六ノ巻21話 裏技
「裏技……? 奥の手、だと」
そうつぶやいた後、至寂は顔を歪めていた。
「ある訳がない、そんなもの……よしんばあったところで! この
へ、と渦生は息をつく。
「おーおーずいぶんやる気だな至寂ちゃんよぉ。熱くなっちゃ勝てるモンも勝てねぇぜ、忘れたのか? ヒマ潰しの
「黙れ!!」
言い放ち、至寂は印を結ぶ。
「もう話すことはない、永遠に黙らせてやる……永遠にだ……!」
渦生は肩をすくめてみせる。
「マジメだな、優等生。それじゃ勝てねぇっつってんだろ」
真っ直ぐに至寂を指差す。
「先に言っといてやる。俺の手はな、絶対の防御であり絶対の攻撃だ。俺の
その名はかすみにも覚えがあった。かすみが戦った四大明王の一体。
確かにそれは強靭堅固な肉体を誇り、
「つまりは、だ。当然あるぜ、
表情を消し、渦生は続ける。
「やってみろよ、あぁ?
びき、と――音を立てたように錯覚するほど強く――至寂の頬が引きつる。
「逃げる、だと……? 逃げたのは貴方だろうが何も言わず!
至寂の表情が固まる。引きつったままで。
「もういい。ここで全て終わらせてやる、貴方を潰して! 我が両頭愛染の力は絶対にして無二。何者だろうと越えて潰す!」
渦生は口の端だけで笑う。
「いいぜ、来いよ。俺も手加減しねぇ……逃げたりしねぇ、今度はよ」
渦生の後ろから百見が声をかける。
「渦生さん……これで、いいんですね」
そちらに目をやりはせず、至寂を見据えたまま渦生はうなずく。
「おお。……行くぜ至寂!!」
同じく渦生を見据えて至寂は叫ぶ。
「ええ、行くぞ沙羅ぁ!!」
渦生は走った。印を結びはせず、短距離走のように手を振るって駆ける。
「オン・シュリ・マリ・ママリ・マリシュ・シュリ・ソワカ!」
至寂は印を結んでいた。
「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン……ウン・タキ・ウン・ジャク・ウン・シッチ! やりなさい両頭愛染、【
両頭愛染の赤い腕が弓の弦を引き絞り、天へ向けて
赤く丸く、小さな夕日のように姿を融かしたそれは、向かい来る渦生へと赤い日差しを投げかける。
暴くような光に長く渦生の影が伸び、影が伸び。影が伸びた。
それだけだった。
「……な、に……」
影から怪仏が立ち上がらない。渦生の
その事態にその場の誰もが、そして至寂が気づいたときには。
「おるぁあああっっ!!」
渦生の拳が、至寂の顔面を打ち抜いていた。
「ぶぐっっ!!?」
地に叩きつけられたような勢いで倒れた至寂は、それでもすぐに顔を上げたが。
「るあああああっっ!!」
渦生がその上から、何度も何度も拳を浴びせ。
立ち上がろうとする至寂の右腕を取り、ひじを伸ばしつつも肩を関節と逆側に曲げ。その脚に自分の脚を絡ませ、跳ね上げ。
半ば押し倒すようにして投げた。関節を
嫌な、湿った音が聞こえたのは気のせいだったろうか。
もつれるように倒れていた二人のうち、やがて渦生が立ち上がる。
至寂はそのまま倒れていた。その口から
「うっ……あっ、あぁが……っ!」
左手で押さえた右腕、そのひじが力なく垂れていた。本来曲がるべき関節の向きとは別の方向を向いて。
目をそらすことなく至寂を見、渦生は口を開いた。
「右ひじの
しゃがんでその目をのぞき込む。
「その手で印は結べねぇ。不動
かすみは目を瞬かせる。
怪仏を
至寂は目を瞬かせていた後、長く息をつき。言った。
「……ええ。不動も、愛染の印も結ぶことはできません……怪仏を
身を起こした賀来がつぶやく。
「ああ……そういうことにした、ってことか」
つまり。二人の間で折り合いがついた、そういうことか。
横たわったまま、痛みに耐える早い息の下から。歯を噛み締めていた至寂が口を開く。
「それにしても。……まさか貴方が」
目をつむり、大きく息をついた。痛みのせいか時折頬を歪めてはいたが、それを除けば、穏やかな顔をしていた。
「貴方が、業を捨て去るとは。……我が両頭愛染の力は相手の業を引きずり出し、相手自身と対峙させる。たとえ貴方が怪仏を
もう一度大きく息をついた。目をつむる。
「悟りを開いたのですね、貴方は。今、ここで」
渦生は視線をそらし、不精ひげの残る頬をかいた。
「あ~~、いや。いやいや、ねぇだろ、無理だって。よりによって俺がよぉ、悟るとかよぉ。やったのは、あいつに頼んだことだけだ」
視線の先には百見がいた。
愛用の白紙本を携えた百見は、そのページをめくって示した。
炎をまとって見得を切るように片足を上げた、
渦生は言う。
「俺の怪仏。お前の方に向かう前に、封じてもらった。百見に」
「え」
かくり、と至寂の口が開く。
「えええええっっ!? そんな、そんっ……、それ、だけ」
渦生は重くうなずく。
「ああ。それだけだ」
思えば、渦生が百見を自分の後ろへ来させ、何事かささやいたとき。あの時点でそれを頼んだのだろう。
そして、百見はそれを行なっていたのだろう。皆の注意が渦生と至寂のやり取りに集中していたとき、こっそりと。
至寂が何か言う前に、顔を寄せて渦生は言った。
「言ったな。お前の負けだって、怪仏はもう
何度か目を瞬かせ。首に力を込めて上げていた頭を、ごち、と音を立てて大地に預け。
目を閉じ、至寂は鼻から息をついた。
「ええ。言いましたよ。負けだ、って」
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