六ノ巻13話 秘技
多腕に刀を構えたまま、
「――な……にい……?」
倒れたままどうにか顔を上げ、百見がつぶやく。こんな状況でも若干早口に。
「それがあったか……秘仏中の秘仏『双身毘沙門天』。二体の毘沙門天が背中を合わせた形で現されるそれは、ただ数が増えたというわけではない……一方は
「――道理よ……二体もの怪仏との
言われてかすみも思い出した。昨日、帝釈天と戦ったときも、今日、紫苑と戦ったときも。刀八毘沙門天は
吉祥天は、にこりともせずうなずく。片手の宝棒を小脇に抱えると、懐から宝輪を取り出してみせた。
帝釈天が歯噛みする。
「――だが、だからどうだというのだ。
そちらに耳を貸す様子もなく、吉祥天はかすみを見た。
「――いでや、
「え?」
吉祥天は射るような視線を向ける。
「――
かすみは口を開きかけ、だがその動きが止まる。
命じるべきことは決まっている。だが、彼女をどう呼んだものか。双身毘沙門天の片割れ、では長すぎるし失礼に思える。今さら吉祥天でもないだろうし、毘沙門天ではもう一体、刀八毘沙門天の方とまぎらわしい。
ならば、その名は一つしかない。
「命じます。あの敵らを討ち倒し、私の仲間を護りなさい。行きなさい――私の怪仏、
帝釈天らを真っ直ぐに指差し、そう告げた。
そこで不意に、吉祥天は――いや、多聞天は――口を開け。その紅い唇の端を持ち上げ、ほほ笑んだ。
「――承り申した。この多聞天、御仏の教えを多く聞くとてその名を負うものでは御座りますが。
かすみに向かって深く頭を下げた後、帝釈天らに向き直った。
「――
宝輪を懐に収めた後。振るってみせた宝棒が、風を重く裂く。
「――おのれ、黙って聞いていれば! ヒーローたるこの私を糞呼ばわりだと、断じて許せん!」
変わらず笑んだまま多聞天が言う。
「――黙れ糞。
「――む……」
自らが手にした宝塔を示し、多聞天は言った。
「――先に
その宝塔を相手に向け、事も無げに放ってみせた。
「――っと、お……ぉおおおおおおっ!!?」
思わず複数の手を伸ばし、受け取った
それでも止められず、宝塔は地に落ちた。あまりにも重い音、大黒柱を地面に突き立てたのような音を立てて。いくつもの手を巻き添えにしたまま、打ち込まれたように地にめり込んで。
「――な……な、あががががっっ!!?」
手を引き抜こうと
「――八万四千の経典ぞ、なかんずく大般若経などは六百巻超……
宝棒を構える。
「――
「――何、だとぉ……!?」
多聞天は敵へ、すでに宝棒を繰り出し始めていた。
「――いでや、
重く重く、風を震わせて宝棒が振るわれる。一度や二度ではなく、幾度となく幾度となく。数え切れぬほどの空を裂く音、肉を打ち骨にめり込む鈍い音。それが無数に重なり響いた。
「――な、くそ、あっ、がっあっ、あっあっあああぁっああぁ!!?」
歪んだ、受けた刀が。へし折れた、打った戟の柄が。自らの宝塔はとっくに断ち割られ、空っぽの中身をさらしている。
「――おっ、おっ、おのれえええっ!!」
残る腕の刀を振るうが。それも跳ね飛ばされて遠く地に落ち、あるいは砕き折られた。刀身が、そして腕が。
「――が……あああぁあああっっ!?」
かすみは口を開けてそれを見ていた。
強い。これほどの強さを秘めていたのか、多聞天――吉祥天――は。いや、おそらくは『双身毘沙門天』としての、真の姿を見い出したゆえの力なのだろう。
そう考えると、今まで扱っていた刀八毘沙門天、あれもまた真の力を発揮してはいなかったはずだ。逆に言えば、その状態でもあれほどの力を振るったのか。
そこまで考えて、さすがに背筋が寒くなる。
「――そこまでよ!」
声を発したのは帝釈天だった。と同時に一筋の稲妻が走り、横合いから多聞天を打つ。
「――ぐ!」
身を震わせ、多聞天は動きを止めた。
その隙に帝釈天は手にしていた。跳ね飛ばされて地に突き立った刀――刀八毘沙門天の姿を取った
上段へと掲げたそれを振り下ろす。多聞天へではない、かすみにでもない。
すぐそばで倒れたままの、崇春の方へと。
百見が目を見開くが、電撃の痺れが残っているのか、自分の身を起こすことすらできてはいない。
崇春は目を開けていた。震える手を地面につき、起き上がろうとするが。到底間に合うとは思えない。
「――むぅうう……っ!」
「――
帝釈天のその声は。甲高い音にかき消された。
稲妻を思わせる音。雲の上で轟く遠雷ではなく、稲妻が落ちた後の響きでもなく。
――その音が響く、一瞬前。
崇春との間、帝釈天の前に。平坂円次が立ち上がっていた。振るっていた、自らの剣を。
それは互いに真っ向から斬り下ろす、何の変哲もない面打ちだった。
円次と帝釈天、二人の頭上でその軌跡が交錯し、どちらの剣も弾かれるか、それとも相討ちとなるか。少なくとも、かすみの目にはそうなると見えた。
が。刃と刃、擦れ違うように刀身の横腹が触れ合ったとき。わずかに、円次の刀が震えた。相手の刃を弾くように――。
その音だった、稲妻を思わせて響いたのは。剣と剣とが触れ、擦れ、弾く、甲高い金属音。
その響きが消えやらぬ中、帝釈天の刀は軌道を逸らされ。円次の肩口を浅く裂いたのみだった。
そして、円次の刀は。帝釈天が繰り出した刀の本来の軌道に乗ったかのように、
「――……、……」
声もなくよろめき、前のめりに伏す帝釈天。地についたその額の下から、赤黒く体液が流れ出た。
見下ろしながら、円次は
が、その場から二歩退き、刀を構え直す。倒れた帝釈天から目を離すことなく。
近くで低い声がした。
「――
持国天。円次の怪仏であるそれは、なぜか今は鎧をまとってはおらず。袖と裾を絞った衣服の他は、
構えを取ったまま円次がつぶやく。
「……ぬかせ」
低く、淡々と持国天は続ける。
「――剣術諸流に
「……うるせェぞ」
それだけつぶやき、ようやく構えを解き。円次は落ちていた鞘を拾い、ベルトに差した。
「何が見事だ。今のァ、オレが死んでるところだ」
制服の上着をずらす。その下には青い革鎧がのぞいていた。本来、持国天が身につけているはずのもの。
「あいつらの電撃を喰らう寸前。お前が現出させてくれたんだろ、この革鎧。……お陰で直撃よりゃ、なんぼかマシになった。時間をおけば、剣を振るえるぐらいにはよ」
もはや伏したまま動かない帝釈天を見下ろし、拝むように片手を上げる。
「……じゃあな。明王と
その光景を横目に。多聞天は最後の一撃を、
鈍い音を立てた後、怪仏はもう動かなかった。
額の汗を拭い、多聞天は息をつく。
「――
かすみの方を向き、白い歯を見せて笑った。
「えー……はい、お見事……です」
かすみは頬を引きつらせながらも、どうにか笑った。目を背ける。多聞天からも、原形を留めない敵の体からも。
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