六ノ巻14話  最強の明王


 一方、その少し前。


 渦生は――もう何度目になるか分からないが――怒号のように言葉を発した。

「【大轟炎波・豪爛瀑ごうらんばく】!」

 烏枢沙摩うすさま明王が炎の波を放つ。


 大元帥たいげん明王は――賀来の体で――高々と脚を上げる。

「【武庫・大刀林】!」

 厚底靴が地を踏むと同時。幾振りもの剣に戟、金剛杵こんごうしょ、様々な武器が地から突き出し、波のように両頭愛染りょうずあいぜんへと向かった。


 至寂の声は穏やかだった。

「無駄ですよ。【両頭九徹りょうずきゅうてつ――】」


 両頭愛染りょうずあいぜん、真紅と青の体をした二面六臂ろっぴの怪仏は舞うように動いた。青い片腕で振るう大剣は炎の波をなでるように斬り裂き、返す刃が武器の群れを同じく刈り取る。

 断ち折られた武器の群れはその姿を薄れさせ、薄く光る粒子となって散った。その粒子が、辺りに舞う火の粉と共に大剣の刀身へと吸い込まれる。

 その一瞬後。明王の背負う炎が、燃料をくべられたかのように激しく燃え上がった。


「【――愛染業焔あいぜんごうえん】」

 炎は愛染の赤い腕を伝う。その手が五鈷杵ごこしょを地に突き立てると、そこから赤い炎が噴炎のように吹き上がり、渦生と賀来を襲った。


「ちぃっ……!」

 渦生の舌打ちと共に烏枢沙摩うすさまが炎を放ち、押されながらも敵の炎と打ち合う。その間にどうにか、二人とも下がることができた。


 荒くなった息の下から渦生が言う。

「野郎……クソ厄介だぜあの力、『敵の力を吸収し』『炎と変えて放つ力』……!」


 無表情に至寂は言う。

「ご明察のとおりですよ、渦生さん。愛染明王は『煩悩即菩提ぼんのうそくぼだい』――愛欲の業を悟りへの力と変える、密教の教え――を象徴する存在。それを因とし縁とした怪仏の力。不動の剣が業を断ち、愛染がそれを炎と変えて放つ……最強の攻撃が最大の防御を兼ね、最高の防御が最大の攻撃となる。それこそが我が両頭愛染の力」


 顔を歪めたまま、渦生は、へっ、と吐き捨てる。

「ぬかせ。『怪仏・不動明王の剣は業を断ち斬る』だのと、前から言ってたけどよぉ……ずっと言ってやりたかったぜ。そんなことできるかよ、業の塊たる怪仏がよぉ。お前のはな、『業を背負い込んでるだけ』だ。断ち切れてなんぞいねぇ、業を吸収してるだけでな。業を消し去ったつもりで澄ました顔をしてるだけだ。……悟り澄ました顔のてめぇにお似合いだぜ、そのクソ怪仏はよ」


 無表情のまま。凍ったようにそのままで、至寂は渦生の目を見ていた。

「……これは、手厳しいご意見。是非、今後の参考とさせていただきましょう。それはそうと――」

 至寂の表情は変わらなかった。ただ、ほんのわずか言い淀んだ、その言葉が震えていた。

「あなたは、ここで潰す」


 噛みちぎろうとするかのように、渦生は歯を剥いていた。

「言うヒマがあったらよぉ……やってみろや、あぁ!?」


 弾かれたように二体の怪仏は駆けた、同時に。互いの炎がぶつかり合い、刃が火花を散らした。



「……」

 賀来は。口を開けて、ぼうっと見ていた。二人の戦いを、ではない――なんとなく横目に、様子をうかがいはしていたが――。


 その右目が金色に光り、大元帥たいげん明王が低い声を上げる。

「――何をしておる、魔王女よ! 目の前の戦いから目を背けるとは、大体――」

 その目だけが、ぐりん、と動き、渦生の方を見る。

「――く助けをやらねば。死ぬぞ、あれは」


 ぽつりと賀来はつぶやいた。

「戦ってる」


「――……は?」


 大元帥たいげんの声をよそに、賀来はなおもつぶやいた。

「戦ってるんだな、あいつは。本当に」

 その視線の先には渦生らではなく、かすみがいた。吉祥天――武装したそれを、かすみは多聞天と呼んでいたが――を操り、正観音ライトカノンを相手に戦う彼女が。


 ため息をついた。

「前から悔しそうにはしてた、あいつは。崇春たちが戦ってるのに、自分は何もできない、って。はっきりそう言ってたわけじゃないけど、見てて分かるぐらいには。……だからこそ、我と二人で黒幕をおびき出そう、って話になったんだし」


 大元帥たいげん明王は賀来の右側の頬を歪め、いら立ったように言う。

「――であれば良いではないか、そんなことより加勢を――」


 賀来はツインテールの髪を指に巻きつけ、くるくるともてあそぶ。

「……気に入らない」


「――は?」


 うつむき、髪を巻きつける手を早めながらつぶやく。

「気に入らない、気に入らないぞ私は……我は。優しいあいつがわざわざ戦って、敵をボコボコにしたり、されたりなんて……見たくない」


 顔を歪め、厚底靴のつま先で何度も地面を蹴る。

「誰が戦ってようとあいつは後ろにいたらいいんだ、それでツッコミだけしてたらいいんだ! 私は……見たくないぞ、あいつが戦うところなんて。友だちが戦うところなんて」


 振り向き、二人の方を見た。今まさに戦っている、渦生と至寂の方を。

 歯を剥き出して顔を歪め、そちらを指差す。

「んで! 友だち同士で戦い合ってる、あのバカども! あいつらだって気に入らないんだ……!」


 そのまま駆け出す。

「行くぞアーラヴァカ! あいつらぶちのめして止めてやる……! あいつらも、かすみも、崇春たちも、誰も戦わなくていいように!」


 金の右目を光らせて。顔の右側、大元帥たいげん明王の方が笑う。

「――心得申した! この大元帥たいげん明王、荒野鬼神大将アーラヴァカ!  貴方様の意気に応え、重ねて忠誠を誓い! 今こそ真なる力振るいましょうぞ!」


 賀来の手が、導かれたように合掌する。その動きに合わせ、青鉄あおがね色のもやが背から肩から立ち昇り、鬼神の三十四腕を構成する。


「――我が怒れる像容に諸説あり。十八面三十六ともいわれる、多面多臂たひのその姿にしかし。一面、如来のかんばせ在り」


 同じ色のもやが立ち昇り、形を取る。それは賀来の顔の周りで、十七枚の鬼神の面となって浮かぶ。


 明王は金色の目を見開いた。

「――我は『慕情』の怪仏・アーラヴァカにして『鎮護』の怪仏・大元帥たいげん明王! 慕いし友を護るため、いざ最勝の力振るわん! 【絶招ぜっしょう! 荒野大元帥こうやたいげん三十六臂さんじゅうろくひ降魔調伏大殲風ごうまちょうぶくだいせんぷう】!!」


 合掌した賀来の手を除く、たくましい三十四の手には。いつの間にか様々な武器が握られていた。剣、戟、三鈷杵さんこしょ五鈷杵ごこしょ、宝輪に斧。

 それらが掲げられ、一斉に打ち振るわれる。巨大な翼のように。

 空を打ち、裂くその刃が腕が、うなる音を立てて風を巻き起こす。


 その風の向かう先。烏枢沙摩うすさま明王と両頭愛染、せめぎ合っていた――烏枢沙摩うすさま明王が押されていた――炎が風に揺れ、なびき、はためくような音を立てて分かたれ、かき消され。散った火の粉の全てが吹き飛ばされた。


 渦生と至寂が目を見開く。

「何ぃ!?」

「何、と……!」


 そうして、なおも止まらぬ猛風は。二人と怪仏らをもろともに打ち倒し、吹き飛ばした。


 倒れ伏した二人を見下ろし、賀来は両手を腰に当て。三十四腕を構えて言う。

「見たか愚民ども。これぞこの我、魔王女たるカラベラの! 一の忠臣、大元帥たいげん明王アーラヴァカの真なる力!」


 風にえぐられ、荒野のような地肌をさらす周囲の地面に目をやる。わずかに顔を引きつらせた。

「……まあ、我も初めて見たが」


 よろめきながらも至寂と両頭愛染が立ち上がる。

「……お見事です。かつて、異国よりの侵略の際、大元帥たいげん明王に祈祷が捧げられ。その結果かどうか、大風によって異国の軍は壊滅したとのよし……それを因とし縁とした力、ですか。護らんとする慈悲の心と、敵を滅する暴虐の力併せ持つ最強の怪仏、大元帥たいげん明王の力使いこなすとは……実にお見事。ですが」


 至寂は合掌する。その表情はあくまで静かだった。

「真に真なる最強は。わたくしの両頭愛染明王、なのです。その理由を貴方はすぐに知ることとなる……恐縮です」


 そして深く、頭を下げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る