六ノ巻8話 両頭愛染(りょうずあいぜん)
燃えるような赤い肌をした愛染明王の体。そこから伸びる、同じ色をした四本の腕。ただ、その間からさらに突き出す一対の腕、不動明王のそれはくすんだように青黒い。
そうして右肩へ
それは一体の怪仏であるにも関わらず、一体感がまるでなかった。赤と青、まるで二体の怪仏が、あるいは背後から片方を抱き、熱烈に絡みついているかのような。あるいはまた、一方が相手にしがみつき、無理に引き止めているかのような。まるで逆の印象を同時に受ける、ちぐはぐで不安定な姿。
「な……」
渦生は口を開けたまま、組んでいた印すらも解いて。至寂の背後に現れた、その明王を見上げていた。
「『死を超克した世』、あのお方の望む新たな世の到来の前に、皆様方を殺めるつもりはございません。が」
至寂は深く頭を下げる。
「手向かいなさるとあれば、こちらも加減は致しません……どうか、ご容赦願います」
崇春が拳を握り鳴らす。
「望むところよ。たとえ至寂さんといえど、このような過ちをしでかしては見過ごせん……こちらこそ容赦はせんわ!」
仁王像のように身構える崇春を、しかし百見が制した。
「待て。至寂さんの言ったとおり、
「え。……ええぇぇっ!? 私ぃ!?」
目を剥いた賀来へ百見はうなずいてみせる。
「もちろんだ。僕ら『天部』の怪仏とは違う、格上の『明王』同士……そして不動明王と同格かそれ以上ともいわれる、最強格の戦闘仏『
頭を下げた後、続けた。
「正直、すまなかった……軽く見ていた。だが君はその力に振り回されることなく、怪仏と共存している。危険な戦いに臆することなく、立ち向かってくれている。もう、君を守るとは言わない……どうか、共に闘ってほしい」
再び、深く頭を下げた。
賀来は目をそらす。ツインテールの髪の先をいじり、指に巻きつけながら言った。
「うー……ま、まあ別に? そこまで言うなら、別に私、我もー? 闘うにやぶさかではないかなーって、いや頭を下げられるようなことでもないのだが……けど」
目を向けた先は。にらみ合う渦生と、その視線を受け止める至寂。
賀来は顔を引きつらせる。
「よく知らないオッサンの争いに割って入るのか、私……? 一人で……!?」
そちらには返答せず、百見はかすみと斉藤に目を向けた。
「言うまでもないが、君たちは下がっていてくれ。できるだけ遠くに、巻き込まれない位置に。……言いたくはないが、君たちを守る余裕はない」
かすみは口を開けたが。すぐにその唇を噛んだ。
なんてことだ。なんていうことだ。
戦う力を、最強の怪仏を――黒幕の思惑によるものだとしても――得たというのに。
共に戦える力、皆を守れるだけの力を――あまりに危険な、強大なものだったとしても――得たというのに。
それを、すぐに奪われるなんて。こんなとき、戦わなければならないそのときに、皆を守れないなんて。
それどころか、力を奪われたせいでこんなことに。――私のせいで。
噛み締めた唇は、血の味がした。
「……、ス」
うつむいた斎藤の拳は堅く握られ、震えていた。
かすみは顔を上げる。
そうだ、私だけじゃない。この人だって。
そう思う間に誰かが、ずい、と前へ出た。
それは華やかな衣に包まれた薄い背を、ぐ、と反らし、豊かな胸を張ってみせた。力強く腕組みをし、強く鼻息を吹いていた。かすみのもう一体の怪仏、吉祥天は。
かすみは目を瞬かせたが、気づいた。――そうだ吉祥天、吉祥天がいた。宝輪を放って毘沙門天を助けてくれていた、その力でなら私も戦えるかも――
口角を上げかけていたとき、崇春が声を上げた。
「気に病むことはないわい、元よりこれはわしらの務め。二人とも、充分過ぎるほどようやってくれた。……どうか、下がっちょってくれい」
かすみの表情が固まる。
その代わりのように吉祥天が頬を膨らませた。しきりに自分と至寂らを指差し、殴るような手まねをしている。噛みつくように歯を剥いた。
「……ウス。ここは、危険……ス」
かすみらの前を塞ぐように、斎藤が太い腕を出す。
そうだった、吉祥天が無力ではないとしても。それだけの力では自分の身を守れるかさえ怪しい。なら、かえって足を引っ張ってしまう。
だからこの場の正解は、かすみが崇春たちのためにできる行動は――『戦わない』。それしか、なかった。
唇をまた噛み締めながら、吉祥天の背に手をやって――斎藤の腕をぽかぽかと叩いていたが――促し。斉藤と共に下がっていく。
「……あの、もし、怪我したら……私が、引き受けますから」
その声は震えて、届いたか自信がなかった。
一方。円次は
「オイオイ、オッサンよォ? 人が超~悪ィぜ、やっぱお芝居だったじゃねェか。ええ?」
帝釈天は肩を揺すって笑う。
「――いやいや、許せ! 我が立場も察してくれぬか、はいそのとおりです、とも言えぬであろうが! いやしかし、貴様も大した
へら、と円次は表情を崩し、全身から力を抜いていた。
「そっかァ? そう言われたらまァ、悪い気はしねェなオイ。それよりよ――」
帝釈天は片手を衣の内側へ差し入れ、胸をかいていた。
「――くっははは、許せ許せ! どうだ、ここは一つ? 茶でも飲んで今一度話し合いと――」
瞬間。互いに斬りかかっていた。全く同時に。
円次は腰の刀を居合い抜きに放ち、帝釈天は懐から抜いた
火花を散らして刃がかち合った後。刀身を
「それより。やっぱ先に、突き殺しときゃ良かったぜ……!」
同じ表情で帝釈天が言う。
「――そのとおりよ、愚かなことよ……話し合いの余地など、徹頭徹尾どこにも無し……!」
次の一瞬、円次が素早く身を引く。
遅れて
「――勘の良い奴よ。だが逃がさぬわ!」
電撃がさらに膨れ上がり、帝釈天の視線が円次を捉える。
そのとき。
「【
矢のように飛ぶ一の字、墨で構成されたそれが電光に打ち当たった。弾ける音と共にそれらは火花と飛沫となり、互いに散る。
その様を確認することもなく、百見は次の筆を
「【
声と共に無数の矢が飛び、帝釈天を狙う。
「――ふん……【散雷の
帝釈天が
百見の放った墨の矢が、電光の網と打ち合って次々に散る。
網の隙間をくぐり抜けようとした幾本かの矢も、迎撃するように網から飛び散った火花に巻き込まれ、黒い飛沫となって地に落ちた。
未だ自らを囲む
「――
だが。矢は電網に打ち落とされたものばかりではなかった。いくつかのもの、決して少なくない数が的から逸れ、ただ地面に打ち当たっていた。
そして、その地面から――電撃に蒸発させられることなく落ちた矢が、元の墨となって溜まるそこから――水墨画に描かれるような、黒い龍が立体となって飛び出る。帝釈天を取り囲むように、四方八方から何体も。
「【
百見の声と共に、龍らは電撃の網へと絡みつく。我が身を火花に焦がしながらも、その体でその爪で電網をねじ切ろうと、その牙で咬み切ろうとするように。
果たして、盛大な火花と、墨の匂いのする蒸気と共に。黒い龍と電撃の網はもろともに散っていた。
「――ぬう!?」
その光景に眉根を寄せ、呻いた帝釈天だったが。次の瞬間、何かに気づいたように目を見開き、背後を振り向く。
首元に振り上げた
円次はそのまま、刀を立てて身を寄せる。つばぜり合いに持ち込むかと思えたが、相手の足を踏み、動きを止めると同時。流れるような動きで
「――が……!」
そこへ背後から、広目天が筆を
「【広目一筆】!」
帝釈天はよろめきつつも横へ跳び、どうにか身をかわす。広目天の筆跡の端が、その衣の袖をちぎり飛ばした。
円次と百見はさらに追撃しようとするも、
「――おのれ、
円次は無言で刀を構え、じりじりと帝釈天へ間合いを詰める。今このときも、攻勢を続けているかのように。
百見は万年筆で帝釈天を指す。従う広目天は筆を構え、同じく帝釈天に視線を向けた。
「東条紫苑のために時間を稼ぐつもりだろうが、そうはいかない。手短に倒させていただくよ。……そういうわけで悪いが、仏法者としての救いは期待しないでくれ。
視線を敵へ据えたまま、わずかに顔を横に向けて声を上げる。
「崇春! そっちは頼んだ、他と連携させるな! 頼むぞ、今こそ目立ちの時だ!」
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