなく、双方向から
打ち当てたドア越しに多聞天は、宝棒で何度も打ちつける。
「――しゃあっ、【滅多悶絶】! そらそらそらそらぁああ!!」
同時に打ち当てたドア越しに、崇春もまた拳を振るう。
「【スシュンパンチ】! 【スシュンパンチ】! 【スシュンパンチ】【スシュンパンチ】【スシュンパンチ】……【
「ぶ……がっっ……!?」
肉が打たれ骨が砕けるような音を立て、紫苑の口から血が吹き出る。
そこへ、さらに。
多聞天は宝棒を振りかぶった。その周囲に白く輝いたもやが立ち昇り、燃えるように渦を巻く。
「――受けよ!
輝く軌跡を宙に残し、ご、と空を打つ音を立て。ドア越しに紫苑へと、宝棒を重く打ち込んだ。
崇春は両拳を腰へと引き絞った。澄んだ金色の輝きを上げるそれが、
「受けるがええこの拳! 【
空を震わす音を立て、跳び込み放つ両の拳が。重い響きを上げ、ドア越しに――拳の形に歪ませたそれ越しに――紫苑を打った。
「……っ、……!!」
もはや声もなく吹き飛ばされた紫苑は、力なく横たわり。
間髪入れず崇春は動いた。紫苑が再び立ち上がる前に、拘束するべく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます