六ノ巻2話 その後、体育館にて
崇春は体育館のステージへと向かい、手にしていたペットボトルをその上に置いた。自らはステージに上がりはせず、斉藤と並んで礼をした。ペットボトルの方へ。
「よい目立ち、よい闘いであったわい」
「ウス……
ペットボトルの中で塵が舞い、やがて寄り集まっていかつい面影をうっすらと形作る。崇春に倒され、塵と散った
ボトルの中から声が響いた。
「――なんの。こちらこそ感謝いたす、よい闘いでありました。敵味方とはいえ……せめて、お二方のご無事を祈っております」
「それはそうと、ずいぶん休んでしもうた。谷﨑らが心配じゃ……先を急ぐとしようかの」
駆け出した崇春と斉藤の背に、誰かが手を叩く音が降りかかる。ぱち、ぱち、ぱち、と間延びした拍手が体育館に響いた。
「死力を尽くして戦った者たち同士の麗しき友情か。美しいものだね」
「むう!?」
振り返れば。いつの間にか、東条紫苑がそこにいた。ステージ上、
紫苑はまたも拍手する。
「それにしても。手こずったようだが、
ペットボトルの方にかがみ込み、声をかける。
「
紫苑の目は斎藤を見ていた。
「……どういうことじゃ」
崇春は紫苑ではなく、その隣を見ていた。紫苑と共にそこに姿を見せた者――紡、帝釈天、そして――、至寂を。
「……どういうことじゃ、至寂さん。それにそちらの二人、谷﨑と平坂さんと共に行動しておったはず」
身構えつつ前へと出る。
「一応、聞かせてくれい。わしが寝ちょる間に至寂さんらが紫苑さんを助け、和解した……そういうことなんか。だったとしたら――」
斉藤が同じく身構える。
「……どこ、行ったんスか。賀来さん、百見くんたちは」
紫苑は肩をすくめ、鼻で息をついた。
「なかなか危機意識の高い人たちだ、賢いな。ま、雰囲気で分かるかな」
にこやかに続ける。
「もう隠し立てすることもない、言っておくよ。シバヅキも四大明王も僕の配下、この戦いは僕の自作自演に過ぎない。そして、至寂は僕の味方。最初からね」
「な……」
崇春は口を開けていたが。やがて絞り出すように言った。
「……どういうことじゃ。至寂さん……最初から味方、とは……。知っておったのかその、シバヅキらが紫苑さんの、配下っちゅうこと……いや、まさか。それ以前、斑野高校での一連の怪仏事件、それも――」
斉藤が重く、しかし強く言う。
「それより……ス。他の人たち、賀来さんや谷﨑さん……どこ、スか」
崇春は一瞬動きを止めたが。斉藤の言葉にうなずいた。
「そう……どこじゃ。皆、無事なんか」
紫苑は屈託なくうなずく。
「心配はいらない、皆無事さ。ただし――」
その体から黒いもやが吹き上がり、三面六臂の形を取った。『三面大黒天』の形を。
「このとおり、谷﨑さんから毘沙門天はいただいているよ。重ねて言うが、彼女は無事さ。命に別状はない、という意味でね」
「な……!」
崇春は目を見開き、怪仏の姿を見上げていたが。
「どうやら毘沙門天の力、お
険しい目で紫苑を見据えた。
「じゃが、本当に無事なんか。今すぐ谷﨑の所へ案内せい、そしてその毘沙門天、こちらにて封じる。そうするならば、お
「和解の方法を模索していただける、と? お優しいことだね。だがご心配なく、用はまだ済んでいない。君たちからはもう一つ二つ、差し出していただくものがある。――時よ、駆けろ」
言葉が終わったと全く同時、崇春の目の前に紫苑がいた。
身構えていた崇春が反応するよりも遥かに早く。紫苑は手にした剣の柄頭を、崇春の腹へと叩き込んだ。
「が……!?」
身を折り曲げる崇春。
その背の上から紫苑の声が降る。
「君の提案は受け入れられない、交渉はすでに決裂している。よって攻撃させてもらったわけだが。さて――」
言葉を切った紫苑が、その場から消えた――そうとしか見えない速度でその場を跳び退いていた、まるで早送りした動画のような動きで。
そのせいで空を切り、何もつかむことはできなかった。横合いから紫苑へと伸ばしていた、斉藤の両手は。
「危ない危ない。一度つかまれてしまえばその剛力、僕の時を早めたところで脱出はできないだろうね。こちらから攻撃して振りほどくことは可能だろうが、やりたくはない。なぜなら」
紫苑は斉藤へと向き直る。笑みを消して言った。
「交渉したいのは君だ、斉藤
「! ……」
斉藤の眉が、ぴくり、と動く。だが、身構えた姿勢は変わらない。
紫苑はほほ笑みかける。
「そうすれば賀来さんや他の皆、無事は保証するし今すぐ会わせよう。……そういえばそもそも、君は僕に相談してくれていたね。賀来さんが周囲とうまくいってない、そのことを心配して。僕に会ったという記憶は、君の方には残ってないかもしれないが」
紫苑は斉藤の目を見る。その奥をのぞき込むように。
「勘違いしないでほしい、僕は僕の目的を果たしたいだけなんだ。君たちが妨害しないなら、危害を加えるつもりはない。どうか、君と君の友人にとって、賢い選択をしてほしい」
紫苑に相談しただとかいうのは、おそらく最初の怪仏事件――斉藤が怪仏・
斉藤が何者かに相談し、その際に怪仏を憑けられていた――その記憶を広目天の力で確認した――とは、百見から聞いている。
崇春は身を起こし、斉藤に向かって首を横に振る。
斉藤はそちらを見てはいなかったが。紫苑に向かい、首を横に振ってみせる。
「お断り、ス。友人、っていうなら、崇春くんも、ス……それに……
紫苑の目を真っ直ぐに見返す。
「その、そもそもの原因があなたなら。もう、多くの人に危害を加えてる、ス。だから――」
斎藤は印を組み、
その身は地から駆け上がる石に覆われ、その表面が砕け落ち。剣を手にした、石造りの
「あなたの行動、放っといていいわけがない、ス……ここで、止める」
崇春は身を起こし、斉藤に笑いかける。
「よう言うてくれた」
紫苑に向かい、身構える。
「紫苑さん。全ての黒幕がお
紫苑はほほ笑む。
「いやあ、斎藤くんの件以外では、関係者の他に直接の被害は出ていないと思うがね? とはいえ、それも君たちが頑張ったおかげか……確かに、もっと被害が出ていてもおかしくはなかった。そして、たとえ被害が出ていたとしても。僕は、やめるつもりはなかった」
紫苑の体から黒いもやが吹き上がる。その頭上に浮かんでいた、三面大黒天の姿はそのもやに混じり、呑まれるようにかき消え。そして、紫苑の体へと吸い込まれていった。
ほほ笑む紫苑の目が妖しく光る。その眼差しが黒い炎を帯びたように、一瞬見えた。
「だから。遠慮はいらない、来るがいい。僕もせっかく得たこの力、軽く振るってみるとしよう……最強の毘沙門天を越えた最強、三面大黒天の力をね」
返事代わりに崇春は足を踏み出す。繰り出す拳が音を上げ、風をまとう。
「オン・ビロダキシャ・ウン! 受けよ、【
紫苑は目を見開いたが。その肩、向かって右側から黒いもやが上がった。もやは腕の形を取る、鬼神のたくましいそれではなく、十二
その手が印を結ぶ。
「オン・ソラソバテイ・エイ・ソワカ。【俊英なる才智の城壁】」
床から吹き上がる水の壁に、爆ぜるような音を立てて風は打ち当たった。気流と水流、双方が弾け飛び、辺りに漂う飛沫だけが残った。
紫苑が首をかしげる。
「ほう? 風の能力? 妙だね、増長天は四天王における南方の守護者にして、植物など生命の成長を
斎藤はその先を聞こうとはしていなかった。
「オン・エンマヤ・ソワカ……あまり手加減できない、ス……【地獄道・大大大・大針林】!」
斎藤が床に剣を突き立てた。そこから柱のような太い針が、辺りを埋め尽くすように突き上がる。大波のように次々と突き出、紫苑へと向かっていく。
向かって左、紫苑の肩から黒いもやが上がり、また別の腕を取る。黒い手甲に覆われたたくましいそれは――崇春が直接目にしたことはなかったが――かすみの、毘沙門天。宝塔と
いや、そればかりではなかった。さらにもやが立ち昇り、同じ腕がいくつも形作られる。分厚く長い刀を手にした、新たなる八本の腕が。
「オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ。【
振るわれる八本の刀と、その刃が巻き起こす黒いもやを帯びた旋風に。迫りくる針が全て、硬い音と共に叩き斬られた。
「……!」
息を呑む斉藤をよそに、紫苑は一人うなずいた。
「そうか、確かこういうのがあったね。中国の古典伝奇小説『
崇春は構わず駆けていた。斬り払われた針を跳び越え、両の拳を腰へと引き絞る。その拳に金色の光が宿る。
「おおおおぉっ! 受けよ、【
両拳を突き出すと同時に放たれた、澄んだ光が。燃え上がるような、巨大な双拳の形をおぼろげに取って。
紫苑はわずかに目を見開いたが、またほほ笑んだ。
「加減はしておくよ。【
毘沙門天の八本の刀、そして戟が塔がもやを上げる。まるで黒く燃え上がるように。気流を成して高く吹き上がるそれがより集まり、刀のような形を造った。
体育館の天井に届くかとも見えた、巨大なそれが振り下ろされた。
黒く黒く、全てを呑み込むかとさえ見えたそれは。向かい来る、燃え上がるような光さえ呑み込んでみせた。断ち斬ってみせた。体ごと跳びこんでいた崇春を、軽々と吹き飛ばしてみせた。
さらにはもろともに、辺りに散らばる針の山も、その先にいる斎藤をも。
「があぁっ!!?」
「ぐぁ……!!?」
体育館の壁に打ちつけられた二人は、崩れ落ちるように床に倒れた。
そこへ静かに至寂が歩み寄る。合掌の後、深く頭を下げた。
「恐縮です。斉藤殿、失礼致します」
その背後に現れた不動明王が斎藤を蹴倒し、あお向けにさせた。そこへ大剣を横薙ぎに振るう。
「あなたと怪仏・
斉藤の手から跳ね飛ばされた剣は床に転がり、そこで淡く光を放つ。光の中に剣はその身を溶け込ませ、別の形を取っていった。
その形は宝珠。上側が水滴のようにわずかに尖る、透き通った宝珠。
紫苑はそれを拾い上げ、光にかざすと満足げにうなずいた。
「実にいい仕上がりだ。地蔵菩薩の
斎藤はうめきながら顔を起こす。
「何、の……話、スか」
「なに、こちらの話さ。毘沙門天以外の『必要な怪仏』はほぼ大黒袋に揃っていたが。『本地となり得る人間に憑け、そこからの業を得て』さらなる力を与える必要があった。中でも君の役割は難しかった、『
歯を食いしばり、崇春が身を起こす。
「お
「この世を救う。それだけさ。……さて、ここでの用は済んだ。『あと一体』、本地を得させていた怪仏。受け取りに行くとしよう」
紫苑が手にした剣を振るう。それが空間を断った裂け目の中に紫苑が、帝釈天と紡が姿を消し。最後に足を踏み入れた至寂が、深々と崇春らへ礼をする。そのまま黒い裂け目は消え、後には何も残らなかった。
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