六ノ巻15話  両頭愛染、真なる最強の力


 一方、その少し後。

 円次が帝釈天を、かすみの多聞天が正観音ライトカノンを倒した直後。


 円次と持国天が百見と崇春を助け起こし、かすみはそばで倒れたままの斎藤に手を貸そうとして。その巨体をとても支えられないことに気づき、多聞天の助けを借りていた。

 そうしながら気づいた、ゆっくりしてはいられない。賀来と渦生を助けに行かなければ。

 そう考え、賀来たちの方を振り向こうとしたとき。


 轟音が、爆音が響いた。

 猛風が打ちつけ炎が爆ぜたような音が、なぜだかそれぞれ二重に響き。風が震え、地が揺れた。


「な……!」

 震動に転びかけ、足を継いで音のした方を見る。

 そこには土煙が、空へ届くほどにも高く昇っていた。すすのような焦げ臭い匂いが、遅れて漂った。

 ある程度土煙が収まったとき、見えた。地面に倒れた、賀来と渦生が。


「賀来さん!!」

「渦生さん、しっかりせい渦生さん!!」


 崇春と共に叫んで駆け寄る。先ほどの戦いの打撃が大きい崇春は遅れたが、それでも他の皆と共に駆けてきた。


 かすみは賀来の肩に手をかけ、近くに伏した渦生を見やる。幸い、二人とも息はしていた。

 渦生の体の上に、覆いかぶさるように烏枢沙摩うすさま明王も倒れていた。赤く逆立つ髪や同じく赤い肌は、今は黒い焦げが目立った。

 渦生の顔や体も煤けてはいたが、明王が守ったおかげか、致命的な怪我ではないようだった。


「愚か」

 冷たい声を降らせたのは。収まりかけた土煙の向こう、両頭愛染と共にたたずむ至寂だった。

「愚かですよ、渦生さん、賀来殿。この拙僧が操る最強、の怪仏。両頭愛染を倒そうなどとは」


 親友を――僧侶時代の戒名で呼んでいたはずの彼を――敬称つきで呼んだ至寂は、次にかすみを見下ろした。

「そして。愚かです、谷﨑殿。何やら再び戦う力を得られたご様子ですが、その程度で拙僧の前に立とうなどと。いえ――」


 駆け寄る崇春たちをも見渡し、見下ろす。

「たとえ誰であれ。両頭愛染を倒そうなどと」


 かすみは至寂と、倒れたままの二人を見回すばかりだったが。


 崇春と百見はすでに動いていた。

「【真・スシュンパンチ】!」

「【墨龍撃屠ぼくりゅうげきと】!」


 だが、両頭愛染が剣を振るう。崇春の拳から放たれた光も、広目天の筆が描き出した龍もその刃に分かたれ、粒子となって散り。その太い刀身へと吸い込まれていった。


「しいッ!」

 円次が至寂自身の方へ駆け、峰打ちに刀を繰り出すが。

 両頭愛染の六腕のうち、青い腕が縄を振るう――先端に分銅のような金属がつけられたそれは、捕縄であり武器の一種。羂索けんじゃくというものだったか――。それを刀身に絡められる。

 円次は縄の動きに逆らわず引かれつつ、刀を下ろして縄を振りほどく。だが、至寂はその間に刀の届かない距離へと跳び退いた。


 眼鏡を押し上げ、百見が言う。

「なるほど。不動明王の剣で敵の攻撃を斬り払い、吸収する……確かに大した防御能力です。あるいはその力を蓄え、攻撃に転用するというのもあるかもしれない。だが」


 崇春が重く音を立て、拳を掌に打ちつけた。

「じゃったとしても。はてさてその六腕で、さばき切れるもんかのう。わしら四天王、全員揃っての全力を。誰か一人でもぶち当てられれば、決め手になり得るほどの大技を」


 かすみを含む今戦える全員を、四天王を見渡して声を上げる。

「皆、ゆくぞぉっ! 喰らえ……【閻浮提えんぶだい覇王拳】!」

両の拳が燃えるような黄金の光を上げ、さらには同じ色に輝く籠手こてに包まれた。その拳を放つべく、前へと駆ける。


 百見は親指を絡めて両手を広げた印を掲げる。

「オン・メイギャシャニエイ・ソワカ、諸龍が王たる広目天が眷属けんぞくでて激せよ八大龍王! 【八龍激斗はちりゅうげきと】!」


 円次は鞘に刀を納め、無言で走る。左手は鞘を押さえつつ、つばを押し上げて鯉口こいぐちを切る。右手は柄に添えられていた。いつでも抜き、斬るべきときに斬れるように。

 その目は両頭愛染を、そして至寂を捉えていた。


 かすみも立ち上がり、敵を指差す。

「多聞天! やりなさい!」


 紅い唇を吊り上げて笑い、多聞天は宝棒を構える。

「――承知! いでや受けよや【滅多悶絶】!」

 跳びかかり、残像を残す速さで宝棒を振るい上げる。


「愚か」

 至寂は、哀れむように息をついた。

「申し上げたはずです。『瑜祇経ゆぎきょう』において愛染明王の力は、四天王をも絶命させると説かれている、と。ばかりか、梵天、帝釈天、歓喜天をも同様、と」


 襲い来る四天王を前に、じっとりとめつけるような目をしてつぶやく。

左様さように強大にして多様な諸天をも討ち得る理由は、経典にも記されてはおりませんが……怪仏の力としてお見せすれば、かようなものでございます」


 言う間に、両頭愛染は弓の弦を引き絞っていた。甲高く鳥の鳴くような音を立てて放たれた鏑矢かぶらやは、誰をも的とはしていなかった。

 中空へと放たれた矢は燃え上がり、かすみたちの頭上高くで動きを止めた。さらに激しく炎を上げて浮かぶそれは、融けたように輪郭を失い。赤く丸く姿を変えた。まるで小さな夕日のように。


「【両頭煩悩りょうずぼんのう即業煩悩そくごうぼんのう】」


 多聞天に攻撃を命じ、自らは留まっていたかすみには見えた。

 突進していく多聞天、崇春と円次、広目天の放った八体の龍。小さな赤い日に照らされた彼らの後ろに、長く影が伸びる。

 そして。その影が、むくり、と地から身を起こした。ほんの瞬きの間に、影は黒く立体となっていた。


 黒い多聞天が、黒い宝棒を振るって多聞天へと跳びかかる。

 黒い崇春が、黒いもやの上がる拳を構えて崇春へと駆けゆく。

 黒い八龍は牙を剥き、百見の八龍へと躍りかかった。


 背後からの気配に感づき、多聞天は振り向く。自らを模した黒い姿を見、大きな目を吊り上げた。

「――またも猿真似か、ようようりぬ奴ばらめ! 受けよ震多摩尼珠宝しんだまにじゅほう!」


 重く空を裂く音を立てて振るう、黄金色の宝棒。それが、敵の繰り出した黒い宝棒と打ち合い。


 ひん曲がった。鈍い音を立てて、金の宝棒は。

 それでも止められはしなかった、黒い宝棒は多聞天の頬を打っていた。


「――な……あ……?」

 焦点を失った目を見開き、打たれたまま固まっていた多聞天だったが。歯を噛み締め、すぐに構えを取り直した。

「――おのれ、最早もはや容赦致さぬ! 受けや、【滅多悶絶】!」

 曲がったままの宝棒を繰り出す。残像を残す速さで幾度も幾度も。


 黒い宝棒を突き出したまま、防ぎもせずその身に打撃を受けていた黒い多聞天は。不意に黒い唇を開いた。多聞天と同じ澄んだ声が、歪んだ響きを持って発せられる。

「――【大業だいごう・滅多悶絶】」


 繰り出した。黒い宝棒を。残像を残す速さで振るわれたそれは多聞天の宝棒と打ち合い。飴細工のように金のそれをひん曲げた。


「え」

 かすみがつぶやく間にも止まらなかった、黒い多聞天はさらに打った。

 かすみの多聞天も手を止めはしなかった、歯を食いしばってさらに打った。

 二つの宝棒はかち合い、そのたびに金の宝棒は曲がり、黒い宝棒には傷一つなく。

 やがて真っ二つにへし折れた、金の方が。


 そして武器を失った多聞天の上に、黒い打撃が降り注ぐ。

 肉を打ち骨を叩く音が鈍く、どしゃ降りの雨のように続いた。

 本地であるかすみの体もまた同調し――その一部とはいえ――同様の打撃が叩きつけられる。


「――あ……」

「あ……」

 同じつぶやきを残し、かすみと多聞天は同時に倒れた。


 黒い多聞天は無表情に見下ろし、片手に持っていた宝塔を落とす。多聞天の上へ。


「――……、……!」

 多聞天の持つそれと同じく、小さくも凄まじい質量を持つであろうそれは。多聞天がいかに押そうとも、体の上から転がる気配すらなかった。


「……っ!?」

 自らの体にもいくらかのしかかる重さに息を詰まらせながらも、かすみは辺りを見回した。


 百見の放った墨の八龍は、さらに大きな黒い八龍と絡み合い咬み合い――どちらも黒いせいでどうなっているかはよく分からなかったが――、どうやら、小さな方が引きちぎられた。百見の放った方が。


 駆ける円次の背後には突如、電信柱ほどもある大太刀が現れる。

だが、真っ直ぐに振り落とされたそれを――なぜかそれを振るう者の姿はなかった――、円次はこともなげにかわした。


「それがっ、どうしたァ!」

 叫びと共に跳び、腰の刀を抜き打つが。

 至寂の肩口へと向けたそれは、横から差し込まれた両頭愛染の大剣に阻まれた。さらにはその赤い腕が、五鈷杵ごこしょを持つ手を地に叩きつける。

 噴き上がった爆炎に打たれ、円次は宙へと打ち飛ばされた。


 そして崇春は。自らを模した黒い敵と、拳を構えて対峙していた。

「ふん……少々姿を真似たところで、わしほどには目立てぬわ! 受けよ、【閻浮提えんぶだい覇王拳】!」

 突き込んだ双拳から溢れ出た光が、黄金の籠手に包まれた拳の形を取る。


 だが。黒い崇春もまた、同じ構えを取っていた。その口から、崇春と同じ声が歪んで上がる。

「――【大業だいごう閻浮提えんぶだい覇王拳】」


 黒いもやが溢れた。まるで全てを塗り潰すように、高く広く深く。それは未だ浮かぶ、両頭愛染の放った小さな日の高さにまで届き、その光を覆い隠した。

 そして、そのもやが形を取る。光沢を放つ黒い籠手に包まれた、巨大な双拳。崇春の放った双拳が小さく見えるほどに、巨大な。

 それが崇春へ向け放たれる。


「むうぅぅーっっ!!?」

 べき、と軽い音を立てて、金の双拳が押し潰された。真正面から崇春が打たれる。あまりに巨大な黒い拳に、呑み込まれるかのようになすすべもなく。

 そのまま地面の上を駆けたそれは、途中でかき消えつつも崇春の体を遠く吹き飛ばし。遥か、校庭を囲む壁にめり込ませた。


「そん……な」

 かすみの洩らした声の上から、冷たく至寂の声が降る。


「申し上げたはずでございます。お気をつけを、と」


 炎を背負った両頭愛染、赤と青とのちぐはぐな怪仏を従え、至寂はゆっくりと歩く。

「四天王であれ如何いかな怪仏であれ、結果は同じ。我が両頭愛染の真なる力、それは『敵するものと同一の怪仏を創り出す』『ただし、敵を越える力をそなえたそれを』。たとえどんな怪仏であれ、如何に強大なものであれ。十体なら十体の、百体なら百体の怪仏を、拙僧はほふってご覧に入れましょう」

 自らの言葉が届いているか確かめるように辺りを見渡す。


 かすみも辺りを見回すが、もはや誰も立っている者はいなかった。壁に半ば埋もれた崇春は言うに及ばず、かすみも円次も立ち上がれはしなかった。賀来も渦生も同様の攻撃を受けていたのだろう、未だ立ち上がる様子はなかった。

 離れた場所に残ってもらった斎藤は一人、拳を震わせていたが。無論、怪仏の力がない以上どうすることもできないだろう。


 ただ。百見だけは、ほぼ無傷でこの場にいた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る