六ノ巻20話  真実のその後で


「あ…………ぁ、ぁ……ぁああああああっっ!!」


 その情景の中、降りしきる雨の中、至寂の絶叫が響き渡り。かすみは思わず目をつむる。




 ――目を開けたときには、雨は降っていなかった。空が見えた、薄く雲のかかる――嘘くさい色の――異界の空が。

 かつての至寂と共に山中に立っていたはずのかすみは、地面に横たわっていた。斑野まだらの高校を模した異界の、グラウンドの上で。

 戻ってきたようだった、至寂の記憶の中から。


 怪仏の力で世を変革しようとする紫苑に、至寂が賛同する理由。それを過去から探ることで、至寂や紫苑を破る一手を求める――それが目論見もくろみだったはずだが。

 それを実行した百見はただ、小さく口を開けて至寂を見ていた――地にひざをつけて必死に隠れようとするかのように頭を抱え、震えながら身を丸めた、至寂を。


 かすみも百見と同じ顔で至寂を見ていた。あるいはその場の誰もが。


「ぁぁ……ぁあああああっっ!! やめろ、やめろぉぉお……見るな、見るな……っ」


 至寂の嗚咽おえつが響く中、誰もが身動き一つせず、長く長く黙っていたが。

 やがて、百見がつぶやく。

「……すみません。見せて、いただきました」


 至寂は顔を上げた。真ん丸く剥いた目を百見へと向けた。

「……よくも……貴方はよくも……!」


「殺すかよ。そいつを」


 言ったのは目を背けた百見ではなかった。横たわっていた渦生が、どうにか身を起こしていた。かばうように渦生へ覆いかぶさっていた烏枢沙摩うすさま明王は、力を使い果たしたのか消えていた。

「……殺さねぇだろよ、お前は。だいたい見られたくねぇなら、そうされる前に止めりゃ良かった。そいつを殺してでもよ。お前は、それができた」


 渦生は、ただ普通に喋っていた。責めるでなく怒るでなく哀れむでなく、ただ普通に至寂を見ていた。


 髪を短く刈り込んだ頭を、指先でかいてから続ける。

「そうしなかったんだ、お前は。殺せるけども殺さなかった。それがお前のいいところだ。……さっき見せてもらった、師匠と戦ったときと同じにな」


 弾かれたように至寂が立ち、渦生を見下ろす。

「殺しただろうが! わたしはっ、殺した、師を!! 何が――」


 変わらぬ口調で渦生は言う。

「殺そうとしたわけじゃねぇ。お前の中の声はこう言ってた、結局は。師匠でも嫁さんでもなく、その業を断ち斬ろうと」


「ふざけるな!!」

 顔を歪ませ、至寂は叫んだ。

「ふざけるな……わたしは、斬っただろうが!! 師を! 奥方を、その身の内の子も! 斬っただろうが!!」


 渦生は、そこでわずかに視線を落とした。

「……『怪仏が、両頭愛染が斬った』『お前じゃない』、俺はそう思う、お前にそう言いたい。だが……お前はそう思わねぇだろうな」


 至寂は顔をわななかせる。

「当たり前だ!! 業の塊たる怪仏は、それを扱う者と同じ業でつながっている……全てが本人のものではないにせよ、同じ業で! ……わたしの内には、確かに……殺意もまた、在った」


 そこで至寂の表情が消える。疲れ果てたように肩を落とし、うつむいた。

「許すな……わたしを」


「怒ってるよ、俺はよ」

 変わらぬ口調で渦生は言った。

「許すなとか言われなくてもよぉ、怒りまくってんのに決まってんだろ」

 そこでようやく、渦生は顔を歪ませた。

「許せねぇよ。そんなヤベぇことが、クソ重てぇことがあったのによ……何で俺に言わなかった」


 誰も何も言わなかった。

 長く固まっていた後、至寂だけが、いぶかしむように眉根を寄せた。


 責めるように渦生は言う。

「え? オイ、何でだよ……何で! 俺に! 言わなかったんだよ!!」


 何度か瞬きした後、ようやく至寂が口を開く。

「なん……で、って」


 渦生は頬を震わせ、声を上げる。

「そーだよ何でだよクソ野郎! そんなことがあって! てめぇがクソ苦しんで!  俺だって苦しんで坊主辞めて! 知ったの今だぞ十四年かそこら経ってからだ、大昔になっちまったじゃねぇかクソボケが!!」

 地面を踏み、唾を飛ばして叫ぶ。

「言っとけや一言!! 俺だけなんも知らんかったろーが!! 知っときゃなんか言えたろーがっっ!!」


 ぱく、ぱくと口を開けた後、至寂の頬が急に震える。ひきつけを起こしたかのように、びくり、びくりと。

「貴方……貴方ねえ」

 不意に、まなじりが裂けそうなほど目を見開く。叫んだ。

「貴方が!! どっか行ったからでしょうが還俗して!! 言わなかったのは貴方でしょうが一言の相談もなかったのは貴方でしょうが聞かなかったのは貴方でしょうが!! ……わたしに、何も、聞かなかったのは……!」


 眉が上がり、白目まで大きく向いた目をして渦生が言う。

「おーおー悪かったなぁ人のせいかてめぇコラ! 逃げんのか? 逃げんのか人のせいにして逃げんのか、あぁオラァ!」


「逃げてなど……! 大体、逃げたのは沙羅、貴方だろうが……! それを――」


「うっせぇバカ、バーカバーカ! 大体てめぇから言いに来んのが筋だろうが、『師匠殺しちゃってごめーんね』って謝りに来んのが先だろうが、言いに来いや! 逃げたのはてめぇだバーカバーカ!」


 至寂が盛大な音を立てて歯軋りする。空気を握り潰すかのように指を震わせ、拳を握った。

「こ・の……! お前は、お前は、わたしが、どれほど……! ……大体、言えるかっ……わたしの内の、師への……――」


「知っとるわボケ」


 至寂の動きが止まる、それより先に渦生は言った、早口に。

「知らんと思ったかボケ、あの堅物クソ師匠が気づいてて超モテダンディ激シブモテ坊主の沙羅さんが気づかんと思ったかボケ、大体……気づかねぇようなつき合いかよ。俺たち、同門がよ」


 至寂は何も言わなかった。言えなかったのか、口だけを大きく開いていた。


 渦生は鼻から大きく息をつく。それで肩から力が、頬から歪みが消えていた。

「さて、と。とりあえず言いてぇのはこんなとこか、他は後でゆっくり聞かせてもらうぜ。クソてめぇとクソ東条をブッ倒した後でな」


「な……」


 口を開けたままの至寂には構わず、渦生は百見の方に声をかけた。

「後ろに来い。あの記憶を暴いちまったのはお前だ、八つ当たり喰らってもいけねぇ。俺の後ろに来い。俺が奴を、ブッ倒すまでな」


「しか、し……」


 震える口を開けた百見に、力強く渦生は言う。

「俺の、後ろに来い。奴は俺が倒す」


 数秒の間の後、そちらへ駆け寄った百見へ。気づかってか、渦生が何かささやく。


 至寂が口を開いた。

「沙羅……沙羅!!」

 唇をわななかせて続ける。

「よくも言えたものだ、よくも言えたものだ……! 逃げたなどと、なぜ言わなかったなどと……いや、違う、違う……よく言えたものだ! このわたしを! わたしの最強の怪仏を、倒すなどと!」


 渦生は、笑ってみせた。

「倒せるに決まってんだろーが。てめぇが両頭愛染を隠してたようによ、この俺にも裏技がある。てめぇに黙ってた奥の手がな」


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