六ノ巻30話  大人しくしてもらおうか


 紫苑は無言だった。わずかに目を見開いて百見の方を見ていた。その頬が、ぴくり、と引きつる。

 それからようやく、思い出したように笑った。それまでと、紡を人質に取られるまでと同じように。

「これはまた。ずいぶんな扱いをしてくれるじゃないか、レディーに対して?」


 百見は肩をすくめる。

「生徒会長ともあろう方が、流行はやらないものの言い方をされる。僕としては、男女差別はしない主義でね」


 紫苑も同じく肩をすくめた。

「これは一本取られたな。だが、君たちともあろう者がまさかそのような――」


「正義の味方だと自己紹介した覚えはないね。必要とあらば、どんな外道でも大喜びでやろう。たとえば……壊すか、彼女の指。一本一本折る、んじゃあない。クッキー缶に入ってる緩衝シートエアーキャップをプチプチ潰すように、ストローを噛み潰すみたいに。その骨を一節一節ひとふしひとふし潰していこうか、鬼神たる広目天の剛力でね」


 そこで紫苑は息をこぼした。鼻から、笑い飛ばすように。

「ふ。はは、ははは! 何だそれは、何だそれは! せっかく素敵な作戦を実行してくれたのに、肝心かんじんなところをお忘れだな! いいか、どんな傷を負わせようとも。『彼女の傷は、たちどころに治る』『僕と同じく、周囲の者の生命力を吸い取って』。結局ダメージを受けるのは君でしかない」


 聞いて百見の表情が固まる。そしてなぜか、数秒経って。唇の端がわずか、緩んだ。


羊頭狗肉ようとうくにく

 そう声を上げたのは二人ではない。広目天につかまれ、ぶら下げられた格好の紡だった。


 無表情に言い放つ。

「男女平等とか公言しちゃう奴の悪いクセだね。できてるつもりで、結局ナチュラルに男子だけで話を進める。まさか君らがその手のバカだとはねぇ。おねーさんは恥ずかしいぜ」


 二人が言葉を継ぎかねているところへ、紡は言った。百見の方を振り向いて。

「これさー、人質は分かるんだけどもうちょい楽な姿勢にならないかね? ぶら下げられたまま喋んのも一苦労なんだよ」


 百見は目を瞬かせていたが、やがて広目天へ向けてうなずく。

 広目天はその手をわずかに下げ、紡の足先を地面へつけた。


「もうちょい下、下。あーそう、それぐらいでいい。あー、きっつう……四十肩かなこりゃ」

 腕をつかまれたまま、紡は肩を小さく回す。


 フレームの太い眼鏡がずり落ちたままで、百見へ歯を見せて笑う。

「君もこの方がいいだろう? 私たちとのお喋りをスムーズに楽しみたかったはずだ」

 わざとらしい笑みがそこで消えた。

「これで紫苑を止められると思ってるワケじゃないだろう。だったら、何がしたいかと言えば。うだうだ喋って情報を引き出す、弱点を探る。あるいは、時間稼ぎとか」


 紡が横目で視線を向けた先では。渦生が賀来を引っ張り、辺りの木の陰へ隠れていた。

 かすみ自身も今、黒田を抱えた円次と共に、茂みの陰へと向かっている。


 固い顔で百見がつぶやく。

「ずいぶん、冷静ですね。さすがに頭がいい」


 紡が顔をしかめた。

「バカだって言ったの根に持ってるのか? いや私も、君んとこのホラでっかい、斉藤くんに頭悪いって言われたけどねー。実際根に持ってるわ。いや、彼は頭いいよ確かに、結構スキだわ」


 がさ、と茂みから音がした。

 おそらく賀来のアーラヴァカが反応したのだろう――崇春のいる近くで音がした、これなら崇春の力で傷を治してもらえるだろう。というか、元気そうだ――。


 百見は肩をすくめた。立ち位置をずらし、紡を視界に収めつつ紫苑の方を向く。

「それはともかく。お二人とも、早速お喋りにつき合っていただきたいが――」


 紫苑は首を横に振る。

「嫌だね。紡については言ったとおりだ、痛めつけられるのは不本意だが致命的なことは起こり得ない。こちらとしては正直、君たちなど無視して大日金輪の力を発動し、僕らの望みを現実に――」


「それ」

 百見は紫苑を指差していた。もう片方の手で眼鏡を押し上げつつ。

「本当にできるのかな。……先ほどのお喋りから重要な情報を得ることができた。あなたの創り上げた業曼荼羅ごうまんだら、ご自慢の究極の別尊曼荼羅べっそんまんだらとやら。『不完全である可能性がある』」


 紫苑は表情を変えなかった。何も言わなかった。肯定も否定もせず、動きを止めていた。


 百見は続ける。

「さっきの話から二、三疑問が浮かんだ。まず一つ、『彼女が傷を受けたとして、本当にすぐ治るのか?』」


 紫苑は鼻で息をつく。

「何を言ってる。彼女の傷が治るところは君も――」


「それは以前のことだ。なぜ、業曼荼羅ごうまんだらを構成するための七宝として『弁才天を手放した彼女に』『それなのに未だ、傷を治す力がある』などと、矛盾したことが言えるんだ?」


 紫苑が何か口を開こうしたが、百見は手で制する。

「いや、むしろ本当にあるのかも知れない。何しろ僕らがここへ来たとき、彼女は『弁才天の洗脳詩ちからで阿修羅王を操っていた』。……おかしいな。七宝として、いやそれ以前に三面大黒天の一部として、彼女は弁才天を手放したはずだが。『なぜ、未だその力がある?』……つまり。彼女は間違いなく『弁才天の力の、少なくとも一部を自らに残している』。すなわち――」


 再び紫苑を指差す。

「あなたの創った業曼荼羅ごうまんだら。『七宝の一つが不完全であり』必然的に『その曼荼羅まんだらもまた、不完全』」


 紫苑の動きは止まっていた。ただ、表情を変えることなく、百見を見ていた。


 百見は続ける。

「そしてもう一つの疑問だ。『僕と同じに』彼女の傷は治る、あなたはそう言った。……逆に『治るのか? あなたの傷は?』」

 息を継いで続ける。

「あなたもまた、大暗黒天を七宝として手放したはず。怪仏の力で生命力を吸収し、傷を治すことはもうできないはず。だとしたら、可能性は二つ。一つは『実際に傷は治る』つまり『あなたは大暗黒天の全てを手放してはおらず』『業曼荼羅ごうまんだらは、さらに不完全な代物でしかない』」


 指を一つ立ててみせた後、もう一本指を立てる。

「二つ目の可能性、こちらの方がむしろありがたい。『大暗黒天の全てを七宝としてしまった』つまり『業曼荼羅ごうまんだらは、いくらかまだ完全に近いが』『あなた自身には、もう傷を治す力はない』。……だとすれば。あの光さえかいくぐれば、あなたを倒すことはできる。その可能性があるわけだ」



 かすみは息を呑んでいた。

 確かにそうだ。完全に見えた紫苑の力にも、穴がある。

 加えていえば七宝の一つとして奪われた毘沙門天、あれも不完全なのではないか。

 かすみの怪仏は『双身毘沙門天』。二体一組にして一尊、それが本来の姿だった。紫苑はそれを知らず、片割れだけを奪っていった。

 そう考えれば、業曼荼羅ごうまんだらはさらに不完全である可能性もあったが。多聞天を狙われてもいけない、今のところは黙っておくことにした。



 百見はなおも、問い詰めるような視線を向ける。

「だが、そもそも、だ。大暗黒天は全てを呑み込む暗黒の化身とされ、仏敵を呑み込み懲らしめるといった伝承もある、『他者の生命力を吸い込む力』を持っていてもおかしくはない。だが――『なぜ、その力を弁才天が持っている?』」


 紫苑と紡が同時に身を震わせ。二人とも、動きを止めた。


「水神としての生命力、習合した蛇神の不死性……そうしたものかとも思っていたが。だとしたら『他者の生命力を吸い込む力』である必然性がない。ただ自身の傷を癒す、それだけの力であればいいはずだ」

 二人へ交互に視線を向け、百見は続けた。

「『なぜ、大暗黒天の力を弁才天が持っている?』……あるいは三面大黒天となり得るほど関係の深い福神同士だ、力を融通ゆうずうすること自体は可能なのかも知れないが。業曼荼羅ごうまんだらを構成する必要のある今もなお――少なくとも鈴下さんの方は――なぜその力を持ったままでいる?」


 紫苑は視線を落としていたが。唇をなめ、百見を見据えた。

「それはね。……用心のためさ、君たちに倒されないようにね。まさにそんな風に、人質に取られる可能性もあるのでね」

 燃えるような光が両手に再び宿る。

「お喋りにつき合って差し上げるのもここまでだ、我が力にて蹂躙じゅうりんさせてもらおう。その後でゆっくりと完全な――」


「紫苑」

 紡は静かに口を開いた。

「紫苑、もういい。言っちゃおうよ。ホントのことをさ」


「な……」


 紫苑が固まるうちにも紡は続けた。うつむいて、視線をそらせて。

「教えてあげようよ、そのことをさ。見せてあげようよ、あの日のこと。あなたが私に怪仏をくれた、その日のこと。私たちが出会った日のことをさ。それで――」


 紫苑を見た。ずり落ちかけた眼鏡の奥、深い穴のような目で。

「分からせてあげようよ。私たちの、地獄をさ」


 紫苑にも百見にも言葉はなかった。二人とも動きを止めていた。


 紡だけが大げさに肩をすくめ、首をかしげてみせる。

「さ、そうと決まれば早くしたまえ。記憶の情景を再現する技、確か君が持っていたろ」


「……ええ。だが、今は状況が違う……情景だけじゃなく、あなたの心の内まで共有する、その技を使わせてもらいます。至寂さんにも使ったものだ、さらに言えば、その力ですでに見せてもらっている。彼の師の最期と、東条紫苑の出生を」


 紫苑の頬が、ぴくり、と動く。


 紡は顔をしかめたが、笑うように息をついた。

「そうか……それも知ったかい。ま、そっちの方が分かってもらい易いだろうし……おねーさんのムフフな秘密を、皆で共有するといいぜ? ああそうだ、もっと情報を引き出したいなら拷問はムダだ、逆におっぱいとかもんだ方がむしろイイぜ何しろ私の感度は通常の約――」


 せせら笑ってみせる紡の顔面へ。

 黙らせるように、広目天が筆を押しつけた。


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